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日本をめくる 第4回

教育の一環で伝統文化の普及に取り組む

リトアニアの歴史と工芸

取材・文藤元由記子 [編集者、株式会社ブックエンド代表取締役]

取材協力:リトアニア共和国大使館

このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。

伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。


リトアニア共和国大使館の文化担当官として、リトアニアと日本の文化交流のため日々忙しく活動するガビヤ・チェプリョニーテさん。大使館との仕事以外に、演劇や文学の分野においても知る人ぞ知る存在である。2022年にはリトアニアにおける日本文化の普及への功績により、外務大臣表彰を授与された。


ガビヤ・チェプリョニーテ (Photo by Ingrida Veliutė)
リトアニア共和国大使館文化担当官、翻訳者
ヴュリニュス(リトアニア首都)生まれ。サンクトペテルブルク大学日本語学科で学ぶ(修士)。大阪外国語大学留学後、日本の文化庁の招聘により東京で演劇史・マネージメントを研究。1995年、リトアニアに日本インフォメーション・センターを開設、2007~2010年、在京リトアニア大使館で初めての文化アタッシェを務めたのち、文化省国際関係課においてアジア地域の文化交流に従事。村上春樹、村田沙耶香や三島由紀夫のリトアニア語翻訳者として知られ、また、リトアニアで日本の美術展や演劇公演を実現してきた。2022年より現職。

出会い

ガビヤさんに初めて会ったのは、2023年の秋。東京都立中央図書館で開催されたリトアニアブックフェアの会場でのこと。珍しい本がずらりと並んだ特設コーナーに釘付けになり、美しい装丁の本を一冊ずつ手にしていたところに、このフェアを企画した司書の友人からガビヤさんを紹介された。

 主に環境雑誌と美術書の出版社を営んでいることを伝えると、ガビヤさんはリトアニアの自然をテーマにしたアート作品を紹介した本を何冊か選んで、作品と作家について一点ずつ丁寧に説明をしてくれた。流暢な日本語もさることながら、豊富な知識を伝える語彙の確かさに驚き、さらに出会いを大切にする真摯な人柄に惹かれた。

 リトアニアと聞いて思いつくのは、杉原千畝さんの「命のビザ」と、ソ連から独立したばかりのリトアニアが1992年のバルセロナ五輪で、三宅一生さんデザインのユニフォームを着て参加したことくらい。かれこれ30年は私の中で知識のアップデートができていない。ブックフェアで催された講演会では、中世以降、列国の領土争いに何度も脅かされ、多様な言語が流入し、いくども国のアイデンティティが脅かされてきたなかで、リトアニアがいかにして言語(文学)や文化を守ってきたか、そのなかで図書館がどんな役割を果たしたかが語られた。

主催者であるリトアニア大使館の広報として、このブックフェアや講演会を企画したのがガビヤさんである。この出会いが縁で交流が始まり、やがて彼女が村上春樹の翻訳者であることを知ってますます興味が募り、今回インタビューを申し込んだ。

リトアニアの代表的な工芸とは?

 リトアニアで最も歴史の古い工芸の1つが陶芸です。13世紀、陶芸家は都市や町に工房を設けてポット(器)を作りました。また、大規模な建設現場では、側にレンガ工場が開設され、レンガ職人が建設用レンガや装飾用レンガ、屋根瓦を製造しました。15世紀から17世紀にかけて発達したのが装飾タイルで、職人は花や動物をモチーフにした美しい施釉タイルを作りました。

 リトアニアの伝統陶芸は現代まで重要性を失うことなく、水差し、ボウル、ケシの実などのグラインダー、ピッチャー、鍋などは今でも需要があります。

陶芸家は、ろくろを使って粘土の塊から鉢を作ったり、小さな塊から彫像を生み出します。出来上がった工芸品を熱や液体に耐性のあるものにするために、職人は焼いた後に煙の中に入れたり(黒陶器)、小麦粉や野菜の発酵液に浸したり(発酵陶器)、釉薬をかけたりします。

陶芸家のダイニウス・ストラズダスさん  *1

土笛の生産も盛んで、人や鳥など動物の形をした笛を彫像し、表面に質感のある彫刻や刻印による装飾を施す職人もいます。

土笛作家のルータ・インドラシューテさん  *1
ルータ・インドラシューテさんの作品  *1

陶芸家のなかには、中世の技術を使ってレンガやタイルを復刻している人もいます。彼らは、釉薬やエンゴーベ(化粧土)で覆われた表面に装飾を彫刻したり、レリーフ装飾を施して、工芸的な装飾を再現しています。

装飾タイル作家のラウラ・ソデイカイテさん  *1
16世紀の復元タイル  *1

リトアニアの伝統工芸の普及について

 リトアニアにとって伝統工芸は、外圧に屈せず、リトアニア人であるために継承していくべき日常生活の重要な要素でした。古くから首都ヴュリニュスでは、各地からその地域文化を象徴する伝統工芸を披露するギャラリーやワークショップが開かれてきました。古代の芸術作品の再現品をはじめ、金細工、鋳物、ステンドグラス、琥珀、織物や染色、紙細工、木工品など、村や町の自慢の品々が陳列され、その場で職人がデモンストレーションを行い、製造工程をオープンにします。

 有名な催しの一つ、バルト三国最大の伝統工芸イベントである「カジューカス祭」は、3月の初めにヴュリニュスの市場や通りで開かれ、数百人もの伝統工芸作家が軒を連ねます。

 「セントバーソロミューフェア」は歴史教育を兼ねたイベントで、リトアニア大公国だった中世およびルネサンス期の伝統手工芸、芸術、ライフスタイル、エンターテインメントなどがテーマです。

セントバーソロミューフェア  *2

職人と直接話しながら、歴史的建物、例えば大公宮殿を彩りいまも続くカラフルな伝統のタイルや宝石、15世紀から17世紀のファッション、音楽、舞踊を見ることができます。参加する職人には、タイルや宝飾の職人、鍛冶屋、洋服の仕立屋、醸造業者、ガラス職人、製本業者など、リトアニアに400年続く伝統工芸に触れることができます。

鍛冶のワークショップ  *2

 毎年7月上旬に、2004年にユネスコ世界遺産に登録されたケルナヴェ遺跡で開かれる「考古学国際フェスティバル」では、13世紀~14世紀をテーマに、アーチェリー、コインの鋳造、乗馬、古楽、古代レシピで調理された料理などが体験できます。

 そのほか、トラカイ城で夏に開かれる「古代クラフトデイズ」では、古城をバックに甲冑騎士が剣を交える音が響きわたり、その情景はまるでゲームの世界観のようです。その周りでは、中世から伝わる伝統料理が振る舞われ、またリトアニア中から集まった熟練職人による工芸の秘技を伝えるワークショップが二泊三日で開催されます。

木彫のワークショップ  *2

リトアニアについて

 リトアニアの文化や、日本との交流に大きく関わることなので、リトアニアの歴史についてご説明させてください。

 現在のリトアニアの地に人々が住み始めたのは、紀元前1万年頃ですが、中世以降は常に、ドイツなど周囲のキリスト教諸国からの侵略に脅威にさらされてきました。1386年にポーランドの王女と結婚してポーランド王として即位したリトアニア大公ヨガイラが、キリスト教を受け入れることで国に安泰を導き、15世紀になるとリトアニア大公国は領土をバルト海から黒海にまで伸ばしてヨーロッパ最大の国になります。

 しかしまもなくポーランドの支配下に置かれ、ポーランド・リトアニア連合王国が成立。18世紀末にはロシア、プロシア、オーストリアに分割されて消滅。そしてついに、ロシア帝国の餌食となってしまいました。

リトアニアの領土の歴史

 19世紀末には力強い民族運動が生まれ、独立国家を求めるリトアニア人の民族意識が一気に高まります。リトアニアの工芸や民芸は、日本に比べると素朴で無骨ですが、それは、リトアニアの伝統を守るために、古くから日常生活に使われてきたものを、そのまま残そうとしているからです。脅かされ続けた国のアイデンティティの表れなのです。

 ゴルバチョフ大統領のペレストロイカの後、1990年3月リトアニアは世界に向けて再度独立を宣言し、ソ連邦の共和国で最初の独立国となりました。国民は長年にわたる苦しい支配から自由を獲得したのです。首都ヴィリニュスは中欧、東欧の中で最も大きく、美しい旧市街の一つで、1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

1994年に世界文化遺産に登録されたヴィリニュスの歴史地区(旧市街地)

リトアニアならではの工芸とは?

 古くから鍛冶屋の技術は高く、需要もありました。西暦1世紀頃には、大きな集落にはそれぞれ鍛冶場がありました。鉄の加工技術の発展と鉄の産出は切っても切り離せません。地元の鉱石から抽出された鉄は、武器や農具などの主要な工芸品の鍛造に使用されました。19 世紀後半には、棒やブルームで販売される輸入鉄が広まり、より多くの種類の鉄の工芸品が登場しました。

 鍛冶場の主要な設備はふいごの付いた炉で、鍛冶屋は蹄鉄、釘、錠、鍵、ビンディング、作業道具などを鍛造しました。かつては、より熟練した鍛冶屋が農業機械、美術品、宝飾品を作っていました。芸術品として最も盛んな工芸品は、鉄の十字架と、モニュメントの頭頂部の装飾です。溶接またはリベット留めされた細部から作られたそれらの装飾は、道端の祠、彫刻された木柱、礼拝堂、墓地または教会の庭の門を飾り、それらに完全性と優雅さを与えます。

 現代の鍛冶屋は、主にヒンジ、ビンディング、フェンスを鍛造しています。伝統的な鍛造技術と装飾技術を使用して作られたモニュメントの上部は、最も芸術的な作品の一つとして残っています。

鉄の十字架  *1
6〜15世紀の鉄製工芸品の復元  *1

 また、石工の技術も、家、橋、基礎、舗道、フェンスの建設に必要な鉄の普及と切り離すことができません。16世紀に石臼を作る技術が発達し、領土侵略に晒された18世紀後半には、鉄器工場で石砲弾が製造されました。19世紀に出現した高度な石材加工ツールによって、石材は建築以外でも使用されるようになりました。石工の基本的な道具はノミとハンマーで、石工はみな芸術的な石積みに従事していましたが、これは木製のモニュメントが普及するなかでは非常に珍しい現象でした。石工は、木製のモニュメントや彫刻を参考に、周囲で集めた自然な形の未加工の石から礼拝堂、道端の祠、十字架、彫刻像などを制作しました。

石工のヴァルダス・バンザさん  *1
ヴァルダス・バンザさんの石彫作品 物思いにふけるキリストの彫刻  *1

 ただ、現在では、石像彫刻の伝統を引き継ぎ、地元の石を使って円形の彫刻を作ったり、民家や町の公共スペースを石で飾る職人はほとんどいなくなりました。

 土、鉄、石の工芸は、リトアニアのアニミズムの影響が大きく、キリスト教の庇護のもとで洗練されていったヨーロッパの芸術に比べると非常に素朴です。そのプリミティブな技術や造形を受け継ぐことが、アイデンティティを守る方法だったのではないでしょうか。

日本の工芸の印象は?

 リトアニアではキリスト教の受容が西洋で最も遅かった国です。その理由は、自然を崇拝する信仰、一種のアニミズムがあり、一神教に馴染まなかったと言われています。

 例えば、リトアニアでは、樫の木を聖なる木と崇めており、樫の木が立つ場所は、日本の神社のような聖域です。木の前に供え物をしたり、祈ったり、人々が集まって歌い踊ったり、お祭りもします。また、リトアニア人のファーストネームは、太陽や月、風、星などを意味するものが多く、私の名前の「ガビヤ」も「聖なる火の女神」のことです。また、工芸や装飾に描かれる「生命の木」は、もっともポピュラーで重要なモチーフです。

 つまり、八百万の神がいる日本と非常に似ているのです。ですから、日本文化に初めて触れたとき、まず懐かしさを感じました。もちろん、日本は工芸や美術において高い技術があり、また工芸とアートの境界があまりない。そして、それを理解する人々の美意識があり、支える歴史や市場の仕組みがあり、そのレベルに驚かされます。しかし、工芸や伝統芸術が大切にする自然との繫がりや、季節の存在感は、私たちのなかにもあります。リトアニアでは若い人でも森や湖にでかけ、自然のなかで過ごす時間を大切にします。私が芭蕉の俳句の世界に感じた自然観の共鳴は、私自身の育った文化や精神性に由来するものだと思います。

「生命の樹」をモチーフにした伝統的なクッキー

村上春樹の翻訳について

 1999年に村上作品と出会い、その後、少し仕事から離れた時期に翻訳を手がけ、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を出版しました。

 村上作品はリトアニアではとても人気があり、有名な作品はほとんど翻訳されています。音楽家の名前など西洋の文化情報がほどよく散りばめられており、あまり違和感がないことが人気の理由のひとつにはあると思います。

 そして、これは私の考えですが、日本とリトアニアには虚構と現実の境界が曖昧であるという共通した独特の自然観があるので、村上文学のフィクションと現実が交錯する作風は違和感がないし、彼の作品に登場する鼠や双子や羊男は、昔話のような何かのメタファーとして捉えることができるということも、大きな理由なのではないでしょうか。

 翻訳という作業は何語であっても難しいですが、村上文学は特定の国や場所を描写ぜずに、漠然と「海辺の町」だったりするので普遍性がありますし、リトアニアの読者は虚と実の交錯を読み取るので、原文になるべく忠実に訳せばいいと思っています。

日本の文化発信へのアドバイス

 リトアニアで伝統的な文化や産業を普及させるためのさまざまな祭りやイベントを紹介しましたが、どの催事でもワークショップが盛んで、伝統技術の伝承を教育の一環とみています。

2023年に世界無形文化遺産に登録された麦わら細工「ソダス(藁の庭)」は、慶事の際、家に吊して飾る。木・天体・鳥のシンボルが古代バルト民族の世界観を表現しており、ワークショップや展覧会などを開催し、国をあげて復興に取り組んでいる。/写真協力:リトアニア国立博物館 Photo by Arūnas Baltėnas

 一方、日本の伝統文化の世界は、あまり開放的だとは言えない気がします。高い技術や芸術性は、閉じた世界だからこそ継承されてきた歴史があるからだと理解はできます。ただ、例えば生活で使う器や装飾品をもっとたくさんの人に知ってもらい、さらに世界に広めたいなら、工房で制作過程を見学できたり、体験する場などがもっとあってもいいと思います。

 海外の人が相手だと、言葉の壁や文化が理解されない心配があるかもしれませんが、村上春樹の作品がリトアニア語に翻訳されていても大人気のように、国や文化が違っていても、その本質や普遍性は伝わるのではないでしょうか。

伝統的な方法で真鍮装飾を継承するドーマス・ブルニツキスさん。ふいごで炉に風を送り、温度を上げる。  *1
真鍮を炉で熔かす  *1
真鍮をジュエリー型に流し込む  *1
型から取り出されたジュエリーのパーツ  *1
ブルニツキスさんが工房のカロリナ・ブイヴィーダイテさん、デイヴィダス・ザイコフスキさんとともに手がけたジュエリー作品  *1

  

  

写真引用元

*1 LIETUVOS TAUTINIS PAVELDAS Tradiciniai amatai
LIETUVOS NACIONALINIS MUZIEJUS
Photos: Arūnas Baltėnas

*2 Craftsmanship in Lithuania リトアニアの伝統工芸
Simona Širvydaitė-Šliupienė
Photos: Vygailė Sukurytė, Jonas Vitkūnas, Simona Šrvydaitė-Šliupienė