藤元由記子 – 日本工芸週間 https://craftweek.jp Mon, 20 Oct 2025 04:46:11 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.2 工芸は国境を超え、宇宙をめざす──ロシアの現代アートと日本 https://craftweek.jp/column/75213 Mon, 14 Apr 2025 01:00:36 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=75213 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


レオニート・チシコフ《僕の月》 2003年

生きのびるためのアート

2024年の暮れ、懐かしい人から一冊の本が届いた。

 送り主はロシア美術・文学研究者の鴻野わか菜さん。手に取ると、屋上で三日月のオブジェを眺める人物と、『生きのびるためのアート』というシンプルながら強いメッセージを込めたタイトルが目に飛び込んでくる。「ああ、遂に出たんだ」と表紙に手を当てながらつぶやく。

 本書は、鴻野さんが10代でロシアの現代アートに興味を抱き、以来30年にわたってアーティストとの交流や展覧会の実見、背景となる政治的・歴史的研究を継続し、まとめたもので、現代ロシア美術を総合的に扱った日本で最初の書籍である。

 ソビエト時代から続く厳しい表現弾圧のなかで、アーティストがどのような方法で「生きのび」、作品を作り続けてきたかを、「歴史編」「主題編」「作家編」の3セクションで紹介している。

 このように書くと難しい専門書のように思われるが、本書には、ふだん目にすることのない作品写真が数多く掲載されており、その面白さでたちまち誌面に引き込まれる。常軌を逸したパフォーマンスに身を挺して取り組む作家など、深刻な戦争と美術の関係性を時にユーモアで乗り切るアーティストたちの姿は、実に人間味に溢れている。

いま、この本を出す意味

 本書の意義はいくつもあるが、とくに強調したいのは、2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻が激化するなかで編纂され、出版されたことである。ロシアを語ることに対して、厳しい視線もあるだろう。しかし「ロシア現代作家」には、ウクライナ出身者やウクライナにゆかりの人物も多く、また戦争そのものや、戦争を起こす人間のさがと無縁で制作を続けている人はほとんどいない。そのことが本書を通じて、著者の葛藤とともに伝わってくる。

 もう一つは、鴻野さん自身が作家の創作現場に赴き、長年コミュニケーションを続け、信頼関係を築いてきたことである。そのため、本に記された作家の言葉は友人に語るように実がある。また、鴻野さんは研究だけでなく、自らが企画者やキュレーターとなって「瀬戸内国際芸術祭」や「大地の芸術祭」などにロシアの作家を招聘し、日本で制作する機会をつくってきた。

 招かれた作家は、地元の人々と交流しながら作品制作を行っている。そのひとりレオニート・チシコフは、2025年夏に開催される瀬戸内国際芸術祭で、香川県の手袋産業とタイアップしたプロジェクトを計画しているという。

 本のお礼を伝えるため、そしてロシアの作家と日本の関わりを聞くため、久しぶりに会うことにした。

『生きのびるためのアート』(2024年、五柳書院)の書影
大地の芸術祭の南極ビエンナーレの展示室にて 2018年 Photo: Marina Rin

こうの・わかな
1973年神奈川県生まれ。早稲田大学教授。専門は20世紀初頭から現代にかけてのロシア美術・文学・文化研究。訳書に、レオニート・チシコフ『かぜをひいたおつきさま』(徳間書店)、マリーナ・モスクヴィナ『ぼくの犬はジャズが好き』(小学館)など。キュレーターとしてロシアやウクライナ美術の紹介に取り組み、大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭、奥能登国際芸術祭などで、ロシア作家による住民との交流を通じた作品制作をサポートする。

出会い

 鴻野さんに初めて会ったのは、かれこれ30年前のこと。銀座にある現代美術のギャラリー、シュウゴアーツで、画廊主の佐谷周吾さんに紹介されたのが最初である。そのとき鴻野さんは、ロシア人文大学で博士号を取得して帰国され、日本での研究活動を本格始動された時期であった。

 佐谷さんが扱うロシアの作家イリヤ・カバコフなど、ロシアの現代美術という、私にとって未知の世界の存在を教えてもらった。この経験は、2004年に森美術館で開催されたカバコフの展覧会「私たちの場所はどこ?」のカタログ制作に結実することになる。

 ただ、それが鴻野さんとの最初の仕事ではない。その前年の2003年に川村記念美術館(当時)で開催された「コマール&メラミッドの傑作を探して」という展覧会が初仕事になる。これは、象に絵を描かせるプロジェクトや、アンケートをもとにした「みんなの好きな絵、嫌いな絵」など、型破りな作品で知られる、ロシア出身の芸術家ユニットの展覧会。

 同展で鴻野さんは企画に協力し、カタログに「揺らめく神殿 コマール&メラミッドの〈神話〉の行方」を寄稿し、ソ連時代のプロパガンダ芸術に抵抗したアンダーグラウンドで活動する美術運動を紹介した。

 また、カバコフ展と同じ2004年には、「幻のロシア絵本」展(芦屋市立美術博物館、東京都庭園美術館)をロシア文学者としての知識と熱意で成功裡に導いた。その書籍に寄せられた「魔法使いはどこに棲む? ロシアの絵本と児童文学」や、復刻絵本の翻訳の美しい日本語が、いまも特別な思い出として残っている。

復刻されたロシア絵本、「郵便」(詩:サムイル・マリシャーク、絵:ミハイル・ツェハノフスキー、1927年初版)と「荷物」(詩:サムイル・マリシャーク、絵:ウラジミール・レーベンジェフ、1926年初版)。鴻野さんによる日本語訳を付録

南極から越後、そして奥能登へ

 その後も、鴻野さんの活動は普及し始めたSNSの投稿で知ることができた。ある時はロシアから、ある時はヨーロッパから、リアルタイムで写真やテキストがアップされる。なかでも驚いたのは、南極からのレポートである。

 2017年3月17日から28日にかけて、世界初の「南極ビエンナーレ」が開催された。鴻野さんはコミッショナーであるロシア出身のアレクサンドル・ポノマリョフに招待され、飛行機と船を乗り継いで南極まで駆けつけ、その様子をSNSで発信したのである(その後、美術手帖などにも寄稿)。

南極ビエンナーレにて、南極圏に達したことを喜ぶ人々。前列左から2番目が鴻野さん、中央がポノマリョフ

 ポノマリョフは、南極ビエンナーレの前年の2016年に行われた瀬戸内国際芸術祭で《水の下の空》を発表している。さらに、2018年には大地の芸術祭で、前年の南極ビエンナーレの成果と未来の南極ビエンナーレを示す《フラム号2》を展示。2021年には「いちはらアートミックス」で《永久機関》などの作品を、2023年の奥能登芸術祭では、海からの風が音を鳴らす作品《TENGAI》を発表しており、鴻野さんは、作家招聘から制作支援まで一手に引き受けた。

 なお、奥能登国際芸術祭の開催地である石川県珠洲市は地震で大きな被害を受けたが、2025年3月からは芸術祭の作品を巡る「復興ツアー」が開催された。ポノマリョフも珠洲の復興に心を寄せているという。

アレクサンドル・ポノマリョフ《水の下の空》 2016年 瀬戸内国際芸術祭 Photo courtesy of the artist

奥能登国際芸術祭の下見をするポノマリョフ、北川フラム氏と 2023年

編むアート、民衆の知恵としての工芸

 鴻野さんとの絆を強めたもう一人のアーティストが、レオニート・チシコフである。

 故郷のウラル地方に伝わる工芸(古い衣服をリボン状に割いて編み、絨毯やマットなどを作る)の手法で「編みぐるみ」を作り、それを着てパフォーマンスをしたり、宇宙船のオブジェである《祖先の訪問のための手編みの宇宙ロケット》(2010/2019)を作ってきた。

 編みぐるみには、工芸という民衆の知恵の結晶、そして古着が表すような「市井の人々の人生、人間の歴史を身にまとって体現する」という意味がこめられている。

 また、この宇宙ロケットには、あらゆる人々の生や記憶を携えて共に宇宙にいくという意味が託されている。

 鴻野さんは、死者の記憶をいつまでも携えていきたいと考えるチシコフが、工芸に愛着をもつ意味を考えているという。

 チシコフは、今夏開催される瀬戸内国際芸術祭2025で、東かがわ市の主要産業である手袋をモチーフした作品を出品することを知り、本インタビューでは、その最新情報をまじえて話をきいた。

レオニート・チシコフ《祖先の訪問のための手編みの宇宙ロケット》(2010/2019) Photo: Hideto Nagatsu

Q. 1 書籍の反応は?

鴻野わか菜

 大変ありがたいことに、読売新聞や共同通信をはじめ、多くのメディアに書評や紹介が掲載されました。読者からも大きな反響がありました。

 戦争が続き、ロシアでは文化統制が強まっていますが、厳しい検閲のもとでなお、象徴的な表現を用いて平和への思いや死者の追悼という意味を込めた作品を制作し続けている作家、あるいは海外に移住して反戦的な作品を制作している作家などの存在を伝えることができたことも、本書が関心を呼んだ理由の一つだと思います。

 また、何よりロシアの作家たちが、この本の出版をとても喜んでくれました。ロシアの多くの作家はこの戦争に恥と罪悪感を抱き、世界と断絶した国で死んで忘れられていくという絶望を感じています。そうした中で、平和や芸術への想いは国を超えて人々をつなぐものであるというメッセージを込めた書籍が日本で出版されたことに、勇気づけられたという手紙が何通も寄せられました。

 美術を通じてロシアの社会、歴史、生活への理解を深めることができるので、気軽に手に取っていただけることを願っています。

読売新聞「生きのびるためのアート」刊行 早稲田大 鴻野わか菜教授に聞く(2025年2月18日付け)

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/interviews/20250217-OYT8T50158/

Q. 2 チシコフの最新作《みんなの手》とは?

鴻野わか菜

 チシコフは瀬戸内国際芸術祭2025で東かがわ市を拠点に、同市の工芸であり産業である手袋の歴史に捧げる作品《みんなの手:月まで届く手袋を編もう!》を制作し、発表する予定です。

 1888年、現在の香川県東かがわ市白鳥の寺の副住職両児舜礼ふたごしゅんれいが大阪で手袋の製造を始め、その教えを受けた棚次辰吉が11年後に東かがわ市松原に工場を作ったのが始まりで、現在も国内の手袋生産の90%を占めます。

 チシコフは工芸に深い関心と共感があり、この新作では日本とロシアの工芸の歴史が結びつくと期待しています。人々の生活や人生の証である工芸は、国境を超え、宇宙をめざすと考えているのです。

レオニート・チシコフ《みんなの手》のイメージ画 2024年

 また、編み物を亡き母親から習ったチシコフにとって、工芸は家族の思い出と密接に関わっています。チシコフは、多くの家庭が手袋製造に携わってきた東かがわ市の生活や光景に思いを寄せ、「人間の友」としての手袋のイメージを表現しようとしています。

 数年前、チシコフは、おばあちゃんが雲で編んでくれた手袋とセーターを身につけた男の子が空を飛ぶという絵本『そらにかえったにゅうどうぐも』を描いているのですが、家庭的な工芸と宇宙の結びつきは、チシコフがずっと追い求めてきたテーマでもあります。

 今年、チシコフの妻で著名な童話作家のマリーナ・モスクヴィナも瀬戸内国際芸術祭に参加し、棚次辰吉の手袋を擬人化した物語を書き、チシコフが挿絵を描いて新しい絵本を作ります。

 ロシアは寒冷地なので手袋が身近で、手袋を主人公とした絵本やアニメーションも何種類もあるのですが、そうした文化背景のもとに、今回、日本の工芸がロシアの作家の手によって想像力豊かな絵本となることで、普遍的な物語が生まれるのではと期待しています。

モスクワのチシコフのアトリエにて

Q. 3 工芸という視点からロシア現代アートを見ると?

鴻野わか菜

  ロシア現代アートは様々な形で工芸と関わっています。

  20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドの作家は、応用芸術の刷新にも取り組み、テキスタイルや家具、食器などの日用品を革新的なものとすることで新しい意識や生活様式を作り出そうとしました。そうした表現の実験は、今でもたとえば現代作家セルゲイ・ソーニンの陶器制作やチシコフの木工などに受け継がれています。

 ロシア・アヴァンギャルドの終焉以降、ソ連では粛清、飢餓、戦争で多くの人が亡くなりましたが、そうした時代を体験したイリヤ・カバコフは、日用品を市井の人々の生の象徴として捉え、彼らの記憶の象徴として画布に食器などを貼り付けるという手法を取りました。

 一方、1955年生まれの女性作家ターニャ・バダニナは、しばしば和紙をはじめとする世界各地の紙を用いて制作しています。バダニナにとって、伝統的な紙は各国の文化や文明を体現する素材であり、それらを用いることで作品が多元的なものになると考えています。服飾デザイナーになることを夢見ていた一人娘を亡くしたことをきっかけに作り始めた連作〈白い服〉シリーズも、和紙を中心に、作家自身がいた紙も含めて世界中の紙を用いた作品です。白い紙の服は、天使の服や死者の服を表しているとバダニナは語っています。

 2024年の「大地の芸術祭」では、芸術祭の開催地である越後妻有の女性達が持ち寄った野良着の色や形を取り入れて《白い服》の新作を作り、越後妻有里山美術館 MonETで常設展示されています。越後妻有の女性達の生と労働に捧げた作品なのですが、様々な国の白い紙を使った本作は、温かさと同時に、全人類に向けた祈りのような崇高さを感じさせます。

 また、マゴメト・カジュラーエフなど、ロシア南部のダゲスタン共和国の現代作家の抽象絵画は、つねに現代的な創造の探究が見られるのですが、現地の木工や織物の紋様とも関連しています。ロシアは多民族国家ゆえに工芸も多様であり、それが現代美術の多様性の一つの源泉になっています。

ターニャ・バダニナ(左端)と和紙による《白い服》の新作 大地の芸術祭2024

Q. 4 ロシア現代アートを通じて見える日本の特徴とは?

鴻野わか菜

 ポノマリョフは南極ビエンナーレを開催するために世界中から作家を厳選して招聘したのですが、日本人の参加作家は2名とも工芸と結びついた作品によって選ばれました。

 五十嵐靖晃は日本やブラジルの自閉症の子供たちと藍染した糸を南極に持参して、ビエンナーレの参加者達と共に江戸組紐を組みました。そしてみんなでその紐を使って南極で凧揚げをしたのです。

 長谷川翔は、移住したドイツで木工や鋳金を学び、その技法を用いて自分で作ったスケート靴を履いて南極の氷上を滑り、スケートの刃の部分に蓄電された電気を使ってライトペンで絵を描きました。

 どちらのプロジェクトもユーモアがあり、創作のプロセス=創造の行為自体を主題にするという現代性があったのですが、その基盤には工芸の要素がありました。また、氷や風といった周囲の自然を活かし、自然との調和のもとに芸術が生まれるという、共通の特徴がありました。

 ポノマリョフはアーティストであると同時に優れたキュレーターでもあるのですが、彼は日本の工芸と現代美術と自然の有機的な結びつきに、独創性と可能性を感じたのでしょう。

 日本では、大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭など、海辺や森、空家、廃校に作品を設置するサイトスペシフィックアートの取り組みが世界と比較しても充実しています。工芸は風土や自然と深い関わりを持ちながら発展してきたジャンルですが、日本の現代美術もそうした特性を備えた魅力的な作品をこれからも生み出していくのではないかと思います。

五十嵐靖晃《時を束ねる》2017 年 南極ビエンナーレ
長谷川翔《ウィンターランドスケープ(南極編)》2017 年 南極ビエンナーレ

]]>
手にとってそれを大切にすること──NYで考える私たちのDNA https://craftweek.jp/column/75078 Tue, 18 Feb 2025 04:55:44 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=75078 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


まつやま・ともかず
1976年岐阜県生まれ、ブルックリン在住。絵画を中心に、彫刻やインスタレーションを発表。アジアとヨーロッパ、古代と現代、具象と抽象といった両極の要素を有機的に結びつけて再構築し、異文化間での自身の経験や情報化の中で移ろう現代社会の姿を反映した作品を制作。新宿東口駅前広場の《花尾》など、パブリックアートも手がける。

撮影:Fumihiko Sugino (2024)

 2024年、ヴェネツィア・ビエンナーレの会期に合わせて同地で発表された〈Fictional Landscapes(仮想風景)〉と名づけられた日本人の絵画が、美術界にひとつの衝撃をもたらした。日本の絵巻と現代アートが融合し、観る者に劇的な鑑賞体験を与えるその作品の作者は、ニューヨークを拠点にグローバルな活躍を見せる現代美術家・松山智一さんである。この展覧会は、何世紀にもわたり絵画の歴史の中心を担ってきたイタリアで、絵画表現にはまだ可能性があることを、荘厳なインスタレーションで示したのである。

 ヴェネツィアに先立つこと半年、このシリーズは、青森の弘前れんが倉庫で開かれた松山さんの個展で発表されている。その際に、作家自身が「雪月花のとき」という邦題をつけたように、一連の絵画には日本や東洋の美意識やモチーフが、ふんだんに描かれている。鮮やかな色彩の衣装を身に纏った現代的な人物の背景に、梅花や桜木、くの字に並んで飛ぶチドリ、青海波や雪華など、日本人になじみの文様や意匠があちらこちらに仕込まれている。圧倒的な技術でリアルかつ緻密に描かれた背景や人物が生み出す「仮想の現実」は、作品のスケールの大きさとともに観る者に没入感を与え、若者を中心に広い支持を集めている。

 その松山智一さんが、2025年3月から東京で初めて展覧会を開催することになった。一時帰国された際に、日本の美意識と現代における継承の可能性についてきいてみた。

「Mythologiques」展(2024年、ヴェネツィア) © Francesco Russo 

ヴェネツィア・ビエンナーレの会期に合わせてアルセナーレで開催された個展は、横幅3〜6mの大規模な絵画が並ぶ圧巻のインスタレーションで注目を浴びた

出会い

 初めてお会いしたのは、2024年の12月のことである。会合場所に指定された建物を探して麻布ヒルズの広大な敷地をうろうろしていたら、公園のなかで上を見たり下を見たり、謎めいた行動をとる男性に遭遇。人違いを覚悟で声をかけたら、にっこりと「怪しげでしたか。ここに野外彫刻を据えられないか、場所を見ていたんです」と笑顔で答えてくれた。

 いくつになっても、相手がだれであっても初対面は緊張する。世界的に活躍するアーティストとなればなおさらだが、とにかく肩の力の抜けた、気さくで礼儀正しい(私からすると)若者であった。後に知ったのだが、人を安心させる雰囲気には、松山さんが牧師の父のもとで育ったという家庭環境も一役買っているようだ。

 なぜ麻布ヒルズでお会いすることになったのかというと、松山さんが東京で初めて開く大規模な個展のカタログを、私の会社で刊行することになったからである。つまり、作家との打合せ。ただ、知り合って間もないのに、今回、速攻インタビューを申し込んだ理由は、松山さんが何げなく口にした言葉にある。

松山智一《We Met Thru Match.com》2016年 © Matsuyama Tomokazu 

〈Fictional Landscape〉シリーズの第1作。古今東西の膨大な情報からモチーフや技法を引用する「サンプリング」の手法と、屏風絵のような世界観で注目を集めた代表作

エモーショナルな日本の美術

 東京で発表される新シリーズ〈First Last〉は、西洋名画のシーンを引用して、現代社会に置き換えて描いたものである。例えば、ダヴィッドの《ソクラテスの死》と《マラーの死》の構図にした《We The People 》(2025年)は、スーパーマーケットを舞台に、ソクラテスは手に毒の代わりに朝食のシリアルを持ち、マラーは浴室の代わりにショッピングカートの中で横たわり、店の棚にはギラギラしたシリアルやサプリメントのパッケージが所狭しと並んでいるというもの。このシリーズについて語っていたときに、松山さんがふと「西洋美術の歴史にはプロパガンダや権威性がつきまとうし、クライアントの希望にいかに応えるかが基軸にある。ルネサンスだって、布教のために聖書のシーンをヴィジュアライズしたもの。でも、日本の場合、美術はもっとエモーショナルなんです」とつぶやいた。「エモーショナル」とはどういうことか? その場の議題からそれていたので、そのままになってしまったが、ずっと耳にのこり気になっていた。

 そうこうするうちに編集作業が始まった。作品解説を読んでいたら、彼の立体彫刻には「截金(きりかね)」や「玉眼」といった日本の彫刻技法が現代的な技術で再現されていることや、絵画には冒頭で紹介したように、伝統的な意匠やモチーフが、古今東西の「記号」とともに描かれていることを知った。これって、エモーショナルに関係があるの?──やはり真意が知りたくなった。

 一月後に再来日されることになり、インタビューを申し込んだところ、多忙なスケジュールにもかかわらず、快く引き受けてくださった。

松山智一《We The People》2025年 © Matsuyama Tomokazu 

ダヴィッドの《ソクラテスの死》の構図を引用し、健康被害をもたらす食品業界と不健康から富を得る製薬業界などの社会問題をアイロニカルに示唆している

Q.1 「日本美術はエモーショナル」の意味は?

松山智一

 天然の素材を使ってマテリアルを創造する自由が日本の工芸にはあるため、最後まで操作できない要素が一部にありますよね。だから、人の手を超えた崇高なものもたくさんあります。いずれにしても、日本の美術、とくに工芸には日本人のDNAが色濃く表れていると思います。

 つまり、日本人が最も得意とするものとは、すごく小さいものに年月をかけて、そこに魂を込めるということ。なぜ崇高に見えるのかというと、例えば漆器にしても七宝にしても、陶芸にしても、「魂を込める」から。その意味で、とってもエモーショナルと言えませんか。対して、感情を排除するというのが西洋美術の概念ですから。

 僕は工芸の中でも焼き物が好きなんですが、コントロールできないところに対して、向き合う姿勢に引かれます。つまり、最後は神様に委ねるというか。

 もちろん気候に合わせて温度や湿度を管理したりしますが、最後は委ねないといけないという意味でのスピリチュアリティは、我々のDNAの中にある一つの大きな言語ではないのかなと思います。

Q.2 我々のDNAにある言語ですか?

松山智一

 画家の観点でいうと、紙の作品は、ヒエラルキーでカンヴァス作品の下に位置していたのが、今はそうではなくなってきています。西洋美術の歴史の中で、何百年か千年かけてやっと欧米圏でヒエラルキーが変化してきた。同じようなタイミングで欧米の美術の世界で、ラッカー(漆)や彫刻、セラミシストやスカルプターによる焼き物の立体的なオブジェクトも美術品に加えられるようになってきました。

  何かこう、手にとってそれを大切にするっていう考え方、つまりモノとしての美術品ではなく、関係性としての美術が、西洋でやっと浸透し始めている感じがあります。

 僕、よくアートを料理に喩えるのですが、懐石料理なら、その場に掛け軸があり、器もそれぞれの料理と一体となっていて、それらを2時間くらいかけながら味わいます。もし、料理が作品で、室内が美術館だとすると、どういう作品の見せ方をすれば、ゆっくりした時間を堪能してもらえるかを考える。その意味で、共通性を感じます。

 ただ、欧米圏の人たちと違って、日本人は江戸時代の器などを日常で使いますよね。古い輪島塗など、長い年月持ちますから。その古いものを古いままにせず、つねに古いものに留めない革新性が伝統につながっている。とすると、やっぱりその革新性を常に追求していくべきだと思うんです。その上で、よりグローバルな言語をもっと意識してほしいなと思います。

Q.3 日本の工芸家にはどんな可能性が?

松山智一

 今、世界中のいろいろな作家が巨大なモニュメントを、焼き物で作り出している。技術の進歩によって制作の可能性が広がるからです。だから、工芸の定義をもっと広げることが必要だと思う。

 僕も領域横断的なので、立体作品を制作した時も、もともと壁画を描いていたので、その延長上にモニュメントの制作がありました。だから陶芸家が10mの作品を作ってもいいわけです。

 デジタルスキャナーとデジタルプリンターがでた時、僕は画家として使えるなと思いました。文様という本来彫刻にならない言語、つまり平面的なものを立体化するということも、新しい技術を駆使して可能になります。 ですから、「工芸はこうあるべき」という思い込みを取っ払い、新しい技術を利用しながら、全く新しい表現領域を切り拓いていけばいいのではないでしょうか。日本の古いコミュニティの中では、叩かれると思うんですけど。
 でも、そういう保守的な方々も、いまグローバルに興味を持ち始めているタイミングなんではないか、いや持ってほしいと感じています。

松山智一《This is What It Feels Like》2023年 © Matsuyama Tomokazu

モデルのようなポーズの女性像は、鷹や燕を眷属のように従え、肌に截金模様を施し、玉眼の黒瞳で見つめる。「たとえばこんな感じ」という邦題から、アイデンティティは見る者に委ねられる

展覧会のお知らせ

 2025年3月8日より「松山智一展 FIRST LAST」展が開催されます。本展はニューヨークを拠点にグローバルな活躍を見せるアーティスト松山智一の東京で初めての大規模個展で、日本初公開となる大規模作品15点を含む約40点が展示されます。さらに、展覧会タイトルでもある、新シリーズ「First Last」を発表。「最初で最後」を意味する本シリーズは、四半世紀にわたるキャリアの、長くとも短いような道のりを反映しています。少年期のアメリカでの生活を経て、帰国子女として日本で青年期を過ごし、そしてニューヨークでアーティストとして活動を始めてからも、常にマイノリティであり続けた松山が、自身のアイデンティティを通して捉えたグローバルな現代社会のリアリティを、迫力ある色彩と壮大なスケールの絵画で体感できる展覧会です。

会期:2025年3月8日(土)〜5月11日(日)

会場:麻布台ヒルズ ギャラリー

公式サイト

https://www.tomokazu-matsuyama-firstlast.jp/

]]>
原文の読者と同じ体験ができる翻訳 https://craftweek.jp/column/74716 Tue, 12 Nov 2024 05:03:47 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=74716 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


東京五輪の開催を機に、日本国内で英語による情報発信が増えてきた。新幹線乗務員のたどたどしいアナウンスには閉口するが、情報のグローバル化自体は歓迎すべきだと思う。
 美術館や博物館でも、キャプションやウォールテキスト(解説パネル)に、日本語だけではなく、英語、中国語が併記されるようになり、展覧会の図録もバイリンガルのほうが多くなってきている。
 1990年代にニューヨークで編集の見習いをしていたときに、日本文化の情報不足に、英語で発信することの重要性を痛感した。以来、長く英文出版に携わってきたが、その経験から言えるのは、翻訳が本の成功のカギを握るということである。

 私がいまもっとも信頼を寄せているのが、日本在住40年超のミラー和空さんである。今回は、日本の文化に精通するミラーさんに、日本文化を「英語で伝えること」について、尋ねてみた。

みらー・わくう 
1954年生まれ。アメリカン音楽大学(シカゴ)で修士号を取得後、1978年に来日。翻訳会社、財務広報会社を経て、1988年、編集デザイン事務所を設立。企業広報資料の企画・制作のほか、現代詩やノンフィクション書籍の翻訳・デザインに携わる。2009年に得度。主な翻訳書に『Taction』(石川九楊『書─筆触の宇宙を読み解く』の英語版、日本翻訳協会特別賞受賞)など、著書に『アメリカ人禅僧、日本社会の構造に分け入る:13人との対話』などがある。

出会い

初めてお会いしたのは、2018年のこと。『東京国立博物館の至宝』の英語版の翻訳を依頼するためであった。本書は、国宝・重要文化財を中心にした、文字通り東博の「お宝」150点を、写真家の六田知弘さんによる新撮写真で紹介するもので、2020年の東京五輪に合わせて、日本語、英語、中国語の3つのエディションで出版することになっていた。

 少し補足すると、パリの美術出版社であるディアンヌ・ド・セリエ社に英語版のブックデザインを依頼し、テキスト部分を日本語と中国語に差し替える、多言語出版である。

 巻末の作品解説は、東博から提供されたテキストが日本語なので、英語版用に英訳する必要がある。その翻訳者を探していたところ、翻訳家の木下哲夫さんから「これ以上ない適任者がいます」と紹介されたのが、日本企業の英語広報を担ってきたベテランで、かつ東博から徒歩15分の場所に居を構え、東博の年間パスポートをもつ禅僧……。このユニークな人物こそ、和空さん(と筆者は呼んでいる)である。

Treasures of the Tokyo National Museum』(東京国立博物館の至宝 英語版) 監修:東京国立博物館 発行元:ブックエンド 2020年

正解のない翻訳

 東博の「至宝」であるから、縄文時代の《火焔型土器かえんがたどき》から明治の美術まで、さらに、オリエントを含むアジア各地からの伝来品も多く含まれる。分野も考古品、仏像、絵画、陶磁器、刀剣・甲冑、衣装、面など多岐にわたる作品を、東博の専門家が一点一点、解説してくださった。

 例えば、室町時代の甲冑《樫鳥糸肩赤威胴丸かしどりいとがたあかおどしどうまる》[重要文化財]の解説文には、「この糸の名称は樫鳥糸のほか松皮糸などの説がある。陸奥国の三春藩主秋田家に伝来した」とある。正直、「これ翻訳できるの?」と心配になったし、博物館の英語のキャプションや解説をつくるのには、本当に苦労されているのだと今さらながら感謝する。

 ただ、翻訳に「正解」はないわけで、翻訳者自身の考え方やルール(どの程度説明を加えるかを含め)、テクニックがモノを言う。ちなみに前述の解説は以下のように訳された。

==

The blue-and-red lacing for the armor plates is in a pattern known as pine bark or Eurasian jay. This suit of armor was long in the possession of the Akita clan, which ruled the northern Honshu domain of Miharu.

==

重要文化財 「樫鳥糸肩赤威胴丸」
室町時代・15世紀 東京国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

読者のための翻訳

 もう一つ、日本の工芸から難しい翻訳の例を挙げてみたい。例えば《男山蒔絵硯箱おとこやままきえすずりばこ》[重要文化財]の解説の最後には、工芸用語だけでなく、和歌まで含まれている。

==

図様の随所には薄い銀板の葦手文字が散らされ、この意匠が『続後撰和歌集』にある「なほ照らせ代々よよにかはらず男山 仰ぐ峰よりいずる月影」の歌に取材している。

==

 さて、和空さんはどのように訳されたか?

==

Semi-concealed in the artwork on the both sides of the lid are the words of a poem from the Shoku-Gosenwakashu (Sequel to the later anthology of Japanese poetry):  “Glowing unfailing through the ages is the moon that appears anew over Otokoyama as I gaze at the summit.” The Gosenwakashu and its sequel comprise poetry not included in the better-known Kokin Wakashu (Anthology of old and new Japanese poetry).

==

 和歌の見事な翻訳もさることながら、最後(下線部)に、「『後撰和歌集』とその続編は、よく知られている『古今和歌集』には収録されていない歌で構成されている」と、英語読者のための説明が添えられている。この翻訳について、東博では、同館の刊行物であればより本文に忠実さを求めるかもしれないが、本書は「2020」に向けて海外発信で編まれた本なので、と了解を得ることができた。

重要文化財 「男山蒔絵硯箱
室町時代・15世紀 東京国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

 ほかにも、「不動明王」「般若心経」など仏教用語も満載で、禅僧である和空さんの知識が遺憾なく発揮され、ぶじ英訳が完成。コロナ禍のため1年延期されたものの、本書は2020年11月に上梓することができた。

 長年翻訳出版に携わってきて言えることは、対象とする読者によって翻訳は異なってくるということである。

 例えば、「makie(蒔絵)」と書いて説明の要らない読者もいれば、ガイドブックで初めて目にするケースもある。読者に合わせて、「makie」をそのまま「gold lacquer」「silver lacquer」に置き換えてもいいし、「makie (gold lacquer)」とし、その後に簡単な説明を添えてもいいだろう。

 こうした例を踏まえ、和空さんに、翻訳に関する考え方やルールについてお聞きすべくインタビューを申し込んだ。事前にいくつか質問を伝えておいたが、その答えは果たして、「伝える」ことへの情熱であり、上質の翻訳論であった。

Q. 1 翻訳で一番苦労することは?

ミラー和空

 質問にお答えする前に、まず申し上げたいのは、「翻訳」は「執筆」であり、英訳とは「英語を書くこと」にほかならない。それを忘れてはいけない。英語は単語だけでできているのではなく、センテンスであり、段落であり、構文です。だから、英語らしいセンテンス、英語らしい段落、英語らしい構文でなければ、「英訳」したと言えません。語句と語句、フレーズとフレーズの「置換」ではないのです。

 よく「この文章は翻訳調」だと言うことがあります。つまり、英語として不自然ということです。例えば、日本語の特徴として受動態が多い。また、文頭に接続詞が頻出します。「さて」「ところで」「なお」「しかし」「さらに」……。これを訳してしまうと、英語では躍動感のない文章になってしまう。

 また、主題文(英語ではトピックセンテンスといいます)は、日本語では段落の最後にきますが、英語では圧倒的に最初にくることが多い。「なになにである。なぜならば」と、まず結論を言って、その後に裏付けします。日本語では「……だから、なになにだ」と結論があとにくる。日英で順序が違うのです。そのため、日本語の主題文を英語のように最初にもってくると、「意訳」だと言われてしまうけど、これが「直訳」です。受動態を能動態にすることで「英語らしく」なるのです。

 私は日本語で文章を書くと、自然に受動態を使いますが、それを自分で英訳したら、受動態が一度も出てこないこともあります。

Q. 2 『続後撰和歌集』のように説明を加える基準やルールは?

ミラー和空

 私は基本的に、日本語を読んだ人と同じ体験を、英訳を読んだ人にもしてほしいと思って訳します。だから、『続後撰和歌集』について説明したのも、註をつけるより、英文の読者が、日本語の読者が感じたように、作品世界を味わってほしいからです。

 一つ面白い例があります。道元の『正法眼蔵』のなかに、何度も「本物の龍に会った時どうするか」という問いが出てきます。これは、龍マニアで作り物の龍をたくさん集めていた男が、森のなかで本物の龍に出くわし、泡を食って逃げたという中国の故事に基づくもので、真実と向き合った時に対峙する勇気があるかという問いなのです。

 この何度も出てくる「本物の龍に会った時」を、そのまま英訳しても意味がわからないし、道元の教えが伝わらない。なので、この故事の説明を入れることは「意訳」ではなく、「直訳」だと私は思っています。「原文の読者と同じ体験をさせてあげる」ために必要なのです。もちろん註釈をつける方法はありますが、原文にはない註釈を、英文の読者にだけ強いるのは理に叶わないと思うのです。

 私にとって、日本語を英語らしく表現する工夫、もうひとつは英語を広めるための工夫、この2つが翻訳する際の課題になります。

 とは言いつつ、友人の翻訳家、木下哲夫さんは「今どきの人は、知らないことがあるとスマホで検索しながら読むので、それを前提に訳せばいいのでは」という考えで、よく議論になります。それはそうなのですが、私は依然として、原文を読む人がもっている知識を、本文中に盛り込むべきと考えています。

Q. 3 文体のニュアンスも追体験できるか?

ミラー和空

 私が紫式部の次に尊敬しているのが、樋口一葉なのですが、円地文子をはじめ、多和田葉子、伊藤比呂美らによって現代語に訳されています。でも、平安時代ならともかく、たかだか曽祖父・曾祖母の時代の文学を訳す必要ありますか? まったく個人的な意見ですが、「一葉さん」の作品は、ストーリー性は平凡だと思うのですが、とにかく文体が素晴らしい。とても官能的。

 翻訳論と関わってくるので話しますが、『たけくらべ』の冒頭は、「まわれば大門の見返り柳いと長けれど」で始まりますよね。とてもスムーズで自然な日本語に聞こえます。でも、この「廻れば大門」という表現は、中を通らないで迂回するのか、吉原の大門のなかを廻るのか、それともお金持ちが猪牙舟ちょきぶねを使って迂回しながら吉原に着いたという意味なのか。いくつかの現代語訳を読んでも、権威ある英訳を読んでも解釈は人それぞれ。

 とっても自然で心地よい日本語なのに、意味がはっきりしない。研究者と話しても、おそらく書いた本人もわからないのではないかとおっしゃる。つまり、一葉さんの文学は耳に心地よく、かつ意味が曖昧で開かれているとも言えます。

 私の一生の夢は、この『たけくらべ』を日本語の文体を活かしながら、かつ英語で読んで不自然にならない英訳をすることです。一葉さんの官能的な文体を安易に訳せば、“前衛的”に聞こえてしまうので、それを自然な英語で表現したい。

Q. 4 日本の工芸でお好きなものは?

ミラー和空

 翻訳で稼いで少しでもお金が貯まると、すぐに工芸品を買ってしまいます。でも、この「工芸品」という言葉にはひっかかりを感じています。「Fine Art とCraft」、「純粋美術と工芸」の違いです。

 ここでその議論をしたいわけではなく、美しいものは偶然できたものではなく、意図して作られたと思うのです。だから、美術品と工芸品を分けるのはナンセンスだと思うし、それを分けるときに「実用性」がよく引き合いに出されますよね。

安倍安人《彩色花いらず》2010年ごろ ミラー和空氏所蔵
あべ・あんじん: 1938年大阪生まれ。備前焼の陶芸家。宝石のような輝きを放つ作品は、工芸と現代アートの境界を越えて評価され、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、故宮博物院(台湾)などで収蔵されている。

 私は毎朝、大好きな陶芸家の安倍安人あべあんじんさんの茶碗で薄茶を点てます。お茶を飲むという実用性があるので「工芸」でしょうが、もし、穴が空いていて水が漏れるなら実用性がなくなり、この美しい茶碗は美術品になるのかな、などと考えてしまったりするのです。

 安人さんの作品集を訳したときに、「彩色備前花いらず」は「Polychrome Bizen hanairazu (“floweless” vase)」と訳していますが、花は生けられないので、工芸ではなくオブジェでしょうか(笑

 最後に、『Japanese Studio Crafts』という、ヴィクトリア&アルバートミュージアムの学芸員が書いた本があります。約30年前の1995年に出された日本工芸の百科事典のような書籍ですが、英語で書かれた日本の工芸本として秀逸で、お薦めです。


Rupert Faulkner, Japanese Studio Crafts, Univ of Pennsylvania Pr. 1995
]]>
絵は読み、書は見る https://craftweek.jp/column/73797 Mon, 09 Sep 2024 23:03:42 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=73797 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


島谷弘幸
皇居三の丸尚蔵館 館長
しまたに・ひろゆき 1953年、岡山県生まれ。東京教育大学卒業。84年より東京国立博物館に勤務し、文化財部長、学芸研究部長、副館長を経て、2015年に九州国立博物館長。21年に国立文化財機構理事長に就任し、2023年10月より現職。『料紙と書』『東京国立博物館の名品でたどる書の美』など著書多数。趣味はテニス、囲碁。

2023年10月に、宮内庁所管の「三の丸尚蔵館」が国立文化財機構に移管され、同年11月3日に「皇居三の丸尚蔵館」として開館した。その初代館長に就任したのが、前九州国立博物館長の島谷弘幸さんである。2005年に開館した九州国立博物館は、日本におけるアジア文化の重要な窓口であった九州の地理的背景を踏まえて、歴史系博物館として設立された。開館から10年目に東京国立博物館から二代目館長に抜擢された島谷さんは、それまでの経験を活かし、「魅せる博物館」へと舵を切った。保存収集・研究の重要性を理解しながらも、文化財の活用と魅力の公開に重きをおく島谷さんに、ご専門の「書」にスポットをあてながら、日本文化の現在地を語っていただいた。

出会い

私が初めてお会いしたのは、2012年のことである。当時の島谷さんは、東京国立博物館の学芸研究部長として、企画展ばかりが脚光を浴びるなかでコレクション展示を見直し、来館者を劇的に増やす成果をあげ、その次の「改革」として、12万点にのぼる収蔵品のアーカイブを構築する作業に着手されていた。この時作品撮影を担当していたのが、長年交流のある写真家の橋本禎郎氏で、彼から紹介されたのが最初である。

 初対面にもかかわらず話がはずんだのは、島谷さんの社交的な人柄に負うところが大きいが、島谷さんが「師」と仰ぐ古筆学者の小松茂美氏と私の父が、旧制中学の同級生であったという偶然も一助となった。小松茂美氏は、研究の集大成となった「平家納経へいけのうきょう」(国宝、厳島神社蔵)をはじめ、書のもつ美術史的価値と歴史的価値を等しく扱い、学問体系のなかに位置づけたことで知られる。その思想は先に述べた島谷さんの「魅せる博物館」につながると、密かに思っている。

 そして、この出会いがきっかけで、展示ではついつい前を通りすぎてしまっていた「書」に、関心を抱くようになった。それは島谷さんの魔法の一言によるもので、そのことは後で明らかにしたい。

平安時代の書に注がれる熱視線

 最近、大河ドラマの影響で平安時代の文化や社会に関心が集まっている。主人公が紫式部なので、いわゆる「女流文学」をめぐる背景も『源氏物語』誕生の布石として描かれ、なかでも物語の要所で出てくる和歌は、貴族の優雅な営みの象徴となっている。

 また、世の関心は貴族男性が書いた日記にもおよび、藤原道長の『御堂関白記みどうかんぱくき』をはじめ、藤原行成ゆきなり/こうぜいの『権記ごんき』、藤原実資さねすけの『小右記しょううき』は、読みどころを抜粋した文庫本の売れゆきが好調で、『小右記』は昨夏刊行されたばかりの文庫本がすでに1万部を超えるという。これは、道長・頼通よりみちによって摂関政治が最盛期を迎えた時代にあって、宮中の政務や儀式の様子を60年以上にわたり詳細に綴った日記で、道長の有名な歌「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の出典としても知られる。ドラマには、筆者の実資を演じる秋山竜次が、ぶつぶつと愚痴を言いながら日記をしたためるシーンが出てくる。

国宝「白氏詩巻」
藤原行成 筆 平安時代・寛仁2年(1018) 東京国立博物館蔵
白居易の詩集『白氏文集』の流行を受けて、藤原行成が書き写されたもの。8篇の詩を、色変わりの美しい料紙に美しく明るい書風で書き進めている。紙背の継ぎ目の花押から伏見天皇が愛玩されたことがわかる。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

「書」の見方と身体性

 もうひとりの藤原行成は、ドラマでは少々気の弱い優しい人物として描かれているが、こちらは三跡のひとり、「和様の書」を確立したスーパースターで、国宝「白氏詩巻」(1018年、東京国立博物館蔵)をはじめ、自筆の書が多く残されている。皇居三の丸尚蔵館が収蔵し、国宝に指定された「雲紙本和漢朗詠集くもがみぼんわかんろうえいしゅう」は、ドラマでは世渡り上手の役を担う藤原公任きんとうがまとめた歌集で、行成の筆と伝えられている。皇居三の丸尚蔵館開館記念展では、雲をき込んだ料紙りょうしと書が織りなす絵画的な美しさを一目見ようと、多くの人が書を取り囲んでいた。

 しかし現代社会においては、文字を書く行為はキーボードを打つ、あるいは指でフリックする「操作」に変わってしまい、文字から身体の痕跡が消しされて均質なものになってしまった。一方、書には墨の濃淡や文字の軌跡で、書いた人の心理状態や、その書がどういう目的で書かれたものなのかなど、さまざまな情報が読み取れる。

 このたび「雲紙本和漢朗詠集」も展示された開館記念展で島谷館長にお会いする機会にめぐまれたので、書の見方や「書く」ことの本質についてお話を伺った。

Q1.「書を見る」とは?

島谷弘幸

筆で書かれた文字、人間性が表現される文字をアートとして見ていく習慣をつけておけば、書の鑑賞の幅は広がっていきます。現代の書壇を見ていると自分のためだけに書を書いていて、他の人に向けて書いていない。展覧会にいくと大きな作品ばかりで、手元に置いて鑑賞できるサイズではない。そこで、お付き合いのある書家の方々には小さな作品を書いてくださいと頼んでいます。

 色紙を一回り大きくしたくらいの作品を書いて、書を扱うギャラリーで一般の人でも手の届く金額で販売できれば、書を自宅やオフィスなど身近に置くことができる。そうすれば敢えて鑑賞しようとしなくても、常に目に入るので書を見る目が自然に養われます。

 そして、書を選ぶときは自分の感性で構わない。書の知識などあれこれ気にせず、好き嫌いで選ぶ。それが「書を見る」の意味です。なぜこの書が好きなのかについて考えてみれば、形であったり、線質であったり、書のいろいろな要素が見えてきます。

 書において、形と線質のふたつは最も重要な要素です。歴代の書家が言うには、なかでも一番は線質で、二番が造形。造形は100枚書けばいくつかはある程度よいものが書けるけど、線は100枚書いてもよくはならない。日々の鍛錬の積み重ねで生まれると言います。

 ただ、それを言うと鑑賞のハードルが高くなるので、最初は「好きか嫌いか」でよいのです。そのうえで、なぜ自分はこの書が好きなんだろうと考えてみると、線がよかったり、造形に惹かれていたりと、自分なりの着眼点が見てきます。

国宝「雲紙本和漢朗詠集」 巻下より「恋」~「白」
伝 藤原行成 平安時代(11世紀) 紙本墨書 皇居三の丸尚蔵館収蔵
藤原公任が撰述し、娘婿となる藤原教通(道長の五男)への引き出物として、藤原行成の筆で書かれたといわれる。料紙には一紙ごとに斜めに藍色の雲形が配されており、その斬新さは平安朝の古筆でも秀逸。

Q2. 自分の好みを知ることから?

島谷弘幸

「好きか嫌いか」を考えるうちに、墨の色や濃淡などに目がいくようになります。墨にも色の違いがあって、茶墨ちゃぼくもあれば、青墨せいぼくもある。また、全体のバランス感覚として上手に文字が配置されているか、平たく言えば余白も書の重要な要素です。

 「余白」は「余った白」と書きますが、書にとっては「必要な白」で、古くは、深山龍洞みやまりゅうどう先生(1903〜80)、今なら井茂圭洞いしげけいどう先生(1936〜)などが、「よはく」の代わりに「ようはく」という言葉を使われています。

 文字と文字との距離感は、線質や筆力の良し悪しによって決まります。線どうしが離れていても美しいか、それとも反対に間が持たないか──。芝居で言えば、うまい役者同士は離れていても響き合うのに似ています。そのため、優れた書の配置をそっくり真似ても、線質や筆力が違えばそのままの余白の美は生まれない。そういうことが、書を手元に置いて見ることで、徐々に感覚でわかるようになります。

 墨の色味だけでなく、潤渇についてもそうです。ここでかすれたほうがいいな、ここで墨の量がほしいな、墨がかすれてきたけどもう少しかすれたまま続けて書きたいな、といった加減が感覚でわかってきます。「かすれ」といっても、早く書いたときと、ゆっくり書いたときとでは違う。そういった要素を好き嫌いで判断していき、だんだん自分の好みがわかってくると、紙の質や字体など他のさまざまな要素に目がいくようになります。

 文字が読めなくても、美しいという感想や好き嫌いの感覚はだれでももつことができます。外国人でも書を楽しめます。隷書の作品など、そのまま絵画として見ることもできます。実際、私でも全ての文字が読めないこともありますから。ただ、日本人なら、見ているうちに何が書かれているか知りたくなりますよね。

Q3. 感性で見るなら、絵画と同じ?

島谷弘幸 

同じでありながら、書ならではの一面もあります。ギャラリーで小ぶりの書を買えたとしましょう。家に持って帰れば、そこに何が書かれているか知りたくなります。字の意味がわかってくると、また違った書との楽しみかたが生まれます。

 選んだ書が、蝉の声を書いた和歌であれば夏にピッタリですが、これをそのまま飾っていると涼しくなるにつれ少しトーンダウンする。秋なら例えば紅葉を思うのが心情です。そうすると、一年で少なくとも4点の書が必要になってきます。そのうちに、人生訓や処世訓、例えば徳川家康の「人生は重荷を背負うて坂道を行くが如し」といったものもほしいと思えば、最低5点は揃えたいでしょう。

 造形で楽しんで、書かれた文字の内容で楽しむ、料紙がよければ工芸品として楽しめる。絵画と文学と工芸の要素が一体になった作品には、また別の楽しみがあります。

 そうして考えてみると、大河ドラマのなかで実資が愚痴を言いながら日記を書いているように、書として残っている作品には、書いた人の行為を含めいろいろな情報が含まれています。そしてそれらは活字に置き換えられるものではない。内容だけを追う人は、展示された書の下にある釈文しゃくもんを見て終わり。釈文を読んでも意味がわからなければ、もっとわかりやすく説明がほしいとなる。そういうことばかりになると、鑑賞がすっぽり抜けてしまいます。

 だから「書を見る」というのは、まずは書の造形や味わいを、内容ではなく感性でとらえるということです。一方「絵を読む」というのは、その絵を見て美しい、きれいねと思うだけでなく、その絵が描かれた理由や背景など、風景画であってもそうした物語性を考えればさらに深くなるという意味です。

国宝「金沢本万葉集」
平安時代・12世紀 皇居三の丸尚蔵館収蔵
加賀金沢の大名前田家が所蔵したことからこの名称となる。料紙は和製の唐紙といわれ、筆勢の強い変転自在の筆跡から藤原定信の筆とされる。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

Q4.「書く」行為から身体性が薄れてきています。

島谷弘幸

キーボードで文字を打つことと、手で書くことがどう違うか。書の場合ですと、「かな」で書く際にどの「字」をつかって書くかを瞬時に考えます。例えば、「あ」という一字を書くとき、次にくる文字が何であるかによって、「阿」がよいか、「安」のほうが連綿とつながるかを、自分の使いこなせる字母から選んで書いていきます。漢字の場合も同じです。和歌でも漢詩でも、まずそれを書きたいと思うことから始まります。

 ただ、漢詩の場合は、書家がそのなかの一文字を選び、それをメインにします。そして、他の文字を抑え気味に書くことで、メインの漢字がさらに映えてくる。ファッションと同じで、全部を飾りたてるのではなく、例えばスカーフをポイントにして、全体の色味などをそれに合わせますね。そういうことです。

 ところがキーボードではそれはできない。内容だけになってしまう。つまり平板になっていると感じます。文学をなさる人にしてみれば、そんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、実際、筆記に比べると表現の幅が狭くなった気がします。

 それからキーボードならいくらでも打ち直しができる。だから書くことを吟味しないでとりあえず打っていこうとなる。ところが書だと、手紙にしても、相手に内容が伝わるように、あらかじめいろいろなことを脳裏に浮かべ、選択しながら書いていきます。だから時間をかけて、作品ではないけれど、どのように「見える」かを確かめながら書く。そこが大きな違いだと思います。

 ここに何通か筆で書かれた手紙がありますが、便箋の朱の罫に漆黒の墨で書いたもの、小さな料紙に書いたものなど、おしゃれですし、そこに立ちあらわれる文字の造形や筆の痕跡が、その人のかけた時間やその時の執筆状況をリアルに伝えてくれます。手紙や葉書のように作品ではないものでも、書かれた画面には人柄や心持ちが表れてくる。キーボードにはない人間性が書にはあると言えます。

 文学の場合は内容自体に人間性があるけれど、読まずに見ただではわからない。書の場合は見ただけでそれがわかる。ですから見た目の美しさを考えながら書いています。源氏物語も、見た目のことを考えながら書いたから、あのような文章になったのではないでしょうか。

 先に述べた藤原行成は、公任ほど和歌の才能はなかったと思いますが、それを書の才能で超えた人です。書に品があって、人間性の良さを感じます。1000年も前の時代の人物の人柄が伝わるのだから、書はタイムカプセル級のメディアだと思います。

Q5. 日本の「書」を、海外はどのように見ているか?

島谷弘幸

 中国と欧米では違います。中国の人は当然自国主義ですから、規則正しく力強い、きっちりした中国風の書が好きで、日本の「たおやかな書」は弱いと感じます。弱いから優美なのですが、その感性を理解できるのはある程度日本の文化を知り、書についても一段上のレベルに到達している人に限られます。

 一方、欧米の人は、どちらも馴染みがないので、すぐに内容を知りたがる傾向があります。ですから内容を書いた「釈文」を英訳して添えます。日本人は、平安朝のものを分割して表具にするときは、春夏秋冬のものを好みます。茶道ではとくにそうです。

 一方、外国にもっていくときに選ぶのは恋の歌です。海外展を行うときは恋に関連した作品を出せば、現地の人の感性に合う。例えば、「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」は、「恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の思いなどないにひとしいものだった」と、それが日本人の恋心なんだ、と理解される。そして改めて書をみて、その造形に意味性を重ねて鑑賞してくれます。

 このことからもわかるように、欧米に向けて日本の伝統的な美術や文化を紹介するためには、彼らの感性に働きかけることが大切だと思います。

 そして日本の教育も、書写教育が中心で鑑賞まで手がまわらないので、博物館や美術館に出かけたら全部を見ようとせずに「好きな書」を感性で選んで、それをじっくり見るというところから始めてみてほしいと思います。

2023年11月に新たに開館した、皇居三の丸尚蔵館の外観(左)と内観(右)
]]>
関係性を見せるアート https://craftweek.jp/column/73446 Mon, 10 Jun 2024 02:50:55 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=73446 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。

キム・インスク     写真:高野楓菜(朝日新聞写真映像部)
大阪府生まれ。ビジュアルアーツ専門学校写真学科卒業後、2003年に留学を機に韓国へ移住し、漢城(ハンソン)大学大学院写真映像コースを修了。韓国での活動を経て、2018年より東京とソウルを拠点に制作活動を展開。多様な「個」の日常や記憶、歴史、伝統、関係性、共同体のなかに存在する個々のアイデンティティなどをテーマに、移民や地域のコミュニティの人々と対話を基盤としてプロジェクトを行う。2008年の光州(クヮンジュ)市立美術館(韓国)での個展を開催。韓国国立美術館、森美術館(東京)、恵比寿映像祭(第1回特別賞受賞)、大邱(テグ)フォトビエンナーレ(韓国)など、国内外の芸術祭や企画展に参加。現在、東京都現代美術館「翻訳できない私の言葉」展に出展(7月7日まで)。

2024年3月26日、第48回木村伊兵衛賞が発表され、キム・インスクさんが受賞した。1975年の創設以来半世紀の歴史をもち、写真界の芥川賞とも呼ばれる同賞は、前年に写真の制作・発表活動で優れた成果をあげた「新人」に授与される(ちなみに「新人」の定義はキャリアの長さではなく未受賞という意味らしい)。

新進気鋭のアーティストが選ばれることから、これは写真表現のアップデートをはかる貴重な機会でもある。また、2016年の原美樹子氏の受賞後は、今年度に至るまでの受賞者8名のうち6名が女性というように、写真界の潮流も見えてくる。

毎年話題に事欠かないこの賞にあって、それでも、キム・インスクさんの受賞は写真関係者の間で驚きと歓喜をもって受け止められた。その理由は、4月26日に開催された授賞式で、審査員の長島友里恵さんが語っている。
長島さんは、ヴィデオ・インスタレーションである《Between Breads and Noodles》と「Eye to Eye」展が受賞【註1】したことの意義、とりわけ「Eye to Eye」展を構成する人物の動画が、ポートレイトの現代的定義を拡張したと賞賛した。つまり、木村伊兵衛賞の50年の歴史において初めてヴィデオ・インスタレーション、すなわち「動く写真」が受賞したのである。

註1 後者は、写真と4チャンネルのヴィデオで構成されるインスタレーション

出会い

インスクさんを知ったのは、東京都写真美術館で2018年に開催された「愛について:アジアン・コンテンポラリー」展においてである。本展を企画した笠原美智子さん(現・長野県立美術館長)は、長年にわたり写真とジェンダーというテーマを牽引し、2003年のヴェネツィアビエンナーでは女性写真家・石内都さんの個展で話題となったキュレーターであった。

「愛について〜」展は笠原さんにとって同館での最後の企画で、中国、シンガポール、台湾、韓国、日本から6名の女性アーティストを招聘し、アジアにおける女性の価値観の変容(あるいは不変)を探った。

この展覧会でとりわけ印象に刻まれたのが、インスクさんのポートレイト作品だった。鮮やかな色彩に明確な構図、それでいて透明感のあるやわらかい空気が人物をとりまく。画面のなかのシーンが現実世界と同期するような感覚がある。被写体がじっと見つめる先に人物(=撮影者)がいて、鑑賞者は撮影者と同じ位置でその視線を正面から受け止めるからだろう。これはポートレイト作品では当たり前のことだけれど、彼女の作品では何か違う気がする。興味を抱いたところに、直接尋ねるチャンスに恵まれた。

「愛について:アジアン・コンテンポラリー」展(2018年)に出品した写真作品《SAIESEO: between Two Koreas and Japan, Son and I, 2008》

関係性を築くことから始まる

作家との初めての出会いは、「愛」展の関連企画として開催されたトークショーの打ち上げ。たまたま帰る方向が同じで、道々いろいろな話を聞くことができた。

今も鮮明に覚えているのは、アーティストとしての明確なヴィジョンである。日本と韓国に拠点をもち両国を行き来するうちに、コミュニティのなかで個人が獲得する、あるいは押しつけられる「社会的立場」に問題意識を抱くようになったインスクさんは、アーティストとしてコミュニティに積極的にかかわり、表現していきたいと語ってくれた。

「愛」展に展示されたポートレイト作品は、被写体となった人々と時間をかけ、対話を交わしながら築いた関係性によって成り立っている。撮影者に向けられた「信頼」の眼差しが、同じ立ち位置で見る私たち鑑賞者を惹きつけるのだ。

後にインスクさんキーワードのひとつとして掲げる「Between」という言葉は、まさしく被写体との信頼関係を表すものだ。

この出会いをきっかけに、2020年には東京五輪の広報の一環として写真美術館の中国語サイトを一緒に制作したことで、彼女の緻密で真摯な仕事ぶりにも触れることができ、その後は展覧会などにも足を運んで活動を見つめてきた。

2014年にデュッセルドルフで発表されたインスタレーション《Between Breads and Noodles Noodle Tower for Performance》より。アジア6か国から輸入された40種類の味のインスタント麵2,000個を積み上げたタワーを、ヨーロッパで暮らすアジア人に見立てた。鑑賞者が好きな賞品を選んで食べるパフォーマンスでは、タワー(アジア人)に近づき〜味を選び(個性を知り)〜食べてみる(親しくなる)ことを表現した

リレーショナルなポートレイト

インスクさんは2022年の春から、今回の木村伊兵衛賞の受賞作のひとつ《Eye to Eye》のプロジェクトに取り組む。これは滋賀県にあるブラジル人学校「サンタナ学園」に通う0歳〜18歳の児童・生徒80名と、学校運営を支える教師や支援者と共に過ごしながら制作されたヴィデオ・インスタレーション。2023年に恵比寿映像祭の委託作品として、2024年4月より東京都現代美術館のグループ展「翻訳できないわたしの言葉」展で発表された。

このインスタレーションは、10のスクリーンが同期する圧巻の空間。入って右の壁面にある「Side A」と呼ばれる7mのスクリーンでは、学園の子どもたちの生活を撮影した映像が映され、彼らとの対話の音声が会場内に流れている。反対側の壁の80インチモニタ「Side B」では、子どもたちの送迎から食事作り、授業まで、校長として早朝から夜まで働く女性の日常が会話とともに映し出される(音声はヘッドホンで聴ける)。この2つの大型ヴィデオ作品の間の中央スペースに、表裏2面の2mの縦型スクリーンが4台置かれ、0歳から18歳までの生徒と学園スタッフなど80〜90名のポートレイトが、一人ずつ数秒〜1分間映し出される。


冒頭で書いたとおり、今回の授賞式で審査員の長島友里恵さんは、「〈ポートレイト〉の概念に新しい境地を示した」と高く評価した。従来の肖像写真(肖像画も)は、そこに描かれた仕草や表情から見る者が被写体の人物を想像する楽しみがあり、鑑賞者の想像力をいかに刺激するかが作品の魅力にもつながっていたが、映像が氾濫する時代になり、ヴィデオ・ポートレイトにも同じ表現が可能であることを示してみせた、と。

インスクさんのヴィデオ・ポートレイトのなかで被写体の子どもたちが見せる仕草や、ファッションを含むたたずまいは、その子の人となりについての想像をかきたて、やがてまるでよく知っている子のような錯覚を生み出す。

「気がつけば、自分も学園で暮らしている気分になった」
これは多くの鑑賞者が抱いた感想でもある。見る者/見られる者の境界が消えて「他者」がいなくなる作品、「リレーショナルなポートレイト」と私は勝手ながら命名している。

キム・インスク《Eye to Eye, 東京都現代美術館 Ver.》2024年 「翻訳できない わたしの言葉」展示風景
東京都現代美術館
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook
キム・インスク《Eye to Eye, 東京都現代美術館 Ver.》2024年 「翻訳できない わたしの言葉」展示風景
東京都現代美術館
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook

個人を祝福する動くポートレイト

ここで冒頭の授賞式の話に戻りたい。インスクさんは「受賞者の言葉」で、受賞した作品は被写体となってくれた人々、プロジェクトや展覧会に関わった美術館関係者、インスタレーションを支援したテクニカルスタッフなど、「みんなでつくった」ものであり、自分はその代表として賞を受けたのだと述べた。

その言葉を裏付けるように、会場には美術館関係者をはじめ、生まれ育った大阪から専門学校時代の恩師や家族が、ソウルからは国立美術館の学芸員など大勢が駆けつけた。

レセプションで祝辞を求められた笠原美智子さん(前出)は、インスクさんの作品を「承認」という言葉で評価。いわく、インスクさんの作品は被写体が属性や背景で判断されず、個として承認され、その生を祝福されていると。

実は、初めて「映像インスタレーション」が受賞したことにたいする批判もまだあるという。しかしインスクさんは、作品のメディアに関する問題には頓着していない。アーティストとしての活動は、まず人々と「関わり」をもち対話を続けることであり、その表現として作品があり、表現に一番適したメディアをその都度選んでいるにすぎないからだ。必要であれば、2,000個のインスタント麵も1週間かけて積み上げる。

サンタナ学園アートプロジェクトの仲間、西野裕貴さん(左)、山田創さん(右)とともに

受賞発表から2か月、東京都現代美術館の「翻訳できないわたしの言葉」展もオープンから1か月が経った。めまぐるしい日々がようやくおさまったタイミングで、インスクさんにインタビューを行った。

日韓協働プロジェクト、《響 Hyang》

「響 Hyang Craft project」より、ブローチ《セクトン×花×小鳥》2012年
写真:キム・インスク Ⓒ響 Hyang

Q. 1 唐突ですが、そのブローチは手づくりですか?

キム・インスク

当時、私は朝鮮半島と日本の狭間に置かれる人々と一緒に作品をつくっていましたし、文化や歴史観が異なる日本と韓国を行き来しながら自分が形成される過程を経ていたので、アクセサリーづくりに現代美術の概念を取り入れ、「所有し、持ち歩ける唯一無二の作品」とするプロジェクトを企画しました。使うことを目的とした作品のため、多くの人に所有していただけるよう安価に販売できる作品を目指し、素材もみんなで相談しながら決めていきました。

このブローチは、「セクトン」と呼ばれる韓国の伝統模様の布地を、ボタンを製造する機械で丸型に成形し、裏面にピンを付けています。同じく韓国の伝統的なモチーフである花と鳥のパーツは、材料費を安く抑えるため市場で探し回って見つけたものです。使用している布はデッドストック(売れ残り品や長期間放置されていた在庫品)を使用しています。ほかにも、夫の実家にあった1960年代の北朝鮮の布で制作したものもあります。韓国では、1990年以降、結婚式などでもハンボクを着ることが減っていったのですが、全盛期につくられた布はしっかりした素材で、レトロな雰囲気があり、制作費を抑えられます。


私は大学で被服学科染色を専攻したので、このプロジェクトではデザインや布の素材と色の組み合わせを担当しました。制作する小物は日本から来た私たち30代からの発案が多かったのですが、伝統工芸や民族衣装の知識をもつ韓国の女性(アジュンマ)2人と、いろいろなことを対話しながら作品が出来上がっていく過程は、世代や日韓の文化が融合される楽しい時間でした。

伝統的な手芸・工芸には、その土地の技や風土の記憶が受け継がれています。現代アートの自己表現と異なり使う人が存在するので、過去と現代、つくる人と使う人という、そもそもリレーショナルな本質があります。

Q. 2 受賞作について

キム・インスク

第48回木村伊兵衛写真賞の受賞作であるインスタレーション《Eye to Eye》と《Between Breads and Noodles》は、意図的に同時会期で発表しました。前者では日本からブラジルへ移住した人々の子孫が移民として日本で暮らす状況を、後者では韓国からドイツへ国家政策として移住した人々の置かれる状況を垣間見ることができます。

「垣間見る」という言葉を使うのは、人々の属性を伝えることを主な目的とせず、彼らとの出逢いを再現することにより「垣間見る」背景から様々なことが想像できる展示構造を示すためです。

2つのインスタレーションを通して国内外の移民の人々に出逢うことから、「中心と周縁」は常に変化しているという観点を提示しました。「中心と周縁」「マジョリティとマイノリティ」などの言葉は、自分の立場や場所により反転します。

地域と子どもたちをアートでつなぐプロジェクト

キム・インスク《Eye to Eye, Side: C, Family portrait》2024年  80 × 120cm, Inkjet print
「第48回木村伊兵衛写真賞 受賞作 金仁淑 作品展 Eye to Eye, Side: C」展示風景、Sony Imaging Gallery Ginza
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook

Q. 3 サンタナ学園との出逢いとアートプロジェクトについて

キム・インスク

サンタナ学園との出会いは、文化庁の「ケアしあうミュージアム」【註1】の事業実行委員会に招かれ、地域課題支援事業のひとつ「サンタナ学園に通う子どもたちとのアートワークショップ」において、2022年から2年にわたり企画とディレクションを担当したのがきっかけです。これは地域と子どもたちをアートでつなぐためのプロジェクトです。

それまではサンタナ学園について知りませんでした。この学園は滋賀県愛庄町にあるブラジル人学校です。政府からの助成がなく私塾扱いで運営されており、教師自らスクールバスを運転して滋賀の各地から児童生徒を送迎し、子どもたちはプレハブと数件の民家を連ねた校舎で母国の文化や言葉を学んでいます。

子どもたちや教師の大多数は地域社会とほとんど接点を持たずに暮らしているため、日本語を片言しか話せません。彼らとどのようにコミュニケーションを取り関係性をつくるのか。どうすればみんなが楽しみながら地域社会に出逢えるのか。プロジェクトチームとサンタナ学園は交流を重ね、互いを知ることで親交を深めていきました。

2023年には子どもたちと滋賀のアートスポットを巡って取材を行うワークショップを実施しながら、アートブック「扉の向こう:私とあなた、滋賀とアート」をみんなで制作しました。

註1:文化庁の博物館機能強化推進事業

キム・インスク《扉の向こう》2024年 「翻訳できない わたしの言葉」展示風景
東京都現代美術館
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook

Q. 4 今後のプロジェクトは?

キム・インスク

アートブックは、協働プロジェクトを物質化した作品として、子どもたちにも所有してもらいたいという考えもあり制作しました。東京都現代美術館では、ブラジルへ急に帰国してしまった少女へ誰よりも先にアートブックを届けに行った映像作品《扉の向こう》を発表しています。

サンタナ学園でのアートプロジェクトは残念ながら2024年は行われないため、私個人のプロジェクトや、私が所属するアートコレクティブ・Knots for the Artsと共に有志を募ってプロジェクトを行う予定です。

また、サンタナ学園を会場にした展覧会「サンタナ・アートフェス(仮題)」を企画して、地域と学園をつなぐ試みを考えています。今はまず、アートブックをたくさんの人々に見てもらうため、各地域の図書館や美術館のアーカイブ書籍として収蔵を依頼しています。東京都現代美術館でもご覧いただけるので、会期中にぜひ足をお運びください。

アートブック《扉の向こう》(「サンタナ学園アートプロジェクト」での制作・発行)2024年 
「第48回木村伊兵衛写真賞 受賞作 金仁淑 作品展 Eye to Eye, Side: C」展示風景、Sony Imaging Gallery Ginza
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook
「第48回木村伊兵衛写真賞 受賞作 金仁淑 作品展 Eye to Eye, Side: C」展示風景、Sony Imaging Gallery Ginza
写真:キム・インスク ⒸKIM Insook

Q5 関係性の追究は続きますね

私はその関わりが見えるような作品づくりをしていますが、どんな作品も多かれ少なかれ、どこかでいろいろな人が関わっています。

最初の質問に戻るのですが、工芸について考えてみてもさまざまな職人の手を経て作家が作品に仕上げ、また、使う人の手に渡るまでさらに人が関わるわけです。さらに言えば、工芸を継承してきた無数の人々がいる。言わば壮大なコラボレーションです。

工芸についても、作品がつくられるまでの「関係性」にとても興味があります。もちろんそこには「使う人」も含まれています。

]]>
リトアニアの歴史と工芸 https://craftweek.jp/column/72864 Tue, 09 Apr 2024 15:08:52 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=72864 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


リトアニア共和国大使館の文化担当官として、リトアニアと日本の文化交流のため日々忙しく活動するガビヤ・チェプリョニーテさん。大使館との仕事以外に、演劇や文学の分野においても知る人ぞ知る存在である。2022年にはリトアニアにおける日本文化の普及への功績により、外務大臣表彰を授与された。


ガビヤ・チェプリョニーテ (Photo by Ingrida Veliutė)
リトアニア共和国大使館文化担当官、翻訳者
ヴュリニュス(リトアニア首都)生まれ。サンクトペテルブルク大学日本語学科で学ぶ(修士)。大阪外国語大学留学後、日本の文化庁の招聘により東京で演劇史・マネージメントを研究。1995年、リトアニアに日本インフォメーション・センターを開設、2007~2010年、在京リトアニア大使館で初めての文化アタッシェを務めたのち、文化省国際関係課においてアジア地域の文化交流に従事。村上春樹、村田沙耶香や三島由紀夫のリトアニア語翻訳者として知られ、また、リトアニアで日本の美術展や演劇公演を実現してきた。2022年より現職。

出会い

ガビヤさんに初めて会ったのは、2023年の秋。東京都立中央図書館で開催されたリトアニアブックフェアの会場でのこと。珍しい本がずらりと並んだ特設コーナーに釘付けになり、美しい装丁の本を一冊ずつ手にしていたところに、このフェアを企画した司書の友人からガビヤさんを紹介された。

主に環境雑誌と美術書の出版社を営んでいることを伝えると、ガビヤさんはリトアニアの自然をテーマにしたアート作品を紹介した本を何冊か選んで、作品と作家について一点ずつ丁寧に説明をしてくれた。流暢な日本語もさることながら、豊富な知識を伝える語彙の確かさに驚き、さらに出会いを大切にする真摯な人柄に惹かれた。

リトアニアと聞いて思いつくのは、杉原千畝さんの「命のビザ」と、ソ連から独立したばかりのリトアニアが1992年のバルセロナ五輪で、三宅一生さんデザインのユニフォームを着て参加したことくらい。かれこれ30年は私の中で知識のアップデートができていない。ブックフェアで催された講演会では、中世以降、列国の領土争いに何度も脅かされ、多様な言語が流入し、いくども国のアイデンティティが脅かされてきたなかで、リトアニアがいかにして言語(文学)や文化を守ってきたか、そのなかで図書館がどんな役割を果たしたかが語られた。

主催者であるリトアニア大使館の広報として、このブックフェアや講演会を企画したのがガビヤさんである。この出会いが縁で交流が始まり、やがて彼女が村上春樹の翻訳者であることを知ってますます興味が募り、今回インタビューを申し込んだ。

リトアニアの代表的な工芸とは?

リトアニアで最も歴史の古い工芸の1つが陶芸です。13世紀、陶芸家は都市や町に工房を設けてポット(器)を作りました。また、大規模な建設現場では、側にレンガ工場が開設され、レンガ職人が建設用レンガや装飾用レンガ、屋根瓦を製造しました。15世紀から17世紀にかけて発達したのが装飾タイルで、職人は花や動物をモチーフにした美しい施釉タイルを作りました。

リトアニアの伝統陶芸は現代まで重要性を失うことなく、水差し、ボウル、ケシの実などのグラインダー、ピッチャー、鍋などは今でも需要があります。

陶芸家は、ろくろを使って粘土の塊から鉢を作ったり、小さな塊から彫像を生み出します。出来上がった工芸品を熱や液体に耐性のあるものにするために、職人は焼いた後に煙の中に入れたり(黒陶器)、小麦粉や野菜の発酵液に浸したり(発酵陶器)、釉薬をかけたりします。

陶芸家のダイニウス・ストラズダスさん  *1

土笛の生産も盛んで、人や鳥など動物の形をした笛を彫像し、表面に質感のある彫刻や刻印による装飾を施す職人もいます。

土笛作家のルータ・インドラシューテさん  *1
ルータ・インドラシューテさんの作品  *1

陶芸家のなかには、中世の技術を使ってレンガやタイルを復刻している人もいます。彼らは、釉薬やエンゴーベ(化粧土)で覆われた表面に装飾を彫刻したり、レリーフ装飾を施して、工芸的な装飾を再現しています。

装飾タイル作家のラウラ・ソデイカイテさん  *1
16世紀の復元タイル  *1

リトアニアの伝統工芸の普及について

リトアニアにとって伝統工芸は、外圧に屈せず、リトアニア人であるために継承していくべき日常生活の重要な要素でした。古くから首都ヴュリニュスでは、各地からその地域文化を象徴する伝統工芸を披露するギャラリーやワークショップが開かれてきました。古代の芸術作品の再現品をはじめ、金細工、鋳物、ステンドグラス、琥珀、織物や染色、紙細工、木工品など、村や町の自慢の品々が陳列され、その場で職人がデモンストレーションを行い、製造工程をオープンにします。

有名な催しの一つ、バルト三国最大の伝統工芸イベントである「カジューカス祭」は、3月の初めにヴュリニュスの市場や通りで開かれ、数百人もの伝統工芸作家が軒を連ねます。

「セントバーソロミューフェア」は歴史教育を兼ねたイベントで、リトアニア大公国だった中世およびルネサンス期の伝統手工芸、芸術、ライフスタイル、エンターテインメントなどがテーマです。

セントバーソロミューフェア  *2

職人と直接話しながら、歴史的建物、例えば大公宮殿を彩りいまも続くカラフルな伝統のタイルや宝石、15世紀から17世紀のファッション、音楽、舞踊を見ることができます。参加する職人には、タイルや宝飾の職人、鍛冶屋、洋服の仕立屋、醸造業者、ガラス職人、製本業者など、リトアニアに400年続く伝統工芸に触れることができます。

鍛冶のワークショップ  *2

毎年7月上旬に、2004年にユネスコ世界遺産に登録されたケルナヴェ遺跡で開かれる「考古学国際フェスティバル」では、13世紀~14世紀をテーマに、アーチェリー、コインの鋳造、乗馬、古楽、古代レシピで調理された料理などが体験できます。

そのほか、トラカイ城で夏に開かれる「古代クラフトデイズ」では、古城をバックに甲冑騎士が剣を交える音が響きわたり、その情景はまるでゲームの世界観のようです。その周りでは、中世から伝わる伝統料理が振る舞われ、またリトアニア中から集まった熟練職人による工芸の秘技を伝えるワークショップが二泊三日で開催されます。

木彫のワークショップ  *2

リトアニアについて

リトアニアの文化や、日本との交流に大きく関わることなので、リトアニアの歴史についてご説明させてください。

現在のリトアニアの地に人々が住み始めたのは、紀元前1万年頃ですが、中世以降は常に、ドイツなど周囲のキリスト教諸国からの侵略に脅威にさらされてきました。1386年にポーランドの王女と結婚してポーランド王として即位したリトアニア大公ヨガイラが、キリスト教を受け入れることで国に安泰を導き、15世紀になるとリトアニア大公国は領土をバルト海から黒海にまで伸ばしてヨーロッパ最大の国になります。

しかしまもなくポーランドの支配下に置かれ、ポーランド・リトアニア連合王国が成立。18世紀末にはロシア、プロシア、オーストリアに分割されて消滅。そしてついに、ロシア帝国の餌食となってしまいました。

リトアニアの領土の歴史

19世紀末には力強い民族運動が生まれ、独立国家を求めるリトアニア人の民族意識が一気に高まります。リトアニアの工芸や民芸は、日本に比べると素朴で無骨ですが、それは、リトアニアの伝統を守るために、古くから日常生活に使われてきたものを、そのまま残そうとしているからです。脅かされ続けた国のアイデンティティの表れなのです。

ゴルバチョフ大統領のペレストロイカの後、1990年3月リトアニアは世界に向けて再度独立を宣言し、ソ連邦の共和国で最初の独立国となりました。国民は長年にわたる苦しい支配から自由を獲得したのです。首都ヴィリニュスは中欧、東欧の中で最も大きく、美しい旧市街の一つで、1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

1994年に世界文化遺産に登録されたヴィリニュスの歴史地区(旧市街地)

リトアニアならではの工芸とは?

古くから鍛冶屋の技術は高く、需要もありました。西暦1世紀頃には、大きな集落にはそれぞれ鍛冶場がありました。鉄の加工技術の発展と鉄の産出は切っても切り離せません。地元の鉱石から抽出された鉄は、武器や農具などの主要な工芸品の鍛造に使用されました。19 世紀後半には、棒やブルームで販売される輸入鉄が広まり、より多くの種類の鉄の工芸品が登場しました。

鍛冶場の主要な設備はふいごの付いた炉で、鍛冶屋は蹄鉄、釘、錠、鍵、ビンディング、作業道具などを鍛造しました。かつては、より熟練した鍛冶屋が農業機械、美術品、宝飾品を作っていました。芸術品として最も盛んな工芸品は、鉄の十字架と、モニュメントの頭頂部の装飾です。溶接またはリベット留めされた細部から作られたそれらの装飾は、道端の祠、彫刻された木柱、礼拝堂、墓地または教会の庭の門を飾り、それらに完全性と優雅さを与えます。

現代の鍛冶屋は、主にヒンジ、ビンディング、フェンスを鍛造しています。伝統的な鍛造技術と装飾技術を使用して作られたモニュメントの上部は、最も芸術的な作品の一つとして残っています。

鉄の十字架  *1
6〜15世紀の鉄製工芸品の復元  *1

また、石工の技術も、家、橋、基礎、舗道、フェンスの建設に必要な鉄の普及と切り離すことができません。16世紀に石臼を作る技術が発達し、領土侵略に晒された18世紀後半には、鉄器工場で石砲弾が製造されました。19世紀に出現した高度な石材加工ツールによって、石材は建築以外でも使用されるようになりました。石工の基本的な道具はノミとハンマーで、石工はみな芸術的な石積みに従事していましたが、これは木製のモニュメントが普及するなかでは非常に珍しい現象でした。石工は、木製のモニュメントや彫刻を参考に、周囲で集めた自然な形の未加工の石から礼拝堂、道端の祠、十字架、彫刻像などを制作しました。

石工のヴァルダス・バンザさん  *1
ヴァルダス・バンザさんの石彫作品 物思いにふけるキリストの彫刻  *1

ただ、現在では、石像彫刻の伝統を引き継ぎ、地元の石を使って円形の彫刻を作ったり、民家や町の公共スペースを石で飾る職人はほとんどいなくなりました。

土、鉄、石の工芸は、リトアニアのアニミズムの影響が大きく、キリスト教の庇護のもとで洗練されていったヨーロッパの芸術に比べると非常に素朴です。そのプリミティブな技術や造形を受け継ぐことが、アイデンティティを守る方法だったのではないでしょうか。

日本の工芸の印象は?

リトアニアではキリスト教の受容が西洋で最も遅かった国です。その理由は、自然を崇拝する信仰、一種のアニミズムがあり、一神教に馴染まなかったと言われています。

例えば、リトアニアでは、樫の木を聖なる木と崇めており、樫の木が立つ場所は、日本の神社のような聖域です。木の前に供え物をしたり、祈ったり、人々が集まって歌い踊ったり、お祭りもします。また、リトアニア人のファーストネームは、太陽や月、風、星などを意味するものが多く、私の名前の「ガビヤ」も「聖なる火の女神」のことです。また、工芸や装飾に描かれる「生命の木」は、もっともポピュラーで重要なモチーフです。

つまり、八百万の神がいる日本と非常に似ているのです。ですから、日本文化に初めて触れたとき、まず懐かしさを感じました。もちろん、日本は工芸や美術において高い技術があり、また工芸とアートの境界があまりない。そして、それを理解する人々の美意識があり、支える歴史や市場の仕組みがあり、そのレベルに驚かされます。しかし、工芸や伝統芸術が大切にする自然との繫がりや、季節の存在感は、私たちのなかにもあります。リトアニアでは若い人でも森や湖にでかけ、自然のなかで過ごす時間を大切にします。私が芭蕉の俳句の世界に感じた自然観の共鳴は、私自身の育った文化や精神性に由来するものだと思います。

「生命の樹」をモチーフにした伝統的なクッキー

村上春樹の翻訳について

1999年に村上作品と出会い、その後、少し仕事から離れた時期に翻訳を手がけ、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を出版しました。

村上作品はリトアニアではとても人気があり、有名な作品はほとんど翻訳されています。音楽家の名前など西洋の文化情報がほどよく散りばめられており、あまり違和感がないことが人気の理由のひとつにはあると思います。

そして、これは私の考えですが、日本とリトアニアには虚構と現実の境界が曖昧であるという共通した独特の自然観があるので、村上文学のフィクションと現実が交錯する作風は違和感がないし、彼の作品に登場する鼠や双子や羊男は、昔話のような何かのメタファーとして捉えることができるということも、大きな理由なのではないでしょうか。

翻訳という作業は何語であっても難しいですが、村上文学は特定の国や場所を描写ぜずに、漠然と「海辺の町」だったりするので普遍性がありますし、リトアニアの読者は虚と実の交錯を読み取るので、原文になるべく忠実に訳せばいいと思っています。

日本の文化発信へのアドバイス

リトアニアで伝統的な文化や産業を普及させるためのさまざまな祭りやイベントを紹介しましたが、どの催事でもワークショップが盛んで、伝統技術の伝承を教育の一環とみています。

2023年に世界無形文化遺産に登録された麦わら細工「ソダス(藁の庭)」は、慶事の際、家に吊して飾る。木・天体・鳥のシンボルが古代バルト民族の世界観を表現しており、ワークショップや展覧会などを開催し、国をあげて復興に取り組んでいる。/写真協力:リトアニア国立博物館 Photo by Arūnas Baltėnas

一方、日本の伝統文化の世界は、あまり開放的だとは言えない気がします。高い技術や芸術性は、閉じた世界だからこそ継承されてきた歴史があるからだと理解はできます。ただ、例えば生活で使う器や装飾品をもっとたくさんの人に知ってもらい、さらに世界に広めたいなら、工房で制作過程を見学できたり、体験する場などがもっとあってもいいと思います。

海外の人が相手だと、言葉の壁や文化が理解されない心配があるかもしれませんが、村上春樹の作品がリトアニア語に翻訳されていても大人気のように、国や文化が違っていても、その本質や普遍性は伝わるのではないでしょうか。

伝統的な方法で真鍮装飾を継承するドーマス・ブルニツキスさん。ふいごで炉に風を送り、温度を上げる。  *1
真鍮を炉で熔かす  *1
真鍮をジュエリー型に流し込む  *1
型から取り出されたジュエリーのパーツ  *1
ブルニツキスさんが工房のカロリナ・ブイヴィーダイテさん、デイヴィダス・ザイコフスキさんとともに手がけたジュエリー作品  *1

  

  

写真引用元

*1 LIETUVOS TAUTINIS PAVELDAS Tradiciniai amatai
LIETUVOS NACIONALINIS MUZIEJUS
Photos: Arūnas Baltėnas

*2 Craftsmanship in Lithuania リトアニアの伝統工芸
Simona Širvydaitė-Šliupienė
Photos: Vygailė Sukurytė, Jonas Vitkūnas, Simona Šrvydaitė-Šliupienė
]]>
異なる文化の豊かさや個性が出会う空間で|ジャン=ピエール・レイノー https://craftweek.jp/column/70792 Wed, 10 Jan 2024 02:21:06 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=70792 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


日本における先駆的な環境誌『BIOCITY』(1994年創刊)の出版人を引き継ぎ13年。今年、創刊30周年を迎えた。持続可能な社会をテーマに毎号様々な特集を組んでいるが、環境分野だけでなく現代アートからも最新情報を発信している。2023年4月の95号には、アールブリュット研究者である嘉納礼奈さんが、ロシアのウクライナ侵攻から1年を迎える2023年2月、パリのソルボンヌ大学で展示されたジャン=ピエール・レイノー氏の「現代版ゲルニカ」の記事を寄せてくれた。その原稿に添えられたアトリエの写真には、作品や植物にまじり日本の工芸品が並んでいた。異質なものが調和した、秩序のある空間に興味を覚えた。

ゼロの空間

2021年1月、新型コロナウィルスの感染が拡大の一途をたどるなか、長く日本の美術シーンを牽引してきた原美術館(東京都品川区)が約40年の歴史に幕を閉じた。閉館は建物の老朽化によるもので、現在は群馬県渋川の「原美術館ARC」(磯崎新設計)に同館のコレクションおよび活動拠点が集約された。

原美術館の魅力は何といっても、常設のインスタレーション作品と野外彫刻を核とする、先駆的な現代アート作品の収集・展示である。なかでも原美術館の「顔」といえるのがジャン=ピエール・レイノー《ゼロの空間》(1981年)であろう。この作品は、1981年に開催されたレイノー氏の個展で制作されたもので、同館にとって初の常設コレクションとなった。真っ白なタイルで覆われた空間そのものが作品であり、現在は原美術館ARCに移設されている(通常非公開)。

この作品には、今回のインタビューにつながる大きな要素が二つある。ひとつは、レイノー氏の代表作でありながら自身の手で破壊した《メゾン》の分身とも言える作品であること。もうひとつは、1980年に初来日した彼が、庭園や美術・工芸など日本の「無駄を削ぎ落とす文化」に遭遇し、自分の作品と共通する本質をそこに見出したことである。

ジャン=ピエール・レイノー《ゼロの空間》1981年 所蔵:公益財団法人アルカンシエール美術財団/原美術館コレクション © ADAGP, Paris & JASPER, Tokyo, 2024 E5480

1993年、24年間にわたり再構築を繰り返した《メゾン》を自ら破壊したレイノー氏は、新しい自宅兼アトリエのための空間を一から作り始めた。そのなかには、古今東西の工芸品や植物が含まれる。《メゾン》のように白いタイルだけでできた家と、新しく構築された空間はどのようにつながっているのだろうか。レイノー氏の日本とのかかわりを含め、興味を抱いた。

そこで、レイノー氏の長年の友人であり、アトリエに招かれる数少ないひとりである嘉納礼奈さん依頼し、レイノー氏にインタビューをすることができた。本稿に掲載するアトリエ写真も、嘉納さんにのみ撮影が許された貴重な写真である。

撮影・取材・編集協力:嘉納礼奈

Photo courtesy Jean-Pierre Raynaud

ジャン=ピエール・レイノー Jean-Pierre Raynaud

1939年フランス、パリ近郊クールブヴォワ生まれ。交通標識や植木鉢などをモチーフにした作品で知られる。代表作《メゾン》は、正方形の白いタイルのみでできた家で、1969年から24年間かけて中に住みながら完成させたが、仏政府が保存を申し出た直後に自ら破壊した。1976年、93年のヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)に参加。日本では、1981年に原美術館(東京)、92年に水戸芸術館現代美術ギャラリー(茨城)で個展を開催。立川(東京)にパブリックアート《オープン・カフェテラス》がある。2020年に、カナダのケベックの原野に27mの彫刻作品《矢印》を設置。2022年に全作品を収めたカタログ・レゾネ『Catalogue raisonné Jean-Pierre Raynaud』(Du Regard刊)を完成させた。

代表作《メゾン》と空間について

自宅兼アトリエでは、自分自身の厳格なルールのもとに空間が構成されています。なかでも、日本の工芸品は生活の一部であり、私的な空間に特別な存在感を放ってきました。

ただ、私の作品であり住居でもあった《メゾン》(プロフィール参照)で暮らした23年間はそうではなかった。自分だけの手で作った《メゾン》の空間構成は、それ自体が全ての実権を握っていました。私は、作品としての《メゾン》に必要なものだけを追求するため、白いタイルと共に生活していたのです。 

私にとって、《メゾン》は自分の分身だと思っていました。1000個の白いタイルは私のアイデンティティを確固たらしめるものでした。もちろん友人や恋人など外の世界(社会や現実)との関わりも維持していましたが、《メゾン》との関わりは、作家である自分とより親密に付き合うためのものでした。いわば、創造の城塞のような存在だったのだと思います。

そのため、私と《メゾン》の間に他者が入り込む隙間はなかった。建築家になりたいわけではなかったが、空間構成には興味があり、空間を構成する力は《メゾン》で鍛えられ、自信につながりました。

《メゾン》はクリエーションとして突出していましたが、それは、庭師であった自分の実践から培われたものだと思います。庭や《メゾン》は沈黙と秩序という共通の空間構成の鍵をもっていました。

日本文化との出会いは?

《メゾン》に住んでいた1980年、翌年開催される原美術館での個展準備のために初めて訪れた日本で、私は他の国にない親近感を覚えました。自分の作品に共通し、似ている何かがそこにはあった。それは「無駄を削ぎ落とす文化」でした。そして、《メゾン》の中に日本文化に通じる美学が生きていると感じました。

日本の庭園を見ると、植物が文化の中でとても重要な位置を占めているのがわかります。自然との関わりが常にあり、それらが何らかの暗喩になっている。また、日本文化では表現に人間の精神性が内包されているところも私の作品と共通しています。日本の枯山水は、石や白砂に熊手で描いた文様を流水に見立てています。また、苔や草木などの有機物と石などの無機物を組み合わせることも日本文化の興味深いところです。

1981年に再来日した際に京都で見た龍安寺の石庭に触発され、帰国後すぐに《メゾン》の白いタイルに岩を埋め込みました。私の空間構成や生き方を肯定してくれた日本文化が、ついに、《メゾン》と物理的に融合したのです。

日本の工芸品を収集しはじめたきっかけは?

1993年に《メゾン》を破壊したため、引っ越した家では家具が必要でした。《メゾン》には家具はなかったからです。その時、自分が普通の世界に戻ってきたのだと感じました。テーブルや戸棚が必要となり、骨董品屋に通い始めました。そこで日本や中国、韓国の無駄のない意匠に興味をもち、一緒に暮らすために購入しました。日常の中で眺めているだけで満足なのです。その一部を紹介しましょう。

ひとつは、19世紀の日本で作られた杉材の洗練された家具です。着物を入れる箪笥で、もう一つ同じものと対になっています。この箪笥は、これまでに住んだ3か所の家で生活に寄り添ってきました。黒のモノクロームと、シンプルで重厚感のあるシルエットとの調和がエレガントで素晴らしい。デザインは、何かを表す具象性がない方が好きです。箪笥の上には18万年前に絶滅した貝の化石を置いています。

観葉植物を植えた有田の鉢(写真左)は、1995年に骨董店で買いました。30年ほど共に暮らしています。作品にも自分が身を置く環境にも、赤、緑、黄、青、白など原色を多く使っています。白、青、赤に観葉植物の緑が映えています。

19世紀の漆塗りの和箪笥との暮らしも30年近くになります。その上に、エトルリアの陶器(紀元前8世紀頃)、エジプトの女性の化粧道具(紀元前8世紀)、インドの砂岩の神像(推定1世紀頃)を置き、壁には私の近作である《的》シリーズ(2022年)を掛けています。

このように私は、時代も文化も異なる世界各国のものを集めて空間を作り上げます。そこに植物も採り入れることで、視覚的な調和が生まれるのです。それぞれの異なる文化の豊かさや個性が、エレガントな沈黙や独立した存在感を放ち、まるで出会うために作られたようだと感じます。自分なりの世界の縮図を生活空間で作っている感覚でしょうか。

レイノー氏の自宅の一室。新旧作品と、マダガスカル原産の巨大な多肉植物やパプアニューギニアの木彫、巨大なサンスベリアなど、多種多様なものが生み出す不思議な調和がある

生活空間では、異なるものの融合や調和が重要?

空間の中で、日本の工芸品は重要な位置を占めていますが、そこにペルシャやトルコ、スペイン、中国で作られた高度な手仕事の絨毯などをアクセントとして合わせています。木工や陶器などもです。手仕事にはいつも良い意味でアクシデントの痕が残っているのも魅力です。     

ここは人工的な楽園と言えるのかもしれません。無人島のようでもあり、また刑務所のようでもあります。外の世界から逃れるため、守るための空間ではありますが、矛盾したことに外から来たものばかり。出会いでもあり、キャスティングなのです。

日本の工芸の美には、目に見え、触れることのできる様相と、目に見えない秘められた精神との間に、調和やバランスを感じます。外見的な美しさだけでは満足できない。私は、その美しさに内包される謎や蜜に触発されながら理想を描き、夢を見て生きているのです。それは恋がそうであるように、単なる好き嫌いではなく、命のやりとりのような次元で行われている。人生でそのような美に出会い、それを人やものと共有できるのは、本当に幸運なことなのだと思います。

日本らしさはどこから来るか

素材や形状などの要素で、日本の工芸を語ることはできません。むしろ、日本のもの作りや造形表現の気高い精神性を感じます。洗練された感受性の美とでもいうべきでしょうか。

日本の文化は、人々が生活のなかで四季を感じながら自然と一体となって築いてきました。
日本では人間も自然の一部として自覚しながら生きているのではと想像します。
日本人には自然と「沈黙」を分かち合う、そうした心があるのではないかと思います。

造形表現のなかに、火山をもつ地理的環境や湿度の高さなど、厳しい自然を感じることさえあります。

ガンダーラ美術の影響を受けた15世紀のテラコッタの女性像、植物やサメの化石、日本の溶岩、2017年の作品《断片》が「共生」するアトリエの一角

日本の工芸、ものづくりで大切にしてほしい部分

まず、工芸と美術とを分けてしまうのは少し残念ですね。どちらも美の追究ですから……。

現代美術は私にとって世界と出会う手段に過ぎません。美術館のコレクションになることは、作品の保存にとってはよいのですが、私にとってそれは最終目標ではありません。私は作品にもっと輝かしい未来を生きてもらうために活動をしています。そのためには、現在や未来だけではなく過去に対する敬意を払うことが大切だと思います。どの分野においても現在の価値観は、目先の成功に囚われ過ぎていませんか? ある意味、人間への興味が薄れているのではと思うこともあります。

日本では自国のアーティストですら、海外で注目されたり、美術市場で高値がついて初めて評価されるきらいがある。日本の作家や美術に対しても海外の価値評価に頼るところが大きい。それがとても残念です。それは、過去の美術に対する絶対的な自信からくるのか、現在に対する自信のなさからくるのかはわかりません。それでは、どうすれば自分で価値を見出せるようになるのか──。過去、現在、未来について、それぞれに学び知見を得て、自らの価値観で目先の成功ではなく、未来を見据えた目標でものづくりをすることではないでしょうか。

左:パンテオン=ソルボンヌ大学の中庭に、ピカソ《ゲルニカ》の複製と向き合うように展示された、レイノーの新作《現代版ゲルニカ》(2023年)。赤と白の「進入禁止」の標識と黒く太い檻の柵は1960年代初頭から継続するモチーフ。前進を阻止/警告する標識と、閉じ込め/守る柵は世界中の人々に物事の二面性を伝える作家の言語(2023年、パリ) Photo courtesy Jean-Pierre Raynaud
右:プロジェクトのために製作された《ゲルニカ》のレプリカもウクライナに寄贈された Photo courtesy Jean-Pierre Raynaud

]]>
翻訳者から見た日本工芸の魅力 https://craftweek.jp/column/71637 Sun, 10 Dec 2023 03:28:22 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=71637 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


上海を拠点に、書籍の企画や翻訳を通じて日本文化の紹介を続けている唐詩(タン・シ)さん。
北海道大学留学を経て就職した上海の出版社で、文学からアートまで日本語書籍の翻訳出版に携わる。
 
現在はフリーランスの立場で、『花をたてる』(川瀬敏郎)、『ぼくの美術帖』(原田治)、『超芸術トマソン』(赤瀬川原平)などの書籍の中国語訳出版を企画し、編集と翻訳を担当。また、一冊の本との出会いをきっかけに日本工芸に興味をもち、中国語による情報発信に一役買っている。

唐詩 Tang Shi

上海在住の編集者、翻訳者。1991年、中国浙江省生まれ。黒竜江大学卒業後、北海道大学大学院に留学し〈映像・表現文化論〉を学ぶ。2016年に帰国し上海の出版社に就職。北海道大学時代に影響を受けた飯沢耕太郎の『私写真論』を皮切りに、寺山修司や澁澤龍彦らの文学シリーズから北野武の『アナログ』の翻訳出版のほか、奈良美智のインタビュー集などオリジナル企画を手がける。
2022年に独立。

出会い

唐詩さんとの出会いは、パリを拠点に活動するアーティストのオノデラユキさんの紹介による。フランスで最も権威のある写真賞「ニセフォール・ニエプス賞」を受賞したオノデラさん(主な作品に〈古着のポートレート〉シリーズなど)は、展覧会を展開してきた上海で唐詩さんと知り合ったという。2018年の秋の日、唐詩さんが当時私のオフィスがあったアーツ千代田3331を訪ねてくれた。驚いたことに、来訪を告げるメールの文章も会話も、ほぼ完璧な日本語。訊けば、中国で大学を卒業するまで日本語とは無縁の生活をしていたが、留学先の北海道大学大学院での3年間で日本語によるコミュニケーション力を身につけたという。北大での研究対象は「私写真」で、編集者として働いている上海の出版社では日本語能力を買われて、日本の書籍の翻訳出版やオリジナル企画を手がけているというではないか。その日のうちに意気投合し、彼女は私にとって尊敬できる友人になった。

『東京国立博物館の至宝』の中国語版が実現!

ちょうどその頃、私が7年がかりで手がけていた、『東京国立博物館の至宝』という大冊が佳境を迎えていた。写真家の六田知弘さんが、東博の国宝・重文などを中心に選んで撮影した150点の、文字どおり「至宝」を一冊にまとめた作品集である。2020年の東京オリンピックに合わせて、来日する外国の人々に日本の美術工芸の魅力を伝えるべく、ブックデザインはパリで行い、英語版と日本語版で刊行を予定していた。そこへ唐詩さんとの出会いにより、中国語版が加わることになった。

当時、唐詩さんの勤めていた出版社が日本工芸の本の翻訳出版に力を入れていたこともあり、彼女もまた本作りや著者との交流を通じて豊富な知見を備えていた。すぐに上海にある美術書の老舗出版社との仲立ちを依頼し、版権契約が成立。それからは編集作業から本の納品までを丁寧で迅速、正確な仕事ぶりでこなし、一切のトラブルなく中国語版を誕生させてくれたのである。

東京国立博物館の至宝の中国語版

しかし、コロナ禍に起因する不況によって、勤めていた出版社は人員削減や方針転換をし、彼女が望む日本文化関係の企画は立ち消えとなってしまった。一方で仕事量は2倍、3倍と増えていったという。この状況を受けて、昨年独立を決意。現在は、企画した書籍の翻訳や編集、通訳、ライターとして、多忙な日々を送っている。そして、2023年9月、ようやく日本への渡航が解禁され、3年ぶりに来日した彼女にインタビューを行うことができた。

日本の工芸に興味をもったきっかけ

北海道大学大学院を修了し、上海の出版社に就職したのですが、入社したてのころは、会社が赤木明登や三谷龍二など工芸関係の本をメインに出していた関係で、日本の工芸を少しずつ知るようになりました。

興味をもち始めたのは、中国で出版された『造物的温度(ものづくりの温度)』の著者、サウザー美帆さんとの出会いが大きいです。サウザーさんは長年にわたって日本の工芸作家を取材し、中国の雑誌で紹介してきました。『造物的温度』はその長年の原稿をまとめた本で、その編集作業を通じて日本工芸に興味をもつようになりました。

その後も、サウザーさんの紹介で、桐生織物のオフィシャルサイトや、『四代田辺竹雲斎:守・破・離』(美術出版社、2021年)などの翻訳を通して、工芸関係の仕事に関わってきました。

また、上海にあった「千匠文化」という日本工芸を扱うギャラリーで、企画展ごとに出展作家を上海に招待し、二日連続のトークイベントを開催しているのですが、その通訳を担当することで、日本工芸の知識も少しずつ増えていきました。

サウザー美帆著『造物的温度』 表紙作品:漆芸家・黒木紗世〈漂う記憶〉

中国の工芸と日本の工芸の異なる点

日本の工芸は、生活のあらゆる場面を支える道具でありまた装飾でもある多様性を備えています。作家は、素材や技法にこだわりを持っていて、ただつくるのではなく、独自の思考も備えています。とくに、現代の生活に対応できるよう常に使う人のこと考えてつくるので、長く使い続けられる。
実用性を備えながら形も美しい。これが日本の美意識の表れだと思います。

そして、工芸とは何かについて考える人が常にいますね。つくり手に限らず、文化人などの使い手も含まれる。(中国に比べるとかなり)よい環境を備えています。
扱うお店も老舗が多く、長く受け継がれた技術と歴史(物語)とともに、商品への信頼につながっています。しかも手頃な値段で買えることも魅力です。

中国の現状

中国の工芸は大まかに以下の状況に直面しています。

まず、一部の「皇帝・宮廷のための工芸」は高価で、一般の人々が手の届くことのないものです。現在は主にデザイナーやブランドがその立場になっているでしょうか。これらの工芸は一般の人々の生活からはかけ離れた存在です。

その一方で、暮らしのなかで使われる工芸は広まっておらず、継承者がいないために発信も不十分で、先細りの状況です。

唯一普及しているのは、やきものです。中国ではいまでも煎茶の文化が存在し、特にそこではやきものが一般的です。また近年は、磁器の巨大産地である景徳鎮が観光地となったり、多くの美術学校の卒業生が景徳鎮で滞在制作をしたりと、新しい動きも見られます。ポップなデザインの陶磁器を若者層に売るブランドも増えました。

宮廷工芸の流れを汲む、茶の場面で使われる陶磁器

中国の工芸の多くは公的なものであり、歴史的にはやきものの「官窯」に象徴されるように、皇帝のために存在するものでした。暮らしのなかに存在する、いわゆる「民芸」とはかなり違います。皇帝のための工芸は、国民の美意識の表れではなく皇帝の趣味を表している。使いやすいようにつくられるのではなく、贅沢であることの象徴というか、帝国の繁栄を誇示するものでした。つまり、職人にとっては自分の思想を表現する余地などなかった。皇帝の命令に従わなければなりませんから。

また、政権が変わるたびに大きな影響を受け、技術自体が失われてしまう可能性もあります。作家や職人は政府に雇われて工芸に従事しており、多くの職人は、働けなくなったら実家に帰って農業をする。つまり、日本の作家のように、文化や技術の継承など考える立場にない。そのため、日本のように長く続く老舗もないのです。

一方、中国の民間の工芸、とりわけ地方・少数民族工芸は無数に存在しますが、地域色が強く、市場を広めることが難しいので、常に失われる危機に瀕しています。

このように、普及と伝承への関心は日本に比べてはるかに劣っています。

少数民族の優れた工芸の例 苗族の刺繍
花糸工芸 出典:https://baijiahao.baidu.com/

若い人たちと工芸との関わり方

陶芸家の作品を含め、中国の工芸品のほとんどは高価すぎて、若い人たちは関心を持つことすらありません(笑)。

例えば、私が住む上海の南に接する浙江省せっこうしょうの金華市・東陽市は、1000年以上の木彫の歴史があります。手の込んだ工芸品や家具製品が有名ですが、若者の生活様式が変化するなかで、日常の暮らしからどんどんかけ離れていき、いまや富裕層の邸宅や高級なホテル・レストランでしか目にすることはありません。また、技術の継承と情報発信への対応が遅れていることもあり、重要文化財でもある東陽木彫は、博物館でしか鑑賞できないような遠い存在です。

高級レストランの美術品

一方で、手づくりの雑貨を買う人が増えつつあります。手づくり品市場も結構賑やかで、若い人たちは、伝統工芸には距離感があっても、「手づくり」には魅力を感じているということです。

手づくり雑貨 出典:https://mp.weixin.qq.com/

トレンドで言えば、海外留学した美大生や、海外の情報通の若者の間で、工芸の魅力に開眼し、工芸をやりたい人が増えました。しかし、それらは中国の伝統工芸や民芸への関心というより、工芸のフィールドでアート作品をつくるという感じです。ただのアート創作かもしれません。作品にも伝統や地域性が感じられないものが多い。でもこれは決して悪いことではありません。工芸を扱うということは、まず素材や技法を学ばなければなりませんから、工芸の継承や発信にもつながります。

翻訳するうえで難しいこと、簡単なこと

工芸に限らず、日本には、中国から伝来してトランスフォームしたものが多く存在しています。それらは中国由来の名であっても、実際にはその中国名が意味するものと微妙に違います。それをどうやって的確に伝えるかが難点ですね。最初のころは、工芸に詳しい人だけではなく一般の人にも伝わりやすいように、既存の中国名を当てはめた方がいいと思いましたが、今は勘違いさせないように日本語名(漢字)をそのまま残すことが多いです。その場合、注釈を細かく書きます。

例えば、「床の間」は、中国ではいつも「壁龕」と訳されています。「壁龕」は中国では仏像を納めた壁のくぼみのような場所で、現代ならシャワー室の壁のシャンプーを置くくぼみにもこの言葉を使います。一方、床の間は日本建築のみにあるものですから、このように全く違うものになってしまいます。私は、日本語の漢字をそのまま使って、注釈で説明するようにしています。

もう一つ難点があります。

日本語は、漢字表記、漢字とひらがなの組み合わせ、ひらがな表記もしくは読み方を変えることで、違うものを表現することもありますが、中国語に訳すと、全部漢字のみになってしまうので、どう区別つけるのも大変難しいです。 例えば、最近翻訳した川瀬敏郎さんの『花をたてる』(新潮社·青花の会刊)の中に出てくる「たてはな」「立花(りっか)」「はなをたてる」など、これらの言葉は中国語表記にすると全部「立花」になるので、読者が正しく認識できるように工夫しなければなりません。

幸いなことに、工芸関係の本は写真など画像が多いので、視覚的に補足ができます。また、中国と日本には共通する美意識があるので、写真だけでも伝わるものがたくさんあります。

好きな日本の工芸

私にとって、日本工芸の一番の魅力は、暮らしに幸福感を与えることです。例えば、その器を使えば、食べ物や飲み物も美味しくなるとか、そういう使う時のシチュエーションを考慮に入れて作られたものがすごく好きです。

山崖松堂さんのぐい呑みで日本酒を飲んだことがあります。漆だけで出来上がったぐい呑みはすごく柔らかい触感をもっていて、そのぐい呑みで飲むお酒も一層美味しく、幸福な気持ちになりました。他では感じられない体験で印象深かったです

左:山崖松堂《ツクヨミ》2023年/右:山崖松堂《アマテラス》2023年 写真:作家提供
]]>
五感で味わう美術館ガイド|ソフィ・リチャード https://craftweek.jp/column/69896 Fri, 10 Nov 2023 02:39:56 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=69896 このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


2014年に英語書籍としては30年ぶりとなる日本の美術館ガイドを出版した、ロンドン在住の美術ジャーナリストのソフィ・リチャードさん。2004年から定期的に来日し、全国の美術館、博物館、文化施設を訪ねて歩く地道な調査を続けてきた。

ソフィ・リチャード Sophie Richard

ロンドン在住のフランス人美術史家、美術ジャーナリスト。エコール・ド・ルーヴル、パリ大学ソルボンヌ校に学ぶ。2004年から定期的に日本の美術館・博物館、文化施設を訪問し、地道な調査を続けながら、その魅力や情報を書籍や雑誌で世界中に発信している。

その経験を海外旅行者と共有するために、『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』(Japan Society)を2014年に刊行。本書は、ウォール・ストリート・ジャーナルが「情報満載で手軽なこのガイドは、日本語がわからない美術愛好家にお勧めの一冊」と紹介するなど話題となった。

出会い

初めてソフィ(と筆者は呼んでいる)に会ったのは、今から10年以上前の2012年10月のこと。旧知のキュレーターから、フランス人の女性が日本の美術館に関する本を出したいので相談にのってほしいとの連絡を受け、当時神保町にあった弊社オフィスで話を聞いた。

第一印象は、物静かで人の話にじっくり耳を傾けるとてもマナーのよい女性。しかし、こと話題が日本の美術館になると、複雑な表情を交えながら熱く語り始めた。

「日本には大小様々な美術館・博物館があり、その数はおそらく世界でも飛び抜けています。でも、英語の情報があまりにも少なくて、有名美術館を除けば海外ではほとんど知られていない。それが残念でたまらず、一念発起して海外旅行者のためのガイドブックの執筆に着手しました。1年後にはロンドンで出版したいと思っています」

相談とは、その本をどうすれば日本で販売できるかとのことで、日本の取次制度の複雑怪奇な仕組みを説明したが、たぶん理解はしていなかったと思う。とはいえ、どんな本になるのかへの興味もさることながら、彼女の人柄に惹かれ、ゲラができたら一部を見せてほしいと伝えた。

1年後に送られてきたPDFは、日本の美術館・博物館50館を紹介したとてもスタイリッシュなデザインで、内観外観、所蔵品など写真も豊富。内容もガイドブックに相応しく、美術館めぐりのための情報やアドバイスが満載で、そのどれもが自分の足で歩いたからこそ得られた「生きた情報」であった。すぐに版元であるJapan Society と日本における販売契約を結び、2014年5月には日本での発売が叶った。

出版記念パーティでのディスプレイ(YOICHI NAGASAWAのメゾン、東京・青山)
『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』初版、2014年
Sophie Richard
発行:Japan Society
発売:株式会社ブックエンド

五感で味わう

英語による日本の美術館ガイドとしては30年ぶりとなったソフィの本は、日本でも好評を博した。前述のように、初めて日本を訪れる人々を対象に、旅の準備から訪問前の注意事項(根津美術館の燕子花かきつばたは期間限定展示など)、アクセスに始まり、歴史や建物、コレクション、周辺情報まで含めて、各館の見どころをそれは丁寧に紹介している。

特に、「五感で味わう」をテーマに、靴を脱いで畳を歩く感触や、香をいた室内、薄暗い中に屏風の画面が揺れ、風や木々の音が聞こえてくるような展示など、旅人の心に残る「体験」を中心にしているのは、外国人である彼女ならではの着眼点だろう。

旧朝倉家住宅のソフィ・リチャードさん

例えば、旧朝倉家住宅(東京都渋谷区)のページでは「靴を脱いで木造2階建ての住宅に入ると、畳の部屋を自由に歩きまわれます……庭の眺めを楽しみたいなら畳に座りましょう。庭に向かって開け放たれた障子が美しい風景の額縁となり、人の手の入った部分と自然が絶妙のバランスを見せています」と案内し、この住宅が本を書くきっかけになった「私のお気に入り」と一言添えている。あるいは、河合寛次郎記念館(京都市)では「河合家の人々は愛情をこめて記念館を運営し、寛次郎の魂を生き生きと今に伝えています。ここを訪れた人々は自由に椅子に座り、家具に手を触れて楽しむことができます」と、テレビの中継レポーターのように臨場感溢れる言葉で解説している。その最後には、「歩いてすぐのところに京都国立博物館があります」と周辺情報も忘れない。

海外にいながらにして、ソフィの訪れた場所をまるでVRのように追体験できるのが、本書の一番の魅力と言えるだろう。

その後日本語に翻訳され、2016年に『フランス人がときめいた日本の美術館』(集英社インターナショナル刊)が出版された。2018年にはテレビのBS11で同名の美術番組がスタートし、(本物の!)ナビゲータもつとめることに*。その間も彼女は新しい美術館・博物館の取材を精力的にこなしている。

なぜか? ソフィのもとには、本書を読んで実際に美術館を訪問した読者から感謝のメッセージが多く届いたが、一方で地方の美術館の情報を求める声が徐々に高まっていったからだ。その要望に応えるべく、書籍刊行後も次を見据えて、ソフィは行動を開始。2019年秋に改訂増補版を刊行した。

旧版で50館だった収録件数は、北海道から沖縄まで全国112館に倍増した。しかし、直後に襲ったコロナ禍により訪日観光客は激減し、ガイドブックも出番のないまま約3年が過ぎた。

2022年10月、京都への移転を控えた文化庁の招きで3年ぶりに来日したソフィは、都倉俊一長官と東京および京都で博物館をめぐりながら対談。その模様は「日本の美への誘(いざな)い」として文化庁のサイトで公開されている。【日本博は『日本博2.0』へ!日本の美と心を発信します。】  

海外からの旅行者の来日もコロナ前の活気を取り戻しつつある現在、日本の文化観光について語ってもらった。

* 2019年9月まで放送

──ガイドブックを書こうと思ったきっかけは?

初めて日本を訪れたのは2004年です。城崎に行って旅館に泊まり、浴衣を着て街を散策したり、温泉を巡ったり……。また、直島とその美術館や、京都の禅庭を訪れたりしたのはとてもエキサイティングでした。日本人の友人が同行し、旅行中にさまざまなことを紹介してくれたので、この最初の経験はスムーズでした。

その後、私は何度も日本を訪れ、世界中のどこへ行ってもそうなのですが、いろいろな美術館(博物館)を訪ねました。しかし、美術館に関する正確な情報や関連する情報を見つけるのは必ずしも容易ではなく、美術館に行っても、入手できる英語の情報はごく限られていました。

日本の美術館の数は驚くほど多いのに、海外ではあまり知られていないと気付いたことがきっかけで、私は日本の美術館を調査し、その内容を欧米の美術愛好家に伝えたいと思いました。

まず、いくつかの記事を書くことから始めましたが、本としてまとめるほど内容がたくさんあった。日本の美術館がいかに多様で数が多いか、また、その中で私のおすすめの美術館を紹介しようと考えました。

さらに、この美術館がどんな施設なのか、誰が設立したのか、コレクションの大きさ、建物はどのようなものかなど、個々のストーリーを人々に紹介したいと思ったのです。

『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』 大西清右衛門美術館の紹介のページ

──ガイドブック以外にも、日本の小さな博物館にスポットを当てて、地方文化の魅力を発信されていますね

数年前に、ウェブサイトを通じて出雲地方のミュージアムのネットワークを広報するプロジェクトに参加しました。

出雲旧家ミュージアム

これらの小さな博物館ひとつひとつは素晴らしいのですが、特に外国人にとっては情報が少ないため、海外ではその存在がほとんど知られていません。

そのため、“一族に伝わる歴史的遺産を展示する私立博物館”というユニークな特色を共有する博物館をネットワーク化し、日本語、英語、フランス語を含む5つの言語で質の高い情報を提供するサイトを作成しました。

このプロジェクトは、“都市から離れた場所の”、“地域文化性の高い”、“小さな博物館”にスポットをあてて紹介することができる点で、とても有意義だと思います。

地域の魅力を発信する意味でも重要ですし、さらに外国人観光客は、いわゆる観光名所のツアーにとどまらないこの種の発見と経験に目がないからです。

──昨年秋に文化庁のプロジェクトにも参加されました

2022年10月に文化庁の招きで訪日し、映像シリーズ「日本の美への誘い」というプロジェクトに参加しました。その際に京都と東京で都倉俊一長官と対談した動画がYoutube で公開されています。

世界の人びとに向けたこのプロジェクトの、最初の2つの動画に出演できたことを光栄に思います。

出雲地方の博物館のネットワークのケースもそうですが、日本から発信する広報プロジェクトへの参加を通じて、外国人旅行者が日本にどんなことを期待し、興味を抱き、要望や不満を持っているかを明確にしたいと思っています。

そのためには、美術ジャーナリストとしてだけでなく、外国人としての私の視点をできるだけ盛り込もうと努めています。

異なる文化を結びつけ、お互いが理解し合うのはとても大切なことです。だからこそ、最善を尽くせるよう細心の注意を払いつつも、アイディアだけでなくときにはクリティカルな意見ももつよう心がけています。

──欧米の美術愛好家を対象にした日本ツアーも企画されてきた立場で、ここは特に改善してほしいという点は?

海外から、質の高い翻訳で、最新情報が入手できることが何より重要です。

欧米の美術館・博物館では、展示室で作品に関して十分な情報が得られることは当たり前です。ゆえに欧米からの旅行者は日本の美術館・博物館においても、パネルやキャプションの解説で、もっと多くの情報が得られることを期待していると思います.

また一般的に、日本文化について紋切り型の表現をできるだけ避けることも必要です。これは、残念ながら、外国人向けのパンフレットやその他の文書の中にも見受けられます。

例えば、歴史上の人物に言及する場合、人物像の説明だけでは不十分です。その国の歴史を詳細に知らない外国人向けに、バックグラウンドの理解を助ける書誌情報を提供する、特定の用語(例えば、茶道や本陣とは何かなど)について、より正確にわかりやすく補足する、などといったことが必要ですね。

Book information

『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』増補新版、2019年
Sophie Richard
発行:London: Modern Art Press
発売:株式会社ブックエンド

]]>