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日本をめくる 第2回

唐詩さんに聞く

翻訳者から見た日本工芸の魅力

このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


上海を拠点に、書籍の企画や翻訳を通じて日本文化の紹介を続けている唐詩(タン・シ)さん。
北海道大学留学を経て就職した上海の出版社で、文学からアートまで日本語書籍の翻訳出版に携わる。
 
現在はフリーランスの立場で、『花をたてる』(川瀬敏郎)、『ぼくの美術帖』(原田治)、『超芸術トマソン』(赤瀬川原平)などの書籍の中国語訳出版を企画し、編集と翻訳を担当。また、一冊の本との出会いをきっかけに日本工芸に興味をもち、中国語による情報発信に一役買っている。

唐詩 Tang Shi

上海在住の編集者、翻訳者。1991年、中国浙江省生まれ。黒竜江大学卒業後、北海道大学大学院に留学し〈映像・表現文化論〉を学ぶ。2016年に帰国し上海の出版社に就職。北海道大学時代に影響を受けた飯沢耕太郎の『私写真論』を皮切りに、寺山修司や澁澤龍彦らの文学シリーズから北野武の『アナログ』の翻訳出版のほか、奈良美智のインタビュー集などオリジナル企画を手がける。
2022年に独立。

出会い

唐詩さんとの出会いは、パリを拠点に活動するアーティストのオノデラユキさんの紹介による。フランスで最も権威のある写真賞「ニセフォール・ニエプス賞」を受賞したオノデラさん(主な作品に〈古着のポートレート〉シリーズなど)は、展覧会を展開してきた上海で唐詩さんと知り合ったという。2018年の秋の日、唐詩さんが当時私のオフィスがあったアーツ千代田3331を訪ねてくれた。驚いたことに、来訪を告げるメールの文章も会話も、ほぼ完璧な日本語。訊けば、中国で大学を卒業するまで日本語とは無縁の生活をしていたが、留学先の北海道大学大学院での3年間で日本語によるコミュニケーション力を身につけたという。北大での研究対象は「私写真」で、編集者として働いている上海の出版社では日本語能力を買われて、日本の書籍の翻訳出版やオリジナル企画を手がけているというではないか。その日のうちに意気投合し、彼女は私にとって尊敬できる友人になった。

『東京国立博物館の至宝』の中国語版が実現!

ちょうどその頃、私が7年がかりで手がけていた、『東京国立博物館の至宝』という大冊が佳境を迎えていた。写真家の六田知弘さんが、東博の国宝・重文などを中心に選んで撮影した150点の、文字どおり「至宝」を一冊にまとめた作品集である。2020年の東京オリンピックに合わせて、来日する外国の人々に日本の美術工芸の魅力を伝えるべく、ブックデザインはパリで行い、英語版と日本語版で刊行を予定していた。そこへ唐詩さんとの出会いにより、中国語版が加わることになった。

当時、唐詩さんの勤めていた出版社が日本工芸の本の翻訳出版に力を入れていたこともあり、彼女もまた本作りや著者との交流を通じて豊富な知見を備えていた。すぐに上海にある美術書の老舗出版社との仲立ちを依頼し、版権契約が成立。それからは編集作業から本の納品までを丁寧で迅速、正確な仕事ぶりでこなし、一切のトラブルなく中国語版を誕生させてくれたのである。

東京国立博物館の至宝の中国語版

しかし、コロナ禍に起因する不況によって、勤めていた出版社は人員削減や方針転換をし、彼女が望む日本文化関係の企画は立ち消えとなってしまった。一方で仕事量は2倍、3倍と増えていったという。この状況を受けて、昨年独立を決意。現在は、企画した書籍の翻訳や編集、通訳、ライターとして、多忙な日々を送っている。そして、2023年9月、ようやく日本への渡航が解禁され、3年ぶりに来日した彼女にインタビューを行うことができた。

日本の工芸に興味をもったきっかけ

北海道大学大学院を修了し、上海の出版社に就職したのですが、入社したてのころは、会社が赤木明登や三谷龍二など工芸関係の本をメインに出していた関係で、日本の工芸を少しずつ知るようになりました。

興味をもち始めたのは、中国で出版された『造物的温度(ものづくりの温度)』の著者、サウザー美帆さんとの出会いが大きいです。サウザーさんは長年にわたって日本の工芸作家を取材し、中国の雑誌で紹介してきました。『造物的温度』はその長年の原稿をまとめた本で、その編集作業を通じて日本工芸に興味をもつようになりました。

その後も、サウザーさんの紹介で、桐生織物のオフィシャルサイトや、『四代田辺竹雲斎:守・破・離』(美術出版社、2021年)などの翻訳を通して、工芸関係の仕事に関わってきました。

また、上海にあった「千匠文化」という日本工芸を扱うギャラリーで、企画展ごとに出展作家を上海に招待し、二日連続のトークイベントを開催しているのですが、その通訳を担当することで、日本工芸の知識も少しずつ増えていきました。

サウザー美帆著『造物的温度』 表紙作品:漆芸家・黒木紗世〈漂う記憶〉

中国の工芸と日本の工芸の異なる点

日本の工芸は、生活のあらゆる場面を支える道具でありまた装飾でもある多様性を備えています。作家は、素材や技法にこだわりを持っていて、ただつくるのではなく、独自の思考も備えています。とくに、現代の生活に対応できるよう常に使う人のこと考えてつくるので、長く使い続けられる。
実用性を備えながら形も美しい。これが日本の美意識の表れだと思います。

そして、工芸とは何かについて考える人が常にいますね。つくり手に限らず、文化人などの使い手も含まれる。(中国に比べるとかなり)よい環境を備えています。
扱うお店も老舗が多く、長く受け継がれた技術と歴史(物語)とともに、商品への信頼につながっています。しかも手頃な値段で買えることも魅力です。

中国の現状

中国の工芸は大まかに以下の状況に直面しています。

まず、一部の「皇帝・宮廷のための工芸」は高価で、一般の人々が手の届くことのないものです。現在は主にデザイナーやブランドがその立場になっているでしょうか。これらの工芸は一般の人々の生活からはかけ離れた存在です。

その一方で、暮らしのなかで使われる工芸は広まっておらず、継承者がいないために発信も不十分で、先細りの状況です。

唯一普及しているのは、やきものです。中国ではいまでも煎茶の文化が存在し、特にそこではやきものが一般的です。また近年は、磁器の巨大産地である景徳鎮が観光地となったり、多くの美術学校の卒業生が景徳鎮で滞在制作をしたりと、新しい動きも見られます。ポップなデザインの陶磁器を若者層に売るブランドも増えました。

宮廷工芸の流れを汲む、茶の場面で使われる陶磁器

中国の工芸の多くは公的なものであり、歴史的にはやきものの「官窯」に象徴されるように、皇帝のために存在するものでした。暮らしのなかに存在する、いわゆる「民芸」とはかなり違います。皇帝のための工芸は、国民の美意識の表れではなく皇帝の趣味を表している。使いやすいようにつくられるのではなく、贅沢であることの象徴というか、帝国の繁栄を誇示するものでした。つまり、職人にとっては自分の思想を表現する余地などなかった。皇帝の命令に従わなければなりませんから。

また、政権が変わるたびに大きな影響を受け、技術自体が失われてしまう可能性もあります。作家や職人は政府に雇われて工芸に従事しており、多くの職人は、働けなくなったら実家に帰って農業をする。つまり、日本の作家のように、文化や技術の継承など考える立場にない。そのため、日本のように長く続く老舗もないのです。

一方、中国の民間の工芸、とりわけ地方・少数民族工芸は無数に存在しますが、地域色が強く、市場を広めることが難しいので、常に失われる危機に瀕しています。

このように、普及と伝承への関心は日本に比べてはるかに劣っています。

少数民族の優れた工芸の例 苗族の刺繍
花糸工芸 出典:https://baijiahao.baidu.com/

若い人たちと工芸との関わり方

陶芸家の作品を含め、中国の工芸品のほとんどは高価すぎて、若い人たちは関心を持つことすらありません(笑)。

例えば、私が住む上海の南に接する浙江省せっこうしょうの金華市・東陽市は、1000年以上の木彫の歴史があります。手の込んだ工芸品や家具製品が有名ですが、若者の生活様式が変化するなかで、日常の暮らしからどんどんかけ離れていき、いまや富裕層の邸宅や高級なホテル・レストランでしか目にすることはありません。また、技術の継承と情報発信への対応が遅れていることもあり、重要文化財でもある東陽木彫は、博物館でしか鑑賞できないような遠い存在です。

高級レストランの美術品

一方で、手づくりの雑貨を買う人が増えつつあります。手づくり品市場も結構賑やかで、若い人たちは、伝統工芸には距離感があっても、「手づくり」には魅力を感じているということです。

手づくり雑貨 出典:https://mp.weixin.qq.com/

トレンドで言えば、海外留学した美大生や、海外の情報通の若者の間で、工芸の魅力に開眼し、工芸をやりたい人が増えました。しかし、それらは中国の伝統工芸や民芸への関心というより、工芸のフィールドでアート作品をつくるという感じです。ただのアート創作かもしれません。作品にも伝統や地域性が感じられないものが多い。でもこれは決して悪いことではありません。工芸を扱うということは、まず素材や技法を学ばなければなりませんから、工芸の継承や発信にもつながります。

翻訳するうえで難しいこと、簡単なこと

工芸に限らず、日本には、中国から伝来してトランスフォームしたものが多く存在しています。それらは中国由来の名であっても、実際にはその中国名が意味するものと微妙に違います。それをどうやって的確に伝えるかが難点ですね。最初のころは、工芸に詳しい人だけではなく一般の人にも伝わりやすいように、既存の中国名を当てはめた方がいいと思いましたが、今は勘違いさせないように日本語名(漢字)をそのまま残すことが多いです。その場合、注釈を細かく書きます。

例えば、「床の間」は、中国ではいつも「壁龕」と訳されています。「壁龕」は中国では仏像を納めた壁のくぼみのような場所で、現代ならシャワー室の壁のシャンプーを置くくぼみにもこの言葉を使います。一方、床の間は日本建築のみにあるものですから、このように全く違うものになってしまいます。私は、日本語の漢字をそのまま使って、注釈で説明するようにしています。

もう一つ難点があります。

日本語は、漢字表記、漢字とひらがなの組み合わせ、ひらがな表記もしくは読み方を変えることで、違うものを表現することもありますが、中国語に訳すと、全部漢字のみになってしまうので、どう区別つけるのも大変難しいです。 例えば、最近翻訳した川瀬敏郎さんの『花をたてる』(新潮社·青花の会刊)の中に出てくる「たてはな」「立花(りっか)」「はなをたてる」など、これらの言葉は中国語表記にすると全部「立花」になるので、読者が正しく認識できるように工夫しなければなりません。

幸いなことに、工芸関係の本は写真など画像が多いので、視覚的に補足ができます。また、中国と日本には共通する美意識があるので、写真だけでも伝わるものがたくさんあります。

好きな日本の工芸

私にとって、日本工芸の一番の魅力は、暮らしに幸福感を与えることです。例えば、その器を使えば、食べ物や飲み物も美味しくなるとか、そういう使う時のシチュエーションを考慮に入れて作られたものがすごく好きです。

山崖松堂さんのぐい呑みで日本酒を飲んだことがあります。漆だけで出来上がったぐい呑みはすごく柔らかい触感をもっていて、そのぐい呑みで飲むお酒も一層美味しく、幸福な気持ちになりました。他では感じられない体験で印象深かったです

左:山崖松堂《ツクヨミ》2023年/右:山崖松堂《アマテラス》2023年 写真:作家提供