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文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。
工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。
この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。
今回は観光先となる地域や文化施設ではなく、文化観光をともに深めてくれる「ひと」にフォーカス。2021年度に文化庁文化観光高付加価値化リサーチが行われた際にも、九州全域でのリサーチやワークショップにおいて多大なるご協力をいただいた白水高広さんです。時を経てあらためて「文化観光とはなんなのか」を模索するためのインタビューを行いました。
白水さんは福岡八女を拠点とする「うなぎの寝床」の創業者。「地域文化商社」という言葉を編みだして、コンセプトとして掲げました。土地に根づいてきた地域文化を解釈、その現代における活用と経済化を考えながら商品を取りあつかい、文化の担い手にも適切に利益を還元していく再循環のありかたを考えつづけ、実践してきた方です。
文化を受け継いで担う「つくりて」、生活者としてその文化やものを使う「つかいて」、そして両者を結びつける「つなぎて」がいて、三者ともどもが「地域文化」に思いを馳せるための仕組みがうなぎの寝床にはあります。これはあつかう商品の形を「もの」ではなく「体験」や「観光」に変えてみた上で、文化観光を考えていく際にも重要な価値観を与えてくれます。
うなぎの寝床は白水さんが12年経営してきたのち、他社と資本提携して白水さんは創業者・顧問という立ち位置になりました。時間的余裕を得たことでこれからはさらに複数の事業に携わっていく心づもりとのこと。その鳥瞰的な視座をもって文化観光のテーマを掘り下げてもらったところ、たいへんおもしろく大事な要素がいくつもあらわれてきました。
取材日:2024年7月10日
白水高広 しらみずたかひろ 「うなぎの寝床」創業者・顧問
1985年佐賀県生まれ。大分大学工学部卒業後、厚生労働省の雇用創出事業九州ちくご元気計画の主任推進員として活動。2012年九州ちくごのアンテナショップとしてうなぎの寝床創業。地域文化商社として九州を中心に約全国250件のつくりての商品を紹介する。2015年に久留米絣のMONPEを商品化し、全国の生地産地ともコラボレーションし開発を行う。12年間経営し2024年3月に株式会社テイクオーバーと資本提携し、現在は創業者・顧問として活動する。同時に株式会社白水を創業。複数の事業をやってみたいなという予定。九州ちくご元気計画はグッドデザイン賞日本商工会議所会頭賞を受賞。
伝統を時代に合わせて更新することで守られるもの
酒井一途
白水さんが普段やっていらっしゃることは、すでにさまざまなメディアから多くのインタビューで紹介されていて、オンライン上にも記事があります。ですので今回は「文化観光とはなんなのか」をあてもなく話す会にできればと思っています。
白水高広
ものづくりでいうと、いろんな産地を回っていて感じることがあります。
1974年に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が制定されました。この規格を守りつづける選択をしてきた人たちは、むしろ産業的にあまり生き残れていないということです。守ろう、守ろうとしてきた結果、結局は守れずに跡継ぎもいないという状態になっています。
一方で、伝統的工芸品という一定の定義は持ちながらも、今の時代に合わせた解釈をし直して変わりつづけてきた人たちは、仕事としても文化としてもちゃんと残れていることが多い。更新しつづけている人たちこそ、守りつづけている人たちではないかと僕は思います。
酒井一途
ルールを厳密に守りすぎているだけでは逆に残すことができない、と。
白水高広
時代の変化に伴って、生活も価値観も変わっていくのですから、ルールは変えていかなければいけないものです。でもルールを一度設定したら、そのルールを変えたくないと思う人たちが一定数現れてくる。彼らは頑なにルールを守ろうとするあまり、他の人たちにもルールを守ることを要請する傾向があります。
そういう体質を生み出さないためには、変化することを前提として、その変化を許容できるようなルールづくりが大事なんだろうと思います。
酒井一途
本来ならルールというものはそのように運用されるべきものですよね。法律にしても、法律自体をそうそう作り変えるわけにもいかないから、今の時代における解釈の仕方とこれまでの判例の積み重ねからその都度考え直す。
工芸品にしても文化財にしても、頑ななルールとそのルールを守らせようとする人たちだけが一人歩きするのではなく、時代に合わせたある種の読み換えが必要なはずです。
白水高広
たとえば伝統的工芸品としての久留米絣には、粗苧という麻を使わなければならない、手織りで作らねばならない、といったがちがちの定義があります。これらの定義を頑なに守ろうとすると時代にまったく合っていなくて、単にそのまま保存するしかなくなります。いま伝統工芸の産地が直面しているのはそういう問題です。
私たちが立ち上げたうなぎの寝床も「地域文化商社」を掲げてやってきましたが、その言葉に縛られて現代に合わせた動きがしづらくなってきた面がありました。僕としてはあくまで一時的に設定した言葉で、解釈を都度変えながら現代における「地域文化商社」としての役割を担っていくつもりでした。しかしこの言葉そのものを守ることが重視されるようになってきてしまった。関わるみんなが思いを持ちすぎてしまったんです。当たり前なんですが、それぞれの解釈で言葉を理解しているから齟齬が生じてしまったのです。
人って言葉にした瞬間に、それにすがっていく傾向があります。強い言葉を使えば使うほど、変わりづらくなっていくものだなと感じます。だからルールづくりというよりは「憲章づくり」をした方がいいかもしれません。「こういうマインドでやりましょう」と言語化して、みんなでそのマインドをどう解釈していくかを考えるのです。
憲章において重視されることは、「制約」ではなく「誓約」です。この二つの言葉のちがいを最近よく考えます。「誓約」であれば、道徳的なモラルみたいな抽象的で曖昧なことを書けるんですよね。
沖縄の竹富島にも「竹富島憲章」という自主的に定めた憲章があります。もし将来的に島がリゾート開発されるとなった時に、憲章を元にしてこれはいいとかこれはダメというのを島民たちが解釈しながら議論することができます。「誓約」には人の意思が介在していく余地があります。「制約」では現代に合わせた変化が難しくて、地域単位で区切るならまだしも、素材や技術で区切ると残せなくなる可能性が高まってしまう。
酒井一途
石見銀山がある島根の大田市大森町には「大森町住民憲章」があります。石見銀山が世界遺産になったときに外から観光事業者が入ってこようとしたのを、事前にまちの人たちみんなが集まって憲章を作ることで、まちを外から守る意思確認をしたというのです。
このまちには群言堂というブランドがあり、創業者の松場登美さんがまちの複数の古民家を会社としても個人としても守りつづけてきました。その文脈を継いで、婿養子の松場忠さんが石見銀山生活観光研究所を立ち上げて、「生活観光」を掲げてまちぐるみで生活そのものをなにより大事にした観光の形を促すこともしています。
白水高広
沖縄でいうと、ゆいまーる沖縄という会社があります。いま代表をしている鈴木修司さんは千葉の生まれですが、アルバイトから入って社員になって、創業者の玉城幹男さんが病に倒れると彼の意志を継いで、代表をしはじめた方です。鈴木さんは沖縄の地域文化やものづくりを現代で体現するにはどうしたらいいかをずっと考えています。まるで創業者が憑依しているかのようです。沖縄の文化をインストールして自分なりの解釈で一つひとつやれることをしている感じなんですよね。
言葉の意味への固執は、未来への足枷になる?
白水高広
文化観光でいうと、文化庁や観光庁といったセグメント(区分)に意味がなくなってきているのではないかなと思ってきています。人は定義や分類をしたがるけど、本来分けられないものを無理やり分けているような感じがします。
酒井一途
セグメントを分けると、分かれたそれぞれが依拠する原理が違ってくるんですよね。それぞれが原理主義的になっていくことで、対話のしようがなくなってしまう。越境がしづらくなります。分けられたセグメントの内部にいる人はもちろんのこと、それぞれのあいだに立つ人も双方の論理の組み立て方を理解して話さないといけない。
白水高広
言語ってそもそも分けるための道具ですから、分けることは仕方がない。その前提に立ったうえでの新しい分け方を考えた方がいいのかもしれません。文化観光は既存の文化庁や観光庁の名前を冠しているから、それぞれの側からの解釈が平行線でありつづけてしまう可能性もありそうです。両方を包含するような新しい言葉を持ってきた方がいいのかもしれない。あえてわかりにくくすることで前に進む、という。
文化という言葉自体、曖昧で人によって解釈が異なるものですよね。デザインという言葉もそうで、言葉を使う側と受け取る側それぞれにいくつもの意味があらわれてしまうので、僕は極力使わないようにしているんです。使っているとそれぞれの解釈でぜんぜん違う文脈に落とし込まれてしまうから。
酒井一途
当事者には自分の領域に対して一家言があるんですよね。外の人からしたら、その言葉の枠組みや概念理解ってそこまで大事なんだろうかと疑問が浮かぶくらい。これはアートかそうでないか、これは工芸かそうでないか、これは民藝かそうでないか、というのは関わっている人からすると重要で、ものすごくはっきりと区分けをしたがる。分野を守っていく上で譲れなかったり、アートならアートの文脈でどう新しいものを作るかという革新の上で重要だったりする、ということはわかるんです。でも枠組みに制約をかけてしまうことで、言葉にとらわれている感じがするんですよね。
白水高広
とらわれていますよね。言葉を重く捉えすぎて、固執しはじめる。「文化とはどういうことなのか」を考えつづけることはできるけど、「文化とはこういうことです」と言ったらもう守るしかなくなってしまう。そしてその守りは守りにならないんです。
経営者も継承がうまくいっているところって、文脈を自分の中に落としこんであとは捨ててるんです。なんとなく残っているものをベースにして、自分でまた構築し直すんですよね。先代のやってきたことを間に受けてぜんぶ引き受けようとすると、何も新しいことができなくて先代の延長線上で自分がやれることしかやらない、となってしまう。そうなるともうだめですね。前に成功したことがあったとして、その成功体験も捨てつづけないと未来がないですよ。そうでないと本当に文化を守ることはできないんです。
文化を支えるのは個々の意識
白水高広
話していてわかってきたのですが、「こういう文化をつくりたい」「こういう文化をこれからも大事にしていきたい」という意思をもった個としての人がどれだけいるかが、その土地の文化度を指し示すような気がします。
観光も一緒で、消費マインドの人がたくさんいると本当に消費されるだけで終わってしまいます。「この土地にある文脈を生かしてより密度の濃い体験をつくりたい」と思う人が多く現れたとき、そこは文化観光が根づける土地になるのではないでしょうか。
土地のもつ文脈や背景そのものは変わらないけれど、それを活用して2年間で5億稼いでやろうと思ったら消費の方向になるし、土地のもつ文脈の本質を捉えて伝えながら経済化もしてのちの世代に引き継いでいこう、と思ったら文化観光が成立しますよね。
これらは表裏一体で、出てくる数字や事実としては違わなかったとしても、意識の持ち方次第で消費にもなりえるし文化にもなりえる。これは自分でも発見な気がします。
文化にしても観光にしてもいろんな要素を含みすぎているけど、本当はシンプルなことなんですよね。結局、人の意識の違いでしかない。そういう個人がどれだけ多くいるかが指標になるかもしれません。人に依存したらシステムにならなさそうだけど、それはもうそれでいいんじゃないか、と。所属する組織に言わされているのではなく、個人の意思で言えるかどうかがもちろん重要です。どうやったらその人数を測れるだろうな。
酒井一途
とてもいい指標ですね。どうしたらそういう個人を地域に増やしていけるかもあわせて考えていきたいです。
白水高広
人って環境に依存するので、もともとそこの環境にいなかった人を連れてきてしばらく「幽閉」しておくことじゃないですか。「幽閉」は「招聘」と言い換えてもいいですね。とにかく一定期間その人がその地域に住んでいられる仕組みをつくる。すると順応した環境を活かして何かしたくなる人が現れてくるんですよ。地域のことが自分ごとになって、これがこうなったらいいとか勝手に話しはじめるようになる。
僕も八女にまったく思い入れなかったけれど、妻が八女出身で、彼女が久留米絣をなんとかしたいというのを聞いてた。それでイベントやり始めたりしているうちに、いつの間にか八女で12年くらい会社をやっちゃってたわけですから。
酒井一途
勝手にしはじめちゃう、というのがいいですね。自発的で、内発的な感じ。その地域のことに思い入れをもっちゃったんだから、しょうがないじゃん、と開き直りたくなる気持ちは僕にもあります。生まれ育ったのはべつの地域だとしても、ローカルの人間じゃないとしても、この地域を好きという思いは確かだよ、と。
白水高広
一途さんも最初は地域おこし協力隊で豊岡に来たわけでしょう。それが今では豊岡に家買ったりして。僕も一途さんがいなかったら豊岡に来ていなかったかもしれないし、誘発する現象が自然と起きている。それも元を辿れば、前市長が協力隊を大量に招きいれるという決定をしたからですし。連鎖して繋がっているんですね。
酒井一途
僕は豊岡に移住するにあたって、豊岡市前市長の中貝さんが言ったことでめちゃくちゃ痺れた言葉があるんです。東京で豊岡エキシビションというのがあって、そこに訪れた当時市長の中貝さんが「私は豊岡がはぐれものの梁山泊になればいいと思っているんですよ」って(笑)市長でこれ言うのめちゃくちゃかっこいいなって。梁山泊って中国の故事で、謀反を起こす者たちが集って虎視眈々と革命を狙う拠点なんですけどね。
白水高広
それ講演でいうんだ(笑)
酒井一途
しかもビジネス向けの場だったので企業人とかが大半で、市長が何を言っているのか意味がわからなかったと思うのですが。ストレートに響いちゃった僕みたいなのがその中にいて、見事にひっかかったわけです(笑)
白水高広
都市部との距離感があるから、土地の遠さと相まっていい表現ですね。そういう言葉にひっかかってくるのは、個としての意思をもっている人間だろうしなあ。それでやってくる人たちに、その地域の環境に順応してもらうための機会をつくるのが大事ですよね。元いた場所から環境をずらすというか。地域おこし協力隊はポテンシャルがある人間の環境をずらすきっかけとなりやすいのがいいですよね。べつの地域に住みはじめるときのハードルがめちゃくちゃ低くなる。
そうやって、まちづくりをするための文化観光を推進するとかではなくて、おもしろいひとを地域に居心地よく一定期間「幽閉/招聘」することによって、勝手にその人たちが住みつくようになって、結果的に文化が引き継がれていくし観光が生まれていくし、まちができていく。結論、そういうことなんじゃないかな。
編集後記
取材したこの日は白水さんが仕事の延長線で、私の住む兵庫豊岡に足を運んでくれました。豊岡は柳行李というカバンに始まり、布・革・ジェラルミンなど素材を問わずカバンづくりを盛んにしてきた産地としての歴史を持っています。そこでカバン会社はもちろん、豊岡の文化やまちづくりに携わる各所を丸一日案内して、ひと息ついたところでこの話を伺いました。最後に豊岡の話題がでてくるのはそういうわけです。
話の中で白水さんもご自身で発見だと言われていましたが、「出てくる数字や事実としては違わなかったとしても、意識の持ち方次第で消費にもなりえるし文化にもなりえる」、この言葉はたいへんに繊細な示唆を与えてくれます。地域文化、また観光に携わる人たちの「意識」が、その文化を生かすも殺すも決めていくというのです。
文化が受け継がれていくには、経済的な循環が適切に巡っていくことも大切です。その際数字に目標を立てて求めることも必要でしょう。しかしその数字は単に数字なのではなく、「意識」を帯びている。どのような意識で、何をもってその文化を取りあつかい、人々に届けていくのか。
けっしてむずかしいことではなく、言い換えれば携わる人たちの「思い」がちゃんとそこにはあらわれ出てくるのです。
関連リンク
◎うなぎの寝床
◎文化庁文化観光高付加価値化リサーチ
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93705701_01.pdf
◎文化観光リサーチでの白水さんへのインタビュー
https://note.com/session5/n/n97d80259f77f?magazine_key=m62f039cf6057