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もののみごとを訪ねて 第3回

工芸ライターが器の本を書いたなら

『J-style Utsuwa 私のうつわ練習帖』のこと

工芸まわりの取材や編集をライフワークにします、と公言し、「今どき、工芸?」と上司たちに心配されながらも10年勤めた出版社を退職、フリーランスで仕事を始めてから四半世紀が過ぎてしまった。

そしてこの春、10冊目となる著書であると同時に、初めて「器」をテーマにした本を出版、実はまだ面映おもはゆい気持ちがつきまとう。

『J-style Utsuwa 私のうつわ練習帖』 田中敦子著
春陽堂書店/A5版/144ページ/2,200円+税(電子書籍版あり)写真:河内 彩

「器」をテーマにした書籍はさまざまあるが、このたびの本は、作家ものを主とした手持ちの器や生活道具を、形や素材、サイズ、用途などでカテゴライズし、それぞれのよさや歴史、今の暮らしに即した用途を綴ったもの。自分で調理したものやスーパーのお惣菜などを盛りつけるなどもして、暮らしの断片をちら見せしつつ、手仕事の器がある暮らしは豊かで楽しいよ、とメッセージする、そんな内容の自著に、内なる私が挙動不審になる。いいの? 大それたことをしてしまっていない? と。

きっとそれは、私自身が長く器にまつわる本や雑誌を愛読してきたからで、その末席に名を連ねることになろうとは……と狼狽うろたえているのだ。

北大路魯山人きたおおじろさんじん、白洲正子、向田邦子、辻嘉一つじかいち秦秀雄はたひでお、福森雅武、有元葉子、上野万梨子など、器にも料理にも目の利く方々の器美学や器づかいに憧れながら、それは天上界の出来事と思い続けてきた。休刊してしまったけれど、『季刊銀花』(文化出版局)や『月刊太陽』(平凡社)も、私にとっては優れた器や工芸品の魅力を厳かに伝道する天上界の雑誌だった。

そんな私が、なぜ器の本を? 

きっかけは、2020年の早春に始まったコロナ禍。正体の見えぬウイルスの蔓延まんえんを食い止めるために唯一できる策が外出制限であったことは、ついこの前のような、遠い昔のような。おかげで多くの人の活動がストップ。私もまた、ウェブ連載していた工芸作家取材に支障が出てしまった。

やれやれ、と思っていたら、担当編集のKさんから、「連載は一旦お休みして、その代わりに田中さんお手持ちの器で、ステイホーム(家ごもりですね)な日々の過ごし方を提案することなどできませんか」と、メールが届いた。

我が家は感染蔓延直前に引っ越ししたばかりで、住まいはまだ落ち着いていなかった。が、同時に、自分で器の梱包、開梱をしていたタイミングでもあったので、手持ちの器を把握できていたし、新しい生活環境の中、街中や遠方に行けないならば、とご近所探索をしていたりもしていた。だから、「わかりました、まずはできることを考えますね」と取り急ぎ返信して、今だからこそ楽しめることなど、器を絡めて考え始めると、これが思いがけず楽しい。器を出し、セッティングして、スマホであれこれ撮影、メモ的な文章とともにKさんに送信したところ、「面白いので、短期連載として、週一配信を4回しませんか」と提案が戻ってきた。

白磁の器は、扱いやすく料理を選り好みしない基本の食器。だからこそ、工業製品ではない、手仕事の魅力が感じられるものを選べば、シンプルながらも愛着ある器として日々楽しめる
上から時計回りに、白磁筒鉢・吉田直嗣 作 白磁中鉢・水垣千悦 作 六寸リム皿・吉田直嗣 作 にゅうめん鉢・設楽享良 作
写真 田中敦子

instagramで遊び気分の投稿をするのではない、雑誌の名を冠したウェブ記事として、器、スタイリング、料理、撮影、文章と1人何役もこなすなんて、非常時だからこそできることかな、と、不安よりも面白がる気持ちが先立って、さっそく進めることになる。

短期連載のテーマは4つ。

「2人で楽しく朝食を」。ついつい手抜きになる朝ごはんを、きちんと楽しくいただけるのはこの時こそ、という思いから。

「ランチとおやつをしっかりと」。時短ランチが当たり前だったから、もう少し気を使おう、と反省していたところだった。また、外出が制限されている時期だから、おやつに楽しみを見出したい、と工夫もしていた。

滋味豊かな汁物は、日々体調を整えるのに欠かせない。だからかお椀やスープカップが気になって仕方ない。浅鉢形にリングを付けたような持ち手、外側は手びねりの手跡が残るマットな化粧土仕上げが、シンプルなスープにひと味加えてくれる
スープ碗・石原祥充 作
写真 田中敦子

「身近な花を愛でる」。遠出せずとも楽しみはあるもの。庭、道端、土手などに目を向けて、雑草を摘んで花入れに飾る提案。

「リモートを楽しむ」。会議や取材、友人とのお茶や仲間との飲み会もパソコンの画面越しに。それだけでなく、エクササイズも、コンサート鑑賞も、映画だって。ならば、その場面にふさわしい器を持ち出し、彩りを添えよう……。

コロナ禍が深刻化して文化施設が臨時休業となり、支援のクラウドファンディングが始まった。私もささやかながら応援をすることに。その一つがミニシアターのオンライン映画鑑賞。自室のパソコンで映画を観始めた頃は、お酒を飲みながら楽しんでいたもの。好きで選んできた器が不安を和らげてくれたことを思い出す
ガラスボトル・三浦世津子 作 グラス・オールドバカラ 染付皿・林大輔 作
写真 田中敦子

タイムリーな記事だったためか評判は上々で、短期連載が月一回の連載となり、ほぼ毎月、我が家の器づかいを画像とともに綴ることに。そして、ある程度記事が溜まったころ、書籍化しませんか、という話が舞い込んで、そうして形になったのだった。

タイトルにJ-styleとあるのは、 J-POPが洋楽の影響をたっぷり受けた世代から生まれた日本の音楽であるように、器もまた、現代の欧米化した暮らしの中でフォルムも使い方も多様化している、そんなところからの発想。伝統的な日本の暮らしを根っこに持ちながらも、自由に使いこなしていいんじゃない? という思いをJに込めている。だが実際には、多くの人が安価な量産品の器でよしとしている、らしい。これだけ多くの器が職人や作家の手から生み出され、価値観の相違はあれど手に届く価格帯のものが多く揃っているのに、なんてもったいない、というのが私の偽らざる気持ち。今もある美しい手仕事を多くの人に伝えたい、そんな思いもたっぷり込めている。

これまで、様々なジャンルの工芸を取材。気になるものは見に行き、手の届くものは、なるべく使ってみたい、と購入してきた。もちろん、実際に暮らしの中で使うものとして。だからどうしたって「好み」が出てしまう。取材する立場としては中立的なプロでありたいと思うけれど、使い手としては自分流のアマチュア、でいい。でも、私なりの選択眼や使い方に、ある程度の普遍性があるならば、人様にお見せする価値はあるのかもしれない。

思い返せば、百貨店で手仕事のセレクト展プロデュースを10年以上続けたことで選び方や伝え方はある程度鍛えられたし、また、モノがもつ魅力を解釈して言葉で伝える術は、長年の仕事を通して身についている。おそらくそのあたりが、器本を出すにあたっての、ささやかな支えになった気がする。

ところで。

工芸と器は同義だと私は思っているのだけれど、どうやら少し違うらしい。これは、ある木工作家を取材して気づかされたこと。

彼の作品は、訳あって伐採した樹木を生木の状態でカットし、旋盤で削っている。その後、乾燥の過程で器の形が歪み、そのフォルムが味わいとなるのだが、実はこの方法は材をしっかり乾燥させて使う伝統工芸的な木工の世界と真逆の発想。だから生木を削って器をつくるなんて、工芸系に慣れ親しんだ人にとっては、「カラスは白い」と言われたような感覚だ。

けれど料理研究家やスタイリストなど、器そのものの味わいに注目する人にとっては、誤解を恐れずに言うならば、料理が映えるかどうか、コーディネートするときに美しいかどうかが判断基準の第一義になる。もちろん、気に入ったつくり手については深掘りだってするだろうけれど、まずはモノの存在感が重要。

この眼差しは、柳宗悦やなぎむねよしの『心偈こころうた』にある有名な「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」(見てから知れ、知ってから見るのではない、という意味)に通じていて、工芸はこうあるべき、と大上段に構える必要なんて実はまったくないと思っているし、私もまた、永遠の工芸初心者として好きと思える器を選んできて、これからもきっとそうあり続けるだろうと感じている。

弱いけれども好きな、お酒。そのせいか、目で楽しめる酒器に惹かれる。この組み合わせは、日本酒でもちょっとエキゾチックな味わいの古酒に合わせて
上から時計回りに、ガラスの注器長野史子 作 更紗(さらさ)花の色絵陶杯・升たか 作 金彩唐花陶漆酒杯・菱田賢治 作 蒔絵薔薇紋盃・山口浩美 作 漆丸盆・山本隆博 作
写真 田中敦子

SNSの進化と浸透で、多くの人に表現の場ができ、そして価値観はどんどんフラットになっている。最初に書いたように、かつては天上界の方々が迷える子羊たちを導いてくれたものだった。それはあらゆるジャンルにおいて……。でも今は、多くの人がインフルエンサーになる機会を有しているし、様々な投稿をチェックしながら自分なりに編集することも楽々できる。

私の『J-style Utsuwa 私のうつわ練習帖』も、紙媒体ではあるけれど、そんな時代に生み落とされたもののひとつなのかも、と思う。天上を見上げながら地上に生きる私が、時間をかけて買い集め使ってきた器を、今の時代に照らしながら、敷居を低く、けれど思いは熱く、日々使う楽しみを提案するのだ。

選んできた器や生活雑貨は、どれも誠実な仕事から生まれたもので、控えめだけれど美しく、月並みな料理や名もなき料理、出来合いのお惣菜を引き立ててくれる。長く使って愛着が増し、住まう空間に置いてあって楽しいもの。

モノの時代からコトの時代へ、と言われて久しいものの、充実したコトを味わうには美しい道具立ては欠かせないと思う。私の場合、仕事柄もあって溢れ気味なくらい器を持っている。そのすべてが必要というわけではなく、こんなものがあったらいいな、と選ぶヒントにしていただければうれしい限りだ。

江戸結桶(ゆいおけ)の飯櫃(めしびつ)(桶栄 作)、竹の茶碗籠(瀬司恵美 作)、土鍋(永谷園 作)、鉄瓶(釜定 作)など、現代のつくり手による手仕事の台所道具は、手ごわいようでいて、使い始めるとその長所と存在感に惚れ込んでしまう。しかも使うほどに味わいが増し、修理も可能。長い目で見れば賢い買い物だと実感している
写真 河内 彩

安いものを消費するのではなく美しいものを長く使い、暮らしを彩ることは、これからの私たちが目指すべき豊かさで、そこに手仕事の、工芸の、確かな器が介在する余地はたっぷりある。一冊の本に込めた思いは語りつくせないけれど、まずは手にとって眺めていただけたなら。こんな器があるのか、使ってみたいな、というところからのスタートでもいいし、そろそろ買い換えようかな、というときの判断材料にしていただいてもいい。

割れても惜しくない器ではなく、大切に使いたくなる器を。そう考える生活者を増やしたい。ひとりひとりのJ-style Utsuwaを楽しめる世の中になったらどんなに素敵だろう。私は今のところ、そんな夢想をしながら、連載を継続している。