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日本をめくる 第1回

日本の小さな美術館の扉を世界に開く

五感で味わう美術館ガイド|ソフィ・リチャード

このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


2014年に英語書籍としては30年ぶりとなる日本の美術館ガイドを出版した、ロンドン在住の美術ジャーナリストのソフィ・リチャードさん。2004年から定期的に来日し、全国の美術館、博物館、文化施設を訪ねて歩く地道な調査を続けてきた。

ソフィ・リチャード Sophie Richard

ロンドン在住のフランス人美術史家、美術ジャーナリスト。エコール・ド・ルーヴル、パリ大学ソルボンヌ校に学ぶ。2004年から定期的に日本の美術館・博物館、文化施設を訪問し、地道な調査を続けながら、その魅力や情報を書籍や雑誌で世界中に発信している。

その経験を海外旅行者と共有するために、『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』(Japan Society)を2014年に刊行。本書は、ウォール・ストリート・ジャーナルが「情報満載で手軽なこのガイドは、日本語がわからない美術愛好家にお勧めの一冊」と紹介するなど話題となった。

出会い

初めてソフィ(と筆者は呼んでいる)に会ったのは、今から10年以上前の2012年10月のこと。旧知のキュレーターから、フランス人の女性が日本の美術館に関する本を出したいので相談にのってほしいとの連絡を受け、当時神保町にあった弊社オフィスで話を聞いた。

第一印象は、物静かで人の話にじっくり耳を傾けるとてもマナーのよい女性。しかし、こと話題が日本の美術館になると、複雑な表情を交えながら熱く語り始めた。

「日本には大小様々な美術館・博物館があり、その数はおそらく世界でも飛び抜けています。でも、英語の情報があまりにも少なくて、有名美術館を除けば海外ではほとんど知られていない。それが残念でたまらず、一念発起して海外旅行者のためのガイドブックの執筆に着手しました。1年後にはロンドンで出版したいと思っています」

相談とは、その本をどうすれば日本で販売できるかとのことで、日本の取次制度の複雑怪奇な仕組みを説明したが、たぶん理解はしていなかったと思う。とはいえ、どんな本になるのかへの興味もさることながら、彼女の人柄に惹かれ、ゲラができたら一部を見せてほしいと伝えた。

1年後に送られてきたPDFは、日本の美術館・博物館50館を紹介したとてもスタイリッシュなデザインで、内観外観、所蔵品など写真も豊富。内容もガイドブックに相応しく、美術館めぐりのための情報やアドバイスが満載で、そのどれもが自分の足で歩いたからこそ得られた「生きた情報」であった。すぐに版元であるJapan Society と日本における販売契約を結び、2014年5月には日本での発売が叶った。

出版記念パーティでのディスプレイ(YOICHI NAGASAWAのメゾン、東京・青山)
『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』初版、2014年
Sophie Richard
発行:Japan Society
発売:株式会社ブックエンド

五感で味わう

英語による日本の美術館ガイドとしては30年ぶりとなったソフィの本は、日本でも好評を博した。前述のように、初めて日本を訪れる人々を対象に、旅の準備から訪問前の注意事項(根津美術館の燕子花かきつばたは期間限定展示など)、アクセスに始まり、歴史や建物、コレクション、周辺情報まで含めて、各館の見どころをそれは丁寧に紹介している。

特に、「五感で味わう」をテーマに、靴を脱いで畳を歩く感触や、香をいた室内、薄暗い中に屏風の画面が揺れ、風や木々の音が聞こえてくるような展示など、旅人の心に残る「体験」を中心にしているのは、外国人である彼女ならではの着眼点だろう。

旧朝倉家住宅のソフィ・リチャードさん

例えば、旧朝倉家住宅(東京都渋谷区)のページでは「靴を脱いで木造2階建ての住宅に入ると、畳の部屋を自由に歩きまわれます……庭の眺めを楽しみたいなら畳に座りましょう。庭に向かって開け放たれた障子が美しい風景の額縁となり、人の手の入った部分と自然が絶妙のバランスを見せています」と案内し、この住宅が本を書くきっかけになった「私のお気に入り」と一言添えている。あるいは、河合寛次郎記念館(京都市)では「河合家の人々は愛情をこめて記念館を運営し、寛次郎の魂を生き生きと今に伝えています。ここを訪れた人々は自由に椅子に座り、家具に手を触れて楽しむことができます」と、テレビの中継レポーターのように臨場感溢れる言葉で解説している。その最後には、「歩いてすぐのところに京都国立博物館があります」と周辺情報も忘れない。

海外にいながらにして、ソフィの訪れた場所をまるでVRのように追体験できるのが、本書の一番の魅力と言えるだろう。

その後日本語に翻訳され、2016年に『フランス人がときめいた日本の美術館』(集英社インターナショナル刊)が出版された。2018年にはテレビのBS11で同名の美術番組がスタートし、(本物の!)ナビゲータもつとめることに*。その間も彼女は新しい美術館・博物館の取材を精力的にこなしている。

なぜか? ソフィのもとには、本書を読んで実際に美術館を訪問した読者から感謝のメッセージが多く届いたが、一方で地方の美術館の情報を求める声が徐々に高まっていったからだ。その要望に応えるべく、書籍刊行後も次を見据えて、ソフィは行動を開始。2019年秋に改訂増補版を刊行した。

旧版で50館だった収録件数は、北海道から沖縄まで全国112館に倍増した。しかし、直後に襲ったコロナ禍により訪日観光客は激減し、ガイドブックも出番のないまま約3年が過ぎた。

2022年10月、京都への移転を控えた文化庁の招きで3年ぶりに来日したソフィは、都倉俊一長官と東京および京都で博物館をめぐりながら対談。その模様は「日本の美への誘(いざな)い」として文化庁のサイトで公開されている。【日本博は『日本博2.0』へ!日本の美と心を発信します。】  

海外からの旅行者の来日もコロナ前の活気を取り戻しつつある現在、日本の文化観光について語ってもらった。

* 2019年9月まで放送

──ガイドブックを書こうと思ったきっかけは?

初めて日本を訪れたのは2004年です。城崎に行って旅館に泊まり、浴衣を着て街を散策したり、温泉を巡ったり……。また、直島とその美術館や、京都の禅庭を訪れたりしたのはとてもエキサイティングでした。日本人の友人が同行し、旅行中にさまざまなことを紹介してくれたので、この最初の経験はスムーズでした。

その後、私は何度も日本を訪れ、世界中のどこへ行ってもそうなのですが、いろいろな美術館(博物館)を訪ねました。しかし、美術館に関する正確な情報や関連する情報を見つけるのは必ずしも容易ではなく、美術館に行っても、入手できる英語の情報はごく限られていました。

日本の美術館の数は驚くほど多いのに、海外ではあまり知られていないと気付いたことがきっかけで、私は日本の美術館を調査し、その内容を欧米の美術愛好家に伝えたいと思いました。

まず、いくつかの記事を書くことから始めましたが、本としてまとめるほど内容がたくさんあった。日本の美術館がいかに多様で数が多いか、また、その中で私のおすすめの美術館を紹介しようと考えました。

さらに、この美術館がどんな施設なのか、誰が設立したのか、コレクションの大きさ、建物はどのようなものかなど、個々のストーリーを人々に紹介したいと思ったのです。

『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』 大西清右衛門美術館の紹介のページ

──ガイドブック以外にも、日本の小さな博物館にスポットを当てて、地方文化の魅力を発信されていますね

数年前に、ウェブサイトを通じて出雲地方のミュージアムのネットワークを広報するプロジェクトに参加しました。

出雲旧家ミュージアム

これらの小さな博物館ひとつひとつは素晴らしいのですが、特に外国人にとっては情報が少ないため、海外ではその存在がほとんど知られていません。

そのため、“一族に伝わる歴史的遺産を展示する私立博物館”というユニークな特色を共有する博物館をネットワーク化し、日本語、英語、フランス語を含む5つの言語で質の高い情報を提供するサイトを作成しました。

このプロジェクトは、“都市から離れた場所の”、“地域文化性の高い”、“小さな博物館”にスポットをあてて紹介することができる点で、とても有意義だと思います。

地域の魅力を発信する意味でも重要ですし、さらに外国人観光客は、いわゆる観光名所のツアーにとどまらないこの種の発見と経験に目がないからです。

──昨年秋に文化庁のプロジェクトにも参加されました

2022年10月に文化庁の招きで訪日し、映像シリーズ「日本の美への誘い」というプロジェクトに参加しました。その際に京都と東京で都倉俊一長官と対談した動画がYoutube で公開されています。

世界の人びとに向けたこのプロジェクトの、最初の2つの動画に出演できたことを光栄に思います。

出雲地方の博物館のネットワークのケースもそうですが、日本から発信する広報プロジェクトへの参加を通じて、外国人旅行者が日本にどんなことを期待し、興味を抱き、要望や不満を持っているかを明確にしたいと思っています。

そのためには、美術ジャーナリストとしてだけでなく、外国人としての私の視点をできるだけ盛り込もうと努めています。

異なる文化を結びつけ、お互いが理解し合うのはとても大切なことです。だからこそ、最善を尽くせるよう細心の注意を払いつつも、アイディアだけでなくときにはクリティカルな意見ももつよう心がけています。

──欧米の美術愛好家を対象にした日本ツアーも企画されてきた立場で、ここは特に改善してほしいという点は?

海外から、質の高い翻訳で、最新情報が入手できることが何より重要です。

欧米の美術館・博物館では、展示室で作品に関して十分な情報が得られることは当たり前です。ゆえに欧米からの旅行者は日本の美術館・博物館においても、パネルやキャプションの解説で、もっと多くの情報が得られることを期待していると思います.

また一般的に、日本文化について紋切り型の表現をできるだけ避けることも必要です。これは、残念ながら、外国人向けのパンフレットやその他の文書の中にも見受けられます。

例えば、歴史上の人物に言及する場合、人物像の説明だけでは不十分です。その国の歴史を詳細に知らない外国人向けに、バックグラウンドの理解を助ける書誌情報を提供する、特定の用語(例えば、茶道や本陣とは何かなど)について、より正確にわかりやすく補足する、などといったことが必要ですね。

Book information

『The Art Lover’s Guide to Japanese Museums』増補新版、2019年
Sophie Richard
発行:London: Modern Art Press
発売:株式会社ブックエンド