酒井一途 – 日本工芸週間 https://craftweek.jp Wed, 10 Dec 2025 01:29:04 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.1.1 文化観光がつくる関係性|中井きいこさんに話を聞く https://craftweek.jp/column/75183 Mon, 17 Mar 2025 01:11:55 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=75183 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。


今回はこれまでの文化観光チャンネル「文化を愛する旅にでる」のひと区切りのような回です。本と人と地域のあたらしい関わり方をつくる、出雲路本制作所代表の中井きいこさんに話をうかがいました。同世代で気心の知れた友人同士であり、気楽な対話の雰囲気をそのまま記事に書き起こしましたが、内容はなかなかディープ。抽象的な議論から、文化観光的な体験ができる具体的なお勧めスポットの紹介までしています。

この連載ではさまざまな文化観光に携わる方へのインタビューから、文化観光を通して相互に関係性が生まれることを理想としてきました。そのため、文化観光を「つくる側」ではなく、文化観光を「しに行く側」のスタンスについて触れることになったのも重要な切り口でした。双方に文化への尊重の思いと、文化に関わる人々への態度があることが、その文化を生きたものとして継いでいくかけがえのない要素であると思います。

取材日:2024年7月22日

中井きいこ 出雲路本制作所 代表

現在は食/ものづくり/民主主義/鴨川などをテーマにしたいくつかの本を仕込む一方で、各地の編集プロジェクトに参与。本の先をつくる/書き手と読み手の接点をつくる/里山に関わる、などの切り口から、現代における本の役割を模索している。地域とデザインの学校「LIVE DESIGN School」運営局。1993年東京生まれ。

「LIVE DESIGN School」福島県郡山市エリアのフィールドワーク

伝統文化を現代で息づかせるために必要な価値の再構築

酒井一途

地域にある途絶えそうなものたちを、どうやったら現代にいきいきと生き延びさせられるかが、文化観光の裏テーマにあると感じてきたんだよね。

これまで地域に根づいてきた文化には、綿々と続いてきた流れがある。上流から下流、つまり素材からそれが加工されてモノになるまでのプロセスに、多くの手仕事が関わってきた。そのサイクルのうちのどこかが欠け落ちることによって、全体が回らなくなってしまうことが全国的に生じている。職人の手によるさまざまな道具や素材加工も、その技術が失われていっている。どうしたらその繋がりを、これからの時代に沿う形で編み直していけるだろう、と。

モノには需要と供給がかならずあって、そこには経済が関わってくるものだから、経済を考えるときにはそのモノを守ってきた人たちが出てくる。「わしら守ってきたんじゃ」といいながら現れて、「守ってきたから偉い、なのに誰も金をくれない、もらって当然なのに」という。大事なことをしてきた人たちなのは事実なんだけど、守ろうとするその方法が「これまでのものを何も変えない」という主張になってしまっていて、それでは続けようがない。だって単に生活上で需要がなくなってしまったものとか、祭りや儀礼などの行事が途絶えたことで「目的的な価値がない」とされているものについて、ただ守るためにお金を費やしつづけるだけでは、何のサイクルにもならないから。

現代社会の中で伝統を生かし続けるためには、現代における価値の編み直しが必要で、もしかしたらある種の価値の転換を起こすことになるかもしれない。守ってきた人たちが「思ってきた価値」が形を変えなければならないものだったり、これまで「価値がない」とされていたものが今ではもっと価値を与えられるものだったり、いろいろとあると思う。実用的なことだけじゃなくてね。決して「目的的な価値がない」モノに一切の価値がないわけじゃない。ふたたび需要と供給のサイクルを作るためには、「価値の与え方」を再考する必要があるということ。

これは今の時代における転換点で、ここに文化観光が関わってきそうな気がしている。でも、はてどうしたものか、というもやもやを、もやもやしながらも言葉にしていきつつ探っていく対話をしようというのが、今日の主旨です。

中井きいこ

文化観光は、工芸観光とか産業観光とか、〇〇観光がいろいろ出始めたけど、何を指すんだろう。

酒井一途

かなり広義でいいと思っているよ。人の手が関わっているものに関しては「文化」と呼んでいいだろうから。モノじゃなくて体験(コト)でもいい。新しいカルチャーも大事にしていければいいし、それを目的とした観光があってもいい。

ただ新しい概念を考えていくときには、核になる精神に何を置くかが大切だと思うんだ。文化観光という概念で捉えるときに、そこに関わる人が意志を持ってより大切にしていきたいものを選び取るとしたら、かなり広義のものからもうちょっと狭められたものになっていくはず。はっきりしていくことで伝えやすくもなっていくかもしれない。

中井きいこ

一途くんのいう意味での、文化観光をしたい人ってどんな人なんだろう。

酒井一途

ある文化に対しての関心を抱いている、ひいては「使い手になる」「関わりをもつ」ことも含めて、サイクルの一部に参与していくことに関心をもつ人、かな。

出雲路本制作所が運営する「LIVE DESIGN School」メインビジュアル

文化観光で気づく、都会の自己の異質性

中井きいこ

文化観光をつくる側の話もあるけど、文化観光をする側の態度をどうつくっていけるかが大事だなと思ってさ。

一昨日富山の高岡に行ったとき、能作(※1)に行ってきてすごかったんだ。いわば産業観光のキング・オブ・キングみたいなところ。新しくてスタイリッシュな3、4階くらいの吹き抜けの建物があって、そこに入るとエントランスの中央、視界に入る壁一面がガラス張りになっていてね。形も色も全部違う鋳物の原型がずらーっとディスプレイされてる。めっちゃ映えスポットがいきなりあるの。入った途端にもう圧倒される。

案内ツアーに参加すると、大空間で職人さんたちが作業している中に見学者が入っていくような感じ。職人さんと我々のあいだを仕切るのは一本の白線だけ。めぐる工程もわかりやすくて、錫を燃やして、型に溶かし込んで、それを固めて。できたての錫を触らせてもらうと、ふにゃふにゃしてて「うわあ」って感触も味わえて。作業してる音はかなり響くんだけど、一人ずつイヤホンが渡されているからガイドさんの声がちゃんと聞こえてくる。能作のツアーでは職人さんたちに対して、参加者が「見せてもらっている」という関係性を作りやすい空間になっていると思う。

ほかの工場見学だと、うるさい作業音の中でガイドさんが声を張り上げても、後ろの方にいると何を言ってるのか全然聞こえないこともあるし、作業する職人さんたちをガラス越しに眺めるだけだったりすることもある。そうなると見学する側が、まるで偉い立場で視察しているみたいな関係性になっちゃう気がして。

酒井一途

関係性の作りかたって、立ち位置にしてもガラス壁にしても、考慮して作られていないと見え方がぜんぜん変わっちゃうもんね。

中井きいこ

ごく個人的なことなんだけどさ。能作で職人さんを見てて、わたしはすごく恥ずかしい気持ちになったんだよね。

酒井一途

それはどういうこと?

中井きいこ

手仕事をする職人さんや一次産業、自然に近い仕事をしている人たちに、都会人は圧倒的に敵わないという気持ちがずっとあるんだよね。そこから来る感情なの。本当に個人的なことで、ほかに一緒に参加してた15人は施設と体験への肯定的な感想が大半で、恥ずかしいと発言したのはわたしだけだった。

京都の美山に、田歌舎(※2)という自給自足をしている集団があって、そこで鹿猟をする体験をさせてもらったことがあるんだ。猟師さんが鉄砲を構えるすぐ後ろでじっと見るという体験なのだけど、彼らが山に入っていくときの身のこなしと、都会からやってきたわたしや友人たちがよいしょよいしょと斜面を降りていく姿が、同じ世代の同じ人間なのにどうしてこうも違うのか、って強烈に感じた。鮮明にそのシーンが残っていてさ。そのときもすごく恥ずかしいなと思ったの。能作のときの恥ずかしい気持ちと通じるものがある。

自然の感覚をどうやったら都会人が取り戻すことができるのかというのも、観光のなせる一つの役割なんじゃないかな。啓蒙的だったり教育的である必要はないけどね。そういう意味で、都会から来た見学者が参加して「恥ずかしい」という思いをするくらいの方がいいと、わたしは思っている。

酒井一途

観光にいく・旅にでることで、自分の周りの環境とはちがうところに身を置くことができる、つまり普段自分がいる環境や自分自身の姿を外側から眺めることになるわけだよね。その視線が、きいこさんの場合には「恥ずかしい」という感情としてあらわれてきて、ある種の自己批判とも結びついてきたんだね。

中井きいこ

都会にいると、自分が自然にとって異質だということがわからないけど、圧倒的な自然環境にいったときに、いかに自分が「人間」じゃなくなっているかということを痛感するんだな。自然に近い人がいいという感覚が、自分にとっては強いんだろうな。

あと岩手の遠野にあるクイーンズメドウ・カントリーハウス(※3)という場所も思い出した。そこは乗馬や調教といった目的の先に馬がいるのではなく、ただ馬と人が共に暮らしていける場所なんだ。そこにいる人たちはまるで人間じゃない違う言語を使っているように思えるんだよ。そういうものに憧れをもっている都市生活者がわたしなんだなと思う。異文化観光というか。でも異文化というのもちがうな。

酒井一途

なんて言葉があったらいいんだろうね。

中井きいこ

文化観光って、一般的には「わたし」がいて「文化」という対象がある、その対象を見にいく、という関係性になりがちだと思う。でも一途くんのいう文化観光への問いを受けながら考え直すと、その関係性を超えていたときの経験を思い出す。

能作や田歌舎でのわたしの経験は、「文化」の中に入っちゃって「わたし」の異質さに気づく、というものだった。傍観者や観察者として外から体験するというのではなくて、その中に取り込まれるという経験だった。

酒井一途

「わたし」が「文化」を観光しにいくわけじゃないんだね。足を運ぶと、「わたし」を大きく取り込んでしまうような「何か」がそこにはあるんだね。

「LIVE DESIGN School」第2期(2024年度)のレクチャープログラム一例

従来の認識や価値観をひっくり返していくには

中井きいこ

この前ランドスケープを仕事にしている友人と話していてね。建築とランドスケープって分かちがたい領域ではあるものの、基本的に仕事の流れはクライアントが建築家に依頼して、建築家がランドスケープのデザイナーに外注する流れになってる。でも本来は逆で、生態系のなかに人工物があるわけだから、ランドスケープデザイナーが仕事を受注して建築家に発注するというほうがいいのではないか、って。

一次産業にしてもそれと同様に本来の構図が逆で、都市生活者を支えるものとして一次産業があるわけじゃなく、一次産業ありきという共通認識がもっと出てくればいいと思う。

酒井一途

構図の逆転というのに鍵がありそうだね。「わたし」が「文化」を観光しにいったら、逆に「文化」が「わたし」を取り込んでしまう、というのも逆転のひとつだ。

中井きいこ

京都で染め工場を経営している方がおっしゃっていたんだけど、大学生が見学にやってきて、「伝統産業の人たち困っているんですよね、プロダクトデザインしてあげましょうか」って言うんだって。そういう構図やばいじゃん。でもいろんなところにあるんだよ。

全国の代表的なオープンファクトリーのイベントやマーケットにしても、中の職人さんたちは一つのコンテンツになってしまって、束ねているプロデューサー側や行政ばかりがフォーカスされている。もちろんどのプロデューサーも、職人さんたちありきで自分があるってすごく自覚しているはず。でも見せ方的には、どうしても仕事をつくる人や受けてくる人が、職人さんたちに声をかけて束ねるという構図になる。デザイナーがプロデューサーを務めることが多くなってるから、学生もそういう気分になっちゃうのかも。

酒井一途

どうしたらその認識をひっくり返せるんだろうね。大きなことだけどなにかきっかけがあったら、がらっと変えられるはず。

中井きいこ

明治維新で「西洋」という概念が入ってきたことで、「和」の価値観ができたじゃない。和紙ももともとはただ「紙」だったものが、「洋紙」が入ってきたことで「和紙」と呼ばれるようになった。ひっくり返すだけじゃなくて、あるいは別のものを持ってくることでずらすこともできるかもしれない。

「LIVE DESIGN School」島根県大田市温泉津エリアのフィールドワーク
酒井一途

僕も別のことで明治維新を考えてた。昨日、旧公家の山科家三十代後嗣にあたる山科言親さん(※過去記事参照「京都・宮廷文化を旅する」https://craftweek.jp/cms25/column/70424)のところに行ってきたんだ。そこで聞いてきた話で、京都では八坂神社を中心に祇園祭がおこなわれているけれど、もともと八坂神社は祇園社と呼ばれていたのだそう。明治維新のときに神仏分離で、祇園という名前が仏教的だからという理由で変えさせられて八坂神社になったんだ。主祭神も素戔嗚尊(すさのおのみこと)とされているけど、国家神道化の流れにあたって統合されたもので、もとは牛頭天皇(ごずてんのう)という信仰の対象がおられたそうだ。古くから天皇というと牛頭天皇のことを指していたくらいで、いわゆる天皇は禁裏と呼ばれていた。

そんなにも篤く信仰されていた存在が、一つの時代の境目で別神にされてしまう。ちょうど最近、安丸良夫さんの『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』という本を読んだところでね。祇園社にかぎらず、全国無数にそういう信仰対象のすげ替えというのがあったんだよなって。

信仰があるって、人が生きる上でめちゃくちゃ大きなことだと思うんだけど、その信仰の対象が変わることがあり得るって、驚くべきことだよね。仮に本人は隠れて信仰できたとしても、世代を超えて受け継がれていくのは難しい。その世代にとっての破壊があったとしても、次の次の世代にもなると、もう生まれたときからそれが当たり前になるのだから、世代で信仰の感覚って変化し得るんだ、置き換えられてしまうんだ。

それってとてもおそろしいこと。でも多くのことが「ここからまた変えられる」という希望にもなるのだと思う。信仰ですらそうなんだから、いわんやほかの価値観においてをや、と。

中井きいこ

認識や価値観、当たり前と思っていることが移り変わっていくのが、どんどん加速している時代だよね。そんな時代にあって、変わるもの、変わらないもの、洗い出してみるとおもしろいかも。アトム化された世の中で、かつての信仰心のように土台を変えるのはかなり難しいと思うけど、分断された領域の一つひとつをひっくり返していくことは方法としてはあるはず。

酒井一途

複数のレイヤーでさまざまな人が生きているからね。そのなかでも釣り針を投げたら引っかかってくれる潜在層がかならずいるわけだから、その人たちへのアプローチの仕方なんだろうな。

中井きいこ

わかる。機会を探している人はたくさんいる。そのときいつも自分に返ってくる問いがあってさ、釣り針が引っかかったときにわたしはこの釣竿を持っていられるのか、ということなんだよね。本気度を自分でも試されていると思う。

酒井一途

文脈に沿いつつ最後に文化観光に話を戻すと、ひとくくりに文化観光というときには冒頭にもいった「核になる精神に何を置くか」を見極めていく必要があるんだよね。

たとえば「消費的な文化観光」があるとしたら、現代的なマーケティング戦略が上手だったりして、いわば疑似餌の種類が豊富なはず。文化のサイクルに興味を持っている潜在層の中でその釣り針に引っかかってしまう人も多い。まんまと消費させられながら、「私がお金を落とすことでサイクルに貢献できる」と思ってしまう。この社会において消費的なものには吸引力があって、大量に人々を引っ掛けることができる。

でもその形だと、一次産業の人たちの立ち位置が本質的に変わることにはきっとならない。単に今の社会の構造を利用して文化観光を謳っているだけのものになってしまう。潜在層を消費的なものに引っ掛からせずに、いかに関わりしろを持てる形の文化観光に引っ張ってくるか、が問われていると思う。

中井きいこ

能作では誰にでもできるような仕事に体制が整えられていたんだ。職人さんぽい風体の方もいたけどパートのおばちゃんもいた。そういう体制にしながらも迫力ある見せ方になっているのがひとつ。それでいて、本当に大事な技術や伝統もそこで守っている二段構成があるんだって。誰もができるほうは、お稽古にするとか気軽にサブスクにするというやりかたもあるかもね。現代では「師匠」と呼ばれる存在がいなくて、若い人はお稽古をしたがっているということも聞くから。

作り手を第一として、文化や工芸の「伝え手」はいろいろな形がでてきているけれど、それ以外に地域の文化へのどんな関わりしろがあるのか、名付けてみる必要があるかもしれないね。関わりしろの総数をいったんできる限りだしてみることをしてもおもしろそう。

編集後記

文化、また自然の中における人の営みの大きさを考えてみる。それは人が自分の見聞を広めるためにちょっと足を伸ばして見に行けば得られるようなものではありません。触れれば、そのものに取り込まれてしまうような大きな存在です。それぐらい自分を超えたものでなければ、文化観光という体験に格別の価値を与えることはできないでしょう。

近代以降、多くの観光は二次的な追体験にすぎないものとなりました。写真で、映像で見た場所に足を運ぶ。そして自分もそこで同じような写真を撮ることで観光した気分になる。そうした行為に意味がないとはいいませんが、わざわざ時間と金銭を費やしてするに値するほどのことかどうかは疑問に思います。

旅をすることは本来、自己が変容を遂げることにつながるものです。文化観光には今もまだその可能性が秘められています。単に消費的なものに終わらせるのではもったいない、もっと新しい切り口が得られるはずです。

大いなるものへの関わりとその中で得た衝動があって、日常にふたたび帰ったときにその日常の光景そのものを変化させてしまっているような、そんな文化観光のありかたをこれからも模索していければと思っています。

関連する文化施設・体験のご案内

※1 能作

https://www.nousaku.co.jp/factory/

※2 田歌舎

https://tautasya.jp

※3 クイーンズメドウ・カントリーハウス

https://qmch.jp

出雲路本制作所 参考記事

○LIVE DESIGN School

中井きいこさん主宰の出雲路本制作所の企画運営による、地域とデザインの学校 LIVE DESIGN School。各地に根づいて活動する日本のトップランナーのデザイナーたち、そして各地で多様に生きる参加者同士が1年間どっぷり関わり合いながら、学び、ともに考え、実践していく生態系(スクール)。

https://live-design-school.com/

○中井きいこさんと鳥取・湯梨浜町松崎の汽水空港へ|黒鳥本屋探訪〈これから読む本が一番面白い〉第12回 お喋り編/黒鳥社

○工夫せよ!と風景はいう――『具体的な建築 観察から得る設計の手がかり』(学芸出版社)著者・伊藤 暁さん、編集者・中井きいこさん インタビュー/内沼晋太郎(バリューブックス)

○腑に落ちる生き方を。京都の小さな出版社が考える、いまの社会にフィットする「本づくり」/リクルート
https://www.recruit.co.jp/blog/guesttalk/20240419_5016.html

○しごとゼミ「私の移住論」/日本仕事百貨

https://shigoto100.com/event/shigoto-seminar-ijyu

○紙をめぐる話|紙について話そう。 No.35 梅原 真×中井希衣子×原 研哉/竹尾

https://www.takeo.co.jp/reading/dialogue/35.html

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文化観光を深める|白水高広さんに話を聞く https://craftweek.jp/column/74166 Mon, 09 Sep 2024 23:04:38 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=74166 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。


今回は観光先となる地域や文化施設ではなく、文化観光をともに深めてくれる「ひと」にフォーカス。2021年度に文化庁文化観光高付加価値化リサーチが行われた際にも、九州全域でのリサーチやワークショップにおいて多大なるご協力をいただいた白水高広さんです。時を経てあらためて「文化観光とはなんなのか」を模索するためのインタビューを行いました。

白水さんは福岡八女を拠点とする「うなぎの寝床」の創業者。「地域文化商社」という言葉を編みだして、コンセプトとして掲げました。土地に根づいてきた地域文化を解釈、その現代における活用と経済化を考えながら商品を取りあつかい、文化の担い手にも適切に利益を還元していく再循環のありかたを考えつづけ、実践してきた方です。

文化を受け継いで担う「つくりて」、生活者としてその文化やものを使う「つかいて」、そして両者を結びつける「つなぎて」がいて、三者ともどもが「地域文化」に思いを馳せるための仕組みがうなぎの寝床にはあります。これはあつかう商品の形を「もの」ではなく「体験」や「観光」に変えてみた上で、文化観光を考えていく際にも重要な価値観を与えてくれます。

うなぎの寝床は白水さんが12年経営してきたのち、他社と資本提携して白水さんは創業者・顧問という立ち位置になりました。時間的余裕を得たことでこれからはさらに複数の事業に携わっていく心づもりとのこと。その鳥瞰的な視座をもって文化観光のテーマを掘り下げてもらったところ、たいへんおもしろく大事な要素がいくつもあらわれてきました。

取材日:2024年7月10日

白水高広 しらみずたかひろ 「うなぎの寝床」創業者・顧問

1985年佐賀県生まれ。大分大学工学部卒業後、厚生労働省の雇用創出事業九州ちくご元気計画の主任推進員として活動。2012年九州ちくごのアンテナショップとしてうなぎの寝床創業。地域文化商社として九州を中心に約全国250件のつくりての商品を紹介する。2015年に久留米絣のMONPEを商品化し、全国の生地産地ともコラボレーションし開発を行う。12年間経営し2024年3月に株式会社テイクオーバーと資本提携し、現在は創業者・顧問として活動する。同時に株式会社白水を創業。複数の事業をやってみたいなという予定。九州ちくご元気計画はグッドデザイン賞日本商工会議所会頭賞を受賞。

うなぎの寝床 旧丸林本家

伝統を時代に合わせて更新することで守られるもの

酒井一途

白水さんが普段やっていらっしゃることは、すでにさまざまなメディアから多くのインタビューで紹介されていて、オンライン上にも記事があります。ですので今回は「文化観光とはなんなのか」をあてもなく話す会にできればと思っています。

白水高広

ものづくりでいうと、いろんな産地を回っていて感じることがあります。

1974年に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が制定されました。この規格を守りつづける選択をしてきた人たちは、むしろ産業的にあまり生き残れていないということです。守ろう、守ろうとしてきた結果、結局は守れずに跡継ぎもいないという状態になっています。

一方で、伝統的工芸品という一定の定義は持ちながらも、今の時代に合わせた解釈をし直して変わりつづけてきた人たちは、仕事としても文化としてもちゃんと残れていることが多い。更新しつづけている人たちこそ、守りつづけている人たちではないかと僕は思います。

酒井一途

ルールを厳密に守りすぎているだけでは逆に残すことができない、と。

白水高広

時代の変化に伴って、生活も価値観も変わっていくのですから、ルールは変えていかなければいけないものです。でもルールを一度設定したら、そのルールを変えたくないと思う人たちが一定数現れてくる。彼らは頑なにルールを守ろうとするあまり、他の人たちにもルールを守ることを要請する傾向があります。

そういう体質を生み出さないためには、変化することを前提として、その変化を許容できるようなルールづくりが大事なんだろうと思います。

酒井一途

本来ならルールというものはそのように運用されるべきものですよね。法律にしても、法律自体をそうそう作り変えるわけにもいかないから、今の時代における解釈の仕方とこれまでの判例の積み重ねからその都度考え直す。

工芸品にしても文化財にしても、頑ななルールとそのルールを守らせようとする人たちだけが一人歩きするのではなく、時代に合わせたある種の読み換えが必要なはずです。

うなぎの寝床ウェブサイトより ネイティブスケープについて
白水高広

たとえば伝統的工芸品としての久留米絣には、粗苧あらそうという麻を使わなければならない、手織りで作らねばならない、といったがちがちの定義があります。これらの定義を頑なに守ろうとすると時代にまったく合っていなくて、単にそのまま保存するしかなくなります。いま伝統工芸の産地が直面しているのはそういう問題です。

私たちが立ち上げたうなぎの寝床も「地域文化商社」を掲げてやってきましたが、その言葉に縛られて現代に合わせた動きがしづらくなってきた面がありました。僕としてはあくまで一時的に設定した言葉で、解釈を都度変えながら現代における「地域文化商社」としての役割を担っていくつもりでした。しかしこの言葉そのものを守ることが重視されるようになってきてしまった。関わるみんなが思いを持ちすぎてしまったんです。当たり前なんですが、それぞれの解釈で言葉を理解しているから齟齬が生じてしまったのです。

人って言葉にした瞬間に、それにすがっていく傾向があります。強い言葉を使えば使うほど、変わりづらくなっていくものだなと感じます。だからルールづくりというよりは「憲章づくり」をした方がいいかもしれません。「こういうマインドでやりましょう」と言語化して、みんなでそのマインドをどう解釈していくかを考えるのです。

憲章において重視されることは、「制約」ではなく「誓約」です。この二つの言葉のちがいを最近よく考えます。「誓約」であれば、道徳的なモラルみたいな抽象的で曖昧なことを書けるんですよね。

沖縄の竹富島にも「竹富島憲章」という自主的に定めた憲章があります。もし将来的に島がリゾート開発されるとなった時に、憲章を元にしてこれはいいとかこれはダメというのを島民たちが解釈しながら議論することができます。「誓約」には人の意思が介在していく余地があります。「制約」では現代に合わせた変化が難しくて、地域単位で区切るならまだしも、素材や技術で区切ると残せなくなる可能性が高まってしまう。

酒井一途

石見銀山がある島根の大田市大森町には「大森町住民憲章」があります。石見銀山が世界遺産になったときに外から観光事業者が入ってこようとしたのを、事前にまちの人たちみんなが集まって憲章を作ることで、まちを外から守る意思確認をしたというのです。

このまちには群言堂というブランドがあり、創業者の松場登美さんがまちの複数の古民家を会社としても個人としても守りつづけてきました。その文脈を継いで、婿養子の松場忠さんが石見銀山生活観光研究所を立ち上げて、「生活観光」を掲げてまちぐるみで生活そのものをなにより大事にした観光の形を促すこともしています。

白水高広

沖縄でいうと、ゆいまーる沖縄という会社があります。いま代表をしている鈴木修司さんは千葉の生まれですが、アルバイトから入って社員になって、創業者の玉城幹男さんが病に倒れると彼の意志を継いで、代表をしはじめた方です。鈴木さんは沖縄の地域文化やものづくりを現代で体現するにはどうしたらいいかをずっと考えています。まるで創業者が憑依しているかのようです。沖縄の文化をインストールして自分なりの解釈で一つひとつやれることをしている感じなんですよね。

言葉の意味への固執は、未来への足枷になる?

白水高広

文化観光でいうと、文化庁や観光庁といったセグメント(区分)に意味がなくなってきているのではないかなと思ってきています。人は定義や分類をしたがるけど、本来分けられないものを無理やり分けているような感じがします。

酒井一途

セグメントを分けると、分かれたそれぞれが依拠する原理が違ってくるんですよね。それぞれが原理主義的になっていくことで、対話のしようがなくなってしまう。越境がしづらくなります。分けられたセグメントの内部にいる人はもちろんのこと、それぞれのあいだに立つ人も双方の論理の組み立て方を理解して話さないといけない。

白水高広

言語ってそもそも分けるための道具ですから、分けることは仕方がない。その前提に立ったうえでの新しい分け方を考えた方がいいのかもしれません。文化観光は既存の文化庁や観光庁の名前を冠しているから、それぞれの側からの解釈が平行線でありつづけてしまう可能性もありそうです。両方を包含するような新しい言葉を持ってきた方がいいのかもしれない。あえてわかりにくくすることで前に進む、という。

文化という言葉自体、曖昧で人によって解釈が異なるものですよね。デザインという言葉もそうで、言葉を使う側と受け取る側それぞれにいくつもの意味があらわれてしまうので、僕は極力使わないようにしているんです。使っているとそれぞれの解釈でぜんぜん違う文脈に落とし込まれてしまうから。

酒井一途

当事者には自分の領域に対して一家言があるんですよね。外の人からしたら、その言葉の枠組みや概念理解ってそこまで大事なんだろうかと疑問が浮かぶくらい。これはアートかそうでないか、これは工芸かそうでないか、これは民藝かそうでないか、というのは関わっている人からすると重要で、ものすごくはっきりと区分けをしたがる。分野を守っていく上で譲れなかったり、アートならアートの文脈でどう新しいものを作るかという革新の上で重要だったりする、ということはわかるんです。でも枠組みに制約をかけてしまうことで、言葉にとらわれている感じがするんですよね。

白水高広

とらわれていますよね。言葉を重く捉えすぎて、固執しはじめる。「文化とはどういうことなのか」を考えつづけることはできるけど、「文化とはこういうことです」と言ったらもう守るしかなくなってしまう。そしてその守りは守りにならないんです。

経営者も継承がうまくいっているところって、文脈を自分の中に落としこんであとは捨ててるんです。なんとなく残っているものをベースにして、自分でまた構築し直すんですよね。先代のやってきたことを間に受けてぜんぶ引き受けようとすると、何も新しいことができなくて先代の延長線上で自分がやれることしかやらない、となってしまう。そうなるともうだめですね。前に成功したことがあったとして、その成功体験も捨てつづけないと未来がないですよ。そうでないと本当に文化を守ることはできないんです。

うなぎの寝床 旧寺崎邸 店内写真

文化を支えるのは個々の意識

白水高広

話していてわかってきたのですが、「こういう文化をつくりたい」「こういう文化をこれからも大事にしていきたい」という意思をもった個としての人がどれだけいるかが、その土地の文化度を指し示すような気がします。

観光も一緒で、消費マインドの人がたくさんいると本当に消費されるだけで終わってしまいます。「この土地にある文脈を生かしてより密度の濃い体験をつくりたい」と思う人が多く現れたとき、そこは文化観光が根づける土地になるのではないでしょうか。

土地のもつ文脈や背景そのものは変わらないけれど、それを活用して2年間で5億稼いでやろうと思ったら消費の方向になるし、土地のもつ文脈の本質を捉えて伝えながら経済化もしてのちの世代に引き継いでいこう、と思ったら文化観光が成立しますよね。

これらは表裏一体で、出てくる数字や事実としては違わなかったとしても、意識の持ち方次第で消費にもなりえるし文化にもなりえる。これは自分でも発見な気がします。

文化にしても観光にしてもいろんな要素を含みすぎているけど、本当はシンプルなことなんですよね。結局、人の意識の違いでしかない。そういう個人がどれだけ多くいるかが指標になるかもしれません。人に依存したらシステムにならなさそうだけど、それはもうそれでいいんじゃないか、と。所属する組織に言わされているのではなく、個人の意思で言えるかどうかがもちろん重要です。どうやったらその人数を測れるだろうな。

酒井一途

とてもいい指標ですね。どうしたらそういう個人を地域に増やしていけるかもあわせて考えていきたいです。

白水高広

人って環境に依存するので、もともとそこの環境にいなかった人を連れてきてしばらく「幽閉」しておくことじゃないですか。「幽閉」は「招聘」と言い換えてもいいですね。とにかく一定期間その人がその地域に住んでいられる仕組みをつくる。すると順応した環境を活かして何かしたくなる人が現れてくるんですよ。地域のことが自分ごとになって、これがこうなったらいいとか勝手に話しはじめるようになる

僕も八女にまったく思い入れなかったけれど、妻が八女出身で、彼女が久留米絣をなんとかしたいというのを聞いてた。それでイベントやり始めたりしているうちに、いつの間にか八女で12年くらい会社をやっちゃってたわけですから。

酒井一途

勝手にしはじめちゃう、というのがいいですね。自発的で、内発的な感じ。その地域のことに思い入れをもっちゃったんだから、しょうがないじゃん、と開き直りたくなる気持ちは僕にもあります。生まれ育ったのはべつの地域だとしても、ローカルの人間じゃないとしても、この地域を好きという思いは確かだよ、と。

白水高広

一途さんも最初は地域おこし協力隊で豊岡に来たわけでしょう。それが今では豊岡に家買ったりして。僕も一途さんがいなかったら豊岡に来ていなかったかもしれないし、誘発する現象が自然と起きている。それも元を辿れば、前市長が協力隊を大量に招きいれるという決定をしたからですし。連鎖して繋がっているんですね。

酒井一途

僕は豊岡に移住するにあたって、豊岡市前市長の中貝さんが言ったことでめちゃくちゃ痺れた言葉があるんです。東京で豊岡エキシビションというのがあって、そこに訪れた当時市長の中貝さんが「私は豊岡がはぐれものの梁山泊になればいいと思っているんですよ」って(笑)市長でこれ言うのめちゃくちゃかっこいいなって。梁山泊って中国の故事で、謀反を起こす者たちが集って虎視眈々と革命を狙う拠点なんですけどね。

白水高広

それ講演でいうんだ(笑)

酒井一途

しかもビジネス向けの場だったので企業人とかが大半で、市長が何を言っているのか意味がわからなかったと思うのですが。ストレートに響いちゃった僕みたいなのがその中にいて、見事にひっかかったわけです(笑)

白水高広

都市部との距離感があるから、土地の遠さと相まっていい表現ですね。そういう言葉にひっかかってくるのは、個としての意思をもっている人間だろうしなあ。それでやってくる人たちに、その地域の環境に順応してもらうための機会をつくるのが大事ですよね。元いた場所から環境をずらすというか。地域おこし協力隊はポテンシャルがある人間の環境をずらすきっかけとなりやすいのがいいですよね。べつの地域に住みはじめるときのハードルがめちゃくちゃ低くなる。

そうやって、まちづくりをするための文化観光を推進するとかではなくて、おもしろいひとを地域に居心地よく一定期間「幽閉/招聘」することによって、勝手にその人たちが住みつくようになって、結果的に文化が引き継がれていくし観光が生まれていくし、まちができていく。結論、そういうことなんじゃないかな。

うなぎの寝床 旧丸林本家 織元・縫製工場と共につくるオリジナル商品のMONPE

編集後記

取材したこの日は白水さんが仕事の延長線で、私の住む兵庫豊岡に足を運んでくれました。豊岡は柳行李というカバンに始まり、布・革・ジェラルミンなど素材を問わずカバンづくりを盛んにしてきた産地としての歴史を持っています。そこでカバン会社はもちろん、豊岡の文化やまちづくりに携わる各所を丸一日案内して、ひと息ついたところでこの話を伺いました。最後に豊岡の話題がでてくるのはそういうわけです。

話の中で白水さんもご自身で発見だと言われていましたが、「出てくる数字や事実としては違わなかったとしても、意識の持ち方次第で消費にもなりえるし文化にもなりえる」、この言葉はたいへんに繊細な示唆を与えてくれます。地域文化、また観光に携わる人たちの「意識」が、その文化を生かすも殺すも決めていくというのです。

文化が受け継がれていくには、経済的な循環が適切に巡っていくことも大切です。その際数字に目標を立てて求めることも必要でしょう。しかしその数字は単に数字なのではなく、「意識」を帯びている。どのような意識で、何をもってその文化を取りあつかい、人々に届けていくのか。

けっしてむずかしいことではなく、言い換えれば携わる人たちの「思い」がちゃんとそこにはあらわれ出てくるのです。

関連リンク

◎うなぎの寝床

https://unagino-nedoko.net

◎文化庁文化観光高付加価値化リサーチ

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93705701_01.pdf

◎文化観光リサーチでの白水さんへのインタビュー

https://note.com/session5/n/n97d80259f77f?magazine_key=m62f039cf6057

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北海道白老町を旅する その2 https://craftweek.jp/column/71222 Tue, 09 Apr 2024 15:08:24 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=71222 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。


その1」に引き続き、北海道白老町での対談記事をお届けします。「その2」では、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんにお話を伺いました。

取材日:2023年7月12日

菊地夫妻(haku hostel + cafe bar)に聞く

菊地辰徳 きくち たつのり 株式会社haku 代表取締役

千葉県船橋市出身。米国で環境学を修め現地の環境コンサルティング会社にて環境監査・環境トレーニングの業務に従事。その後、国内の経営コンサルティング会社や東北大学大学院環境科学研究科の研究員を経て、環境/CSRコンサルタントとして企業のCSR経営を支援する。2013年に長年馬術を通じて関わってきた馬と暮らすこれからの持続可能なライフスタイルを実現するために、東京から岩手県遠野市へ移住、馬と暮らし始める。その後2017年に北海道白老町に家族(妻子、馬2頭、猫5匹)と移り、廃業した旅館をリノベーションして2019年にhaku hostel + cafe barを開業。現在も施設を経営しつつ、馬を活かしたコミュニティつくりも並行して推進している。

菊地恵実子 きくち えみこ haku hostel +cafe barディレクター

愛媛県出身。大学時代をアメリカで過ごす。東京での生活を経て、岩手県移住と同時に結婚。3年後、さらに北海道白老郡に移住。2019年4月、夫と共にホステルを開業する。8歳の娘と、猫6匹、馬2頭と暮らす。
夫と友人たちと共同でビール工場「THE OLD GREY BREWERY」を、開業。また、同敷地内にギャラリーとショップをオープン。

菊地恵実子

私たちは、6年前に岩手県の遠野から馬を連れて白老町に引っ越してきました。その前は東京、さらに前はアメリカの大学に通っていました。

酒井

この6年で白老のまちの変化をなにか感じますか?

菊地恵実子

いちばん大きいのはウポポイができたことかな。

菊地辰徳

商店街にシャッターが閉じたままの空き店舗が減ったかな。
このhakuも空き旅館を改修したんです。新しいお店もすこし増えたし民泊やアパートもできました。星野リゾートもできましたしね。ウポポイの波及効果だと思います。

地方ではなかなかないですよね。人口はどんどん勢いよく減ってるけど、関係人口は増えているような気がします。

酒井

お二人もhakuのようなうつくしい空間づくりをされるのだから、文化的なものにこれまで多く触れてこられたのだろうと感じます。入り口にあたるこのカフェの空間に入ってきたときに、魅力的な空間が身体に向かって立ち上がってくるのを五感で感じました。思いをもってつくられているからこその、落ち着きを感じます。

菊地恵実子

嬉しいです。

菊地辰徳

文化的なものごとが好きなのだと思います。手仕事のものや、アート、うつくしいものへのこだわりをもちながら、宿をつくるときにもできる限り美意識を大切にしました。白老町には、こうした施設(ホステル&カフェバー)はなかったですから。
若い地元の人でもここで働きたいという人がいます。新しい職の選択肢をつくれたことはやってよかったなと思うことの一つです。

haku hostel + cafe bar の店内。近所の方が仕事をしに来られている姿も。
菊地恵実子

新しくビール工場とアートギャラリーも作っています。ギャラリーでは作家もののうつわなども紹介していきます。

菊地辰徳

展示スペースだけで70畳くらい。昔のスーパーの跡地の鉄骨の物件を改修しています。天井高は3メートルくらいですが、8メートルくらいの壁面もあるので大型の作品も展示できます。

酒井

アーティストを皮切りに、これから感度の高い人たちが集まってくる町になりそうです。

菊地辰徳

もちろんアートと聞いて全員がすんなり入ってくるわけではないですが、ウポポイや飛生アートコミュニティなど、文化芸術の文脈で取組みを推進するための物語がちゃんと息づいている町です。

酒井

積み重なっていく場所のあることが大事ですから、新しく作られるギャラリーもこの宿も積層していく空間になっていくといいですよね。

菊地辰徳

木野さんが長く携わっている飛生アートコミュニティーが主催する「飛生芸術祭」にも、わざわざそのために訪れる人たちがいますから、アートには人を呼び寄せる力があると感じます。いい意味でお客さんも選びますしね。
観光地だと誰でも来てしまうけれど、アートを眼目とすると比較的感度の高い来訪者が多い。そのため変に町が消費されないでいられます。
「ROOTS & ARTS SHIRAOI」の開催時期には町の雰囲気がよくなるのを感じます。

酒井

いきなり大勢が押しかけるようなことを目指すのではなく、リピーターになってくれる人を作っていくのがいいですよね。イベントをきっかけにこの町に訪れてすごく好きになったから、イベントじゃないときにもまた来たいとなるような。

菊地辰徳

徐々に町にコンテンツやストーリーが増えてきていて、町の人たちもアルバイトとして手伝うなど、すこしずつ関わってくれるようになってきました。「『ROOTS & ARTS SHIRAOI』を手伝ってるんだってね」、と会話になるだけでも接点ができますから。

木野

前例がなかったような文化芸術の多種多様な取組みが行われることへ、町民の賛同や理解が集まっていくには時間がかかることだと思います。地道な活動や対話を軸の中で、hakuが関わっているなら興味があるな、というように町の方々にとってhakuが関心の入口になっていることは、とても助かっています。これまでにhakuといろんな形の企画やプロジェクトを協働してきた甲斐もあります。

酒井

町がひらけるまでの期間は、孤立無援のように本当に限られたプレイヤーがいるだけなんですよね。でもだんだんそこに人が集まっていく。
最初にいる人たちが、それからの町にとっての突破口になっていくのです。さまざまな地域でそうしたケースをみてきました。

菊地辰徳

町は簡単には変わらなくても、関係者がずっと町にいつづけることで、その関係者とのコミュニケーションを通じて町の印象が少しずつ変化している気がします。

酒井

そうしているうちに町自体の風通しがよくなっていって、町が勝手に変わっていくのではないでしょうか。

菊地辰徳

議会とかの重たいところから変えていくのみならず、フットワークの軽いところからも変えていけたらいいですよね。


木野哲也さん(ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクター)に聞く

木野哲也 きの てつや  ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター / 飛生アートコミュニティーディレクター

森・人・作品との共生、学びと集いと創造の場づくりとして2011年より「飛生の森づくり」を有志たちとスタート。年に一度の村(森)開きと位置づけ、森と校舎での展覧会を行い町内外の人々と交流する「飛生芸術祭」。地域の有形無形資源×多様な第三者をテーマに、カルチャー&アートツーリズムを地域に生み出すプロジェクト「白老文化芸術共創 ─ROOTS&ARTS SHIRAOI─」、伝統と創造を敬愛するプロダクト創作チーム「いぶり工藝舎」などの立ち上げ、ディレクションに携わる。近年、札幌都心部隣接の里山エリアで共同農園(Farm Collective)を開始。

木野

1986年3月に飛生小学校が廃校になって、翌4月には当時若手のアーティスト、彫刻家や家具職人、音楽家などが集まり、「飛生アートコミュニティー」が創立されました。彼ら第一世代の多くは70代、僕らはいわば第二世代です。

第二世代が始めた飛生の森づくりの「15ヵ条」

創設者の一人である彫刻家の國松明日香さんのご子息の国松希根太くんは僕の友人のアーティストで、彼との出会いから二世代目にあたる僕らの代表的なプロジェクト「飛生の森づくりプロジェクト」が始まったのが2011年。その少し前の2009年から毎年「飛生芸術祭」が継続開催されています。

木造平屋、教室が3つの小さな旧校舎は、コミュニティメンバーによって大切にメンテ維持管理されている

国松くんとの出会いは僕が2003年に札幌で企画したライブイベントに希根太くんが観客として来ていたのです。アーティストの鈴木ヒラクのLIVEドローイングと、ラッパーのSHUREN THE FIREのJAZZ BANDとの即興セッションイベントでした。

希根太くんとはすぐ意気投合して仲良くなって、次の日には札幌芸術の森へコンテンポラリーダンスを一緒に観にいくようなノリでした。彼が白老の飛生にアトリエを構えて作品をつくっていると聞いて、そのフレーズがすごく響いたんです。まもなくそこへ遊びにいってから、今に至るということですね。

飛生アートコミュニティー現代表の国松希根太さんのアトリエとなっている体育館
酒井

遊びにいってから今に至る、って飛び方がいいですね。10数年の時を超えて、流れのままにそうなっちゃった、という感じがして。

木野

そうそう。本当にそうです。
飛生小学校の校舎裏には、学校林という森があります。ちいさなちいさな学校のちいさなちいさな森です。当時の飛生小学校ではその森に子どもたちを連れ出して、鳥や自然に関する授業をしていたとの資料も出てきました。そういうリサーチも徐々に重ねています。

飛生の山で採られた根曲り竹による、森の入口の作品(石川大峰作)

第一世代の方々は主に校舎中心に活動してこられた経緯もあり、森は廃校以来25年くらい放置されていたのですが、世代を超えて再び人が集い、出会い、交流できる場を作ろうという思いから、2011年に「飛生の森づくりプロジェクト」が始まりました。まず校舎から出て森に一本の道をつくるところからのスタートでした。

森づくりプロジェクトは毎月4月から10月まで月に1〜2回、多い月は3回集まって、主に森の中で創作をしたり周囲の環境や校舎の整備を協働する活動です。
最初は数名の知り合い中心だった作業活動が、徐々に町内やいろいろな地域から人が参加するようになり、今では多いときで子どもたちを含めて50〜60人くらいが集まって作業する日もあります。

人が出会って、協働して、共に学び、汗をかいて、語り合って、温泉に入って、ご飯を食べる。そんなルーティンの森づくりコミュニティの活動が続いています。衣食住をまるっと共にして過ごす。この10数年のあいだにメンバーたちに子どもも生まれて、やがてその子たちが大きくなっていく、その時間経過もぜんぶここにある。
飛生の校舎と森という場所を軸として、定期的に集まっていっしょに過ごしながら、森づくり、作品づくり、人づくりのどれもが同時に進んでいるんです。

森づくりプロジェクトから生まれた協働作品が森のあちこちに点在している

「飛生の森づくり(2011〜)」と同時に「飛生芸術祭(2009〜)」の前夜祭として「TOBIU CAMP(2011〜)」も始めました。
アート、音楽、ダンス、影絵、人形劇、演劇やフィルム上映などさまざまな表現分野が交差、横断しあって、舞台ステージの有無にかかわらず、360°丸ごと森と校舎と周囲牧草地が舞台。

ある年のTOBIU CAMPに、一昼夜で2千人近くの来場がありました。多分野にわたるたくさんの出演者、継続・発展させてきた数々の演出、空間づくりにも強い手応えがあったのですが、その時点で自分たちが当初から描き続けてきた目指すカタチ、望み想像してきたものを超えてしまった。描いてきたビジョンを遥かに超えたからこそ、ここでいちどストップさせて、自分たちコミュニティ活動の充実を図ろう、いったん元に戻そうと、メンバーたちで話し合ってきました。
とても前向きな意味でちいさく変化していく進化がいいよね
と。

酒井

鹿児島南九州市の廃校であった「リバーバンク森の学校」を舞台にした、「グッドネイバーズ・ジャンボリー」を思い出します。やはり来場者数が増えすぎて、やりたいことの形に沿わなくなってしまうから、ちいさな規模でより豊かなことをしていこう、と。

木野

2019年に「好きなレコード持ってきました」という奈良美智さんとの企画でゲストでお呼びした岡本仁さんが同じことを仰っていました。「グッドネイバーズ・ジャンボリー」をやっている坂口さんがここに来たいと言っているみたいで、俺も鹿児島に行きたくて。

酒井

二、三十代の世代にとっては、ちいさな規模でより豊かなことを、という価値観をもつことも一般的になりつつあると感じます。

佐藤雄大さん(白老町議会議員)に聞く

佐藤雄大さとう ゆうだい 白老町議会議員

1992年白老町生まれ、白老町育ち。
学生時代「俺たちが白老を変える」という白老町専用メディアを運営。(現在はおれしらFM)その後作業療法士として病院勤務の後、2019年26歳で白老町議会議員に当選。現在も議員を続けながら、白老文化芸術共創実行委員会事務局、白老東高校地域コーディネーター、水泳療育アドバイザー等、白老町を中心に活動中。

佐藤

観光呼び込みが成功して何百万人来ましたというよりも、1万5千人の町人が1人ずつ呼んできた1万5千人の方がより深く関係人口になるんですよね。関係人口もランク別に分かれると思っていて、年に2回来る人と年に10回来る人とでは呼びかたが違っていていいはずです。
僕もまずは自分が目的地になれたらという意識を持っています。

酒井

この町のことを好きな人を訪ねてきて、その人に案内してもらったら、もう町への好きな要素しかないじゃないですか。地元のおいしいもの食べさせてもらって、魅力的な人たちにたくさん会わせてもらって、「これはまた来るしかない」ってなりますよ。

佐藤

熱量みたいなものがね。

酒井

はい、熱量って伝播していくから。作品もだし、人もだし、出会っていくことがそのまま熱量を持ち帰ることになる。

町の人たちが外から来た人たちと出会える場所があると、町のよさに気づくきっかけになっていきますよね。
同時に外から来た人たちも、町の人たちとの出会いに感動をおぼえるかもしれない。

最初はお互いにどうコミュニケーションを取ればいいのか戸惑うかもしれないけれど、町の人たちが日常の延長線上で当たり前に会話をしているところに、外の人たちが共にいられる場があったら、まずはそれだけでいい。
会話の糸口がどこかでみつかれば、町の人たちと外から来た人たちが交流する循環が生じる。ある突破点のようなものがあるはずなんですよね。

佐藤

町の魅力を知っている人に「友達を1人呼んできて」と言って実現できたら、どんどん自分ごとになって、町はもっと活気づいていくはずなんですよね。

酒井

今回はたった半日でしたが、町のさまざまなところを見せていただいて、ここから起爆剤になっていく要素がたくさんあるなと感じました。
こうやって、町はひらけていくのだな、町としてのいい深みを持っていくのだろうな、と。

佐藤

ここからです。白老は本当にポテンシャルが高い町なんです。北海道でも山しかない町、海しかない町がたくさんあります。白老みたいにハイブリッドで山も海も温泉もあって、なんでもあるところは意外とめずらしい。そのポテンシャルにまだ気づいていない方が多い印象はあります。まだまだここからです。

酒井さんも今日はざっくり見られたかと思いますが、楽しいことはほかにもめちゃめちゃありますから。またもっと満喫しにきてください。

酒井

ここで一日ぼーっとしているだけでも、満ち足りた気分になりますね。

佐藤

ちょうどアーティストがこのあたりで巨木を立ててトーテムポールのようにしようと計画しています。音がいいよね、と。海の音と、鳥の鳴き声。それだけを聴きながら、巨木と向き合えるのがいい、と言っていました。


編集後記

はじめて訪れた白老は、旅のコーディネートをしてくださった木野哲也さんのおかげもあって、一日で見てまわったとは思えないくらい充実した出会いと学びを満喫した旅でした。各地で文化観光にまつわるインタビューをしている過程で、こうした旅がまさにそのまま文化観光のひとつの形であることに気づかされます。その土地に暮らしている人たちと出会い、その人の暮らしになくてはならない地域の文化圏をともにめぐり、そこからまたべつの人に出会う。するとその地域の人びとのありかた、土地の歴史が自然とみえてくるのです。お仕着せの文化ではなく、今を息づく文化をそこに生きる人とともに歩く。

今回の白老町の記事は、取材した2023年7月から8カ月経っての公開となり、その間にもさまざまな出来事がありました。たとえば2023年9月1日~10月9日には「ルーツ&アーツしらおい」が開催され、アートをメインに多彩な企画が催されました。「haku hostel +cafe bar」は、よりゆったりと滞在者が過ごせるようにカフェバーを宿泊者専用ラウンジにしました。2023年12月には通りの向かいに「haku 生活洋品店」という新しいお店がオープンしました。

動き始める地域というのはほんとうに変化がはやく、まちの内外の状況にあわせて新たな試みに柔軟に取り組んでいきます。白老もそうしたまちのひとつで、つぎに訪れる際にはどんな変貌を遂げているのかとわくわくします。訪れる地域との関わりができて、時を経ていずれ再訪したときにその変化をたのしむのもまた、文化観光のダイナミズムのひとつかもしれません。

関連する文化施設・体験のご案内

ROOTS & ARTS SHIRAOI

北海道白老郡白老町大町2丁目3−10
https://www.shi-ra-oi.jp/

飛生アートコミュニティー 

北海道白老郡白老町字竹浦520
https://tobiu.com/

haku hostel + cafe bar

北海道白老郡白老町大町3丁目1−7
https://hakuhostel.com/

スーパーくまがい

北海道白老郡白老町本町1丁目9−41
https://www.instagram.com/superkumagai/ 

ファミリー居酒屋河庄

北海道白老郡白老町大町3丁目10−7
https://www.instagram.com/kawasho_izakaya/ 

白老観光協会 ポロトミンタラ 

北海道白老郡白老町若草町1丁目1-21番21号
https://shiraoi.net/porotomintar/

仙台藩白老元陣屋資料館

北海道白老郡白老町陣屋町681−4
https://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/docs/page2020062800019.html

THE OLD GREY BREWERY

北海道白老郡白老町大町3丁目4-11
https://www.theoldgrey.com/

またたび文庫

北海道白老郡白老町大町3丁目9−11
https://matatabi-bunko.stores.jp/

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北海道白老町を旅する その1 https://craftweek.jp/column/71190 Sun, 10 Mar 2024 02:43:48 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=71190 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。


今回訪れた北海道白老町しらおいちょうは、白老文化観光推進実行委員会の木野哲也さんに旅の行程をコーディネートしていただきながら、白老の駅前商店街から森の奥の廃校、文化観光を主軸とした芸術祭の舞台でもある海岸沿いまで魅力あふれるエリアをみてきました。

対話させていただいたのは、白老文化観光推進実行委員会のみなさま、白老町役場産業経済課課長の工藤智寿さん、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんです。今回は旅をしていくように白老に住むさまざまな方の声をお届けします。

取材日:2023年7月12日

白老文化観光推進実行委員会事務所にて
顧問 神戸典臣さん[元北海道議会議長]
会長 熊谷威二さん[白老町商工会会長、株式会社熊谷商店会長]
副会長 吉村智さん
委員 粂田正博さん[白老町町内会連合会会長]
委員・企画統括ディレクター 木野哲也さん[ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクター]
委員・事務局マネージャー・地域コーディネーター 佐藤雄大さん[白老町議会議員]

「ウポポイしかないまち」ではなく、「ウポポイ『も』あるまち」に

酒井

お集まりのところ貴重なお時間を割いてくださり、お話を伺う機会をいただきありがとうございます。
2020年4月に公布された文化観光推進法(※1) を受けて、国として「文化観光」の取組みが行われるようになりました。主には文化庁や観光庁が各地域の行政や事業者を公募して予算を配分しています。
採択した事業にただ予算をつけてあとは地域に丸投げというのではなく、国としてもっとできることがあるのではないか、国の取組みが地域にもっと寄り添える方法があるのではないか、という動きがそこで生まれました。その一環として「文化観光」を実践するうえでどのような要素が地域に必要なのかを、きちんと言葉にしていく必要があるという発想から、文化庁に委託されて民間のリサーチチームが立ち上がりました。
「文化観光高付加価値化リサーチチーム」では、全国のさまざまな地域をリサーチしつつ、「文化観光」という国の取組みが始まる前からそうした活動をしてきているまちを訪れ、関わってきた人たちの声を直接聞いてきました。そこから大切にしたい5つの視点を導きだしての考察、その視点の元となった37名の方々のインタビューをまとめ、レポートとしてオンラインで掲載されています(※2)。僕もリサーチチームのメンバーの一人としてほぼすべての取材先に同行し、レポートの執筆をしました。このレポートは一般の方々も読むことができるようになっています。
今日はこの「文化観光」を切り口として、白老町でのみなさんの取組みについてお話を伺えたらと思います。

木野

この場に集まっているみなさんは、白老で文化観光を推し進めていこうと立ち上げられた「白老文化観光推進実行委員会」の方々です。今日はちょうど事務所を開いた日で、みなさん集まっておられます。偶然にも酒井さんがいらっしゃるタイミングでしたので、これからの白老での文化観光の思いの共有をできればとお繋ぎしました。白老のまちで文化観光は新しい産業になるかもしれない、そういう大きな期待を抱いています。

熊谷

2020年に白老には国立の施設「ウポポイ」(正式名称は「民族共生象徴空間」といい、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設を有する)ができました。町にとってこれは大きなことですが、白老が「ウポポイしかないまち」だと言われるのではなく、「ウポポイ『も』あるまち」にしていくにはどうすればいいのかを考えましてね。「町を楽しんでもらうにはロングランのイベントをするのがいい、それでは町のなかで長期的に継続していける文化観光の取組みをしていこう」というのが実行委員会の立ち上げのきっかけです。
この町にわれわれはずっと住んでいるので、特に何がある町というわけでもないとつい思ってしまうのですが、他の土地から来る人たちに言わせると本当にいろんなものがあるという。「海もあり山もあり滝もあり温泉もある、こんないい町はないよ」と言われましてね。われわれが気づかない、町に眠っている原石がいっぱいあるんだなと思いました。これを鋭い視点をお持ちの芸術家の方々に見つけて磨いてもらって、原石をダイヤモンドにしていければ、もっとすばらしい町になっていくんじゃないか、それが町の経済の発展にも繋がっていくのではないかと思うのです。
白老町は1985年に2万4千人いた人口が、現在では1万5千人を切っております。地元で商売をやっている者にとっては、人口が減ることはそのまま売上減に繋がってしまう。イベントを開催することで関係人口を増やして商売にも結びつけたい、正直に言えばそういう目論見もあります。
だから芸術という崇高で純粋な思いからだけではなくてね、白老に眠っている宝物をいかに磨いていけるだろうかと、どうすればそれがみんなの目に触れる形になって町の活性化に繋げていけるだろうかと、そんな思いで実行委員会を立ち上げ芸術祭を始めました。

酒井

原石を磨きあげてダイヤモンドにしていく。本当にその通りで、すばらしい言葉だと思いながらお聞きしました。外から来た人たちの視点で、まちのなかに「ここが光ってるよ」というところをみつけていくことができるわけですね。生まれ育った人たちにとっては当たり前の景色かもしれないけれど、「そこが好きなのだったら、こういう場所もあるよ」と広がっていく。そうして地元の人しか知らないようなところにも連れていってもらえるようになる。すると磨き上げられたダイヤモンドが結びあって、星座のようになってまち全体で輝きはじめます。そうなれば中心となる拠点、たとえば「ウポポイしかない」という発想ではなく、まちのなかの他に輝きをもつ場所へも自然と回遊していくようになります。
外から来た人たちははるばる遠くまで訪れてきているのですから、まちのなかでさまざまな場所を巡ることは苦ではないのです。たとえまちの外れであったり、地元民にとっては生活圏ではないようなところであっても、そこに光るものがあれば足を向けます。人が住まなくなった家は風が通らなくてどんどん朽ちていくじゃないですか。同じように、まちもいろんなところに風を通していく必要があるのです。家の木が風を吸って生き返っていくように、まちもまた、生きたものとして人の目に触れられ、足を運んでもらうことが大事です。まちに住む人たちにとっても、自分たちが当たり前に見ている景色を、外から来た人が美しいといってくれることで、まちへの誇りを高めていくのではないかと思います。

自分たちの手でおこなう、自分たちのまちづくり

神戸

白老は古くは漁村だったのですが、大昭和製紙の工場ができてからまったく別のまちづくりをしはじめた。そのときからまちづくりとはこうすれば楽にできるのか、という感覚が生じてしまい、いまだにその感覚に浸っている土地です。自分たちで苦労しなくても、周りがなんとなくどうにかしてくれると思っている。まちづくりは大事だけれど、誰が主導して根づかせるかという問題がある。この町では「誰かがやってくれる」という意識が拭えないんです。

木野

自分の町だけど、どこか他人事みたいなところがあるという感じですね。

熊谷

神戸先生が仰ったように、大昭和製紙ができてさ、旭化成ができてさ、この小さい町に上場一部の大きな会社が二つもできたわけだよ。そうすればわれわれが何も努力しなくたってどんどんどんどん人口は増えるわ、町は大きくなっていくわで、だからこっちは腕組んでみてりゃそれでいいという感覚は確かにありましたよね。今こうして旭化成がなくなり、大昭和製紙も日本製紙になって、このままじゃだめだよなという現実がちょうど意識されはじめたのが、今の白老だと思うんだわ。これから本当の、住民の手で主体的につくっていくまちづくりが始まっていくんだろうと思いました。

吉村

温泉もそうでね。温泉付き住宅というのをたくさん建てて、定年退職者が老後をそこで過ごすというリッチな発想でPRをしてきました。その人たちの子供たちがそのままそこに残っていたらいいんだけども、結局就職先が少ないから子供たちは町外へ出て行ってしまうんです。老夫婦だけが残って、白老町の中でも有数の高齢者地域になっています。片方が亡くなるともう住めないというので空き家になっている家もたくさんあります。

神戸

町長選があって町長が変わった。この10月には町議選があって、また別のメンバーが出てくる。役場の雰囲気は今年中に変わりそうな可能性があります。役場が行政の窓口として住民とどういう話し方をするか、どういう種を吸い上げようとするか、そういう変化があればね、町ってのは変わるんですよ。

酒井

僕は3年前に兵庫県豊岡市に引っ越してから、東京に暮らしていた頃には感じられなかった、議会や行政と自身の生活との密接な結びつきを実感するようになりました。でもそれもやはり外から来たから感じられることでもあって、まちに生まれ育っていたらなかなか意識しないのかもしれません。議会や行政と関係を持ち続けてきた人たちだけが繋がっていて、新しい声が入りづらい。まちのことは誰かに任せておけばいいという昔の発想のままで進んできているところがあるのはそういうことなのかと思うのです。
神戸さんがまさにその部分に変わる可能性を感じていらっしゃるのは、白老のまちにとってすごく大きなことなのではないかと思います。まちに限界を感じる誰かがいることが、まちが変わっていく端緒となっていく地域はたくさんあります。

神戸

ウポポイをきっかけに応援団をつくってね、いろんな業界に呼びかけをして白老を盛り上げようや、ということをやってきています。予算づけもしている。しかし問題は白老で暮らす私たちがこの状況を材料にしてどういう動き方をしていけるか。それはこれからだ。

酒井

ブレイクスルーして人が増える瞬間があって、「このまちで何かが起こっているらしい」と聞きつけて、人が人を呼ぶように情報の早い若い人たちがやってくる段階があります。そのときに若い人たち同士で固まってしまうのではなく、まちのひとたちと繋がることが大事だと思っています。古くからの喫茶店や居酒屋などで出会うことのできる、地元のじっちゃんばっちゃんとちゃんと交流が生まれて、また地元に帰ってきたよ、といえるような関係性が築かれること。それは若い人たちにとって大きな意味を持ちます。なぜなら今の若い世代は核家族の家庭で育っていることが多く、じっちゃんばっちゃんの世代との交流をあまり経験してきていないからです。心の拠り所になるような、世代を超えた関わり。利害関係もなく、ただ「よく来たね」と言ってくれる存在。旅行先や移住先でそんな出会いがあると、「ここが故郷だ」と思えるようになります。

文化は「くらし」そのもの。受け継いでいく「思い」との出会い

木野

ここも地域の高齢化率が高いのですが、せっかくだからそれを面白おかしく捉えてもいいかと思うのです。若い子を受け入れられるじっちゃんばっちゃんがいつでもいっぱいいる。やってきた若い子たちが白老のことを知りたいといったら、いくらでも喋れる人がたくさんいます。そんな接点を作ることができるのがきっと文化の力なんですよね。

熊谷

そうそう。文化っていうのはアートとかだけじゃない。精神的なものも文化なんですよね。白老は太平洋側に約25キロメートルの長い海岸線があって、森林は面積の8割を占めています。北の地域と南の地域では文化もまったく違う。新しい町長になってからタウンミーティングというのを設けて話を聞く場ができました。精神的な文化が表に出てきて、われわれのような委員会がどうやってその文化をアピールしていくか。外から来た人たちにも楽しんでもらって協力してもらう、そんな進め方をしていければと思っているのです。

酒井

文化は精神的なことだというのは本当にそうですね。思いを受け継いでいくものとして、文化はあるのだと思います。アートというと高尚な触れ難いもの、自分とは関わりのないものと思われてしまうことも多いかもしれません。しかし「文化」という言葉を置いたとき、その文化とは「生活の中でしていることそのもの」です。服を着ていること、まちを歩くこと、日々食べているもの、すべてが文化です。その広い「文化」というくくりの中で、なんでもありというのではなく、「思いを受け継いでいくもの」という枠組みをつくったときに価値が生じます。若い人が来たときにそうした思いを受け継いでいかないと、文化が分断されて、住んでいるまちへの誇りも見えづらくなってしまいます。このまちにある文化を話してくれる人たちがいて、それを聴きとる人たちがいるといった、このまちの文化を生かしていくための相互の作用をいかに起こしていけるかです。
「文化観光」を掲げたときにもただ観光コンテンツを体験してもらうのではなく、このまちで大切にしてきた文化を思いとして受け継いでくれる出会いがある、と考えられたら素敵ではないでしょうか。営まれてきた生活に出会い、そのなかで培われた文化が外から来た人たちに手渡される。そんな巡りが起こっていくといいと思っています。

外から来た人と、地域の資源であるヒト・モノ・コトとの相互作用

木野

白老文化観光推進実行委員会では毎年開催する芸術祭の名前を「ROOTS & ARTS SHIRAOI – 白老文化芸術共創」と掲げています。その「ROOTS」に込められている思いは、過去や歴史的資源のみならず、まさに現行の暮らしや生活文化そのものです。おばあちゃんの昔ばなしや思い出、タンスの奥底に眠っている古い写真。それらも大事な白老の資源です。「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」(※3) や「歩いて巡る屋外写真展 虎杖浜・アヨロ/社台」(※4) を開催してきたのは、そういう思いからです。

「ROOTS & ARTS SHIRAOI」に来られるアーティストとは、地域と向き合うスタンスの話を最初からしています。地域に寄り添ったプロジェクトをしていくことにはみんなほぼ賛同してくれます。アーティストが白老にレジデンスするのはせいぜい数週間から一ヶ月くらいですからね。地域のことを知った気になんかなれないし、語れないから。作品をつくるにあたっても、いっしょに風呂入って飯食って、そういう関係を築けるのが大事です。新しい人たちがどかどかとやってきて新しいことをやるのではなく、多様な有形無形の白老の資源を扱っていくことをしたいのです。

だから僕らは「地域資源×多様な第三者」をテーマに掲げています。いろんな人が地域の資源であるヒト・モノ・コトに出会っていくのがおもしろいのです。それらの地域の資源が、なにかの形として表現されたりプロジェクトになって形が与えられたとき、誰もが触れられるようになる。形ある作品でなくても、子どもたちと音楽や舞台を作ったっていい。おもしろい、楽しいと思ったものが自然と継承されていって、学校の総合学習に組み込まれていってもいいし、地元の「スーパーくまがい」の展示ブースのひとつになってもいい。いくらでも可能性があります。

広げていったら、あらゆる人が関われるのが文化です。子どももおじいちゃんおばあちゃんも障がいのある人もです。経済優先となるとお金の計算ばかりで、優劣や競争などいろんな亀裂が人々の心に生じてしまうけれど、文化という母船には誰もが乗り込める可能性と、誰でも受け容れる深い懐があります。時間はかかるけれど、固有で多様なこの町の文化が観光資源に発展していって、最終的に経済も付いて回っていけばもっといい。「この船には、いつでも誰でも乗っかっていいんだよ」というメッセージをどうやって広めていけるかがこれからかなと思います。

熊谷

写真展とか、それこそ眠ってたものがさ、燦々さんさんと輝いているんだからすごいよ。

木野

2021年から開催してきた屋外写真展は、町内の昭和30〜40年代の古い写真を集めてきて、白老町の東端にある社台しゃだいと、西端にある虎杖浜こじょうはま・アヨロの屋外の倉庫やコンテナ、廃屋の壁面を活用し展示しています。海岸沿いの集落で働く人たちの日常の姿。かつては何気ない風景だったものが、今ではもう存在していない。けれど住んでいる地域のなかに大判の写真がずらっと展観されることで、土地の記憶がふたたびよみがえってきます。

歩いて巡る屋外写真展 社台エリア

当初決めていた展示期間が終わった後も、「写真たちをそのまま残したい」という声がたくさんのまちの人たちから挙がったことにはすごく驚き、とても嬉しい気持ちになりました。残すのなら、その意志も責任もメンテナンス技術もすべて地元に手渡していく必要を感じました。地区のゴミ拾いなんかといっしょにメンテナンスをしてもらえたらいい。写真の上からローラーで年に2回くらい継続的に保護塗料を塗っておけば維持できるもので、子供も高齢者でも誰もが加われる活動として育っていってほしい。

永久に残るものではないけれど、しばらくの年数は残しつづけることができます。作業を手伝ってくれた高校生たちが成人を過ぎてからまちに戻ってきて「これ俺たちがやったんだぜ」と言えたらいい。自分を主語にして伝えてほしい。まちにハレの場を出現させる思考だけじゃなく、そういう地道な積み重ねかなと思います。

熊谷

やってみることは大事でね。これからの課題としてはいかに町民を巻き込んでいくかですよね。

吉村

それはわれわれの仕事でもあるんだよね。知ってる人が知らない人にPRしていくことが大きな役目のひとつだ。

木野

僕ら実行委員会の現実の苦しい部分として、地元から協賛金を集めるような、地道な理解賛同へ向けた活動があります。メッセージを企業や住民に伝え届けるには、白老に長らく住んでおられる方々のお力も借りする必要もあるでしょう。人は性質として、自分の興味のあることにしかアンテナを向けないものですから、僕たちの文化観光活動に対しても勝手にやっているんだろうと思われてしまうことはどうしても生じます。
でも、そういった意見を持つまちの人と面と向かって話をしてみると、結果的に「いいことやってるじゃん」「応援するよ」と思ってくれることも、きっとこれから多々あるはずなのです。

熊谷

だけど社台や虎杖浜で写真展をやってみてさ、理解度はすごい増えたんじゃない?

木野

住民の方々はすごく喜んでくださいましたね。剥がす予定だった写真を残そうという方向が生まれて、地元高校生との協働作業に新聞記者が取材に来てくれたり、全国ニュースで報道されたり。
もう一つの写真展のエリアである社台には、白老住人でも知らない護岸の徒歩コースがあるんです。注目を浴びることでそこへ行ってみようと思うようになる。
まず町の人に知ってもらうことが嬉しいですよね。こんな気持ちのいい場所があったのか、って。でも外から来る観光客にはアクセスが厳しいから、じゃあ交通アクセスの向上をどうしたらいいかを考えはじめるとかね。そうやって企画や構想に繋がっていくと思うのです。

熊谷

それこそ社台と虎杖浜は、これひとつできっかけになって、接点ができたわけだよ。

木野

観光の観点でも、町の東西の端の集落でのプロジェクトが偶然と必然が合わさって実現できました。両サイドを押さえたら、あとは町の中を回遊するしかない。

白老の土地、土地に息づく文化を縦横無尽に巡り楽しめる観光ができる方法がないかと思い続けてきました。ウポポイだけじゃないぞ、この町はって。ウポポイ「も」あるまちですから。

工藤智寿さん(白老町産業経済課課長)に聞く

工藤智寿[北海道白老町産業経済課課長]
1991年4月白老町役場入庁、2016年4月同町役場上下水道課長、2018年4月企画課長を経て、2021年4月から現職。
工藤

北海道という土地柄、アイヌの血を継ぐ方々もおり、各地から入植されてきた方々もおり、ともに暮らしております。とくに白老は、江戸時代にロシアの南下政策に対抗するために仙台藩から送られてきた方々が築いてきた歴史をもっています。

過去の資料を読んでいくと、当時白老しらおいに住まれていたアイヌの方々と仙台の方々はうまく共生していたようです。また本格的に開拓が始まって各地から多くの入植があってからも、地域の中でいい関係を築いていたようです。アイヌ、北方警備、仙台陣営それぞれの方々、昭和になってからは大昭和製紙の工場の方々、他の地域からの移住者とそれまで住んできた方々とのあいだで、共存のための工夫がさまざまにありました。

そうした歴史を経てきていますから、今でも来られる方々には手を広げてウェルカムなところが白老町にはあるのではないかと思います。なかなか本題に入れていませんが……

酒井

もうこれ自体が本題に入っていると思います。ぜひ続けてください。

工藤

国立のウポポイという施設も作られ、多文化共生といわれるようにもなりました。もともと白老にはそうした土壌があったのではないでしょうか。
文化ひとつをとってみても、アイヌの方々の生活様式、取り扱うもの、考え方、自然を大切にすることであったり、さまざまにあります。
これからもいろんな方々に外から来てもらって、白老のなかで取組みをしたいとおっしゃるときには、「もしうちのまちで使えるものがあったら、ぜひ使ってください」と伝えます。私個人ではなく、町民のみなさんもそう思っておられるでしょうから。

東京圏ではウポポイのコマーシャルが流れていて、認知もされてきているようです。ただウポポイが観光の誘致に成功していても、それがそのまま白老町という町への観光の誘致とイコールにはなっていないところがあります。
白老町としては、来てくださった方々がまちのなかでどのように広がっていくかが大事なことです。町としてPRがうまくないとよく言われますので、知ってもらえるようにもっと頑張りたいです。どんなちょっとしたことでも「来てよかったな」と思ってもらえたら、僕らの仕事は花マルなのです。

数字ばかりいうのもおかしいですが、2022年度は220万人の方々が白老町に来てくださって、ありがたいお話です。白老には観光産業で生計を立てている方もおられますし、お役所的に言うと経済波及効果が大事だというのも、仕事ですからやはり考えます。
観光に行こうというアクションを起こす動機って、人それぞれにたくさんあると思います。どうしてもこの海産物が食べたい人もいれば、スポーツ、歴史、文化、アートに興味がある人もいます。
文化だけにとらわれず、人が行動を起こす時の動機として選んでいただけるような町であったらいいなと思います。それこそ通り一辺倒な観光だけでなく、地域の方となにかをしてみたいというのもひとつですよね。繋がりができてリピートしたいとなって来られる方もいるでしょうから。

酒井

来訪したときのことが心に残ってまた次に繋がっていくんですよね。心に残るというのは、外から来た人にとってはほんのちょっとしたことなのかもしれません。喫茶店に入ったら常連さんが話しかけてくれて、そのうち店のママやマスターも加わって三人で話したときの会話だとか、妙になにげないことが心に残る。

ひらかれた場所があって、まちの人たちがふらっと話しかけてくれる。誰にとってもべつに負担になるわけではない。それが観光の入り口としてすごく魅力的なエピソードになります。心に残るちょっとしたことが、町の全体の印象として残っていくんです。「なんかよかったな、また行きたいな」と。

ただ観光施設を訪れるのもいいけれど、そこだけを目的にして来るのでは多くの場合は一度かぎりの来訪で終わってしまうから、継続的ではないのですよね。町の人たちが関わる余白があって、外の人たちが「町の人と出会った」という経験ができるかどうかが大事なことではないかと思います。

工藤

本当ですね。たくさんの会話でなくても、たまたま出会った人と何気ない会話を交わしたことを覚えていたりしますものね。自分が町の外に出て行った時のことを思い返してもそうですね。旅先のタクシーの運転手さんがすごくいい人で、町のいろんなことを話してくれたり。おもしろくて僕もたくさん聞いてしまって。
それが旅の記憶としてよかったなあと印象に残りました。そういうことがもっともっとできるようになるといいですよね。

酒井

さきほどスーパーくまがいに行ってきたのですが、鮮魚コーナーがすごくてびっくりしました。白老町内で漁獲された魚たち、それもめずらしいものから高級魚まで今日水揚げされた新鮮な魚たちが、あんなに安価な値段で売られている。
この魚を目当てに、自分で買って調理して食べるためにまた白老に来たい、と思えるほどのものでした。

工藤

はい。実際にいるんですよ、そういう人。隣町の苫小牧の職員さんもわざわざ買いに来られたりしますし、札幌のとある企業の社長さんも「あそこに行ったら発泡スチロールで何箱も買っていくんだ」といわれるのを聞いたことがあります。

酒井

まさかそんなところに?という思わぬ場所にニーズがあったりするんです。

「スーパーくまがい外観」壁面には画家・吉田卓矢による作品『白老の夢』が描かれている
工藤

おっしゃる通りで、地元にいてわれわれだけでは気づかないこともたくさんあるのですよね。地域おこし協力隊で白老町に来てくれた方々も、われわれでは思いつかなかった発想をして、さまざまな形で地域おこしに取り組んでくれています。

2019年にオープンした「haku hostel & cafe+bar」を経営されている菊地さんは牧場で馬を飼い、クラフトビールづくりもはじめようとされています。
林さんが経営する「しらおいグランマ」という食堂は、地域のおばあちゃんおじいちゃんたちが採ってきた山菜で料理をつくって出してくれるところです。野草茶や蜂蜜を作ったりもしています。すごい人たちがいっぱいいます。
空き家を「またたび文庫」という本屋さんにした羽地さんも、駅周辺の空き物件で拠点づくりをしている安田くんも、みんなおもしろい人たちばかりです。

酒井

今回は「ROOTS & ARTS SHIRAOI」の取材もさせていただいています。こうした取組みは町の人たちに浸透していくのに時間がかかるものだと思うのですが、いかがでしょうか。
それというのも「芸術」や「アート」という言葉は、一般的には高尚なものと思われてしまいがちだからです。しかし日常の生活とも結びついている「文化」にフォーカスを当てるとおもしろくなっていきます。「ROOTS & ARTS SHIRAOI」ではかなり「文化」を大事なものとして扱っているように見受けられます。

工藤

町中に古い写真を展示するプロジェクトでは、われわれ以上に町民のみなさんが喜んでいる声をあちらこちらから聞きました。
とはいえ、おっしゃる通り何ごともすべて一度に受け入れられるわけではなくて、徐々に浸透していくものだという気がします。花火を打ち上げてそれで終わってしまうのではなく、すこしずつ浸透していくのがむしろいいのだろう、と。町民にとっても本当にいいねと思えるようになって、町の財産になっていくのです。
外から人を呼び込むにも「こんなことやっている白老おもしろそう、ちょっと寄ってみようか」というノリでもいいと思うのです。

「ROOTS & ARTS SHIRAOI」に関わる一部の方々は、これまでも「飛生とびうアートコミュニティー」という名前で、白老の山間地域である飛生で活動をしてこられていました。われわれもやれることをお手伝いしていけたらと何度かお話をしてきました。たとえば虎杖浜こじょうはま地区のアヨロ浜灯台をつかった光のアートを実現させるために、こういうところに相談に行ったらいいのではとざっくばらんなトークをしながら進めました。

酒井

役場との忌憚のないトークは民間からするとめちゃくちゃありがたいんですよ。町が管理している施設や、その使用申請は役場の方々の力なくしては進めていくことができないですから。

工藤

うちの役場はそんなに敷居高くないですよ!(笑)「どうすんのさあ」って言われて、「いやあちょっと待って!いまなんとか考えててできる方法あるかもしんないから!」と。

もちろんわれわれだけでは判断がつかないこともありますけれど、お気軽に相談していただければと思っています。せっかくいいことをやろうとしているのだから、われわれにできることはなんでもさせていただきます、という思いです。お互いに手を結べるような関係性を構築していきたいですね。

酒井

いろんな地域でお話を伺ってきても、町の行政の職員にそうした調整をするために人知れず動いてくださる方がいて、その職員と民間とでタッグを組むことがまちを大きく、また継続的に動かしていっていることを感じます。

行政ですから数年ごとに部署異動がありますが、工藤さんクラスの課長職ともなるとわりと長く同じ部署におられることも多いでしょう。そこで「彼らがやっていることであればわるいようにはならないから」と課長のゴーサインがひとつ出ると、それだけでもう多くのことが前に進んでいきますから。

工藤

「ROOTS & ARTS SHIRAOI」のみなさんに向けてだけでなく、うちの役場では過去にもいろんな取組みへのサポートを長くずっとやってきています。異動があって担当が変わっても、どんな方たちが来ても、一生懸命に取り組んでいるつもりです。
できることできないことはありますが、まずは相談に乗って「やれることはなんとか一緒にやりましょう」と言っています。白老にはそうした風土があるのではないかと感じます。

町民のみなさんの動きもとくにここ数年は活発で、その活動も町に浸透していっています。町としてはありがたいの一言に尽きます。みずからの企画でみずからが動いてくださるのですから。こういうことできないでしょうか、と聞かれたらぜひぜひやってくださいと伝えます。応援したいし、できることはお手伝いしたいです。

多くの方々が行き来して交流できるような環境になっていけば、持続するまちづくりになっていくのではないかと思っています。


その2」では、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんにお話をお伺いします。

註記

※1 正式名称は「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律」

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/93806801.html

※2 文化庁文化観光高付加価値化リサーチレポート(PDFリンク 90MB)

 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93705701_01.pdf

※3「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」

https://uymam.localinfo.jp/posts/9125543/

※4 「歩いて巡る屋外写真展 虎杖浜・アヨロ/社台」

https://uymam.localinfo.jp/posts/37589849?categoryIds=1239188

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京都・宮廷文化を旅する その2|山科言親さん、加藤由紀子さんに話を聞く https://craftweek.jp/column/70438 Sat, 10 Feb 2024 02:55:04 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=70438 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。

山科伯爵邸(現「源鳳院」)大正9(1920)年創建当初の門構え

その1」に引き続き、旧公家の山科家三十代後嗣山科言親さんと、山科伯爵邸 源鳳院女将の加藤由紀子さんにお話を伺います。

まちを訪れる人との関係性を本気で築く

山科言親

京都では生活と文化的な営みが近くにあり、日常と非日常の境が自然と融合した形であるのですよね。生活や商売の延長線上で、そのなかにハレとケの区別があります。東京ではわざわざ非日常の体験としてお茶を習ったりしますよね。それは生活から離れているものを取りに行こうとする文化の体験です。同じお茶をする、お花をするにも大きな違いが生まれます。同じ日本に住んでいても、生活との距離感次第で文化の捉え方が違うだろうと思います。

酒井一途

京都に外から旅をしにやってくる人がいたとき、生活文化に紐づいたものとしての「お茶」に出会うことはやはりむずかしく、「観光コンテンツ化された茶道の体験」が用意されています。そのように自分自身と結びつき得る形ではなく、文化をコンテンツとして消費するように体験してしまうのはもったいないことだと感じます。

山科言親

日常が日常である以上、外から来た人に対しての対応はどうしても変わりますよね。日常から外れたしつらいを準備をすることによって、外からの受け入れが叶うわけです。だからある種の限界はあります。本当の意味で生活文化を体験してもらうには、単なるストレンジャー(異邦人)やトラベラーとしてではなく、半分住んでしまうぐらいの関わり方をしてもらうところにいかないといけない。

ケチで受け入れないとか、京都は「いけず」やからということではなくて、人の流れの多さであったり、まちとしてのキャパシティの整合性が取れるかどうかなんですよね。それでもある程度外に見せていかないといけないところもあって、限界を理解した上でどのようにするのかが議論していかなければなりません。文化観光でいう「観光があっての文化ではなく、文化があっての観光」とはそういうことですものね。

酒井一途

京都のオーバーツーリズムは観光界隈でも重大な課題ですが、京都に限らずどんな地域であったとしても、まちとしてのキャパシティは考えるべきです。観光消費を狙って観光客数を増大させるために一発当てるようなコンテンツを作って、たとえうまく成功したとしても、まちや住民たちに短期的に過剰な負荷がかかるだけです。まちに訪れるひととの関係性をどう作っていくかこそ、考えなければならないことだと思います。

山科言親

そのためにも、普通に来た人に対しての本気を見せることも大事だと思います。下手物げてものやどうでもいいものを提供するのではなく、自分たちが日常的に使っているものと遜色のないものを提供する。それが第一歩だと思います。どうせわかっていない人だからとか、外国人だからといって適当なことをして稼いでいては、本質的なことがいつまで経っても伝わっていきません。特別視しないことですよね。

酒井一途

適当な応対の延長線上では、文化の伝達はどうあってもなしえないですものね。

山科言親

表面的にやっている感は出せても、ものづくりの現場や地域に還元されることには繋がらないでしょうから。個々人ができることもそうですし、観光産業にいる人はその立場で考えられることがありますし、旅行者としても持つべき意識があります。それぞれにできることがあると思います。正解はなく、道筋が立っているわけでもないのですが、意識してできることなのだから、やらないともったいないのですよね。


山科言親

京都というまちの土壌は古くから寛容であったと思います。そもそもいろんな階層、職域の人が混在しており、共存共生してきたまちです。公家町であった御所の中にも一般の人たちや商人が出入りしていました。新しいものを受け入れることに関しても、貿易や海外からの使節団が来ていたことで、最前線でした。それでも今では来られる方々があまりにも多すぎて、観光公害やら言われるようになっているのも現実です。

加藤由紀子

京都の価値、文化の価値とはなんなのか考えさせられますね。ある方が仰っていたのですが、「世界からそれなりの方を日本に呼ぼうとすると、京都がないと呼べない」というのです。「京都へ行けるのならば日本に来る」というほど、重要なのだそうです。

山科言親

外交的カードやな。

加藤由紀子

京都という土地の体験そのものが文化資源になっているのですよね。

酒井一途

京都にも複数の文化的なレイヤーがある中で、旅行者がどの深さのレイヤーにまでアクセスできるかをお伺いしたいです。たとえば紹介される人に依存することもあるでしょうし、その人が持っている文化的な知識次第で「そこまでご存じなのでしたら、こちらへどうぞ」ということもあるだろうと思います。どのようにすれば、深いレイヤーにまでアクセスしていくことができるでしょうか。

加藤由紀子

海外の旅行代理店の方で、もっと深い京都を紹介したいという方がまず自分で勉強しに来られて、そこから商品として組み立てられることはあります。対象になるお客さまは相当文化度の高い方々で、お茶なども当然一通り経験されて、もう一歩深い京都の文化を体験されたいといって、宮中文化をプライベートな席で体験してもらう企画を作られました。なかなか個人で来るだけでは、そこまで深まることはないですね。

山科言親

日本に関心を抱いて海外から来られる方々でも文化的なリテラシーには差があるので、仲介者が丁寧にあいだを繋がれることでギャップが埋まっていくことはあります。

加藤由紀子

海外からそうした知識欲を持たれる方がいらっしゃるほか、国内のクリエイターの方々が具体的な商品開発を目的に学びに来られることもあります。化粧品開発に日本の着物をテーマにしたカラーリングをしたいとかのご相談ですね。ただ表面的なところで留まってしまい、深いところまではいかないです。理解できないものになってしまうと、マーケットに出したときに伝わらないから仕方がないのでしょうけれどね。

酒井一途

担当して来られる方は本当に心を持って来られたとしても、実際に商品化していく過程で変わっていってしまうのですよね。

加藤由紀子

ほかに国内ではファッションのハイブランドの顧客向けにプライベート講座をしてきたことがあります。こちらもやはり文化的な意識の高い方々に向けたものです。

山科言親

人づてにご紹介いただいたマーケティングの顧客担当の方が、京都で展示会をするにあたってアクティビティを探しておられると。そのツアーの一環で文化体験をさせたいという話でしたね。

加藤由紀子

源鳳院が主催する宮廷文化講座などのイベントには一般向けのものもあり、興味のある人であれば誰でも参加しやすい価格設定で行っています。一般向けのイベントに来られるのは国内からの参加者がほとんどです。各回30人から50人ほどですね。

一般向けのイベントと、文化的リテラシーの高い方向けのプライベート講座の中間がなかなか埋められていません。安くしたから良く、より伝わっていくというものでもないので、山科さんの立場や受け継がれてきた文化を守っていくことも考えなければと私は思っています。

山科言親

価値づけは難しいのですよね。質を担保して伝えていくためにも。

加藤由紀子

宿泊施設としての源鳳院の営業は高価格帯で、インバウンドがメインターゲットとなっています。時期によっても異なりますが、1部屋2人で5万円くらいから、一番高額なプライベートガーデン付きの離れのお部屋は2人で20数万円くらい。そんなにものすごく高いわけでもないのですけれど。4部屋しかないので、普通の旅館としてはやっていけないのです。

実際に今のところ海外からのお客さまが99%なので、今後はとくに源鳳院の歴史的背景に興味をもって来られるお客さまを対象として、宮廷文化を学びつつ体験することのできる2泊3日くらいのツアーを作れたらと思っています。

参考にしたいのはguntûさんという豪華客船です。船に宿泊滞在して瀬戸内の圏域を巡る航路でツアーを組まれていて、2泊で100万円以上します。時間軸を超えて歴史を体感できるような私たちなりのツアーを作れたらおもしろいなと思っています。

酒井一途

富裕層で一晩に100万円程を普通に使いたい人たちも世の中にはいるのですよね。もちろん見合った質の高さとサービスを求めますし、目も舌も肥えた方々ですけれども。

山科言親

豊かな空間を味わう感性、余裕のある時間の過ごし方をもたれる方々と出会えたら嬉しいですね。掛け軸ひとつもまた、いらっしゃるお客さんのために掛けている絵がありますから。

加藤由紀子

源鳳院の宿泊体験は、かつてお公家さんであった家の方々が住まれていた邸宅での暮らしを味わえる「生活文化」体験です。海外の方からは、この場所のことを「平和的(Peaceful)な場所」だと仰っていただくことが幾度もありました。「平和的な雰囲気」というものがあるのだなと、彼らから教えてもらいました。日本では平和が当たり前になっていますが、平和ではないところが身近にある国からすると、平和を感じられるというのが大切なこととしてフォーカスされるのですね。

酒井一途

文化といってもさまざまな形がありますよね。「平和的な場所」という雰囲気を味わうことのできる宿泊体験は、形として残せるものではないからこそ肌身で感じる文化の体験として唯一無二のものかもしれません。知識とはまた別のところにある価値ですね。

山科伯爵邸源鳳院 中庭(現在)

見聞の感度が高まると、事物に触れたときの解像度が上がる

酒井一途

山科さんが京都で遊ばれるときにはどこへ行くのでしょう。

山科言親

遊びということでもないですが、2年前から金剛流の宇髙竜成うだかたつしげさんにおうたいを習い始めました。建仁寺両足院副住職の伊藤東凌いとうとうりょうさん、西陣織の細尾真孝ほそおまさたかさん、京繍きょうぬい作家の長艸真吾ながくさしんごさん、ハーバード大学仏教美術研究員のダニエル・ボレンガッセールさんたちと一緒に稽古をつけていただいています。みんな忙しい中でもお稽古事で日程を合わせておくと会うきっかけになるんですよね。それが醍醐味の一つでね。普段はそうそう会えなくても、お稽古で会って交流する場ができると、次に繋がっていきますしね。

ただメンバーがメンバーなので、稽古をしていても謡の中で仏教経典の一節があったりすると、建仁寺の伊藤さんがこういう意味だと思います、と言うと、仏教美術を研究するダニエルさんがこの仏さんはこうで、と話しはじめる。

加藤由紀子

みんなそれぞれの専門性から切り取ってくるから全然お稽古が進まない(笑)

山科言親

謡本を精読しまくっていますよ。これでは進まないからまず声出していこう!と言いながらも気づいたら夜八時くらいになっていて、そろそろ焼肉でも行こか、と。

加藤由紀子

いいサロンになっているんですよね。

山科言親

金剛流のお家元に聞くと京都の旦那衆がお稽古をされていて、やはりお家元の話を聴いたり雑談のようなことをして、謡は自主練しておけよと言うくらいな感じで(笑)。プロになるわけでもないし、正確さをもとめてがちがちにやるのもしんどい。まさしく居心地のよいサロンのような場として集まっているのですよね。昔はもっとそのような場があったのでしょう。そういう文化への関わり方もあるし、取り入れられる方法があるのではないかと思いますね。

酒井一途

豊かな人は、文化的な学びや人との交流の場となる通路を複数持っていますよね。

山科言親

そうすると一つひとつを繋げようと意識していなくても、繋がってくるんですよね。あるときふと繋がって意味がわかって、物事の見え方が変わってきたりします。マップができていくように解像度が上がっていくのですよ。この着物の柄はこういうことか、この和歌の一節はこういう情景だったのか、と。感度が高まることで、見えてきたり聴こえてきたりしはじめる。人間の身体的な豊かさにも通じる道だと感じます。

加藤由紀子

宇髙さんとは源鳳院で「表装の世界と御能」というイベントもしましたね。

山科言親

宇髙先生は能に関する掛軸を集めておられるのです。能そのものの絵なら誰でもわかりますが、能の物語の背景になっている古典的な情景を描いている絵は、ただ見ても何なのかわからない。あちこちで掘り出し物をみつけてきてはコレクションにされて喜ばれています。誰も価値に気づかなかったものを、知っている人が見ることで息吹が吹き込まれて、価値づけされていくのです。

加藤由紀子

夜な夜な二人で掛軸を広げて絵解きをしているんですよ。お能から見た話を宇髙さんが話されるのはもちろん、山科さんの観点も加わって「表装で使っているきれがこうだから、描かれている能の演目にも紐づいてこんな意味が生まれる」とその場で発見していくんです。ラジオにでもしたらいいのに、と言って実際にイベントになったんです。

山科言親

表具ひとつもすごく考えられていて、表具をする人は絵の意味を取り合わせて、わざわざ裂を取り寄せてきて作っていくんです。イベントでは表具師の井上雅博さんと対談形式でセッションを行いました。作為的に企画したイベントというより、偶発的にできていったのもおもしろいところです。

加藤由紀子

また別の話ですが、昨日は二人で宇治の朝日焼の窯元の松林佑典まつばやしゆうすけさん(十六世松林豊斎ほうさい)のところへ行ってきました。初代からの歴代当主のお茶碗が興聖寺で展示されているのを案内してもらったんです。宇治という土地で生まれ育って、そこの土を使って焼き物を焼く。お正月は半日かけて神社とお寺と土が取れる山とを巡って、御礼廻りの挨拶をされる。そのルーティーンが先祖代々当たり前にずっと続いているというのです。

山科言親

話を伺っていると、自然と彼の器を買いたい気持ちになってくる(笑)

加藤由紀子

物欲というより、応援したい気持ちでね。今日お話を伺った感動を還元したいという思いが生まれてくるんですよ。彼と話をすると心が洗われるような気がしてきて。帰りに花瓶とお茶碗を買って帰りたいと言ったら、話をたくさん伺っていたせいでお店が17時で閉まっていて、「開けてないんかい」って(笑)

お金に余裕がある方で使い先がわからずにおられたら、こういう経験をして価値観を共有することで、関心をもたれればきっと豊かなお金の巡りかたになります。

山科言親

文化も今生きている人を支援しようというだけでは限界があってね、将来の世代や過去からの受け継がれてきたなにかに向かう思いがあるといいと思います。

加藤由紀子

代を超えて繋がるものでもありますからね。松林さんの曾祖父にあたる十三世当主の弟さんは、バーナード・リーチさんの窯を作りにイギリスに行かれたのだそうです。松林さんが何年か前にその窯を再訪して、イギリスの土と宇治の土を混ぜて器を焼いていたりするんです。ぜひ酒井さんにも松林さんをご紹介したいですね。

山科言親

宇治という同じ土地を一つの家が400年見続けていますから、定点的な視座を持っていますよね。文化観光という観点では松林さんは意識しておられなくても、ヒントとなることがきっとあるのだろうと思います。

酒井一途

楽しみです。ぜひいっしょに遊びに伺わせてください。

観光を通じて知恵を受け継ぎ、未来へと引き継いでいく

山科言親

文化的なことに対する慣習や考え方が変わっていくのは、そのときどきを生きる人たちは意外と意識していないのかもしれません。知らず知らず二代、三代を経ていくうちに変わっていく。町並みもそうで、一気にすべてが変わるわけではないのですよね。

酒井一途

時代を超えての変化には必要に応じてのこともあれば、残すべきものを見定められずにそれこそ知らぬ間に大事だったはずのものを失っていってしまうこともあります。

山科言親

われわれは過去から来ているものをいかに拾うかで、もう取りきれないくらいのものがあるわけです。江戸時代からすると、現代の人口は4倍にもなっているにもかかわらず、文化的なものは縮小していっている。これはどういうことなんや、と考えざるをえないですよね。

酒井一途

時間軸をもった文脈が分断されることは、文化の存続の危機を生じさせます。過去からのものを受け継いで、後世に引き継いでいくという循環が失われていく。今に始まったことではなく、たとえば戦後や明治維新は一つの大きな転換点でした。いま引き継げるものを、いま生きている人がちゃんと見て学んで、その文脈を次の時代に手渡していくことが大事です。文化はそうしたことでしか継承していけないものですから。

山科言親

私はおじいちゃんっ子で、祖父母の世代から受けた影響が大きいのです。たまたま学校から近くに祖父母の家があって部活帰りにおやつを食べに寄ったり、身近だったから何も考えずに足を運んでいた。結果的にたくさんの話を聞けたんですよね。両親も聞いていなかった話を、孫である僕が聞いていたりもします。そこで気づかせてもらえたことが多くありましたし、引き継がせてもらった感覚があります。そういう私的な体験は、家の歴史は置いておいて、「個人」にある話なんですよね。

酒井一途

どんな家でも時代を生きてきた「個人」としてのストーリーを誰しも持っていて、そこから受け継げるものがあるはずですものね。

山科言親

祖父自身が上の世代から聞いてきた話でも、見てきたかのように語ってくれて、リアルに自分の中に残っていきました。人間は隔世である程度の情報を伝達できます。大正14年生まれであった祖父の記憶を私が聞くと、幕末生まれの高祖父の話までもしかすると受け継げます。五、六代は遡って繋がりうると思うとすごい話じゃないですか。意識的にアプローチしないとできませんが、聴くべきことはまだまだ身近に手繰り寄せられるのではないかと思います。そして、そういうところで引き継がれるものは意外と多いのではないか、僕らが思っている以上に大きいのではないかと思います。自分の思想や価値観、哲学といった根源的な部分に関わるものになっていくはずですから。単なる情報にすぎないもの以上のなにかが宿っていますよね。

酒井一途

僕の父方の祖父は会津で修行した漆塗りの職人でして、小さい頃から漆器は身近にあったはずなのですが、そのうつくしさや工芸への関心に目覚めたのはごく最近です。祖父の存命中に話をもっと聞いておければと今にして思います。

山科言親

核家族でばらばらになっていますし、環境的にも祖父母に話を聞こうという思いに至ることがまず難しいのですよね。もう少し聞いておけばよかったと後になってから気づく人は、酒井さんに限らずたくさんおられるのではないでしょうか。感覚がそこに開くのにある程度の歳を経てからというのもあるのだと思いますが。オーラルヒストリーはその人が亡くなってしまってからではもう聞くことができないのですよね。意識的にすこしでも早く気づいて、録音なり映像なりで残せるのであれば残していくことも大事ですね。

酒井一途

肉親からだけでなく、旅の中でそうした話を聞くことができたら大きなことですよね。

山科言親

たしかに。世代間を超えて引き継いでいくものに着目した「観光」、観光というよりも「引き継ぐ行為を目的とした旅」のあり方があってもいいですね。その観点はこれまでにあまりなかったような気がします。人類共有の財産ともなりえる、そこにしかない話がそれぞれにありますけれども、聴いてくれる人がいないと話さないですから。それぞれの地域、それぞれの人にそれぞれのストーリーがあって、もっともっと伝えていくべきもの、受け取るべきものがあると思います。

昔はそうした世代間の引き継ぎが自然とできていたはずですが、今はあいだを繋いでいくきっかけを作る人がいて、意識的に仕組んでいかないとできないのが現実です。たとえば観光者が旅の中でそれらを引き継ぐことで、自分自身の人生、地域、国へと持ち帰るものがある。そこから内発的に生まれてくるものがあって、なにかしらアクションとして自分の土地への働きかけになっていく。そうすれば人間のあり方として非常に豊かなものに繋がっていくんじゃないでしょうか。

漠然としていますが、それは一つの希望ではありますよね。そのイメージは湧いてきます。方法論的かもしれないけれど、こうしたことが大事だと思えることがまず必要ですものね。人間が人間たりうる知恵を引き継いでいくこと。観光を通じてそれを意識できる仕組みづくりをしていくのはおもしろいですね。物を消費するだけではない、何かを見て終わり食べて美味しくて終わり、ということではない。

人間に寄り添った観光いうことや、文化観光は。最終的には人ですね。文化を紡いでいく人そのもの、人あってのものですからね。

編集後記

ある文化を受け継ごうとするとき、そのありようはさまざまです。平安時代から続く技術を山科さんのように家職として受け継いでいくことも(現代では稀ながら)あれば、みずから関心を持って足を踏み入れて、生涯の長い時間をその文化と共に歩んでいくことで、文化の担い手としての自覚と覚悟を得ていくこともある。はたまた縁もゆかりもなかったはずの分野に偶然にも携わることになり、不意に手渡されたバトンを持つこともありえます。どのようなかたちであったとしても、そこにはかならず「人」が介在しています。

文化観光という旅の仕方をしていくと、たとえ旅行者に元々そのつもりがなくとも「旅先で出会ってしまった文化」に魅入られてしまい、気づいたら深入りしていくことがありえます。工芸・工房ツアーであろうと文化体験のレクチャーであろうと生活観光型の宿泊滞在であろうと形を問わず、文化観光にもまたかならず「人」が介在して、旅行者との関係性を築くものだからこそ、そうしたことが起こりえます。人が介在するということは、そこにはオペレーションを第一とするものではない、「人の心」が求められています。

山科さん、加藤さんお二人との話を通じて導かれた文化観光の可能性。「文化観光とはこのようなものである」といった定義づけをするのではなく幅を広げていくことによって、文化の担い手への経済的循環や「人の心」の伝達もしていきやすくなります。文化を愛する人たちを、さらなる深みへと誘(いざな)う文化観光のありかたが各地で試みられ、広まっていくことを願っています。


関連する文化施設・体験のご案内

山科伯爵邸 源鳳院

〒606-8333 京都市左京区岡崎法勝寺町77
Tel 075-752-1110
https://www.genhouin.com

源鳳院での講演会・イベント予定

https://www.genhouin.com/event

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京都・宮廷文化を旅する  その1|山科言親さん、加藤由紀子さんに話を聞く https://craftweek.jp/column/70424 Wed, 10 Jan 2024 02:21:39 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=70424 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。

山科伯爵邸源鳳院 門構え(現在)

今回は京都岡崎にある「山科伯爵邸 源鳳院」を訪れました。

かつての家の主人あるじから手が離れて以降、宿泊施設として運営されてきたこの建物。長らくのあいだ、異なる家系の邸宅だと誤解されて運営されてきたそうなのですが、現在の女将である加藤由紀子さんが資料を解きほぐしていったことで、正しくは1920年に山科言綏ときまさ伯爵が建てたものであったと判明しました。

歴代天皇の側近として代々宮中に仕え、家職として装束の調進・着装を伝承してきた旧公家の山科家。「家が本来の主人を見いだしたことで、家そのものも色づいていったように感じます」と加藤さんは言います。山科家とも連絡が取れ、今では山科家三十代後嗣である山科言親さんが全面的に源鳳院に携わって、講演会の監修などをされています。

千年の長きにわたり京都の町に暮らして、定点観測しつづけてきた山科さんの目から見た文化、まち、人びとの話を伺いながら、文化観光のありかたをともに模索していくような対話となりました。最終的に行き着くところは人。文化が人によって根づき、培われ、受け継がれていくように、文化観光もまた人を介して深まっていく旅なのでしょう。

山科言親 やましな ときちか

衣紋道山科流若宗家。一般社団法人山科有職研究所代表理事、同志社大学宮廷文化研究センター研究員。 代々宮中の衣装である“装束”の調進・着装を伝承している山科家(旧公家)の三十代後嗣。 三勅祭「春日祭」「賀茂祭」「石清水祭」や『令和の御大礼』にて衣紋を務める。NHK「日曜美術館」をはじめ、メディアへの出演や、歴史番組の風俗考証等も行う。旧山科家邸宅である源鳳院にて宮廷文化を題材にした講演会の監修、企業や行政・文化団体への講演やクリエイティブに関するアドバイザー等を務めている。世界経済フォーラム(ダボス会議)のグローバル・シェイパーズに選出される。

1995年京都市生まれ。京都大学大学院在籍。

加藤由紀子 かとうゆきこ

山科伯爵邸 源鳳院 女将。伝統的な建築物を現代へ活かす取り組みを静岡沼津、京都祇園などで行う。2012年山科伯爵邸源鳳院の運営を引き継ぐ。歴史を紐解きながら、2018年から宮廷文化に特化した文化講座を企画し、雛人形展など含めると3,000名を動員する。神仏習合や陰陽五行など、失われた宮廷の研究をライフワークとする。

公家は「家」として文化を継いでいく家元のようなあり方

山科言親

公家的な生き方というのがあるのではないか、と最近考えているんです。公家道という新しい言葉を生み出してはどうだろうかと思いましてね。武士道というのがありますでしょう。その武士道が日本の精神とされていますが、はたしてそうなのでしょうか。

酒井一途

新渡戸稲造が本を出したことで広まっていきましたよね。

山科言親

明治以降の近代日本で武士道が流行ったのは、武士によるマッチョな考え方が当時求められた国家像に沿っていたからなのですよね。そもそも武士たちが革命を起こして明治政府が立ち上がったのですから、親和性があったのでしょう。武士というのは死に赴こうとするロマンティシズムに傾いているのですよね。

対して公家はリアリストだったと思うんです。ありとあらゆる時間軸で、先祖の残してきた記録や先例に照らし合わせて、そのときどきで時代に応じた判断をしながら生きてきた。時代を超えて儀式を伝承していく上で、そうした生き方が必要とされたのです。一般的なイメージでは公家というのは源氏物語の世界のようなロマンティスト気質だと逆に思われがちですが、実際は決してそうではなかったと思うんですね。

加藤由紀子

お公家さんというと毎日遊んでいそうなイメージを持たれてしまいがちですけれどね。家の理念を粛々と守りながら、儀式の所作や文化を継いでいく。公家には個人の考えというより「家」がまずあるのですよね。

山科言親

公の「家」ですから。ノブレス・オブリージュにも近いのかもしれません。しかし日本の公家は、支配・被支配の西洋的な貴族のあり方とは違うものです。家単位で、家来も含めた全体でその「家」の文化を継承していました。子供ができたかどうか、その子が非凡であったかどうかによっては、養子を迎えることで「家」を継続させていくこともしていたわけです。そのような「家」として文化を継いでいく家元のようなあり方は世界でも類をみないものです。茶道や華道の家元制度にも先立って、和歌や蹴鞠、装束など公家による文化の継承が日本にはありました。

山科伯爵邸 大広間にて第27代山科家言と悦子の結婚式。大正10(1921)年1月12日。家言は衣冠、悦子は小袿(こうちぎ)を着用した。
酒井一途

公家的な生き方、公家道とはどのようなものなのでしょう。

山科言親

ひとことでいうと、「和すべし」の精神性でしょう。蹴鞠けまりをするにも相手が蹴りやすい球を蹴りますし、得点を競うわけでもありません。競争ではないのです。

山科家は衣紋道(宮中装束の専門的な着装技術)を担う家として、宮中への織物を納める宮中御用商人たちの監督もしていました。そこでも「和すべし」の精神性は活かされています。たとえば西陣織の原型になる御寮織物司というものがありました。織物を作っているところが六軒ぐらい集まってギルドのようになり、持ち回りで宮中からの御用を受けることで、抜け駆けしないようにお互いの利益配分を調整していたのです。

その仕事の経過を、商人たちは山科家に報告する義務がありました。彼らに守らせていた十か条があります。帝に献上するため清浄を第一として親族にけがれがあったら報告しなさい、勝手に旅行をしてはならず数日間家を空けるときにはみなで協議しなさい、宮中のことをしているからといって傲慢になってはいけない、などです。

商売でも競争して勝ち上がるのではなく、いかによいものを分担してつくり、たがいなく宮中に納めるかという考え方があったのです。今は残念ながらそのような考え方はほぼ失われています。ここに現代のヒントになることがまだまだあると思うんです。

酒井一途

文化を学ぶことを通じて、そうした精神性も学び直せるのかもしれませんね。なにかの技そのものを学ぶというよりも、長年かけて文化的なことに携わる中で、その奥にある精神性を自然と自分の中に取り込んでいくものなのかもしれないと思いました。

山科言親

政治にしても、いろんな利害がある中で権力をもって物事の決断をする、究極的な判断に迫られるわけです。その判断がどこから出てくるかというと、歴史的・文化的な文脈の中での価値規範やある種の宗教性にのですよね。だからこそ政治と宗教とは一体だったのであって、政教分離を形だけ唱えても意味がありません。政治と文化的・宗教的儀礼が一体ではなかったところなどあるのでしょうか。

かつては天皇も文化的・宗教的儀礼の権威として長く象徴的に存在していたわけです。むしろ明治に入ってから、天皇は古代王権的な形にされていきました。西洋の立憲君主的な姿を当てはめて、明治以前とは違う天皇像を作り上げていったのです。三島由紀夫がそう書いています。戦後から現代において、日本ではそうしたことを本質的に見つめ直さないまま来てしまっているのではないかと思います。

酒井一途

近代国家も民族の概念も明治以降に西洋から導入されてきたものですしね。日本が培ってきた歴史的・文化的な文脈をむりやり西洋からきた概念と結びつけたことで、ナショナリズムや帝国主義的な思想もいっしょにインストールされてしまった。

一度芽生えたものを剥ぎ取ることは難しいですから、何をもって日本というものを考えていくのか、「日本の文化」とはなんなのかという危うい議論になりえる問いにはあえて踏み込まないことも必要かもしれません。

文化観光を掲げる上では、土地と結びついた文化をこれからの時代においても継続していけるものにしていくことがなにより大切ではないかと思います。その意味でも宮廷文化や公家道というのは近代以前の京都に存在した一つの重要な文化であり、精神性だと感じます。

山科言親

グローバリズムが生じてから、日本に限らずどこの地域であっても、文化は画一化していっています。もともとは実生活と密接に結びついていた文化も、生きた形で日常の営みとしてあることが難しくなっていますからね。一方で失われゆくものに対する危機感やノスタルジーも生まれてきて、ひと昔前よりは目を向けてもらいやすくなっています。これは追い風ではありますが、悠長なことは言っていられないのも現実です。

酒井一途

土地と結びついた文化のみならず、土地そのものとの関わりもなくなってきています。

山科言親

人間が本源的にはやらなくてもいいことを、駆り立てられてしている時代が近代以降です。先人たちが残してきた、人間こそがしうる豊かな生活に焦点を当てていた時代に比して、本当の意味で進歩はあるのでしょうか。人口を増やす増やさないとか、観光客数がどうというような経済的な指標ではないところで見ていかないといけませんよね。

文化観光という切り口を通じて、体験した文化や伝統を日常の生活の中にとりいれる

加藤由紀子

昔は町や村に長老みたいな存在がいましたよね。疑問に思ったときに訊ける人。

酒井一途

地縁のコミュニティの中でのその土地の歴史やあり方、文化、しきたりも含めた生き方を指南してくれる存在としての長老。大事だったのでしょうね。

加藤由紀子

一方で、昔のままのやり方を貫き通すというのではなくて、今ある文化を大事にしようとするとき、考えていきやすい道を時代に沿って探ることも必要ですよね。文化一般にしても文化を理解して関わっている人たちが、「こうでなくては」と厳しい目で見ていることも多いですから。時代の変遷の中で変化してきて今ある文化になってきたことも考慮して、あまり「こうでなくては」に縛られないようにしないと、いい形では持続していきません。まずは文化に携わる内側の人たちで一体化しないと、と思います。

山科言親

文化的なところに身を置いていると、そのことを意識して生きていかざるをえないがために、融通が利かない形に自分たちを追い込んでしまっている人も多いと感じます。「文化を守るんだ」という矜持と、その矜持を外からも求められている意識があって、柔軟さをなくして窮屈になってしまっている。「こうせなあかん、ああせなあかん」と言って、もとあったありのままの形ではなくなってしまっているのですよね。

加藤由紀子

わかりやすい例では、裸足で畳を踏んでは駄目です、とかね。でもたとえば公家文化から見ると、お公家さんは裸足で生活していた時代が長くあったので、裸足で畳を踏むこともありました。何が礼儀で何が正しいことなのかというのは、知らないだけでさまざまなあり方が存在するのですよね。

山科言親

家単位でもやり方が違うことは当たり前にあったわけです。郷に入れば郷に従えで、それぞれの家を訪れるときに、その家のやり方に細やかに気を遣うことがあったんです。それを紋切り型に定型化していくと窮屈になっていきます。

酒井一途

今ではその心が失われているわけですね。そればかりか、もっと前提の条件として日常の中での環境や習慣も変わってしまっている。

山科言親

そうですね、和服を着ること一つをとっても、全体としての住環境や生活様式が昔と今とではまったく違います。かつては合理的な理由で作られたものが、もともとの意味がわからなくなっています。和室の取手や襖(ふすま)も、和服が引っかからないようにと作られたものですし、正座することも袴や着物を着ていたから座りやすかったのであって、洋服を着ている今ではズボンが張って座りづらいだけです。

現代的な環境であればこそ、和服を着ようとしても折り合いがつかないんですよね。様式美として残っていても単体でみてはだめで、全体でどうするかを考えると非常に難しいことです。もともとの意味を考えた上でトータルコーディネートとしての文化のあり方をどう伝えていくかを考えなければなりません。

酒井一途

現代において生活のスタイルが変わってしまったなかで、ただ知識として、かつてこういうものだったからと説明するだけではなく、文化のあり方と意味を生きたものとしてもう一度新しい生活のスタイルにして形づくっていく。文化観光という切り口を通じて、そんなことができないだろうかと思い描くと、豊かな旅が生まれそうです。

物見遊山の観光ではなく、日常から切り離されたところへ足を運ぶことで、そこで触れた文化を自分の生活に活かすために持って帰ってくるという観光のあり方があります。江戸以前の日本人の観光はそのような旅が普通でした。たとえば伊勢参りをする旅の道中で、他の土地の者と出会って稲作や畑の仕方、生活の技術を受け渡し合い、帰郷してから自分たちの生活をよりアップデートしていたのですよね。

加藤由紀子

流行りのものを見て写真を撮っておしまいというのではなく、文化を愛する人だからこそ、旅先でその土地の文化に触れたときに、その文化を自分の生活に取り入れていく。そういう旅のあり方を模索していけたらおもしろいのではないかと思っています。

源鳳院の主催するイベントで宮中の儀式を体験して、それを日常の生活に持ち帰るというとき、「どのような意味でその儀式をしていたのか」という精神的なものを理解して、その心を現代に持って帰ることであればできるように思います。

今の時期(五月)であれば、端午の節句で兜を飾りますよね。これは宮中行事であったことも知られないままに、かろうじて形だけが残っています。ほんとうは形よりも意味の方が大事で、たとえ家に兜がなくともその意味が何なのかさえわかっていれば、子供のためにできることはあります。

生活スタイルを変えることは環境的に難しいし、畳のお部屋がない家も増えています。でも信仰や精神性であれば、現代においても活かせるものではないかなと思います。

山科言親

何を持ち帰れるかと構えすぎることなく、自然な形で体験するのがもっともよいのです。そうすれば生きる知恵や考え方、時間軸を超えたものの捉え方など、人間が大事にすべき普遍的な価値観が得られたり、そこから行動変容が生まれることもあるでしょう。

加藤由紀子

どの切り口からでもいいのですが、さまざまな物事を見る目を養っていかないといけないですよね。

山科言親

以前女将さんが仰っていて印象的だったのは、山科家の歴史や宮廷文化を知っていくことで自分自身の歴史の見方や軸が形成されていき、「物」が見えるようになったと。

酒井一途

最初に軸を何か探さないといけないですよね。そうしないと見るものも見えない。

山科言親

どんな軸でも構わないのですけれど、軸がないと枝が出てこないですからね。文化観光とは、人それぞれにかならずある自分の中に軸として根ざす何かを探しにいく旅、なのかもしれませんね。


その2に続く

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倉敷美観地区・大原美術館を旅する|大原あかねさんに話を聞く https://craftweek.jp/column/70235 Sun, 10 Dec 2023 03:24:13 +0000 https://craftweek.jp/?post_type=column&p=70235 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。


今回は岡山県倉敷市美観地区にある「大原美術館」に大原あかねさんを訪れました。

倉敷紡績創業の家である大原家の10代目にあたり、曾祖父にあたる大原孫三郎さんは大原美術館を築きあげた大人物。家として代々にわたって美術・芸術、国内外のアーティスト、岡山・倉敷への貢献をして来られました。その背負うものの大きさ、時代の変遷による芸術と経済の関わり方の変化を物ともせず、芸術と人間への信念を持って朗らかに笑いながら突き進んでおられるのが大原あかねさんというひとです。

大原美術館は「大原美術館を中核とした倉敷美観地区の文化・観光推進拠点計画」として、文化庁の文化観光事業にも採択されています(※1)。ど真ん中の議論から入りつつも、対話の中盤以降は次第にくだけた空気になっていって、文化観光の可能性を切り拓いていくような話題にふれていくことができました。地域の暮らしや、人間の存在そのものにふれていく。旅と観光のあり方としてそのような話題に入っていくことは、本来ごく自然なことなのかもしれません。

写真:才士真司

大原あかね[公益財団法人大原美術館 代表理事]

1967年9月生まれ。一橋大学経済学部卒業。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修了。
金融機関系研究所に約3年半勤務。
2000年大原美術館理事、11年同専務理事として館の運営に携わる。16年7月、5代目の理事長に就任。
現在、財団代表として法人の経営にあたる傍ら、(社福)若竹の園理事長、(公財)倉敷考古館理事長、(公財)倉敷民芸館理事、(公財)大原記念倉敷中央医療機構評議員、(一社)岡山経済同友会理事、萩原工業(株)社外取締役、(大)岡山大学監事、倉敷市教育委員、倉敷商工会議所副会頭などを兼務。
倉敷市在住。  

文化芸術の継承には、それを支える力が欠かせない

酒井一途

文化観光とはいったいなんなのか。どのような形の文化観光をめざしていけば、文化・観光・まちづくりに携わる人たちが本当に手を取り合いながら、歩んでいけるのか。その理想のあり方を対談形式でいっしょに模索していく、今日はそんな時間にしていければと思っています。

大原あかね

よろしくお願いいたします。そもそも初心にかえると、教科書的な「文化観光」というのはどのように定義されているのですか?

酒井一途

法律上の定義はあるのですが、すこし砕いた言い方で説明しますね。文化観光は、文化資源を観光客がそのものの価値をはっきりと理解して受け取れる状態、または理解を深めることのできる観光。かつその文化資源に対して、有効な形で経済の利潤が回っていく観光です。「経済的な好循環が生まれる観光」という定義をしますので、文化資源を「高付加価値化」するという考え方を重視しています(※2)

たとえば重要文化財の建築を入館料数百円で見せるところがたくさんありますが、館内の説明が不十分なためどんな価値があって残されているのかが理解しづらく、観光客もただ写真を撮って終わりとなってしまうケースがしばしば見られます。また経済的にも入館料収入だけではまったく回らず、施設を維持するために多くの補助金が必要とされます。だから施設の運営側が施設の活用の仕方をもっと工夫して、よりお金を生む観光を作りだしていくことを目指す、というのが基本的な「文化観光」の考え方です。

しかし「文化観光」のあり方として、それだけでは乏しいと個人的には思います。お金を生むものとして文化資源の価値を高める、というのは発想が逆だとも思います。だからこうして連載記事でさまざまな方々との対談を通して、「文化観光」のよりよいあり方を共に模索していければと思っています。これまでのインタビューでも「人と人との関係が生まれてくるのが文化観光」とか「文化をつくってきたのも守ってきたのも人間だから、人間に寄り添った観光のあり方が文化観光」という言葉が出てきました。そこにヒントがあるように思います。まだ言葉になっていなかったり、形になっていないものを探していくことができればと思うのです。

大原あかね

なるほど。文化施設は基本的に自力で稼げるわけがなくて、誰かがパトロンになって守らなければならないものだと私は思っています。コロナ禍を経て思いを強くしたことは、文化施設は自助努力でやる仕事ではないということです。美術館であれば作品の収蔵庫を守り、そのための学芸員を雇用する必要があります。未来への文化芸術の継承が必要だと思う人たちが経済的にも支えていきながら、美術館を存在しつづけさせなければならない。そうでなければ芸術は守れない、というのが私の結論です。

酒井一途

みんなに支えてもらう文化施設のあり方を探っていくのは、あたらしい「文化観光」のあり方を探っていくことにも繋がると感じます。地域への深い関わりを持ちつづける人を増やしていくのが、目指される一つの「文化観光」だからです。その文化施設を、あるいは文化を愛する人たちが、その地域に住んでいるいないではなく、深く関わることで支えになっていく。それが経済的にも、継承の上でも、大事になっていくはずです。

大原あかね

いろんな工夫をしながら関わり方を増やしていくことができればと思います。このたび大原美術館は、あたらしいスローガンとして「みんなのマイミュージアム」を掲げ始めました。すべての人たちに大原美術館のことをマイミュージアムと思っていただきたいのです。そうなっていくためにも、私たちはさまざまな取組みをしながら努めていかなければなりません。近しい人に「一緒にいこう」と誘ってもらえる美術館になるとすごくいいなと思います。顔が見える人たち同士でのコミュニケーションで広がっていく。そんな循環が生まれていくと、わかりづらい、敷居が高いと思われがちな美術館も、親しみをもっていっていただけるのではないかと思います。

大原美術館外観(現在)

外からやってきた「目」が、
地域のものを「見る」行為から価値が生まれる

酒井一途

文化観光には、アーティスト・イン・レジデンスのあり方から学べることが多くあると思っています。大原美術館で行われているアーティスト・イン・レジデンスのプログラムについてお伺いしたいです。

大原あかね

2002年に大原美術館館長に高階秀爾たかしなしゅうじが就任した際に、大原家と美術館の歴史をもう一度見直すことにいたしました。そこで、大原孫三郎が画家の児島虎次郎を支援したことが美術館の始まりとなったことを踏まえて、若手アーティストを支援する思想をふたたび体現しようと考えたのです。

児島虎次郎の使っていたアトリエ「無為村荘むいそんそう」が現存していたので、公募した若手アーティストにそのアトリエを最大3ヶ月間無償で貸し出して、滞在制作してもらうことにしました。若手といっても、私たちは若手を年齢ではなく、「化ける力がある人」と定義づけています。アーティスト・イン・レジデンスの名称はARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)と名づけて、2005年からアーティストの招聘を始めました。

「無為村荘」は100年前に使われていたアトリエですので、電気設備がありません。自然光のなかでアーティストは作家活動をします。朝昼晩の光の具合、晴れ曇り雨の日もまた光の当たり具合が違います。空間も広く、床面積が約70平方メートル、壁高が約3メートルあります。若手アーティストは学校を出た後には、そのような広い空間で制作をすることがなかなか難しくなりますが、ARKOでのレジデンスの機会に大きな絵に挑戦することができます。ある招聘アーティストは「最近は手首と肘でしか絵を描いていなかったのが、大原に来て肩や全身を使って描くことを思い出した」と言ってくれました。

酒井一途

創作の空間によって、つくるものはぜんぜん違ってきますものね。

大原あかね

私は自分では描かないのでそうしたことへの実感はなかったのですが、実際にアーティストさんたちの声を聞くと大事なことなのだと気づきました。

ARKOでは、何を描くかということは自由にしてもらっています。ただし作品購入のお約束はしていません。美術館のコレクションの購入ポリシーに合えば作品を購入しますが、かといってポリシーに合うものをレジデンスで描いてほしいわけでもないのです。その代わり、滞在制作した作品を美術館内で展示する機会をかならず作ります。どの作品を美術館内のどこに展示したいか、というイメージをアーティストさんに持ってもらい、キュレーターと相談しながら展示を作っていきます。

酒井一途

滞在アーティストは、地域をリサーチして作品をつくることが多いのですか?

大原あかね

担当キュレーターが公募して選ばれたアーティストさんがレジデンスに滞在しはじめる前に、ヒアリングを行い滞在中のプランを立てています。あるアーティストさんは瀬戸内の笠岡の島々をご覧になったり、中国山地の山の方を見にいかれる方もいれば、町中のお祭に参加していっしょに踊りはじめるアーティストさんもいます。倉敷市立美術館の書庫にものすごいお宝があるといって、その書庫にこもる方もいました。もちろんプランが途中で変わっていくこともあります。それぞれの形で3ヶ月の滞在の時間を過ごしながら、インプットとアウトプットをするのです。レジデンスでは普段知らない場所に行って、自分のなかのインスピレーションを呼び起こすというのが第一だと思っています。

酒井一途

アーティスト・イン・レジデンスでは、地域の外から来たアーティストが、アーティストの「目」をもってその地域のことを知ったり、新しい切り口をつくって作品に昇華したりしますよね。これは文化観光とも結びつくようなあり方だと感じています。文化庁での文化観光リサーチにおいても、さまざまなアーティストの声や地域の人々の声を聞くなかで、同様の実感がありました。外からやってきた「目」が、新鮮なまなざしでその地域のものを「見る」という行為になんらかの価値が生まれ得ると思うのです。

大原あかね

最近はやってくるアーティストさんたちが倉敷美観地区に「住む」ことの意義について考えています。いま私たちがやっているARKOは「こんにちは」と来る人たちに向けています。しかしアーティストさんの中には、「ただいま」と帰ってくることでインスピレーションを深めていく人もいます。「ただいま」と帰ってくる人がいるのもいいし、「こんにちは」と初めて来る人がいてもいい。両方あっていいと思うのです。「住む」というのも、二日だけ住む人がいてもいいし、1ヶ月住む人がいてもいい。

美観地区のいいところは、町を歩いていると家々の表札があるところです。この町には普通に住んでいる人たちがいて、きちんと町の生活があるのです。日常が営まれているなかにアーティストさんたちがやって来ます。だから「住む」ことができるのです。

酒井一途

日常への接続は大事ですね。誰がどう住むかによって、まちのあり方は変わっていきます。まちの寛容さもまたそれによって変わり、ひいてはまちのクリエイティビティも比例して変化していくように思います。

大原あかね

大原美術館としてはこれまでアーティストさんたちと共に歩んできました。加えてこのたび大原芸術研究所を新設し、前館長の高階秀爾が所長に就任しました。高階は「芸術研究は人間研究である」と掲げており、私たちもそれをコンセプトにしていくつもりです。そうすると芸術分野はもちろん、他分野の研究者もレジデンスをしに来られることになります。イノベーターや起業家も含まれます。美観地区にレジデンスをすることで、ここでしか生みだせないアイデアが出てくる。本当にたくさんのポテンシャルをもつ地域なので、活かし方をおもしろく考えていきたいです。来た人たちにどんどんこの土地で遊んでもらいたいと願っています。大原美術館、美観地区を使って生み出したものが県外や世界に出たときに、ここがオリジンだと言われるようなものになっていけば嬉しいです。

美観地区での暮らしの体験は、
人の心の中にあるものをもう一度呼び起こす人間体験

酒井一途

これまで文化観光の話をさまざまな方から伺ってきたなかでも「日常に触れる」という言葉がよく出てきました。この考え方を掘り下げていくことに興味があります。そして「ただいま」と帰ってこられる場所があること、そのような地域への関わり方をする人が増えていくことが大事です。いわば観光のリピーターといいますか。その人たちがこの土地にやってきたときに、「暮らし」に近い過ごし方をすることが、「旅をする」次のステップになっていきます。一度きり来るお客さんが5人いることも価値ですが、1人が5回足を運んでくれるような関係性の深さは数では測れないものです。そのような深い関係性を外から来る人たちとつくっていけるかどうかが、これからの地域にとって重要になっていくはずです。

というのも日本の地域はどこも人口減少は避けられません。どれだけ観光客数を増やそうとしても、今までのようには行かないのが現状でしょう。放っておいても人の数が増え、進歩の過程を辿っていくようなことはもう幻想です。別の視点からインバウンドに目を向けて、海外からの観光客を呼び込むのも一つのアイデアかもしれません。しかし国内の人口が減少していく中でも、一人ひとりが地域への愛着をもってたびたび足を運ぶような、もう一つの故郷とも呼べるあり方に地域がなっていくというのも、持続していける観光の形として重要なものだと思うんです。

大原あかね

お話を伺いながら、「暮らし」をしにやって来る外からの人と観光のリピーターがイコールであることにはどうも違和感が生じて、何が違うんだろうと考えてみました。

思ったのは、「暮らす」ようにこの土地に住みに帰ってくる人たちは、この土地の価値をつくる人たちなんです。そして観光客というのはけっして悪い意味ではなく、この土地の価値にお金を払ってくれる人たちです。ものに価値があるだけでは仕方がなくて、付加価値として転換されて消費されていくこともまた観光には必要不可欠なことです。それこそ観光のリピーターとして、たびたび消費をしに来てくれる人たちも地域にとっては大事なのです。

両方のタイプの人たちがいると、地域も豊かになり、また消費されるだけの観光ではない観光も作っていけるのかなと思いました。

酒井一途

すごくいい整理をしてくださってありがとうございます。どちらも大事というのは本当にそうですね、おっしゃる通りです。いつも僕は、地域に関係性を深めることであたらしい価値をつくっていく人たちにばかりフォーカスしがちなのですが、消費もしてくれる観光客の側も大事で、それら両輪を回していくことで地域が豊かになっていくということを忘れずにいたいと感じました。

一方で、消費してくれる観光客が地域の日常に触れるとき、そこに葛藤が生じる可能性もあると思います。観光のために日常を切り売りしている地域もあるからです。たとえばお祭りも自分たちの、地域のための祭りだったものを、観光客が何万人と来るような祭りになっていくことがあります。外部の者には踏み込ませないプライベートな部分はいくらか保ちつつも、観光客向けへと軸足を移した見せ方になってしまった祭りは少なくないと感じます。そのバランスはどのようにしていけばいいのでしょう。

大原あかね

的確にお答えできない自信しかないのですけど(笑)

料理屋さんではまず食の素材があって、作られた料理が商品としてメニューになっていきます。アーティストにあてはめると「暮らす」ことがそのまま素材に当たります。土地で丁寧に暮らすことからインスピレーションを受けて、素材の価値を高めていく。つまり料理するわけです。そうして高められた観光客が地域の商品を消費することで、サイクルが生まれていきます。

美観地区はまだオーバーツーリズムの問題はないと思います。観光客が消費しにきてくれることがありがたい地域なのです。暮らしを丁寧にすることで消費されつくさないようにするのは地元の務めです。暮らしをわくわくするものにしてくれるアーティストさんたちと関われたらもっとすばらしい。そうして観光に来るお客さまに消費していただいたとしても困らないものを作っていけたら、と思っています。

酒井一途

文化観光のあり方を考える上で、観光客が地域にやってきて、用意されたコンテンツを消費して帰っていくというだけではない、つまり観光客数と観光消費額を増やすことばかりを追い求めるのではない観光のあり方があるのではないか、とこれまで問いを立ててきました。経済や数値はわかりやすいので偏りがちですが「それだけではいけない」というだけであって、消費も大事な行動の一つですね。

大原あかね

はい。消費する観光はけっして悪いものではなくて。やっぱり、楽しんでいただきたいじゃないですか。それぞれの楽しみ方でいいのです。日常を忘れたい方もいれば、日常を振り返りたい方もいらして。多様なニーズをできるだけ満たせる観光地でもありたいと思います。

ただ、そのようにつくり出された価値を楽しむだけでは限界もあります。言い方がむずかしいのですが、本質的にラグジュアリーな商品というものは、価値を生み出す方々のところに生まれるものではないかという気がします。

酒井一途

ラグジュアリーを具体化していく話、伺いたいです。

大原あかね

まだその答えは出ていないのですが、地域の価値を生み出すにはアーティストや研究者としての創作・創造的な活動があって、かつ町に「暮らす」という行為が同時にあること。これら二つが掛け算となるところにものすごいポテンシャルがあるのではないかと思います。美観地区でもこれからラグジュアリーを追求していくにあたって、そこを深めてみたいです。大きな対価を払ってでも、この土地での日常の生活を存分に楽しむ体験、楽しむと同時に価値が生み出される体験、そんなものができたらとお話をしながらたったいま思い浮かびました。

酒井一途

あかねさんは美観地区に感じる魅力をどんな言葉で思い浮かべられますか。

大原あかね

美観地区の特徴としては、江戸時代からの歴史がいまも町に残っていることが挙げられます。ここは江戸時代の暮らしを感じられる場所です。思えば江戸時代ってよかったよね、といわれるような余裕のある暮らし。経済的にというより時間的に余裕があって、人の心も豊かであった時代。われわれが懐かしく思い返す暮らしの痕跡が残っているのです。今となってはとても稀有な暮らしのあり方です。

早朝に町を歩けば、神社と寺の静謐せいひつな空気が流れ、鳥の声が聞こえ、そこに人々が暮らしている。だからわざわざこの土地に「暮らす」ためにやってくることに価値が生じるのです。当たり前のように大原美術館があり、町の歴史がわかる倉敷考古館があり、生活の美しさを共有する倉敷民藝館がある。これらの三つのミュージアムが支えている地域で「暮らす」ことの意味はきっとあるだろうなあ、と思うけどまだうまく言葉にならない(笑)ここに暮らす意味、ありそうじゃないですか、ありますよね(笑)

酒井一途

ありますよ(笑)

大原あかね

どんな国の人にとってもなんらかの親和性があると思うのです。日本オリジナルではなく、人間オリジナルの懐かしさ。ただ懐かしいだけではなくて、憧れを伴っていたり、これからの自分の生活を潤してくれるものもあるはずです。異国情緒を味わいにくるのではないのです。暮らす、住む、生活することとの掛け算がなにか生まれるはずです。

酒井一途

暮らしの体験は、ここにはこんなものがあるから人間の暮らしが思い出せる、という明快なものではなくて、実際に町を訪れて肌身に触れることで、訪れた人たちの心のなかに生まれてくるものです。いま生身で体感することで、人生全体に及ぼす価値観の変化があったり、自分のなかにおける基準のあり方がガラッと変わったりし得るものだなあと思います。それこそラグジュアリーな旅になると思います。

大原あかね

美観地区での暮らしの体験は、人間体験。すべての人が心の中に持っているものをもう一度呼び起こす体験になり得ます。そんな旅のあり方に普遍性が生まれたらかっこいいですよね(笑)霞を食べて生きているような話みたいですけど(笑)

酒井一途

あかねさんのおっしゃる人間フォーカスがすばらしい、あるべき形だなと思います。ここに人の「暮らし」がある、触れることができる、そういう旅をする、ということですよね。あるひとつの芸術作品に触れたそのときに人生が変わってしまうことがあるように、あるひとつの旅をしたときにその旅の時間が人生のなかに生じたことで人生を変えることもあるのだろうと。人間的な、ほかにかけがえのないものになるのだろうと。

大原あかね

「暮らす」って、「生きる」ってなんだっけ、と思い起こさせてもらえます。そうか、「生きる」ってこういう呼吸をすることだったよね、と。美観地区にはそう思わせてくれる時間があります。芸術作品と出会うこと、町の人たちとの出会い、また手前味噌ですが大原家の孫三郎の生き方、總一郎の生き方に出会うこと。町を訪れた人たちが心のなかでそれぞれに大事にしているものと共震する出会いがあるはずだと思います。

酒井一途

そうしたものたちにこの町で出会えることをアピールするにはどうしたらいいのでしょうね。結果主義的にここではこんな価値が得られるから来てください、ではないと思うのです。見せ方をどうするかがむずかしいですよね。

大原あかね

ここに来て、感じて、心を豊かにする。そんなセンサーの感度が高い人に来てもらう、というものだとも思います。その人たちのセンサーに触れるような土地であるように、私たちは努めなければならないのです。丁寧に暮らしていくことがまたそこに繋がるとも思います。

酒井一途

丁寧に暮らすという言葉、染み入ってしまいました。

大原あかね

大丈夫ですか、共感を得られていますか(笑)

酒井一途

はい、とても。染み入るほどに(笑)

大原美術館外観 昭和5年(1930)設立当初

地域を核とした有機的なネットワークが、化学反応を起こす

酒井一途

素材としての「暮らし」を経て、アーティストがそこから調理していって作品をつくるという話がありました。調理された料理にも好き嫌いがあるように、この地域の暮らしに惹かれて来る方々は、あかねさんがおっしゃるように自身の求めている好みのセンサーをはたらかせてやって来ます。そうした人たちとは、自然の流れのままに出会っていけばよいのだと思います。放っておいても運命のように地域と出会っていく人たちはいますから。

しかしそうしたラグジュアリーな旅のあり方で出会う人たちは別として、情報過多な社会において、もう一段階広い層に向けてはどのようにアプローチしていくのがよいのでしょう。興味関心に沿ってアンテナを張ってはいるけれど、まだ出会えていない人たちへ向けて、より触れられやすい形になるためには。この問いは、おそらくどう美術館を「ひらくか」ということにも結びついてくるものでもあると思います。

大原あかね

とがる勇気とひらくしなやかさの両方が必要だと、美術館で話しています。私たちはとがりつづけているから、大原美術館としての価値が保てる。その価値を保っているからミュージアムを無邪気にひらけるのです。小さなお子さんからお年寄りの方々、どんな社会的立場の方へもひらいていけます。この二つは相反するものですが共に重要です。

酒井一途

その相反するものを両立させていく感覚は、長年培ってきてちょうどいいバランスを探してこられたのだろうと想像します。とがりすぎては、ひらいたところで伝わらないかもしれないですものね。

大原あかね

諦めなければいいのです。考えるのに飽きたり疲れたりしてしまうと、どちらかに偏ってしまう気がします。つねに考えつづけようとする意志が必要ですね。

いま大原美術館ではユニークベニュー(※3)として、展示場内で飲食をしたり、会議室として使ったり、さまざまな使い方をはじめています。会議室として使うにもたとえば普段ならライバル同士のような方々が集い、美術作品に囲まれて浮世を忘れて話しあえたらすばらしいなと思ったりします。

ただしこのとき美術館というハコについては「使える/使えない」と考えるのですが、アートや芸術そのものは「使える/使えない」の文脈で判断してはいけないのです。そのような文脈にとり込んだ途端、アートは道具になってしまいます。アートは道具ではありませんから。使えようが使えまいが、アートは「ある」ことに意味があるのです。

酒井一途

とがっている部分のなかでも、たとえば展示場内の飲食は特別な機会にのみひらかれるものですよね。ラグジュアリーなものとして、万人にひらかれたものとは別のあり方も模索されています。

大原あかね

だって生きていかなければいけないですもん(笑)

私の基本的な考え方としては、お金を出せる方からはしっかりいただき、お金を出すことはできないけれどアートを必要としている方にはアートを提供したいのです。「こんな経験にならお金を出したい」と思ってもらえる方法があるのならば、美術館の価値を損ねない限り検討したいのです。なぜなら私たちはいま手元にある美術作品を、よりよい形で未来に引き継がなければならないからです。

美術館にある作品を多くの未就学の子どもたちと一緒に見ておしゃべりしたいですし、今度は地元のロータリークラブさんから資金援助を得て貧困家庭の親子が美術館に遊びに来てくれます。事前のアンケートでも「普段は食べるものをどうしようかと考えているくらいだけれど、芸術に触れる機会を得られて嬉しい」とか「夏休み中にどこにも連れて行けなかったが、一つ思い出が作れて嬉しい」という言葉がありました。

私たちの経済的な体力だけではそこまではできない、けれどそこにロータリークラブさんが助けてくださるから実現することができる。私たちが持っている美術作品をしっかりと社会還元するようにしていきたいのです。そのための循環を手助けしてくださる方々がいると、本当に本当に助かります。

酒井一途

そうした循環があっての、器としての文化、なのだろうなと思います。「ある」ものとしての美術作品をどう回していけるかというところに、パトロネージュの考えが必要になってくるのですね。人が作品に触れてこそ、その機会があってこそ、その人の人生が変わるかもしれない体験がもてるのですものね。

大原あかね

はい、私はそう思います。ミュージアムは社会資産、地域資産です。使い倒さなきゃ損じゃないですか。どう使うかは、地域や関わる人々に懸かっているのです。

酒井一途

美術館が地域にあることの意義を、大原美術館はつねに発信していらっしゃる印象があります。それでもまだまだ伝えきれていない、ともおっしゃっている。

大原あかね

正直な話、今回コロナ禍を通じて、私は本当に多くの人に助けられたのですけれども、美術館のもつ歴史が助けてくれた部分も非常に大きかったです。大原美術館の経てきた90年の歴史がなければ、これだけ多くの方たちに助けていただくことはできなかったと私は思います。

しかし、まだ私たちが「顔の見える」という言葉で感じられる丁寧さでもって多くの方々に接しきれていないのが「伝えきれていない」という感触に繋がっているのです。昔の「顔が見える」と、今の時代での「顔が見える」とではまた違った方法を取る必要もあります。

酒井一途

「顔が見える」というのは大事なキーワードでして、旅をするにしても「暮らす」観光にしても、「ただいま」は顔が見えるからこそ言える言葉です。そのためにこちらから会いにいく、触れる接点を増やすにあたって、大原美術館ではさまざまな工夫をしておられるように見えます。まだ足りないとなると、いったいどうしていかれるのがいいのでしょう。

大原あかね

足りないというよりも、何をしたらその人にとっての「顔が見える」なのかを、私たちが掴みきれていないのです。

よく言うのですが、私たちは美術館オタクなんです。美術館のことが好きで好きで仕方ないのです。オタクが自分の好きなものについて語っていても、興味のない人には届きづらいことも多いじゃないですか。もちろん好きなものを一生懸命発信していることに共感してくださる方々もたくさんおられるから、おかげで届いている声もあります。

ただ、特に興味のない方に向けてもきちんと伝えることを、私たちはこれからやっていかなければなりません。ここに来ればわかります、という言葉は使いたくない。もっと来ていただけたらうれしい、来る気持ちになってもらえるために何をしたらいいのか、いつも暗中模索しています。

酒井一途

そのあいだを埋めて切り拓くのが、地域の外からくるアーティストたちや研究者たちなのかもしれません。その人たちは美術館オタクともちがいますし、大原美術館が地域にとっての見慣れた当たり前の存在になってしまっているわけでもありません。

美観地区に「暮らす」ように町を訪れることであたらしい価値をつくっていく人たち。アートが「使える/使えない」ではなく「ある」ことに意味があることと同じように、その人たちは「いる」ことに意味がある。いままで美術館やアートに興味のなかった人たちに向けて、触れられるなにかをつくり出してくれる。「いる」ことによってなんらかの意味を発信してくれるようになる。そんなことが可能なのではないでしょうか。

大原あかね

私の祖父の總一郎が、美観地区に研究者が集まってくれたらいいのにと言っていたと聞いたことがあります。私はめちゃくちゃおじいちゃん子なので、ずっとその夢を叶えたいと思っていました。

2018年に江戸時代後期建築の旧大原家住宅を「語らい座大原本邸」として開いたとき、ここが研究者たちの集う施設になればと思いを込めました。なぜなら大原家の研究、孫三郎、總一郎の研究は一つの分野に留まらず、経営も国際関係も民藝も音楽もある。多分野の研究者が集まっていく場がそこには生まれてきます。

大原美術館においても芸術という括りのなかではありますけれど、総合ミュージアムですからコレクションのバリエーションも多様です。高階の言葉「芸術研究は人間研究である」の「芸術」の意味は、「人々がその営みの中で生み出したもの」です。だから美術館に集う方々もまた多分野でありえます。

それら2つの施設においてそれぞれに、多分野の方々が集まってくる装置が美観地区にはあります。

酒井一途

訪れてきたアーティストや研究者、文化に携わる人たち、あるいはもっと広くこの地域に関わりに来る人たち。つまりは、あたらしい地域の価値をつくっていく人たちが、地域の「暮らし」のなかにいるということ。その人たち同士が繋がりあって、有機的な関係をもって深く関わりあうこと。そのネットワークは文化にとって大切な深いところを担保しつつ、今までアクセスしえなかった層に向けても広まっていきやすいと思うのです。

アーティスト・イン・レジデンスや美術館に、単独でやって来て帰っていく人たちがいます。その人たちも「ただいま」とまたやって来る人にはなりますが、その一つの原子の動きだけでは生まれない形がある気がします。訪れてきた人たち同士、また地域の人たちとの出会いが分子式を成していくような、そんなことができたらすごく素敵ですね。

大原あかね

叶うと思います。美観地区にはこれから研究者、アーティストなどの創作者たちがつくりだす不思議なアカデミアが生まれてくるはずです。大学によらないアカデミアです。それがこの地で生まれるのはめっちゃおもしろくないですか。できる!と思っています。

酒井一途

ここからの100年を切り拓いていきますね。

大原あかね

ここは「暮らす」という人間の基本的な欲求を満たすことができる場所ですから、国籍、人種、年齢に関係なくどんな方でも、なにか心が通じるような感覚を持っていただけます。その価値を、最大限に活かしていきたいなと思っています。

編集後記

文化や芸術がある地域で育まれていくには、かならずその背景に支えとなった人たちがいます。それも数えきれないほどいます。人的なネットワーク、後進の育成のための教育、文化や芸術に対する底知れぬ熱意、地域内での交流を生むコーディネート、また金銭的なサポートなど。支え方にはさまざまな形があり、それはかならずしも目に見える形ではないこともあります。

岡山倉敷においては大原家が長年にわたってその大きな役割を担いつつ、ほかにもまちに関わってきた名を残すことのない多くの人たちの支えのもとに、今の岡山倉敷があります。文化や芸術、ひいては「まち」そのものは過去から現在に至り、将来へと引き継がれていくいくつもの人の思いの集積があって成り立っているものです。そのバトンを今たまたま手にしている自覚をもってこそ、無私の心でほかの人たちからの支えを頼むことができる。

あかねさんは利得ではないところで、受け取ったバトンをいかに後世によりよい形で引き継いでいけるかに文字どおり心血を注いでいます。かつて文化と芸術を岡山倉敷で育んできた大原家の担っていた大きすぎる役割を、時代が変わってこれからは「文化観光」をすることや、その延長として「まちに暮らす」ことで役割分担をしていけるようになれば、「生きた」文化と芸術がまちのなかにありつづけることができるのでは、と思います。

注釈

※1 大原美術館を中核とした倉敷美観地区の文化・観光推進拠点計画

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei…

※2 令和2年に施行された文化観光推進法による文化観光の定義は以下。「『文化観光』とは、有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(文化資源)の観覧、文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて文化についての理解を深めることを目的とする観光をいうものとする」

また、文化観光推進法がめざすところの内容は以下。「文化観光推進法は、文化の振興を、観光の振興と地域の活性化につなげ、これによる経済効果が文化の振興に再投資される好循環を創出することを目的とするものです」

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko…

※3 「ユニークベニュー(Unique Venue:特別な場所)」とは、「博物館・美術館」「歴史的建造物」「神社仏閣」「城郭」「屋外空間(庭園・公園、商店街、公道等)」などで、会議・レセプションを開催することで特別感や地域特性を演出できる会場。(観光庁HPより)

関連する文化施設・体験のご案内

◎大原美術館

〒710-8575 岡山県倉敷市中央1-1-15

Tel 086-422-0005

https://www.ohara.or.jp

◎ARKO(アルコ)(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)

https://project.ohara.or.jp/ARKO/

※アトリエは一般未公開

◎倉敷考古館

〒710-0046 岡山県倉敷市中央1-3-13

Tel 086-422-1542

http://www.kurashikikoukokan.com

◎倉敷民藝館

〒710−0046 岡山県倉敷市中央1-4-11

Tel 086-422-1637

https://kurashiki-mingeikan.com

◎語らい座 大原本邸

〒710-0046 岡山県倉敷市中央1-2-1

TEL 086‐434‐6277

https://www.oharahontei.jp

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隠岐諸島・海士町を旅する|青山敦士さん、千葉梢さんに話を聞く https://craftweek.jp/column/69255 Sat, 19 Aug 2023 08:43:58 +0000 https://japancraftweek.thechords.jp/?post_type=column&p=69255 文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。

今回は島根県の離島である隠岐諸島及び海士町が旅の舞台。

隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設「Entôエントウ」を海士町に立ち上げられた青山敦士さん、観光関連の会社である隠岐桜風舎に所属しつつ島のさまざまなデザインや文化に携わる千葉梢さんのお二人にお話を伺いました。

Entôには、2021年7月に開業してからまだ3ヶ月という時期に初めて宿泊に伺いました。青山さんがそのときおっしゃっていたことが印象的でした。

「ホテルというと便利さを求めて付け足していきがちです。いかに削ぎ落とすか、隠岐の景色をただ味わうという一点にフォーカスできるか。ここはホテルではなく、Entôというあり方を示したい」

その精神は、文化を愛する人たちが旅に求めるものに通ずるものがあると感じます。情報にまみれたこの世のなかにおいて、旅先で日常を離れてあるがままをいかに見るか。余分が削ぎ落とされ、感性が研ぎ澄まされたときにこそ、触れにゆくことのできる真髄なるものがあるはずです。日本の伝統文化におけるさまざまな「道」の精神もまた同じくして。

青山さんにご紹介いただき、はじめてお話することになる千葉さんの視点も交えながら、隠岐への旅のあり方を模索していきます。いわゆる文化観光の王道とはことなる形でありながら、文化を愛する人たちが「文化を愛する旅」をするときにどのような体験をもてるとよいのか、この連載の中でそうした旅のあり方も示していければと思っています。

青山敦士 あおやま あつし Entô CEO

1983年北海道北広島市生まれ。札幌で野球一筋で育つ。大学進学で上京。途上国支援の活動を共にしていた先輩から海士町のことを聞き、新卒で海士町へ移住。海士町観光協会の職員として「海士の島旅」のブランディングに取り組み、地方の在り方を問う「島会議」の企画・運営を担当。2013年には観光協会の子会社となる(株)島ファクトリーを立ち上げ、旅行業・島のリネンサプライ業を運営。2017年より株式会社海士代表取締役に就任。 2021年7月には泊まれるジオパークの拠点「Entô」をグランドオープン。

千葉梢 ちばこずえ 隠岐桜風舎/千彩堂

1985年東京生まれ。株式会社隠岐桜風舎にて隠岐神社周辺のガイド業をはじめ、詩歌大会、日本食の提供、パンの継承事業など、広い範囲での「島の文化事業」に携わる。2021年、「何もない日にも、千のいろどりを」をコンセプトにした「千彩堂(ちあやどう)」を開業。2023年よりフリーランス活動を本格化させ、一つの組織に縛られず、複数の組織において自身の経験を生かした働きかたを実践中。

旅を通じてクリエイティビティを増していく文化観光を

酒井一途

青山さんは隠岐・海士町という島を拠点に、いわゆる観光とはことなる旅のあり方を提案し、形づくってこられたのではないかと思います。そんな旅のあり方について考えてこられたことからまずは伺わせてください。

青山敦士

Entôを経営している今と、海士町観光協会にいた頃とでは、目指すべきものへのスタンスがいくらか変化しています。海士町観光協会にいた頃は、「島旅をつくる」ことをしていました。そこでは海士の風土、海士らしさにどれだけ観光客がタッチしてもらえるか、その接触の頻度や純度を高めることを意識していました。この土地じゃなくてもありそうな生活様式を引き算することで、その純度を高めるんです。
海士町で広く行われてきた島外の人たちとの交流のあり方があります。民謡を披露したり、方言でからかってみたり、夜な夜なスナックで島民と混じりあって語り尽くしたり。そうした魅力に触れてもらうことが、この島を訪れてくる楽しみとしてあります。
また島内のアテンドをしたり宿への送迎をするなかで、島民である自分がいるからこそ偶発的に生じる出会いや、見ることのできる景色、旬の食材などに引き合わせられることがおもしろくて。デザインしきれない偶発性への期待をもつこと、そうした偶発性を引き寄せることをずっと考えてきました。

酒井一途

旅における偶発性、じつに掘り下げていきたいテーマです。続けてスタンスが変化したという今、Entôを拠点として考えておられることについても伺いたいです。

青山敦士

Entôをつくるにあたっては、さきほどお話した島の魅力とはもうひとつべつの魅力を提案したいと思いました。これまでこの島へまだ訪れたことのない人びとにも出会っていきたかったからです。島に来てこの島の風土や土着の空気を味わいつつ、そのあと静寂のなかに立ち還って、体験をみずからの中に落とし込んだり、自分に向き合う時間をつくる。さらには海士町や隠岐に留まらず、より大いなる自然のなかに生きている意識のもと、くうになる。その環境が隠岐の島々にはある。そのような過ごし方を生活習慣として持っていて、旅の魅力と感じて大事にすることのできる方々を世界からお招きすること。これが新たな化学反応を海士町にもたらすだろうというのが、Entôとしてのミッションです。

酒井一途

文化観光というと、文化庁の指し示す定義やさまざまな自治体、プレイヤーが目指しているあり方がそれぞれにあると思うのですが、いま青山さんがおっしゃったようなこともまた文化観光のひとつの形であると感じます。
その土地でしかありえない風土、その土地らしさを求めて旅にでる。デザインすることのできない、けれどたしかにそこにあるものに、偶然性のもとに出会っていく。その出会いを経て、自分自身に立ち還る。それはエンターテインメントの観光とはまったくべつの、土着の風土、人びと、その土地らしさに出会うための「文化を愛する旅」です。
そうしたオーセンティックな(真正性のある)もの、そこにしかない文脈に触れたとき、あらためて自分自身のなかにある自分にしかないもの、自分のなかの根源的なものに立ち還ることができるのではないかと思います。
そして旅を終えて日常に帰っていったときにも、旅のなかで再発見した自分のなかの根源的なものはありつづける。文化観光のひとつのあり方としてそんなイメージがあります。

青山敦士

話をお聴きしてとてもインスピレーションを受けました。
文化ってクリエイティブなものなんですよね。文化観光には、ゲストが旅を通じてよりクリエイティビティを増していくことのできる可能性があるのかもしれないと思いました。
海士町観光協会で企画してきた海士町の交流のなかでも、ひとつ毛色がちがったものがあるんです。和歌・俳句・短歌を詠む吟行ツアーで、後鳥羽院(編集部註:『新古今和歌集』の編纂を勅命。承久の乱で敗北し隠岐に配流された)に親しんだシニアの歌詠みの方々が来られます。何十年も開催しているものなのですが、訪れる方々の姿をみてきてすばらしいと感じるのは、台風の日に重なったとしてもそれすら歌になるんです。そのクリエイティビティや旅のあり方には、まさに海士町のコンセプトである「ないものはない」に通じるものがある。ここは千葉ちゃんにも聴きたいところだな。

日常から切り離された時に感性をアップデートできる

千葉梢

敦士さんとは海士町観光協会時代に一緒に働いていました。彼はEntôを立ち上げたことで宿にフォーカスしはじめた一方、私はいま観光関連の会社である隠岐桜風舎の仕事に携わっています。
隠岐桜風舎では隠岐神社おきじんじゃ、その御祭神ごさいじんである後鳥羽上皇をテーマとしたコンテンツがあって、ど真ん中に観光事業があるのではなく、歴史や文化を中心にしています。その中で仕事していて思うのは、島外から訪れてくる人たちのなかに、文化的な目が磨かれている人たち、価値を評価できる人たちがいるんですよね。後鳥羽院のファンも思ってる以上にめちゃくちゃいて、歌聖かせいとして超絶リスペクトされてるんですよ。
後鳥羽院は戦いに敗れて隠岐に流されてきたのですが、それから和歌の調子が変わるんです。以前は天皇としての立場を背負った歌を詠まれていた印象があります。しかし島に来られてからは島に流されたことの悲しみに溢れてはいるけれど、何の肩書きもなく「ただ自分がそこにいる」という感覚で詠まれている。たとえば漁師さんが使い終わった網を焼いているとか、農家さんが田植えをしているとか、天皇としてはこれまで出会うことのなかった景色をそのあるがままに詠むというふうに。歌を専門とする先生方の話を伺うと、境遇の変化があったからこそクリエイターとして一段階上にいったといいますか、歌人としては幸せだったのではないかとおっしゃるんです。 敦士さんの言葉ではクリエイティブと言われていましたが、私は表現という言葉がしっくりきます。表現とは、私自身の感性をあらわすこと。文化ってなにかしら伝えたい想い、祈りが込められているものだと思うんです。ただの旅行は気分転換かもしれないけれど、文化観光をするときにはどこかで自分の表現があらわれてくるのではないでしょうか。たとえば第六感が開いて紡ぐ言葉が変わったり、いままで見ていたものの受け取り方が変わったり、あるいは次の日からお料理の味がすこしだけ変わるとか。自分から滲みでるものがアップデートしていくようなものなのかなあと思います。

酒井一途

旅のなかでそうしたことが起こっていったら、すばらしいことです。 後鳥羽院は、島流しにあったことでやむにやまれずその境遇になり、そのなかで出会ったものを詠んでいったわけです。しかし現代を生きる私たちは旅を通して日常から切り離された文脈へと赴くことで、別の文脈に接続して本来の自分に立ち還ることができる。自分のなかで新たに文脈を再構築していくことができる。そんな風にお話を伺いながら感じました。

青山敦士

めちゃくちゃいい表現ですね。Entôで大事にしている価値観としても、ゲストが滞在しながら海士での旅のなかで「unlearn」をしていく、一途さんのおっしゃる「ちがう文脈につけかえる」時間を過ごしていただけるように、ということを心掛けています。

千葉梢

かつて世界一周をしてきたときに、新しいものに出会ったというより自分軸に戻った感じがしました。やっぱり私こうなんだなって。見にいくものや描くものが変わらなかったり、忘れていた小さい頃のことを思い出したり。 でもそれって旅に限定せず、海士町に住みながらも、外から訪れてきた誰かとの対話がそうした感覚を引き起こすこともあります。旅の距離や行く場所がどこかよりも、いかに日常ではない形がつくれるか次第なのかもしれません。

訪れる人の個性に合わせた個別のコミュニケーションを

酒井一途

文化を愛する人たちが、さて海士町へいこう隠岐へいこうと思い立ったときに、どうしたらその人たちのクリエイティビティを刺激させられる旅にできるでしょう。感性の回路がひらきはじめるためには、最初の偶発性への出会いが必要だと思うんです。島の人の風土や、その土地らしさに触れるための最初の機会。海士町では放っておいても出会える可能性は高いと思うのですが笑。たとえば地域に生きているデザイナーや建築家と出会うことができたなら、と思います。その地の魅力をどう外側に発信していけるかの視点を持っている人たちですから。
ただ、そうして自分の仕事を持っておられる地域の人たちが、来られる方々一人ひとりの相手をするわけにもいかないとは思います。地域の案内や人の紹介はしばしば無償で行われることが多い領域です。訪れてくれた方々とコミュニケーションを取る楽しさはありつつ、やはりそこには時間や労力、さまざまなケアや気づかいなどの見えないコストがかかります。とくに地域創生や活性化の事例で注目されていたらなおさら、外との窓口になってくれる人やその地域で会わせたい魅力的な人への声かけが集中します。来られる方々にとってはそれが初めての機会ですが、迎える側にとってどう健康的に継続していけるかは大事な視点だと感じています。

青山敦士

なにかしらキャッシュポイントや、事業者として提供したいコンテンツを持っている人であれば、その人に正面玄関からではなく裏手口から出会わせるということができます。
たとえば隠岐神社の神主さんはすごくホスピタリティも高くておもしろい人で、いわゆる神社の神主さんのイメージとはキャラクターがぜんぜん違って、ギャップをもって隠岐への愛を語ってくれる人です。彼に出会わせたいとき、この人に会うんだったら正式参拝をちゃんとしてね、と言えるんです。手順が逆で、正式参拝をするとこの人に会えますよ、だと押し付けになってしまいます。この違いは大きいと思います。顔の見える関係性のなかでお繋ぎできるけれど、向かう敬意として正面玄関から入るときと同じように手順を踏むということです。
それがEntôであれば、泊まってさえいただければそこがキャッシュポイントになります。Entôではゲストを迎えるときに個別最適化を大事にしていて、一人ひとり来られた方の個性にあわせたコミュニケーションをしようとしています。だからそこに見えないコストをかけることを良しとしています。採用の際にもいわゆるホテルスタッフを求めているわけではなく、島民としてのあり方を大事にしてくれる人たちと一緒に働けたらと思っています。機械的なオペレーションは必要なくて、「この人に出会えなければこんな旅にならなかった」というものを宿のなかでつくりたい。チェックインのときも食事のサーブのときもタッチポイントを作り得るはずなんです。

酒井一途

Entôはそのようなことが目指されている場所だなあと、二泊三日たった一度訪れただけでも感じられました。また旅したい場所であり、帰っていきたい場所です。あの人に会いたいから、あの人を通じて出会う景色にまた巡り合いたいから、まさにそんな風に感じられました。

千葉梢

ちゃんと売るというのも大事だなと思います。訪れる側のメリットになることと、島に住んでいて迎える側のスタンスはちがうわけです。島を訪れてまで話したい人がいる、という人は、世間話をしたいわけではなくて、何かしらの熱量があるはずなんですよ。だからこういった人たちに向けて、きちんと商品を設計しておくのが良いのかもしれません。商品としてちゃんと売ることで、迎える側のギアを入れることができる。島外への発信者としてよりクリエイティブであろうという心意気にもつながります。それこそ訪れる人と島民のウィンウィンのあり方ができるといいですよね。

私も仕事としてガイドをするのですが、訪れてきた人たちの五感を刺激しながら第六感をどう開かせるかをよく考えます。この石碑にはこういう歴史があったということを想像してもらうようにお話したり、この時間は海の色の透明度が特別高いんです、なぜなら太陽が高い位置にあるからとか、こんなに晴れているから今日は新緑が萌葱もえぎ色に映えていますねとか。私は史跡などの専門家ではないので、気づきを生むようなガイドを言葉で伝えることを意識しています。

あるいは人だけではなくてモノでもそんなことができないでしょうか。クリスマスのアドベントカレンダーみたいに、その日に向けて一日一日カレンダーを日めくりしていくような、時間軸をもった仕掛けをつくれたらおもしろくないですか。隠岐に訪れてくる人たちがまるでロールプレイングゲームの主人公になるかのような。 他にも、隠岐に来るためにはみんな船に三時間乗るので、その時間で自己に向きあうための時間設計をしてくれるツールをつくることに興味があります。なにか問いを考える、自分の声を録音してみる、ここで一句読んでみる、そんな普段とはちがう経験をもたらすツールを用意しておく。さらにはそのツールの素材が島根県の文化財である石州和紙で作られているとか、この模様はどこの寺院のものだとか、この地域の風土での手触り感のあるもので作られているといいなと思いつきました。

数々の観光スポットで五感を研ぎ澄ませてみる

酒井一途

文化観光のあり方の多様さを一緒に考えていただくかのように、さまざまなお話を伺ってきました。隠岐諸島および海士町をこれから訪れる方々に向けて、どこか具体的なおすすめのスポットがありましたらお伺いしたいです。

青山敦士

手前味噌ですが、家族でEntôに泊まったことがあるんです。そのとき長男がEntô 1階のジオラウンジにあるソファーに座って、夜中ずっとぼーっとして過ごしているのを見かけて。翌朝も日の出の頃に起き出して、いっしょにおなじソファーで朝日をみながら過ごしたんですよね。その過ごした時間は、息子にとっても僕にとってもすごくいい経験になったんです。ジオラウンジはEntôに泊まらなくても朝6時から空いていて、だれでも来ることができるので、お勧めしたいスポットです。あとはそうですね、隠岐神社の夜もすばらしいですから、ぜひ行ってみてください。

千葉梢

人との出会いもそうですが、とりあえず西ノ島に行けばいいかな。そこで一旦三キロ歩くとかね。具体的な場所でいうと、西ノ島の通天橋(海岸沿いにある奇岩)はやっぱりいいです。とにかくでかい。焼火たくひ神社に登るのもおすすめです。崖にめり込んでる神社が見られます。自然と人工物が一体になっている不思議さがあるんですよ。摩天崖の遊歩道を下から上まであがってみるのもいいですね。海士町では金光寺山。小野篁という人を知っているとより楽しめます。苔が生い茂っている景色は神秘的で、ジブリ作品のような世界観を感じさせます。

酒井一途

そうしたスポットを訪れながら、ただ物見遊山に観光するというのではなく、ゲストが文化観光としての旅のあり方を模索するとしたらどうでしょう。それこそ歌を詠むかのような眼をもって島を見ることができたら素敵です。文化を愛する人たちが、文化的な眼でもってその地の風土をみて、触れにゆく。 でも単に訪れてくるだけでは、そのような眼をもつことはむずかしいですよね。この島でみえないものを見るための眼をもつためには、どのようにしたらよいのでしょう。

千葉梢

歩いた道々での五感の記憶を辿るとおもしろいんじゃないかと思います。たとえば何色が多く見えましたか、どの色がいちばん綺麗にみえましたか。朝と夜でみえてくる色の違い、日によって異なる表情をもつ海の色、雨が降ると変わっていく岩の色。あるいはどんな音が聴こえてきたか。草の上や砂浜で素足になってみて肌の感覚はどうか。思いついた形容詞をたくさん書いてみるのもいいです。綺麗な、とかシンプルな言葉から始めてみて、どんどんより具体的な、自分の感覚にピッタリくる言葉を追いかけてみる。そんなたくさんの問いのリストを事前に用意しておいて、ペンを持ってメモしながら、島のなかをただ歩いていく。そうすると気づけることが多くあります。そのあいだは日常の仕事のことなんかまったく考えないでいられます。
そうして、西ノ島で大自然を五感で味わってから海士町に来ると、港の開けた感じや島民の人懐っこさにまた異なる感覚があると思います。

酒井一途

めちゃくちゃいいですね。千葉さんがいま出してくださったような問いを、隠岐に来て自分で実践してみるのはすばらしい体験になると感じました。誰にガイドされるでもなく、隠岐の自然、色や音、肌の感覚をいちばん感じられる。自分がこの島に来て大地を踏みしめていることを、自分の身体で五感をもって体験する。
ひいてはその体験は、この島で人々が築いてきた文化、風土のありかたをみずから追体験することにも繋がります。自然を体感することと、文化を享受することは本来異なりますが、土地に根ざして築かれてきた文化をみるためには、その地そのものに触れることも大事なことです。文化を愛する人というのはそのような体験を本源的に求めているのではないかと思います。

編集後記

旅をする人が地域で迎える人の側の視点をもつことで、どのようにその地の文化を担う人たちが生きているのかを想像できます。そうすることで通常の観光では案内しえない文化に、より深く触れにゆくことができる可能性が生じるのだと思います。

サービスをただ享受したいだけであれば、用意された観光コンテンツに金銭を支払うことで解決します。しかしそこに相互の関係性を生みにいこうとすることで、文化観光の理想的な循環を生み出せます。一方向的な関係ではありえないのです。

人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくための文化を愛する旅。その先には、旅先の土地のファンになり、その文化を支え、誰かまだ見ぬ人たちに伝え、あるいはみずから受け継いでいく愉しみが待っています。一度かぎりではない、何度でも足を運びたくなる旅先をみつけに、文化を愛する旅へ。

取材協力

Entô(エントウ)

〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1375-1
Tel 08514-2-1000
https://ento-oki.jp

隠岐桜風舎

〒684-0403 島根県隠岐郡海士町海士1784
TEL 08514-2-2311
https://okiofusha.co.jp

千彩堂

https://chiayado.amebaownd.com

隠岐吟行ツアー

お問合せは海士町観光協会へ
https://oki-ama.org

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