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このシリーズでは、海外から見た日本文化について、さまざまな分野のプロフェッショナルに語っていただきます。これまでの出版活動を通じて出会った人々です。
伝統や文化の表層を一皮めくり、その先に未知の空間が広がることを期待しつつ……。
2024年3月26日、第48回木村伊兵衛賞が発表され、キム・インスクさんが受賞した。1975年の創設以来半世紀の歴史をもち、写真界の芥川賞とも呼ばれる同賞は、前年に写真の制作・発表活動で優れた成果をあげた「新人」に授与される(ちなみに「新人」の定義はキャリアの長さではなく未受賞という意味らしい)。
新進気鋭のアーティストが選ばれることから、これは写真表現のアップデートをはかる貴重な機会でもある。また、2016年の原美樹子氏の受賞後は、今年度に至るまでの受賞者8名のうち6名が女性というように、写真界の潮流も見えてくる。
毎年話題に事欠かないこの賞にあって、それでも、キム・インスクさんの受賞は写真関係者の間で驚きと歓喜をもって受け止められた。その理由は、4月26日に開催された授賞式で、審査員の長島友里恵さんが語っている。
長島さんは、ヴィデオ・インスタレーションである《Between Breads and Noodles》と「Eye to Eye」展が受賞【註1】したことの意義、とりわけ「Eye to Eye」展を構成する人物の動画が、ポートレイトの現代的定義を拡張したと賞賛した。つまり、木村伊兵衛賞の50年の歴史において初めてヴィデオ・インスタレーション、すなわち「動く写真」が受賞したのである。
註1 後者は、写真と4チャンネルのヴィデオで構成されるインスタレーション
出会い
インスクさんを知ったのは、東京都写真美術館で2018年に開催された「愛について:アジアン・コンテンポラリー」展においてである。本展を企画した笠原美智子さん(現・長野県立美術館長)は、長年にわたり写真とジェンダーというテーマを牽引し、2003年のヴェネツィアビエンナーでは女性写真家・石内都さんの個展で話題となったキュレーターであった。
「愛について〜」展は笠原さんにとって同館での最後の企画で、中国、シンガポール、台湾、韓国、日本から6名の女性アーティストを招聘し、アジアにおける女性の価値観の変容(あるいは不変)を探った。
この展覧会でとりわけ印象に刻まれたのが、インスクさんのポートレイト作品だった。鮮やかな色彩に明確な構図、それでいて透明感のあるやわらかい空気が人物をとりまく。画面のなかのシーンが現実世界と同期するような感覚がある。被写体がじっと見つめる先に人物(=撮影者)がいて、鑑賞者は撮影者と同じ位置でその視線を正面から受け止めるからだろう。これはポートレイト作品では当たり前のことだけれど、彼女の作品では何か違う気がする。興味を抱いたところに、直接尋ねるチャンスに恵まれた。
関係性を築くことから始まる
作家との初めての出会いは、「愛」展の関連企画として開催されたトークショーの打ち上げ。たまたま帰る方向が同じで、道々いろいろな話を聞くことができた。
今も鮮明に覚えているのは、アーティストとしての明確なヴィジョンである。日本と韓国に拠点をもち両国を行き来するうちに、コミュニティのなかで個人が獲得する、あるいは押しつけられる「社会的立場」に問題意識を抱くようになったインスクさんは、アーティストとしてコミュニティに積極的にかかわり、表現していきたいと語ってくれた。
「愛」展に展示されたポートレイト作品は、被写体となった人々と時間をかけ、対話を交わしながら築いた関係性によって成り立っている。撮影者に向けられた「信頼」の眼差しが、同じ立ち位置で見る私たち鑑賞者を惹きつけるのだ。
後にインスクさんキーワードのひとつとして掲げる「Between」という言葉は、まさしく被写体との信頼関係を表すものだ。
この出会いをきっかけに、2020年には東京五輪の広報の一環として写真美術館の中国語サイトを一緒に制作したことで、彼女の緻密で真摯な仕事ぶりにも触れることができ、その後は展覧会などにも足を運んで活動を見つめてきた。
リレーショナルなポートレイト
インスクさんは2022年の春から、今回の木村伊兵衛賞の受賞作のひとつ《Eye to Eye》のプロジェクトに取り組む。これは滋賀県にあるブラジル人学校「サンタナ学園」に通う0歳〜18歳の児童・生徒80名と、学校運営を支える教師や支援者と共に過ごしながら制作されたヴィデオ・インスタレーション。2023年に恵比寿映像祭の委託作品として、2024年4月より東京都現代美術館のグループ展「翻訳できないわたしの言葉」展で発表された。
このインスタレーションは、10のスクリーンが同期する圧巻の空間。入って右の壁面にある「Side A」と呼ばれる7mのスクリーンでは、学園の子どもたちの生活を撮影した映像が映され、彼らとの対話の音声が会場内に流れている。反対側の壁の80インチモニタ「Side B」では、子どもたちの送迎から食事作り、授業まで、校長として早朝から夜まで働く女性の日常が会話とともに映し出される(音声はヘッドホンで聴ける)。この2つの大型ヴィデオ作品の間の中央スペースに、表裏2面の2mの縦型スクリーンが4台置かれ、0歳から18歳までの生徒と学園スタッフなど80〜90名のポートレイトが、一人ずつ数秒〜1分間映し出される。
冒頭で書いたとおり、今回の授賞式で審査員の長島友里恵さんは、「〈ポートレイト〉の概念に新しい境地を示した」と高く評価した。従来の肖像写真(肖像画も)は、そこに描かれた仕草や表情から見る者が被写体の人物を想像する楽しみがあり、鑑賞者の想像力をいかに刺激するかが作品の魅力にもつながっていたが、映像が氾濫する時代になり、ヴィデオ・ポートレイトにも同じ表現が可能であることを示してみせた、と。
インスクさんのヴィデオ・ポートレイトのなかで被写体の子どもたちが見せる仕草や、ファッションを含むたたずまいは、その子の人となりについての想像をかきたて、やがてまるでよく知っている子のような錯覚を生み出す。
「気がつけば、自分も学園で暮らしている気分になった」
これは多くの鑑賞者が抱いた感想でもある。見る者/見られる者の境界が消えて「他者」がいなくなる作品、「リレーショナルなポートレイト」と私は勝手ながら命名している。
個人を祝福する動くポートレイト
ここで冒頭の授賞式の話に戻りたい。インスクさんは「受賞者の言葉」で、受賞した作品は被写体となってくれた人々、プロジェクトや展覧会に関わった美術館関係者、インスタレーションを支援したテクニカルスタッフなど、「みんなでつくった」ものであり、自分はその代表として賞を受けたのだと述べた。
その言葉を裏付けるように、会場には美術館関係者をはじめ、生まれ育った大阪から専門学校時代の恩師や家族が、ソウルからは国立美術館の学芸員など大勢が駆けつけた。
レセプションで祝辞を求められた笠原美智子さん(前出)は、インスクさんの作品を「承認」という言葉で評価。いわく、インスクさんの作品は被写体が属性や背景で判断されず、個として承認され、その生を祝福されていると。
実は、初めて「映像インスタレーション」が受賞したことにたいする批判もまだあるという。しかしインスクさんは、作品のメディアに関する問題には頓着していない。アーティストとしての活動は、まず人々と「関わり」をもち対話を続けることであり、その表現として作品があり、表現に一番適したメディアをその都度選んでいるにすぎないからだ。必要であれば、2,000個のインスタント麵も1週間かけて積み上げる。
受賞発表から2か月、東京都現代美術館の「翻訳できないわたしの言葉」展もオープンから1か月が経った。めまぐるしい日々がようやくおさまったタイミングで、インスクさんにインタビューを行った。
日韓協働プロジェクト、《響 Hyang》
Q. 1 唐突ですが、そのブローチは手づくりですか?
キム・インスク
ソウルで出逢った伝統工芸を学ぶ当時40代、50代の女性、30代の私と、雑誌のライターである日本生まれの韓国人女性と共に《響 Hyang Craft Project》という名で、デットストックの韓服(ハンボク)の布と日本の小物を融合させたアクセサリーや小物を手づくりしていました。
当時、私は朝鮮半島と日本の狭間に置かれる人々と一緒に作品をつくっていましたし、文化や歴史観が異なる日本と韓国を行き来しながら自分が形成される過程を経ていたので、アクセサリーづくりに現代美術の概念を取り入れ、「所有し、持ち歩ける唯一無二の作品」とするプロジェクトを企画しました。使うことを目的とした作品のため、多くの人に所有していただけるよう安価に販売できる作品を目指し、素材もみんなで相談しながら決めていきました。
このブローチは、「セクトン」と呼ばれる韓国の伝統模様の布地を、ボタンを製造する機械で丸型に成形し、裏面にピンを付けています。同じく韓国の伝統的なモチーフである花と鳥のパーツは、材料費を安く抑えるため市場で探し回って見つけたものです。使用している布はデッドストック(売れ残り品や長期間放置されていた在庫品)を使用しています。ほかにも、夫の実家にあった1960年代の北朝鮮の布で制作したものもあります。韓国では、1990年以降、結婚式などでもハンボクを着ることが減っていったのですが、全盛期につくられた布はしっかりした素材で、レトロな雰囲気があり、制作費を抑えられます。
私は大学で被服学科染色を専攻したので、このプロジェクトではデザインや布の素材と色の組み合わせを担当しました。制作する小物は日本から来た私たち30代からの発案が多かったのですが、伝統工芸や民族衣装の知識をもつ韓国の女性(アジュンマ)2人と、いろいろなことを対話しながら作品が出来上がっていく過程は、世代や日韓の文化が融合される楽しい時間でした。
伝統的な手芸・工芸には、その土地の技や風土の記憶が受け継がれています。現代アートの自己表現と異なり使う人が存在するので、過去と現代、つくる人と使う人という、そもそもリレーショナルな本質があります。
Q. 2 受賞作について
キム・インスク
第48回木村伊兵衛写真賞の受賞作であるインスタレーション《Eye to Eye》と《Between Breads and Noodles》は、意図的に同時会期で発表しました。前者では日本からブラジルへ移住した人々の子孫が移民として日本で暮らす状況を、後者では韓国からドイツへ国家政策として移住した人々の置かれる状況を垣間見ることができます。
「垣間見る」という言葉を使うのは、人々の属性を伝えることを主な目的とせず、彼らとの出逢いを再現することにより「垣間見る」背景から様々なことが想像できる展示構造を示すためです。
2つのインスタレーションを通して国内外の移民の人々に出逢うことから、「中心と周縁」は常に変化しているという観点を提示しました。「中心と周縁」「マジョリティとマイノリティ」などの言葉は、自分の立場や場所により反転します。
地域と子どもたちをアートでつなぐプロジェクト
Q. 3 サンタナ学園との出逢いとアートプロジェクトについて
キム・インスク
サンタナ学園との出会いは、文化庁の「ケアしあうミュージアム」【註1】の事業実行委員会に招かれ、地域課題支援事業のひとつ「サンタナ学園に通う子どもたちとのアートワークショップ」において、2022年から2年にわたり企画とディレクションを担当したのがきっかけです。これは地域と子どもたちをアートでつなぐためのプロジェクトです。
それまではサンタナ学園について知りませんでした。この学園は滋賀県愛庄町にあるブラジル人学校です。政府からの助成がなく私塾扱いで運営されており、教師自らスクールバスを運転して滋賀の各地から児童生徒を送迎し、子どもたちはプレハブと数件の民家を連ねた校舎で母国の文化や言葉を学んでいます。
子どもたちや教師の大多数は地域社会とほとんど接点を持たずに暮らしているため、日本語を片言しか話せません。彼らとどのようにコミュニケーションを取り関係性をつくるのか。どうすればみんなが楽しみながら地域社会に出逢えるのか。プロジェクトチームとサンタナ学園は交流を重ね、互いを知ることで親交を深めていきました。
2023年には子どもたちと滋賀のアートスポットを巡って取材を行うワークショップを実施しながら、アートブック「扉の向こう:私とあなた、滋賀とアート」をみんなで制作しました。
註1:文化庁の博物館機能強化推進事業
Q. 4 今後のプロジェクトは?
キム・インスク
アートブックは、協働プロジェクトを物質化した作品として、子どもたちにも所有してもらいたいという考えもあり制作しました。東京都現代美術館では、ブラジルへ急に帰国してしまった少女へ誰よりも先にアートブックを届けに行った映像作品《扉の向こう》を発表しています。
サンタナ学園でのアートプロジェクトは残念ながら2024年は行われないため、私個人のプロジェクトや、私が所属するアートコレクティブ・Knots for the Artsと共に有志を募ってプロジェクトを行う予定です。
また、サンタナ学園を会場にした展覧会「サンタナ・アートフェス(仮題)」を企画して、地域と学園をつなぐ試みを考えています。今はまず、アートブックをたくさんの人々に見てもらうため、各地域の図書館や美術館のアーカイブ書籍として収蔵を依頼しています。東京都現代美術館でもご覧いただけるので、会期中にぜひ足をお運びください。
Q5 関係性の追究は続きますね
私はその関わりが見えるような作品づくりをしていますが、どんな作品も多かれ少なかれ、どこかでいろいろな人が関わっています。
最初の質問に戻るのですが、工芸について考えてみてもさまざまな職人の手を経て作家が作品に仕上げ、また、使う人の手に渡るまでさらに人が関わるわけです。さらに言えば、工芸を継承してきた無数の人々がいる。言わば壮大なコラボレーションです。
工芸についても、作品がつくられるまでの「関係性」にとても興味があります。もちろんそこには「使う人」も含まれています。