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もののみごとを訪ねて 第4回

天然漆を活かし切る上質な日常漆器

伏見眞樹が受け継ぐ昭和塗師たちの「明漆会」魂

取材・文田中敦子 [工芸ライター]

撮影:河内 彩

工芸の作品には、固有の美しさを支える物語があります。その物語が次世代の形を導き出していくのではないでしょうか。

手と心が生み出す見事な仕事を訪ねながら、工芸の現在形を伝えたいと思います。

漆器は産地性の高い工芸だ。輪島や山中、会津、浄法寺、津軽などがよく知られるところだろう。そんな先入観があったため、以前、漆芸作家・伏見眞樹まきさんの「伏見漆工房」が葉山にあると聞いたとき、なぜ葉山なのだろうかと不思議に思った。が、考えてみれば、流通が発達した現代、分業制ではない「作家」の漆器ならば、好きな場所で制作できる。伏見さんの場合は、結果的に葉山を選んだ。

「金沢文庫で育ったので、近い土地がよかったんです」

現在、妻の昌子さんと2人で制作している。伏見漆工房の漆器は、シンプルで品のいい普段使い。ふわりと光をまとい、目が引き寄せられる。漆器の品質は見た目で判断しにくいし、華やかな漆器というわけでもない。けれど、何かが違うのだ。

質が問われる普段使いの漆器

手仕事に興味を持ち始めた頃、手に取った書籍がある。とんぼの本『食器の買い方選び方』(新潮社刊)。当時、手仕事の道具を選ぶコツを具体的に示してくれる工業デザイナー・秋岡芳夫さんの存在は、私にとってモノ選びの羅針盤だった。その秋岡さんをして、漆のよしあしを判断することは難しく、手っ取り早いのは値段で見ることだといわしめる。

「昔は、一日一円といった。今の目安は一年一〇〇〇円。三〇〇〇円のお椀なら三年もつ(三年しかもたない)ということだ」

これは、お正月などに使うハレの日の漆器の話ではない。日々使う汁椀に、ちゃんとお金を使いなさい、という神託のごとき言葉である。1987年初版の本だが、当時で8000円の塗り椀は10年使っていい艶になり、修理すればさらに使っていける、とある。今ならば、1万円から2万円の汁椀。値段の差は、工程や技術の差であり、土台となる木地や表面を塗装する漆の質の差である。樹脂の土台にウレタン塗装のものは論外だけれど、本漆と銘打っていても、工程の途中で手抜きがあったり、使う漆に混ぜものが多ければ、経年変化を楽しめない。一方、誠実に制作された漆器は少々値が張っても、使ううちに艶が生まれ、修理も可能ゆえ長く長く愛用できる。普段使いこそ賢い買い物をすべきなのだ……。こうした考え方が広まった背景に、「明漆会」の存在があると伏見さんはいう。

明漆会のメンバーは、漆の歴史や明漆会のこと、制作に携わった人々を記した紙を作品に添えた。つくり手の姿を明らかにして品質を保証する、トレーサビリティーである。伏見さんの師匠である木曽の佐藤阡朗(せんろう)さんや、越前漆器の山本英明さんは明漆会の第二世代。

日本における漆器の歴史は長いものの、概して贅沢な器で、貴族や寺院、武家、富裕商人など、ハイソサエティの調度や器であり、一般庶民が普段使いするものではなかった。転換期は明治維新。活気づく自由経済の中で量産が始まり、漆器は庶民の手に届くものとなってくる。が、売りに走れば品質は下がる。その傾向は戦後ますます顕著になり、漆器の信用は地に落ちてしまった。

「漆器の名誉回復の思いも込めて、明漆会というものが誕生したんです」

「明漆会は、普段に使う漆器のパイオニアだと思います。高度成長期、日本が豊かになってきて、多くの人がお正月を家で迎えるのに重箱を買ったりした。でも普段使いする感じではなかったんです。そんな状況の中、明漆会の人たちがちゃんとした『塗立ぬりたて』の無地の漆器を世に出した。ピカピカじゃない、つや消しです。それを心ある人たちが使うようになったのが普段使いの漆器の始めなんじゃないでしょうか。革命的なことだったと思います」

明漆会の活動は20年で終わったけれど、その志は受け継がれ生き続け、伏見さんは、自分もまたその1人であると密かに自負している。伏見さんが作品と人に惚れ込んで弟子入りした佐藤阡朗せんろうさん、彼も明漆会のメンバーだった。

葉山の工房で作業をする伏見眞樹さん。ていねいな仕事を進める一方、新しい方法や機械類の活用にも関心が高い。
伏見漆工房にとって、妻の昌子さんの存在はとても大きい。鎌倉彫の訓練生時代に知り合い、眞樹さんを支えてきた。「私は作家としてつくることより、裏方のほうが合っていると思っています」。

伏見さんの漆器は、「塗立て」た漆の質感が真珠のようで、使い込むほどに薄づきの漆が透けてくる。使いながら穏やかに艶めく漆器のたたずまいは、控えめで静かだ。「塗立て」は漆器における上塗り技法で、刷毛で漆を塗って仕上げる。一方、艶出し加工で仕上げる漆器もある。「呂色ろいろ仕上げ」という。これは、塗り立てた後に研磨を繰り返して光沢を出す。炭を使い、細かい粒子で磨き上げる手間のかかった仕事で、蒔絵まきえが施されることも多く、当然値段の張る贅沢品、晴れの日仕様だ。ツヤツヤした漆器が好まれた時代には、艶を促す溶剤を漆に加えた呂色仕上げも登場。でもそれは、漆本来の美しさから遠のくことでもある。一方

「塗立ては、使い手に呂色仕上げを委ねているんです」

その分手の届く価格となるし、育てる楽しみがある。百聞は一見にしかず。伏見家で使っている漆器を運んできてもらった。

伏見漆工房のロングセラー。新品と伏見家で使ってきたものを並べてみた。左からスープ皿、そば猪口、竹スプーン。きちんとつくられた漆器は、使い続けることで磨かれ、変化していく。
最近人気のリム皿だが、伏見さんはだいぶ以前から手がけていた。「陶芸家・柏木千繪(かしわぎちえ)さんのリム皿を写させていただいたんです」。柏木さんの白磁と、新品(左)、使い込んだもの(右奥)。「焼き物に比べて軽いのも、漆器のいいところですね」。木工轆轤(ろくろ)で木地を削る挽物(ひきもの)は、設計図を引いた上で、木地師に依頼している。

新しいものと比べることで、経年変化により艶が生まれることが理解できる。これぞ漆器の醍醐味だ。そしてふと気づく。伏見さんの漆器には洋食器を彷彿とさせる形が多い、ということに。漆器といえば汁椀や重箱のイメージが強いけれど、洋食で育った伏見さんが発想する器の形は伝統的なものばかりではなく、スープ皿やリム皿などが印象的だ。現代の食生活に根ざした漆器を、伏見さんは家族との暮らしの中から発想し、展開してきた。中でも竹スプーンは、伏見さんの出世作。娘さんの離乳食用がきっかけでつくり始め、今では30パターン以上のカトラリーを展開している。

近隣に自生する孟宗竹もうそうちくを伐採し、自ら削り漆を塗る。口当たりや口抜けをとことん研究し、完成度を高めてきた。漆器というのは、前にも書いたように差異がわかりにくいのだが、伏見さんの場合、竹スプーンが作品のスポークスマンになった。形の美しさ、上品な塗り、口当たりの滑らかさを饒舌に伝えるからだ。若き日に鎌倉彫の訓練校を経て職人となり、彫りと塗りを経験、その後、木曽在住の漆芸家・佐藤阡朗さんに弟子入りした。日常的な漆器の美しさを学んだ伏見さんは、彫りと塗りの技術を習得しているつくり手である。使う人は、その力量を、手に取り、口に含んで体感することになる。

葉山の孟宗竹(もうそうちく)を削ってつくられるスプーンは、設計用の工房を駆使して立体的に設計されている。「グラフィックデザイナーだった父の仕事が、こうした作業に影響しているかもしれませんね」。
スプーンのくぼみは、彫刻刀でコリコリと削っていく。「もっと合理化できるんですけど、この作業が楽しいので」と笑う。スプーンの輪郭は、竹の皮目を残して削る。皮目は硬いため、丈夫に仕上がるのだ。
工房の壁に並ぶ、カトラリーの型紙。大小さまざま、用途も多岐にわたる。ナイフやフォークも展開している。

天然漆を長期保存して生まれる「蔵漆」とは

漆器の品質は、当然ながら漆に負うところが大きい。どんな漆を選び、どのように扱い、どう塗るか。伏見さんのこだわりはかなりディープだ。「おそらく漆器より、漆そのものが好きなんです(笑)」。伏見さんが使う漆の大半は、生産者直送の国産漆。木曽修業時代の弟弟子である大出晃さんから購入している。大出さんの本職は漆掻うるしかきなのだが、採取した漆を使って自ら漆器を制作したくなり、佐藤阡朗さんに入門した。

「独立した頃は、国産だし貴重品だからと、大作のために保管していたんです。通常は中国産の漆を使っていました。でも、次第にその使い分けは違うと思うようになり、大出君の漆を使い始めたんです」

大出さんの採取する漆は質が高く、「このきれいな漆をなんとかそのまま塗ることができないかと考えました」

中国漆は粘りがあって扱いやすいが、国産漆はサラサラで粘りが少なく、厚塗りしにくい。

「もともと厚塗りが好きではなかったので、工夫のしがいはありました」

ではどう扱うか。試行錯誤を繰り返しているうちに、塗り方が大きく変わった。同時に、仕上がりも変化した。伏見さんならではの、薄づきで透明感のある塗りになっていく。

「薄塗りだと土台の木地が透けます。木が生きるのがいいなとも思いました」

ただし、アラが目立ちやすい。漆は、工程のたびにしてゴミを取り除いた上で使うが、それでも夾雑物きょうざつぶつは残る。厚塗りならば、微細なゴミは漆の層に沈んで見えなくなるが、薄塗りではそうならず、神経を使う。でも、

「色々便利な道具を探して取り除くようにしていますよ」伏見さん、美しさのための苦労は厭わない。

さらにあるとき、伏見さんは思いがけない発見をする。大出さんから届く荒味漆あらみうるし(木から掻いたままの漆)は、透明なポリプロピレン容器で届く。それまでの木桶や紙の容器と異なり、中身が見える。

「これを数年置いておくと、漆が分離していくのがわかるんです」

昔から、天然漆を使うつくり手は漆が容器の中で分離していることを知っていた。だから、必ず撹拌かくはんして使用する。が、ここまで明らかに分離するとは。伏見さんは目を見張った。

「これを素黒目すぐろめしたら、やはり分離するだろうかと試したくなったんです」

漆掻きで漆芸家でもある大出晃さんの「荒味漆(あらみうるし)」は、ポリプロピレン容器で送られてくる。確かに分離がはっきりとわかる。漆掻きは、6月の梅雨入り頃から始まり、最初に漆の木に入れる傷を1辺目と呼ぶ。何日かしたら、また傷を入れる。そうして、順々と傷を入れて漆液を採取していく。ラベルにある「11辺、12辺、13辺」は、もっともウルシオールの含有が多い、8月の「盛漆(さかりうるし)」。
伏見さんは、「黒目(くろめ)」て分離させた漆をサランラップ©︎で密閉する。左はウルシオール分の多い上澄み、右はゴム質の多い沈殿した部分。なぜあまたあるラップの中で、サランラップ©︎かといえば、他のラップよりも密閉性(専門的には酸素バリア性)が高いのだという。太古より人は、漆を溜めた容器に蓋をすることで乾燥を防いでいた。縄文時代には木の葉を使い、奈良時代以降は和紙を、さらに油紙へと。そして昭和の半ば、サランラップ©︎の登場により、安定して長期保存ができるようになった。

「素黒目」について少し説明したい。漆の木から採取したままの漆液は「荒味漆」と呼ばれ、木くずやゴミなど夾雑物が含まれる。これをろ過した「生漆きうるし」は水分含量が多く、そのままだと粘り気が少なく固まりづらいため、水分量を減らす「黒目」が必要になる。その中でも、油や樹脂を入れずに精製したものは「素黒目」と呼ばれる(油や樹脂は、艶や色のため、また、コストダウンのために添加するという)。一般的には、漆商から機械精製の素黒目漆を仕入れて使うのだが、それでは物足りないと感じる人は、自ら「天日黒目てんぴぐろめ」を行なっている。夏の晴天下、木桶を外に運び出して生漆を入れ、船のかいに似た棒で漆をゆっくり時間をかけて攪拌かくはんする。伏見さんが使う漆は、すべてこの「天日黒目」をしたものだ。毎年6月頃に作業を行なう。以前、輪島で天日黒目に立ち会ったことがある。そこでは8月だったが、

「関東地方では8月より、梅雨入り前の6月のほうが、乾燥していて作業しやすいんです」

天日黒目の漆には、天日干しの魚や塩の旨味に通じる利点があるのだろうか。

「どうなんでしょう。漆商がつくる素黒目漆はとてもよくできていると思います。ただ、調整済みの漆を使うのは、ペンキを塗るのと変わらないように僕は感じるのです」

近年は湘南、伊豆エリアで漆芸に取り組む中堅、若手の作家が増え、彼らにも声を掛けて、共同で天日黒目を行なっているという。そうして天日黒目した漆を数年置くと、荒味漆ほどではないが、明らかに分離していた。なぜ分離するのかは、漆の含有成分と、それぞれの比重による。漆の主成分は、ウルシオールと呼ばれる樹脂分で、他にラッカーゼと呼ばれる酵素成分とゴム質で構成される。分離した上の部分は主にウルシオール。下に沈殿するのは主にゴム質。一般に国産漆はウルシオールが多く含まれているという。

ウルシオールが多ければ乾きが遅くて透明度が高く、ゴム質が多ければ乾きが早く透明度が低い。この性質のグラデーションを四分割して使い分けてはどうだろう。こうした発見と経験を経て、伏見さんは長期保存の漆に名前をつけることになる。「蔵漆くらうるし」と。「名付け親は友人である元商社マンの僧侶・木村共宏さん。各層に分かれた蔵漆をそれぞれ份蔵漆ぶんぞううるしと呼ぶことにしました」。

上層部は份蔵極上透漆すきうるし。そのまま溜塗りしたり、顔料を加えて朱塗りの上塗りに。

中層部は份蔵透漆。黒漆に加工して上塗り、中塗りに使う。

下層部は份蔵濁漆。黒漆に加工して中塗り、生漆に加えて下地に使う。

最下層部は份蔵溜漆。漆の乾きを早める添加剤として、また、接着剤として金継ぎに使う。

補足として説明すると、漆は、木地に下地、中塗り、上塗りと、漆の質を変えながら塗り重ねていく。

漆刷毛でカップの内側を塗る。塗っては拭き取る作業を繰り返す、拭き漆を施す。板状の刷毛は、漆刷毛。昔から人毛を使っている。

もともと漆は、採取時期や場所により粘度差があるので、それを見分けて用途別に使ってきた。近代以降はテレピン油を使って粘度調整することが多くなったが、分離させて使う「蔵漆」ならば、漆の特性が際立つし、4種類を適宜ブレンドすれば粘度調整もできる。漆以外のものを加えない純度100%だ。

「漆器の評価は、漆そのものに原因があるわけではなく、混ぜたもので濡れ衣を着せられてしまったと思うんです。漆が気の毒です。漆の性質を考えれば、漆だけのほうがいいですよね」

蔵漆は中国産漆でも可能だ。このところ、運搬方法や管理の意識が高くなり、中国産漆の質が格段に向上しているという。

「ただ、中国産だといつどこで採取したかがわからないですし、またブレンドされていることが多いので、国産漆ほどはっきり分離しないところはあります」

日本の漆は、6月の梅雨入りから採取され、10月頃に終了する。初夏から秋までの期間、気温や湿度が変化する中、漆の成分も変わっていく。ウルシオールの含有が多いのは盛夏に採取される「盛漆」と呼ばれる漆で、透明度が高く、漆器産地でもこれを上塗りに使ってきたという。漆はそうやって使い分けられてきた。だから

「色の濃い中国産のほうが落ち着いた色になるので、必要に応じて使っています」

2000年に採取した鬼無里の漆(大出晃さん採取)のサンプル。採取の始まる6月から終了する10月半ばまでの漆を、左から並べている。中心から左のほうが透明な部分が多く、ウルシオール成分の違いがわかる。「でも、これはあくまで2000年の漆です。その年により状態が変わる。農作物と同じです」。後ろの棒は、漆掻きが刃物で漆の木に傷をつける場所を示している。作業をするごとに、傷をつける位置は上へと移動していく。

伏見さんの「蔵漆」は、量産しない作家だからできることかもしれない。ただ、大量生産大量消費の時代が終焉を迎え、量から質へ、モノからコトへと転換した今、60年前に明漆会が志した漆器のあり方を再認識してみれば、工芸品は、ただ手仕事だからよい、というのではなく、つくり手の姿勢や思想が重要だと気づかされるはずだ。伏見さんは、早い時期からYouTubeで技法を公開し、蔵漆についてもFacebookで解説をしている。隠し立てしない、誰だって挑戦していい。それは伏見さんの基本姿勢。

「僕の仕事を明らかにすることで、誰かが受け継いでくれたらいいと思っているんです」

伏見さんの言葉は穏やかで、でも、内側にある漆への思いはふつふつと熱い。

YouTube

伏見漆工房  https://www.youtube.com/@fushimiurushikobo

伏見眞樹 ふしみ まき 伏見漆工房

1957年 横浜生まれ  
1978年 鎌倉彫訓練校に入校。彫刻・塗りを学ぶ 
1980年 同校卒業。鎌倉彫白日堂に彫り師として入門。2年後、塗りへ転向 
1984年 漆工・佐藤阡朗氏(長野県木曽郡)に師事。

1987年 独立、埼玉県東松山市に工房設立 
1991年 日本民芸館展、奨励賞受賞(梅文汁椀)

          埼玉県熊谷市にて初の個展以後、首都圏を中心に個展多数  
1994年 神奈川県葉山町に移転。首都圏を中心に個展多数