Interview

青木芳昭(京都造形芸術大学 教授)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

「絶滅危惧の素材と道具」は、2015年の21世紀鷹峯フォーラム in 京都から始まりまして、膠がテーマだったのですね。現在、日本には保存修復や絵画表現に使う和膠という本当の膠がないのです。2010年で生産停止になりましたので生産できていないのです。2000年頃から質が悪くなってしまい、後継者がゼロになってしまいました。いま使われている膠は和膠ではなく、ゼラチンを昔の膠のような形にしたもので売られていて、それでかろうじて画が描かれている状況です。それには添加剤が入っていますから、100年後にもきちんと絵具が定着できて、安定していることは難しいことです。でも、それで普通に描かれているのが現実ですし、そういう教育がされています。将来、本当に膠主体の日本美術が存在しているかどうかという危機感があるのですね。一部の伝統工芸後継者たちは、「先代、先々代が残した膠を使ってかろうじてやっている」と話しているのですね。

私たちはなんとか和膠を復刻して、安定供給ができるようにすることが、鷹峯フォーラムの使命だと思って取り組んでいるわけです。2015年は京都丹波で捕れた鹿の皮から和膠を復刻しています。2017年の金沢では、2015年、復刻された鹿膠をもとにつくられた墨を2年間寝かせ磨るところまでまでこぎつけようとしています。

私の大学の学生のなかには膠の危機を知って、すでに第一種銃猟免許と罠免許まで取得し、自身で鹿をしとめ、自分でさばいて、毛を刈り取り、和膠をつくることを目標にして、大学院に進みたいという学生まで現れたのです。それは、自分たち美術家の使命感ですね。「残したい、残すべきだ」という人は残せないのです。残すために情熱を傾ける人がいなければ、本物がなければ、文化財は次世代に橋渡しができないのです。そういう情熱を持っている人がひとりでも多くなるために、この21世紀鷹峯フォーラムがあります。わかりづらい、伝わりにくい伝統が素晴らしいということはあり得ない。いまの時代に100年後に残るものは何だろうと考えないといけません。

過去につくられた膠についての膨大なサンプル資料と科学的データといった裏付けは私が収集保管しています。これまで多くの博物館、美術館や各大学はそういうことをしてこなかったのです。30数年間、私は収集分析をしてきたのですが、ようやく日の目をみて、「創造する伝統賞」(公益財団法人日本文化藝術財団)を受賞しましたし、若い人たちにつながってきたということですよね。

本朱という絵具も、生産しているのは残りの1社だけになったわけですよね。それらも品質のレベルを上げないといけないとかありますが、本物がなくなっても絵は描いていけるのです。でも、日本の文化とか過去の作品をちゃんと理解するためには、きちんとした素材や道具がなければ、伝わりづらい、どうして美しいのかがわからない、文化すら理解できなくなります。そのための素材と道具はきちんと後世まで伝えて、残すべきものは残す。日本で多くの人が保存修復に携わっていますが、そのための道具も素材も危機的状況です。おかしなことでしょ。この研究を通し、きちんと次の世代につなぐためにやっています。

この活動をはばむものは何でしょうか

多くが日本の危機的状況を認識できていないため、教育できる人がいない。だから、教育者をつくれないのです。日本は、楽な方へ便利な方へ、逆淘汰されてしまったのです。いまは北京もニューヨークもロサンゼルスも、きちんとした作品の裏付けがない限り、2年ほど前から素材や技法の安定した証明がない限りはコレクションしないとはっきり言っているのですね。世界ではハンドメイドの絵具が主流なのに、日本ではアクリルとか合成樹脂のミクストメディアが氾濫していて、それはもう美術界では「危険を伴う」とはっきり言っているのに、教育の現場もギャラリー、美術館も世界の現状を知ろうとしないのです。もう、本当に心が痛いですね。

私は海外の美術館からは一週間連続のワークショップ講演を頼まれますが、日本の美術館では佐藤美術館だけです。日本人には危機感がないのです。美術工芸がなくなっていいということはないのです。かなり立ち遅れているという部分があります。素材学をやっていると、日本で美術市場がゼロに近いというのは、原因が良くわかります。

今後はどのような展開をお考えですか

ものをつくる人、ものを使う人、作家や工芸家であるとかいろいろな職人さんと使い手の間を『つなぐ人』がいないのですね。日本の問屋制度や使い手にもっとも近い小売店が『つなぐ人』であるべきなのに、そこがもう機能していないのですね。漆器のいいものをつくっても理解されないので、プラスチックだろうが木だろうが似た色が塗ってあれば同じじゃないかと思われてしまう逆淘汰の時代なのです。本質的なもの、本物を理解できる人がいないのです。そこの教育ができない限りは、いくらやってもだめです。今日のここも教育の現場でしょ。教育ができなければ、いいものがいいとはわからない。教育改革ですね。教育というのは文部科学省ではなくて、つなぐ人が教育改革をしなければいけないですね。「つくる人」と「使う人」をどうつなぐか、「つなぐ人」がいないのです。これまでは美術館、博物館がやってきたのだけれども、ちょっと違うのではないかな。つなぐ人をどう創出して、次の世代につなげていくかということが、「つなぐフォーラム」ですから。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#01 青木芳昭

小倉央仁(日本竹筬技術保存研究会)

竹筬とは何でしょうか、

織機で使う竹でできた道具です。いまは手織り用で、経糸(たていと)を整えて、緯糸(よこいと)をまっすぐ打ち込むための仕事の道具です。道具なので日の目を見にくいし、注目されないです。

なぜ、竹筬はつくられなくなったのですか

ひとつは、機械生産の金属製の金筬が生まれたことです。動力で動く力織機で織るようなときに金属製の金筬が使われるようになりました。コスト面も下がって競争となり、生産性と耐久性の面で格段の差がありましたので、必然的に金筬に押されて、竹筬は廃業になった方が多かったのです。

金筬と比較して竹筬の良さは?

細かいことですが、ひとつには不規則な太さの糸には金筬よりも竹筬の方に優位性があります。金属の方は硬いので糸がふくらんでもそれに沿って逃げずに糸を削る場合もあります。竹はしなりの度合いが高く、横のしなりで、膨らんだ部分を柔軟に逃がすので、糸の傷になりにくいのです。また、静電気が起きにくいことも優位性です。その他、水分と接しても錆びない、光の反射が少なく、経糸を通すとき目が疲れにくいことなどが挙げられます。

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

ひとつは危機的状況がまだまだ続いているということです。産業的に一度は途絶えた技術を有志の意志で伝承しています。職人の方に伝承をお願いしてはじまった活動です。もとの産業ベースを目指すのはなかなか困難ですし、職人さんが職人さんを育てるよりも相当難しい。復興というのは大変困難な道のりだということですよね。技術的なことは、個人がどれだけ時間を費やせるかどうかです。昔は産業構造が分業の組み合わせで成り立っていたのが、なかのいくつかが崩れることで全体が成り立たなくなりました。自分たちで完成形のものをきちんと得ようとすると、いままで職人さんが1個ずつやっていた分担を統合し、それを全部自分たちでやらないといけないので、職人さんたちがやっていたよりも何倍も技術も知識も時間もいるということで、より復興が困難です。

この活動をはばむものは何でしょうか

時間とお金ですね。専業でやろうとしても、いまは絶対に無理です。技術の習得に時間がかかるのですけれども、専門的にそこだけやっていれば良いわけではなく、前後の活動も自分たちでやらなければいけないので、重点である技術の習得にかける時間も減るという悪循環です。

今後、どのような展開をお考えですか

理想もあるけれども、実現は相当困難だろうというところを前提に活動しなければいけないのかもしれないです。理想を追い求めることはやめてはいけないですけれど、どんどん技術は失われていくというか、保存していくのは難しいので、最低でも次の代に伝えることを念頭に、自分が技術を習得して次の人に教えられる様にしないといけません。つくって対価をもらっていた人が教えるのとは質が全然違いますから、たくさん考えたり、あるいは、疑問に思ったことやたくさんの知識を集めたり、いろいろなところで学んで、昔つくっていた人たちよりも考えて、せめて次の代につなげていこうと思っています。そのうちなんでもできる人が現れるといいなと、スーパーマンの出現を望んでいますが、それはおとぎ話のようで、本気ですけれども確率は低いので。

どうしたら凡人でも伝えられることができるかということはもう少し考えないといけないと思いますね。たくさんの人に、こういうものがあったよ、かつては産業だったよ、技術が高くても産業構造が崩れて、それで飯を食っていくのは難しかったよ、一番技術の必要な部分があくまでも副業の産業だったので、竹筬を組むところは別でしたけれども、筬羽(おさば)を引くところは歩合制で、たくさんひいたらひいただけもらえた。その業態がもう現代にはそぐわないですから。技術は高くても飯は食えないということを知った上で、文化を含めて技術の保存をしなければ、いまよりもひどいことになりますよということをたくさんの人が知っていただければ、なんらかのアクションを引き出せるのではないかと思って、啓蒙活動としていろいろなところに顔をだして、なんらかの織物に関わる、糸に関わる人に話をしていく、それで何かネットワークができるといいなと思っています。それが今日、ここに出てきた理由ですけれども、いま、自分ができることだと思っています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

岡田宣世(女子美術大学 名誉教授)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

すぐれた仕事の影に、手づくりの道具が必要ということです。たとえば、修復や繊細な超絶技巧と言われるような刺繍には布に対して通りのいい、修復の場合は劣化した布に対しては針通りがいいということが条件です。手づくりの針は機械づくりの針とは全く違います。見た目では分かりにくいのですが、使っている人はその違いがすぐわかります。

いまは非常に限られた工房でしかつくっていませんので、全国の必要としている方たちがその工房に集中していますので、なかなか手に入らない状況です。少し調べはじめたら、もしかしたらもう1軒、手打ちの針をつくっているのではという情報が寄せられていますので、それを調べて使うみなさんとのつながりが構築できればと思っていますし、ぜひ、この針をずっとつくり続けていってほしいと思っています。

日本刺繍針の特徴を教えてください

針孔(めど=針の糸を通す穴)が平べったいことが特徴です。糸の通りがよく、布に針を通すときに糸の抵抗が少なく、糸が傷まないので、平らな形が伝統的な針孔のつくり方ですね。機械ではこの細さまではできないですね。それこそ髪の毛が通るか通らないかというような針孔の針です。修復では、細い方から4本くらいの針を使います。一番細い針が、3年くらい手に入らない状況です。

なぜ、こういう活動をされようと思われたのですか。

本当に困っているのです。他にも困っている方があれば協力しあっていけないかと思っています。工房も後継者が育たない状況だということを間接的に聞いていまして、そういうこともバックアップできて、続けていただける力になったらいいなと思っています。

この活動をはばむものは何でしょうか

間接的に伺ったところでは、針はなかなかロスが多く、お商売としてはなかなか成り立ちにくいというところがあるそうです。火を使ったり、ある意味、危険なところがありますし、経済的に成り立たない部分がありますし、それをしてお商売としていくのは難しいそうです。いくらいいものをつくっても、そんなにもたくさんつくれないですし、ほしい人がたくさんいてもさほどの収入にはならないということになれば、なかなか難しいところもあると思うのですね。

今後はどのような展開をお考えですか

できるだけこの技術を後継者に伝えていただきたいので、たった1軒の製針所の方にみなさんの気持ちをお伝えしたいと思います。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#03 岡田宣世

下村輝(下村ねん糸)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

絹糸ねん糸の工程そのものもですが、より糸のなかの真綿紬糸(まわたつむぎいと)が、日本ではもうほとんどできないことです。それをなんとか技術的に残さないといけないと思っています。本業のねん糸業界も危ないのですが、それの前に真綿の紡ぎ方法を国内で確立しておかないといけないと思います。繭からの糸引き、製糸も危ないです、繭(養蚕)も危ないです。染織産地、特に紬織物の産地で一番切実なのが真綿と真綿紬糸です。日本の真綿の紡ぎ手は結城紬産地以外、ほぼゼロです。いまはほとんど輸入の中国産真綿紬糸です。いま、技術的に残しておかないとまずいと思いますし、産地の存続にかかわる重大な問題であり課題です

ねん糸の本業とは外れていますが、道具と糸をよることを、こういうところで実技をお見せしないといけない思います。さきほどもお客さまに真綿をお見せしたら、私が「真綿(まわた)」といっても、お客さまは「木綿のわた」と思われておられ、木綿とは違うとお話したのですが、綿って書きますが、真綿ですから、絹綿(きぬわた)です。これは蚕からつくった綿(わた)なので、種のある綿(わた)とは違います。綿(めん・わた)という字を書くのですが、真綿は動物性で、木綿は植物性です。木綿は繊維が短く、真綿は長繊維です。真綿布団は有名ですと説明が必要です。

本業のねん糸は、パンフレットを見てもらったら工程順がわかると思いますが、真綿の紡ぎ方は業界の方でも普段は目にすることはないと思います。生糸の原糸がよられた糸がねん糸です。それでようやく染織の方に織糸として渡せます。糸屋さんの下請けで、よられた糸は糸屋さんから買っておられるのが普通で、ねん糸工程は見えない部分ですから、染織業界のなかでのねん糸業というのは、一番早くなくなってもおかしくない業界だと思います。

国内に流通している絹糸の99%以上が中国産・ブラジル産です。ねん糸も中国でやってくるようになっています。国内ねん糸は非常に少なくなり、規格ねん糸のよりは中国やベトナムねん糸に移行し、国内ねん糸は年々減少しています。糸屋さんが国外に依頼し,糸屋さんのねん糸として販売されているので、みなさんはあまり気が付かないというのが現実です。

真綿の素は繭。繭からつくることをみなさん案外知らないものですから、この技術は残さないといけないと思っています。日本では人件費が高く、産業としてはなかなか残りにくいですが、知ってもらわないとよけいに難しいから、こういう機会で知ってもらうのは大事だと思います。今回、初めて参加させてもらい、実技を実演いたしました。

この活動をはばむものは何でしょうか

職人というのは家で仕事をしていますから、広報活動となると仕事を休んで行くことになります。それでは収入にならないし、もち出しになります。普通にやりたくてもできない現実があります。雑誌の取材を受けることはありますが、自らこういうところに出てきて発表するかというと、なかなか難しい。分業のなかで、下請け的な仕事だから、前にでて自分の仕事を発表することは少ないと思います。私はやっていますけれども、一般の職人はほとんどやれないのではないでしょうか。

私のところは、ねん糸でも特殊なねん糸で染織家の方へ直販で、やれていますが、普通の下請けでやっていれば、次の跡継ぎは難しいというのが現実です。子どもがいたからといって跡を継ぐ保証はないわけで、跡を継いでもいいよというような仕事のやりがいとか経済的な良さとか、何かがないと、継がないと思います。昔なら「継げ!」といえば継ぐ子もいたでしょうが、いまは歌舞伎のように継ぐものだと決まっている世界ではありません。なんでも自由に仕事が選べるわけで、継いでもいいといってくれるような状態じゃないとだめです

この業界では、子どもが「継ぐ」というと、職人である親が「やめておきなさい」と、ほぼいいます。分業体制のなかの下請け業でその苦労を知り、どんどん仕事も減っている業界で、年金をもらってやっと成り立つようなやり方ですから、若い人がいままでみたいなやり方をしていては成り立たない。仕事量は減っていくし、先が読めない世界。いま流に先を見るやり方をしないとだめだと思いますが、職人さんというのは分業の部分しか見ていないので、これからは全体を見た上での部分でないといけないと思います。

今後はどういった展開をお考えですか

僕のところは特殊で、個人のお客さんをもっているわけです。作家さんだとか染織産地の織元さんや組合、染織の学校や工房の生徒さん。業界はどんどん減っていますが、個人で趣味の方とか作家活動の方は増えていると思います。私はそういう方々を対象としてねん糸と絹糸販売をしています。家内工業でやっているから成り立つのではないでしょうか。人を雇っての企業としてはなかなか大変だと思います。人を雇っていたら、嫌でも無理して仕事をとってこないといけないし、仕事の絶対量が減っているのにとれない。普通はとれる手段ももってはいない。私はとれる手段をもっていますし、販売方法についても、何十年も前から作家さん直販で、通販で、カタログ販売です。独自の絹糸販売の流通をもっています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#15 下村 輝

内海志保(漆刷毛職人)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

漆刷毛の存在自体と、漆刷毛に人髪が使われているということを知っていただきたいです。「漆刷毛ヘアドネーションプロジェクト」では、美容師さんたちの団体と協力しあって医療用のヘアドネーションに取り組みながら、医療用のヘアウィッグで使えない長さの髪の毛を漆刷毛に活用しています。

ヘアドネーションの呼びかけをすると日本中からいろいろな髪の毛が寄せられるのですが、使えないものもかなり混ざっています。髪をひっぱるとすぐにプチンと切れてしまうものは残念ながら使えません。漆刷毛もウィッグづくりにも、そのままの髪を使うわけではなく、まずは下処理をするのですが、弱い髪の毛は下処理の段階でダメになってしまうのですよ。下処理というのは、ある程度、髪のキューティクルをとってあげる処理です。ウィッグは根本で髪を1本1本結んでいくので、元気な髪だと結び目がほどけてしまうのです。薬品で処理をして、表面の元気なキューティクルを取ってウィッグに加工できる髪の毛にしているそうです。

漆刷毛の場合も同様で、元気なキューティクルがついたままだと毛が硬すぎて、塗る漆をしごいてしまうほどです。塩素でキューティクルを弱めたり、紫外線に長期間あてたり、「灰もみ」をしたりといったいろいろな方法があるのですけれども、弱い髪の毛だと処理でブチブチになってしまいます。元が強い髪の毛ではないと処理に耐えられないのです。

ご提供いただくのは大変うれしいのですけれども、みなさん健康な生活を送っていただいて、健康な髪をご提供いただきたいと思っています。ちゃんといいものを食べて元気な髪の毛にしてくださいって思います。漆の仕事をしているので、漆器を使って、和食を食べることまで広めていけたらいいなと思っています。伝統工芸と医療用のウィッグを広めていけたらと思っています。

どうしてこのような活動をするようになったのですか

いま、人毛の入手は中国からの輸入に頼っています。昔は日本髪を結う人がいて、長い髪の人がたくさんいたので、髪の毛を扱うカツラの市場がありました。しかし戦後日本髪を結うような人がいなくなると、大変な作業は中国とか東南アジアの方に移ってしまいました。日本に大きなカツラを扱う企業が数社ありますが、工場はそちらのほうに移転しているようです。中国では市場が大きくなって、長さも質もそろえて売っていますが、日本の市場はゼロになってしまいました。

伝統工芸の道具なのに、材料は全部輸入に頼るというのも悲しいなと思うようになって、せっかく医療用のヘアウィッグの活動もあるので、一緒に活動して、日本でも髪の毛を集められるようなシステムを取り戻したいということで呼びかけを始めました。毛の長さを揃えるのは少し大変ですが。

漆刷毛の使いはじめは、どうして穂先が硬く固まっているのですか

ノリと漆をまぜたもので固めています。漆塗りの職人さんは刷毛に漆を含ませて塗るわけですから、毛細管現象で漆が毛を伝ってどんどんあがってきて漆だけで刷毛のなかの毛が固まってしまうと、二度とほぐせなくなります。ノリを緩衝材として入れて、ほぐそうとすれば叩いてほぐせるように固めておけば、なかまで染みることなく使い続けられます。

また、漆刷毛は穂先が荒れてきても鉛筆みたいに切り出して短くなるまで使えます。塗っているときに毛が抜けてくると困るので、毛が柄のおしりまで長々と入っているのです。先だけ毛が入っているようなものだと抜け毛が出ますから。ただし、弱い毛だと塗っているときにブチブチになるので、長くて強い毛が条件なのです。

この活動をはばむものは何でしょうか

この活動自体をやっても、漆刷毛を利用できる場がないとつくってもしょうがないじゃないですか。そこがどうしようかなというところですね。この刷毛が他のどんなことに使えるだろうかと考えています。

だんだん需要が減る一方なので。つくっているのは、私の所ふくめて国内には3軒です。しかしそれで足りるのですね。なくなったら困るけれど、そんなに需要があるわけでもない。漆刷毛としての用途がもっと増えればうれしいですけれど、他にも用途が見つかればさらに面白い活動もしていけそうだと思っています。

今後はどのような展開をお考えですか

私は2016年12月に東京の親方のもとを独立し、地元の会津で作業をはじめたばかりです。東京はたくさんの人とのつながりがある素晴らしい環境ですが、地元に帰ってやることにも大きな意味があると思っています。会津は漆器の産地でもあるので、教育機関とかも巻き込んでいきたいと考えています。

たとえば、高校1年生から3年生までの3年間で必要な髪の毛の長さになるので、高校生のみなさんに「髪を伸ばしてみませんか?」と呼びかけたりしてみたいです。そのような活動を通じて、伝統工芸に興味がでてくる子もいるかもしれないし、まず、若い世代のうちに知ってもらいたいのです。高校生は勉強が大変なときですが、人によっては地元のことを知る最後のチャンスでもあります。地元の伝統工芸のことを知らずに高校を卒業して大学で他県に行ってしまう子が多いので、中学生、高校生の時期に知ってもらう機会をつくれたらなと思っています。地元の職人さんとも連携して何かやってみたいです。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#05 内海志保

堤卓也(株式会社堤淺吉漆店 専務取締役)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

まず、漆の現状を知っていただきたいです。国内で流通している漆の97~98%が中国産を中心とする外国産で、国産は2~3%しかありません。

また、漆の使われ方は、世のなかの人の価値観や生活様式が変わるなかで漆を使う場面がどんどん減っていますが、その価値観を変えたいという想いがあります。そのなかで何ができるかと考えたときに、大きいことはできませんが、地道なことだけど、漆を知ってもらうことが、人の価値観を変えたり、漆の状況を知ってもらうことにつながりますし、また、さまざまな分野の方からアイデアが出てきたらいいなと思いまして、それで「うるしのいっぽ」という冊子をつくっています。

「うるしのいっぽ」では、漆の価値観を伝えたいですし、自分が漆の精製をやっているので、精製をするなかで自分自身が面白いと思っている漆のことも伝えたり、精製業は漆を掻く人と漆職人さんの間にいるので、漆を掻いている人が知っている漆の面白さを伝えたり、職人さんがやっている漆の面白いことなども伝えられたらいいなと思ってやっています。

「うるしのいっぽ」をつくって、その先というのは、98対2という輸入漆が多い現状を少しでも国産漆の量を増やしていくことで、将来的に漆の文化が残ることにつなげたいと考えています。漆の現状の危機もお伝えすることで、漆を使うことが、いまの日本の漆の文化を守ることにつながるということも、一般の消費者の方にもわかってもらえたらと思っています。

こういった活動をはばむものは何ですか?

はばむものは、漆の生産体制の難しさが一番にあると思います。植える場所の確保も難しいですし、誰が育てて、誰が掻くのか、漆を採ることができない10年〜15年の間をどう補っていくのかといったことです。

もし、漆に興味をもった若い人が「漆って、すごく素敵だね。農業のかたわらでやろうか」と思っても、農地法の関係があり、農地でウルシの木を育てることができないという話も聞きました。そこにも働きかけがあって、解決しようとしているのです。ウルシの木は育てるだけで、10年〜15年かかるので、地道ですが生産量を増やすための活動を早くやっていきたいなと思っています。漆は自分を育ててもらったものでもあるので、なんとかできればと感じています。

今後の展開をどのようにお考えですか?

いまの地道な活動を通じて、どんどん人と繋がって、漆のことを知ってもらうことで世のなかの価値観が少しでも変わっていくとうれしいです。漆にはまった人は本当に漆好きな方が多くて、漆関係の集まりに行くと、自分の身を削ってウルシの木を育てたり、増やす活動をしている方が多くおられます。漆にはそこまで人を惹きつける要素があって、これがわずかでもまだ漆の魅力を知らない方に広めることができれば、少しでも漆の需要が増えると思います。

あとは、漆を産業として残していくために国産漆の生産量を増やしたいです。自分ひとりにとてもできることではないですが、現在の国産漆の流通比が98対2から90対10へ、これでもとても大変な量ですが、いろいろな方の知恵やお力をいただいて具体的な活動や確実にできる方法を見つけたいと思っています。これは本当にいま必要なことだと思っています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

うるしのいっぽ https://www.urushinoippo.com/

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#08 堤 卓也

十世 泉清吉(漆刷毛師)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

伝えたいことはたくさんあるのですが、どちらかというと、たくさんいらっしゃる同じ職人さんや他の道具屋さん、材料屋さん、そういった方達にメッセージを伝えたいと思っています。

やはり僕たちの世代、若い世代になってから、僕たちが伝統を受け継ぎつつも、僕たちが新しい時代をつくっていかなくてはいけないということを、その覚悟をもつ必要があるなということです。みんなでその覚悟をもって伝えたいです。そこを分かち合えたらいいなと思っています。

「NEXT100年」というテーマで集まった方たちでしたから、自分が伝えるだけではなく、逆に刺激を受けたので、すごく有意義で良かったと思いました。

この活動をはばむものは何でしょうか

現実というか、状況がそれを許さないということがあると思うのですね。たとえば、伝統工芸のどの分野がというわけではないですが、お金の面で厳しかったり、材料が手に入らないとか、他にもいろいろな事情があると思います。そういう現実を、気力だけで跳ね返すのはなかなか難しいところもあると思うのです。そこをなんとかできるようにしたいですし、僕がそういうところにも関われたらなと思っています。

今後はどのような展開をお考えですか

まず、僕自身が漆刷毛師の十代目として本格的に修行をしっかりとして、自分の腕を磨くというのはもちろんですし、一生修行の覚悟はあります。

漆刷毛師としてではなく、日本の伝統工芸そのものをなんとかしたいという想いがあって、それが僕だったらできるのではないかと思っているし、僕にしかできないことだと思っています。漆刷毛そのものだけではなく日本の伝統工芸の未来を僕自身でつくって、僕自身で変えていきたいなと思っています。それを具体的にやっていきたいと思いますね。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#04 十世 泉清吉(虎吉)

立花順平(鳥取県境港市 産業部 商工農政課 農業振興係長)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

今回のフォーラムの主旨が「NEXT100年」、100年後に伝えたいものということですので、現在、境港市で取り組んでいる伯州綿(はくしゅうめん)の活動をどうやったら後世に残していけるのかをみなさんと一緒に考えていければと思っています。

境港市で取り組んでいる伯州綿市民栽培サポーター制度を続けることによって、後生につなげていきたいと思っているのですが、今回参加している他の方たちのいい取り組みを吸収して帰りたいと思っています。

伯州綿は販売されていないのですか?

市販しているものは赤ちゃん用の商品やトートバッグ、ハンカチ、タオルなどがあります。市民サポーターがつくった綿は、市内で生まれた新生児用の「おくるみ」と100歳を迎えられた方の「ひざかけ」に加工してプレゼントしています。それ以外の農業公社が直営で栽培している綿を一般に市販する商品に使っています。

この活動をはばむものは何でしょうか?

つくり手がなかなかいないことです。市民サポーターもそうですが、次につなげていくにはどうしてもつくり手がいないといけません。つくり手をいかに確保できるかが一番の課題になっています。2016年でいいますと130名以上の方がサポーターとして参加していただいていますが、今後それをいかに増やしていけるかが一番の工夫がいるところだと思っています。

今後の展開をどのようにお考えですか?

平成20年に伯州綿の試験栽培を始めて、平成21年から本格栽培に取り組んで8年目になります。来年で9年、その次の年で10年です。ひとつの節目を迎えるのですけれども、そこで市としても、おくるみ事業、ひざかけ事業を継続しながら、サポーターも増やしつつ、持続可能な事業にしていけるようにしたいと思っています。

それに欠かせないのが商品開発です。新しい商品を開発して、全国的に販売をして、その売り上げで事業を回す、そういうサイクルを構築できたらなと思っています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#11 立花順平

山内耕祐(若手漆掻き職人・NPO法人丹波漆 理事)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

丹波漆の現状を知っていただきたいと思っています。私が漆掻き職人の見習いとして入ったのが4年前です。2016年の4月には若い女の子が漆掻きの弟子として入りまして、後継者の育成も徐々に進めているところです。

漆掻きはウルシの木から漆を掻くので、漆を掻くためにはウルシの木が植わっていないといけないわけです。そのウルシの木が丹波では大変不足していまして、ウルシの木を植えて育てることが、漆掻きの技術を継承することや漆の生産を続けていくために必要なことになっています。ウルシの植栽と生育の管理をいまもっとも力を入れて取り組んでいるところです。

1本の木を育てるには、10年から15年の期間が必要です。その間、継続した管理が必要ですので、たくさんのコストも労力もかかります。木を植えてから漆を生産するまでの10年から15年の間は植栽の結果は得られないので、その間のコストをどうするのか、若い人が関わるのであれば、人件費や生活の糧はどうすればいいのかと悩んでいます。

現在はNPOという形をとっていて、いろいろなところから補助金やご寄付をいただいてなんとかやっているところですが、そうでもしないとウルシを植えて掻くということができないという現状になっています。その現状を知っていただいて、ご支援いただきたいのです。そういった支援に対して、最終的には漆でお返ししたいなという気持ちをもっていますので、なんとか活動を続けるために知っていただきたいと思っています。

山内さんはどうして漆掻き職人になられたのですか?

高校、大学で漆芸の作品づくりの勉強をしていたので、漆はいいなと思っていました。漆は自然の木の樹液からできたもので、植える人がいて、掻く人がいて、それを精製する人がいて、それを丁寧に塗って器をつくる人がいて、使う人がいるといった一連のサイクルに魅力を感じていました。

いまは中国産の漆が多く流通しているので、漆を掻き、漆をつくるのは中国の人にお願いしている状態ですが、漆のサイクルを日本からなくすのはもったいないと思うようになりまして、自分たちの場所でもしていく必要があるだろうと、漆掻きをやってみたいと弟子入りしました。

この活動を通じて解決したいことは何でしょうか

活動の源泉はみなさんの寄付です。サポーター会員は3000円、賛助会員は1万円といったいろいろな種類の会員があるのですが、少しずつでもご寄付をいただくことが、直接、ウルシを育てることにつながっていますし、それが原動力になっていますので、ぜひご協力いただきたいです。

また、ぜひ一度、丹波の方へ足を運んでいただいて、漆掻きってこういう風にやるのかとか、ウルシを育てるのにこんなに大変なのだという背景を知って、実際に見ていただきたいなと思っています。

この活動をはばむものは何でしょうか

はばむものはいろいろとありますね。漆掻きを志す若者が、漆掻きだけで生活できないということが一番はばんでいることかと思います。兼業で別の食い扶持をもって、漆掻きの収入は補助的なものにとどまっています。はばまれているというよりは、そういう現状に陥っています。そこを解決することが我々の仕事です。

山は鹿や猪といった獣害にさらされています。樹皮をめくられ、新芽をもぎとられ食べられてしまうので、ウルシが枯れてしまいます。それを防ぐために、植えるときには高さ1.8mのフェンスで囲って、獣が絶対に入らないようにします。獣害によってコストが大きくなっています。

漆掻きはどのように行うのですか

漆掻きは、6月頭に始まって、その年の10月はじめくらいまで継続して行い、1シーズン終わるとその木を切ってしまいます。漆を採るために少しずつ樹皮に傷を入れていくのですけれども、10月になる頃には傷だらけになっていて、傷を入れるところがなくなり、その状態では漆を掻けなくなります。放っておけば傷は埋まりますが、傷が埋まるまで10年以上かかるのです。そうであれば根本から切って、株からでてくる新芽の蘖(ひこばえ)を育てるほうが効率が良いということで切り倒しています。「殺し掻き」という方法ですが、日本では主流のやり方です。掻いて、切り倒して出てきた新芽を育てるサイクルです。掻きっぱなし、切りっぱなしではないので、継続的な管理をしないと漆掻きはできません。

1年で木を切り倒してしまうのですが、シーズンの6月から10月までは木が死なないように、生かさず殺さずの絶妙なバランスで傷を付けていきます。あまり傷が大きすぎると途中で枯れてしまって漆が採れなくなってしまいますし、逆に傷が小さすぎても漆は全然採れないのです。そういうバランスを取りながら、1シーズンの状況をみながら漆を掻いていきますね

今後どのような展開をお考えですか

現在進めている、植栽されたウルシの管理を着実に進めていって、管理しているウルシの木を増やし、掻けるウルシの木を増やしていきたいです。安定的に漆を生産できるようになると、若手の漆掻きの仕事を確保できます。最終的には、いろいろなニーズに合わせて増産をしていくことが今後の目標です。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#07 山内耕祐

特定非営利活動法人 日本オーガニックコットン協会

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

今回、「オーガニックコットンって何ですか?」と質問されることが多いです。オーガニックコットン自体がよくわからない方が多いですので、オーガニックコットンについてご説明をしています。この会場にも国内で栽培している産地の方々がいらっしゃるので、そういう方達も応援をしていることを強調してお話ししています。

オーガニックコットンとは何でしょうか?

有機栽培の綿花ということが普通の綿花とは一番違うことですね。農作物の有機栽培の一種で、地球環境になるべく負担のかからない栽培方法と製品化の工程をとっているものです。製品化したときもオーガニックコットンとして風合いのような、地球にも優しくて体にも優しいようにつくられているものですね。

栽培のときと製品化のときもふくめて工程的に、環境負荷を完全にかけないとはいいきれないですけれども、できるだけかけないようにして、オーガニックを選ぶ消費者が増えていけば、土壌がよくなり還元していきます。

日本オーガニックコットン協会はどうして設立されたのですか?

約20年前、オーガニックという言葉もまだ知られていない頃に、地球環境を考え始めた主にテキスタイルを扱う会社や関係者が集まりました。テキスタイルはそれまで環境のことをほとんど考えてこなかったと思うのです。コットン栽培のときに農薬がすごく使われていて、数値的には地球環境を汚しているということがちらほら聞こえてきたときに、オーガニックコットンの製品化をしていって、なるたけ環境に優しいことをしたいと考えたテキスタイル関連者や企業があったのです。オーガニックコットン自体がわからないし、どんな風にやっていこうかというときに賛同する企業などが集まって、なんとか普及をしながらやれないかねということが発端でできた協会なのですね。

JOCAと書いてあるタグは何ですか?

5年前まではオーガニックコットンの協会認証タグとして、現在は世界基準の推進により第3者認証付(JOCAタグ)と自主管理(ファミリータグ)の2種のタグとして会員企業に利用されています。

タグをひとつのツールとして、お客様がタグを見て「何ですか」と疑問を持たれたときにオーガニックコットンを説明すれば広まっていくかなということが発端でできました。オーガニックコットンの目印になり、協会の運営費用にもなります。ここの団体だけではないのですけれども、いろいろなマークができ、動いてきたような業界なのですね。

オーガニックコットンは原綿も割高で、製品化するのにゆっくりつくるぶんコストもかかり大変です。でも自分たちのポリシーとしては扱っていきたいよねということで頑張ってやってきている人たちが参加してくださってNPO法人として長く存続しています。

この活動をはばむものは何ですか?

この協会の運営でいえば、会員さんが増えて潤沢な資金があれば、展示会への出展やスタッフ増員など、消費者の方々に対していろいろな説明ができる機会ができると思いますが、業界的にたくさん売れていないと会員も増えません。時期や企業のそれぞれの事情で取り扱いを一時中止するところもあり、ずっとブームでやっていくわけにはいかないですね。市場の影響が顕著にでるようで、息切れする企業さんもあるし、その辺の動きと合わせてやるしかない、アイデアはあっても活動に制限があるという苦労はありますね。

消費者さんは10年くらい前から、オーガニックって食べものの方から気になさってくる方が多いと思うのですけれども、だんだんとオーガニックコットンというのもあるのだと知られてきています。なるたけ人間が触ったらとにかくソフトなあまり刺激しない、使い心地が良いものを求めているお客様は徐々に増えています。特にベビー用品で、子どもに着せたい、プレゼントしたい、という需要は増えていると思います。会員数の増加はともあれ、オーガニックコットンを扱う小売業も増えているし、消費者のニーズに合わせ製品の種類はこれからも増えてくると思いますね。

今後どのような展開をお考えですか?

この2〜3年、国内の栽培者さんたちの意識がかなり高くなっているのを感じています。先ほどのタグが付いた商品をお買い求めいただくと、少しの金額ですが、国内の栽培者さんたちへの支援につながります。年に1回、全国コットンサミットの場で支援金を使っていただくようなことをしたりしています。

栽培率も低いので国内栽培の綿花での製品化はまだまだ少ない状況です。協会Facebookページを栽培地情報交換の場にしてもらい周知に努めています。国内栽培が広まるような支援ができるといいなと思いますね。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

湯浅圭太(草津市農林水産課)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

着物の下絵描きに使われている青花紙(あおばながみ)を知っていただくために、本物の青花紙を使って、実際に使っておられるやり方を体験していただきながら、青花紙のご紹介をさせていただいています。

青花紙はどのように使うものですか?

適当な大きさに切った青花紙に水を垂らして溶いていくと青色がでてきます。今回の体験では、うちわに色を塗っていただいてお持ち帰りいただいています。

実際は、京都の友禅や加賀友禅、京鹿の子絞りなどの職人さんが下絵を描くときに使います。水で洗うと消えるのが青花の特徴です。下絵を描いて、本描きをして、さっと水にくぐらせて、下絵だけを消すという使われ方ですね。友禅ですと筆を使ったものになりますが、京鹿の子絞りですと、ぽんぽんのようなもので塗り込んで、非常にたくさんの量を使われます。職人さんによって使われる量が違います。

従来の使い方以外の青花の使い途を教えてください。

下絵のための青花紙には、花びらの部分を使いますが、花の茎や葉の部分を粉末状にしてクッキーやおまんじゅうに混ぜたり、茎のエキスをお茶とか焼酎に混ぜ込みながら、口に入る商品が多数出ています。葉や茎に血糖値の上昇をゆるやかにする新しい成分があることが、大学の先生の研究でわかりましたので、それを付加価値に、それぞれ事業者さんの得意分野で商品をつくっていただいています。

青花で染めている布もあります。これは水で洗っても消えないように特殊な加工をしているので、イベントなどで体験していただいて、ストールとかハンカチをつくったりしていただいています。

青花はどのような危機を迎えているのですか?

友禅染めなどの下絵描きで使われる色ですけれども、代用青花といった化学染料を用いる筆タイプ、ペンタイプの代用品がでてきまして、青花紙自体の需要が減ってきています。代用青花を使われて青花紙は使わない方もいますし、逆に「青花紙でないとあかん」という方もいます。着物を着る機会が減ってきていますので需要が減ってきています。

高齢化で後継者がいないのが一番の問題かと思います。草津市でも3人の方が青花紙をつくっておられますが、実際には、体調を崩されて今年はふたりだけとか、ひとりで何十束(そく)もつくるわけではないので、5束とか、1束、2束とか、なかなか量がつくれないです。いまは何とかニーズに応えていますけれども、だんだんとつくるパワーが落ちてきてつくれなくなってしまいます。夏の一番暑い時期につくられるものなので、「今年が最後や」といいながらつくっておられる生産者さんもいらっしゃいますね。

染める方も高齢ですけれども、青花紙は和紙でできていまして、その和紙自体もつくる職人さんがいないなどで絶滅の危機を迎えているのではないでしょうか。

今後どのような展開をお考えですか

こういった紹介の場を通じて、知ってもらうことが大事だと思います。青花は草津市の花でもありますので、安定的な生産をしてもらうためには、商品を活性化していくなかで、昔から歴史ある青花紙の伝統を伝えていくことで、「我こそは青花紙を」という人がでてきたらええなという想いで、イベントなどで積極的に紹介させていただいています。なかなかイベントだけで着物や青花紙の需要が伸びるというわけではないですけれども、すべての活動を通じて、まずは、青花自体を絶やすことなく、青花紙も一緒に広がっていくといいなと思いますね。青花紙だけにスポットを当ててもなかなか難しいですしね。

まずは、青花づくりをしてくれるところですね。いま、地元の農業高校とかでも青花の栽培がされていますので、そのなかでなんとか受け継いでいっていただけたらなというのが、生産者さんの想いでもありますから、そういった働きかけができたらと思っています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#14 湯浅圭太

貝沼航(漆とロック株式会社 代表)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

日本における漆器という産業、そしてその原料である国産漆の現状について知っていただきたいです。

漆の木というものは基本的に人が手をかけてあげないと育たない植物です。それが縄文時代から現代まで続いているというのは、日本人がそれだけの長い間、大事にしながら次の世代にバトンタッチしてきたからこそです。しかし、現在、漆の国内自給率は僅か2%になってしまっています。9,000年続いてきたものが、僅か100年足らずでなくなろうとしていることに危機感をもっています。

さらに、その製品ということに目を向けてみても、本来「木と漆」でつくられたものを漆器と呼ぶはずですが、現在ではプラスチックの素地に化学塗装をした石油を原料とした製品も漆器のような顔をして売られてしまっている現状があります。でも、僕は、本来の漆器には日本人が大切にしてきた食の基本を取り戻してくれる力があると信じています。

そこで、漆器本来のもっている魅力を引き出し、「漆器とは何か」をもう一度きちんと伝え直していくために「めぐる」という商品を企画・販売しています。

「めぐる」はどのような商品ですか?

僕が思う漆器の一番の良さは「やさしさ」だと思っています。手にもったときの肌触りや口当たりの良さ、机に置いたときの音、森から生まれる素材を使った器なのでやさしいのですよね。

そのやさしさを最大限活かした器をつくろうと思い、ダイアログ・イン・ザ・ダークという暗闇の体験型プログラムで活躍する「目を使わずに生きる女性たち」の感性を取り入れて商品開発しました。触覚に優れた女性たちと会津漆器の職人さんたちがコラボレーションし、何度も試作と改良を重ねて、「水平」と「日月」という2つのかたちが生まれました。

この三つ組みにも意味があって、一汁一菜のお椀なのです。ごはんと具だくさんの汁物、ちょっとした小鉢です。日本人は基本的には一汁一菜でいいのですよね。たくさんのおかずがなくていいし、少し丁寧におだしをひいたり、いい味噌で汁をつくる。シンプルを丁寧にやる。日本人の食べることの基本の一揃いです。

「めぐる」を通じて、次の世代につなぐ取り組みを教えてください。

国産漆をきちんと守らないといけないと話しましたが、現在98%は海外産の漆で、そのほとんどが中国産に頼っているという現状です。でも、国産漆はさらさらで透明度が高く、かっちり固まる上質さがあります。それをもう一度見直して、次の世代に残していきたいと思い、この商品の上塗りは国産漆で仕上げています。国産漆の良さを啓蒙しながら、現状も伝えています。

さらにこの商品を買っていただくと、会津で行っている漆の植栽活動に600円が寄付される仕組みとなっています。600円で漆の苗1本が会津に植わり、漆の林を再生しています。漆が採れるようになるまで約15年かかりますが、漆器の塗り直しもちょうど15年くらいです。「めぐる」はお客さんに応援していただいて育てた漆で塗り直しをお受けすることを目指しています。そして、その塗り直しの仕事は産地の職人さんたちの将来の仕事づくりにつながっていきます。つくり手と使い手が繋がりながら、みんなでいいものを守り育てていく循環をつくっていくから「めぐる」なのです。

この活動をはばむものは何でしょうか?

はばむものというよりも、私たちが活動を通して打ち破っていきたいものは大量消費社会のなかにいる私たちの価値観そのものです。

行き過ぎた資本主義、そして経済合理性の名の下に、すべてに対して「早く・安く・便利に」を求めてしまう世のなかで、私たち自身がなくしてきたものが、きょう集まっているような工芸や手仕事だと思います。

本当にそれでいいのか。売る方も買う方も目先の利益や安さを優先させるだけでいいのか、その価値観を変える投げかけをしていくのがミッションです。

3.11の東日本大震災があって、便利さの裏にある危うさにはみんなが少しずつ気付きはじめています。安いものを使い捨てではなく、いいものを長く使いたいという人も増えています。そういう本質的なニーズのなかに漆器を乗せて届けていくことが大事だと思っています。

今後はどのような展開をお考えですか?

暮らしや生き方の価値観を変えようという動きは、日本だけではなく世界もそうなってきていると思うのですね。現代社会は物質的に豊かになったけれども、人間自身は気ぜわしく、生物としての矛盾を抱えています。そんな現代の生きづらさを少し緩和してくれるのが、実は漆の器なのですよね。

暮らしの基本である食べるという行為を丁寧にして、いいものを自分の手で育てていきながら次世代に繋げていく。そんな漆器をもう一度、海外にも提案していけないかなと考えています。

その文脈で漆器というものをもう一度世界の人に知ってもらえたら、日本の見方がもっと深くなるのではないかと思います。そういうところに挑戦できるといいなと思いますね。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#09 貝沼 航

木戸口武夫(製炭師、名田庄総合木炭)

研磨炭(けんまたん)はどのように使うものですか?

用途により何種類かの研磨炭がありますが、特に漆の研ぎ作業で使う炭で、「駿河炭(するがずみ)」という漆を磨くための作業に使う特殊な炭を私がつくっています。

サンドペーパーや砥石は線の磨きといわれていて素材に傷をつける事により磨きます。炭の場合は面の磨きといって、サッとかけると面で取れて平らになります。金属を磨くときにも使われていて、真ちゅう、アルミ、銅の磨きでも使います。昔は特殊な用途で金属を炭で磨いていたことは隠されていたみたいですね。企業秘密だったのでしょうね。

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

研磨炭について知っていただきたいということと、特に駿河炭の原木が日本油桐(にほんあぶらぎり)という木で、150年ほど前から漆の磨きにいい木だと言われてきましたが、その良質原木がなくなってきた現状をみなさんに知っていただきたいと思っています。

日本油桐はロウソクの代わり(灯明)にする油がとれる実がなる木ですから、昔は多くの場所で植林されていました。昭和40年代から電気やガスや原油を使うようになり、この木が植えられなくなりました。種から成長する木で、30〜40年前の種も土のなかで生きているので、山を削ったり、杉の林を切ると、いまでも自然と生えるのです。

いま生えている日本油桐は樹齢20年までの木が多いです。年輪を使って磨くものですから、樹齢は最低でも50年はほしいのです。いま生えている木も、あと30年以上は待たないと使える木にならないですから、それまでは、山のなかに入って古い木を探しだして、山から運び出して、炭を焼いているのが現状です。

この活動をはばむものは何ですか?

私がいる福井県では、県の方と一緒に広く原木を探したり守ったりという活動をしています。群生地を探して、そこを保護しないといけないですが、山主さんのこともありますし、30年以上先のことなのでどうなるかわからないです。

製炭技術も普通の炭焼きとは違いますので、それもまた誰かが習わないといけないです。単に日本油桐を炭にしたら駿河炭になるわけではないのです。炭化材料が1種類ですし、焼き方も特殊です。やり方を覚えたからといってできるわけではないので。火の大きさや煙の出方、木の状況などを見て、焼き方を変えます。焼けたとしても職人さんが喜ぶかどうかもあります。「最近、硬くなってきたよ」とか、「研げないよ」と言われる様な炭はただ大量に焼いていても全然だめですし、納得のいく炭を焼くまでには何十年もかかりますよね。

今後はどのような展開をお考えですか?

いまある日本油桐のなかで20年、30年のものは、私にもし後継者がいたら、それは後継者が使うために残さないといけないです。伐採されないように、どこかに山主さんと契約してもらい残していく。そうやってつないでいかないと枯渇してしまいます。私の代は山に入って探すしかないのです。

50年前まで油をしぼっていた地域であれば日本油桐は生えます。いま、日本油桐が生えていなくても、高速道路がついたとかトンネル工事ができたときに山に生えている木を伐採すると、この原木がでてきます。全国的に動いていただかないといけないと思っています。そうなれば安心して後継者にも技術を伝えることができます。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#06 木戸口武夫

橋本弘安(女子美術大学 副学長・芸術学部長)

今回の展示を通じて、みなさんにどのようなことを知っていただきたいですか。

世界的にみたら天然顔料は絶滅しかけています。いまの粉砕技術を活かしたら、天然顔料の用途が広がる可能性があるのではと考えて、女子美術大学では型染めやプロダクトといったいろいろなものにナノテクノロジーを活用しています。

単に顔料の土や石を提示するだけではなくて、ナノテクノロジーといういまの技術を活かしています。ナノテクノロジーによって、手のひら大の顔料でも200ナノメートルまで細かくすれば、テニスコート1面くらい塗れるようになるわけです。量産には向かない、使われなくなったものを、復活させる可能性があると思っています。

なぜこの活動をされるようになったのでしょうか。

僕自身は日本画を描いているのですが、30年近く自分自身でつくった顔料で画を描いています。石から粉砕した天然の顔料を使っているので、その流れのなかで考えるようになりました。

合成無機顔料が主流となり、自然のものではなくなっています。世界を見渡してみても、天然物の顔料を誰でも手に入る形で売っているのは日本しかないですから。東京では10軒くらいのお店がありますし、インターネットでも売っていますが、それは世界で見たらまれなことです。

有機顔料と無機顔料でできたものを同じだと思うかもしれないけれども、実は違います。赤なら、どのような赤でいいと思われるかもしれないけれども、その赤は何なのかと考えることでものすごく広がりがあるものもあります。

この活動をはばむものは?

地道にやる以外ないでしょうね。何にはばまれるというのはないと思いますよ。

天然物にこだわり、鉱物の石がきれいだなと思うのは、花がきれいだなという感覚をいまでももっていることと同じようなものです。タブレットで描いた画とか、精細なテレビで再現しているものが、本当に再現できているのかということです。テレビの走査線を見て、それでオーケーな世界なのか。それを問いかけているところもあるわけです。近代以降そういう感覚が希薄になっていますので、そういう意味でもこの活動にはおもしろさがあるのではないかと思っています。

今後どのような展開をお考えですか?

さまざまな形で製品にしてみようと思っていますね。

富士山の溶岩を粉砕して釉薬にした器は、富士山を触っていることにほかならないわけです。富士山にお酒をそそいで飲むことになる。富士山も世界遺産になりましたし、国立公園ですから、通常は溶岩も持ち出しにくいものですが、富士宮市にある奇石博物館に協力してもらい、研究材料としてできました。

天然鉱物の貴重なものだけではなくて、さまざまな鉱物をナノテクノロジーが活かしてくれると思っています。

2016年12月13日、絶滅危惧の素材と道具「NEXT100年」にて。

文:いしまるあきこ
写真:大隅圭介

絶滅危惧の素材と道具 NEXT100年 プレゼンテーション#02 橋本弘安

100年後へ:京都からのメッセージ

2015年に京都で開催された「21世紀鷹峯フォーラム」第一回京都。大きく関わっていただいた、京都市美術館 館長の潮江宏三さん、京都造形芸術大学 副学長の大野木啓人さん、京都国立博物館 館長の佐々木丞平さん、京都工芸繊維大学大学院 教授の澤田美恵子さんの4名から、第二回東京の開催に向けてメッセージをいただきました。

shioe潮江宏三(京都市美術館 館長)

「100年後に残る工芸」という課題において、最も大事なことは“教育”ではないでしょうか。今の時代は、素材に触れ合う教育というものが非常に欠けています。木、竹、紙、布、土など、さまざまな素材に触れて形を作る、そういう教育をしっかりと復活させることが大事だと思います。それによって、出来上がった工芸品を楽しむということができたり、作ることに関心を持つ子ども達が増えたりするはずです。この鷹峯フォーラムでも呼びかけて、さまざまな場で素材に触れる教育を復活させていただきたいと願っております。

onogi大野木啓人(京都造形芸術大学 副学長)

「100年後に残る工芸」を目指す気持ちは、みなさん一緒だと思います。ただ、そのための行動をどう起こしていくか、というところはまさにこれからの正念場といえるでしょう。鷹峯フォーラムは、これからも続いて行きますから、皆さんと共に考えながら“100年後につなげなあかん”という強い気持ちをぜひ具体的な行動に結びつけていきましょう。本気でないと意味がありません。

sasaki佐々木丞平(京都国立博物館 館長)

第一回京都では、「京都ブランド」として世界を魅了できる日本工芸の粋ということで、「携帯用ミントケース(=現代の印籠・振出・薬入れ)」を公募しました。これは公募企画“つくるフォーラム”のプロジェクトの中で行われました。博物館としても、ミュージアムグッズについて、一般的な廉価な物というよりも、きちんと洗練されたもの、しかも素材や技術に伝統を踏まえた良い物を扱いたいと常々考えています。ミントケースというのは、手軽で誰でも持ちやすくて、洋装和装どちらにも使えるものですから、伝統的な技術や素材を使った良い物が出来れば、反響も大きいだろうと思いました。そういう意味でも、公募というのは、我々にも意義のある良い企画でした。

sawada澤田美恵子(京都工芸繊維大学大学院 教授)

工芸というのは、たくさんのコミュニケーションが必要です。例えば人と人、そして人とモノのコミュニケーションがとても大切であり、また場所性、その場所でなぜそのものが作られるのかということも大切です。これから東京には、世界中の人々が益々集まると思いますが、もっと工芸を中心とした輪が広がって、工芸の魅力に接した皆さんによって、互いの顔がわかるような温かいコミュニケーションが紡がれることを願っております。第二回東京のキャッチフレーズのように、工芸を通して素晴らしい100日間となりますよう、お祈りしております。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

インタビュアー:小澤泰子
写真:大隅圭介

唐澤昌宏(独立行政法人国立美術館東京国立近代美術館 工芸課長)

東京国立近代美術館工芸館では、21世紀鷹峯フォーラムの会期中、「革新の工芸 ―“伝統と前衛”、そして現代―」、「所蔵作品展 近代工芸と茶の湯Ⅱ」の展覧会が開かれます。また、都内5箇所にて「工芸館がやってきた! 出張タッチ&トーク」のイベントを開催するなど、工芸品を紹介する場を積極的に提供しています。
東京国立近代美術館 工芸課長である唐澤昌宏さんに、工芸をめぐる課題について、お話を伺いました。

karasawa_03工芸の魅力とは、どのようなものだと思われますか。

工芸の魅力を考えると、陶芸、染織、漆芸、金工、いろいろなジャンルがありますが、つかう形、あるいはつかう形を借りた造形が存在しています。つかいたいと思えばつかえるし、見て楽しもうと思えば楽しめる。工芸は、つくる側以上に、つかう側が、自由な気持ちをもって多角的に接することができる造形なのではないかと思います。

いまの工芸の課題について、どのようにお考えでしょうか。

先日、第3回金沢・世界工芸トリエンンーレ 2017金沢・世界工芸コンペティションの審査会がありました。その応募作品を見たときに、現代の若い世代の人たちが、工芸を自由に捉えて作品をつくっている姿に驚きました。「工芸は、こういうものでないといけない」という枠組みを一度外して、つくりたいものをつくってみる。「私、こんなことをやりたいんです」という気持ちを、一度素直に作品にぶつけてみることも大切なのではないか、そんなふうに感じました。

21世紀鷹峯フォーラムに期待することは、どのようなことですか。

これまで、工芸に対する動きや発信は、それぞれバラバラで行われていました。それを、ひとつのまとまりをもって発信していこうとしています。その姿勢に大きな期待を感じています。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

2016年9月17日(土)〜12月4日(日)、東京国立近代美術館工芸館にて、革新の工芸 ―“伝統と前衛”、そして現代―の展覧会が開かれます。
革新の工芸 ―“伝統と前衛”、そして現代―

2016年10月11日(火)、25日(火)、11月15日(火)、12月6日(火)、20日(火)、藝術学舎(京都造形芸術大学・東北芸術工科大学)にて、伝統工芸の現在(いま)―新時代の工芸家たちの講座が開かれます。

2016年11月中、2017年1月中、都内5箇所にて、工芸館がやってきた! 出張タッチ&トークのイベントが開かれます。

2016年12月17日(土)〜2017年2月19日(日)、東京国立近代美術館工芸館にて、所蔵作品展 近代工芸と茶の湯Ⅱの展覧会が開かれます。
所蔵作品展 近代工芸と茶の湯Ⅱ(仮称)

2017年1月15日(日)、2月5日(日)、東京国立近代美術館工芸館にて、工芸制作ワークショップ(協力:日本工芸会、100年後の工芸のために普及啓発実行委員会)が開かれます。

文:永峰美佳
写真:蔵プロダクション http://zohpro.com/

柳原正樹(京都国立近代美術館 館長)

京都国立近代美術館は、前回、2015年の21世紀鷹峯フォーラムの開催において、京都実行委員会の中核的な役割を担いました。2016年の第2回は、世田谷美術館で開催される、志村ふくみ─母衣(ぼろ)への回帰の展覧会の主催を務めています。
京都国立近代美術館の館長であり、昨年度の京都実行委員会の会長を務めた柳原正樹さんに、お話を伺いました。

yanagihara_01工芸の魅力とは、どのようなものだと思われますか。

「工芸的」という言葉がありますね。この言葉は、完成度の高さを示しています。「この作品は工芸的だね」といった場合、すみずみまで完全に神経を行き届かせたものづくりを表現しています。それが、多くの人々と共有できている、工芸の魅力ではないでしょうか。逆にいえば、絵画や彫刻は、「工芸的」である必要はかならずしもないけれども、工芸は「工芸的」でなければならないのかもしれません。

いまの工芸の課題について、どのようにお考えでしょうか。

現代に通用する工芸をどうつくり上げるか。たとえば伝統だけを重んじた工芸品は昔っぽくなり、現代の暮らしには受け入れられにくい。いかに現代風に蘇らせることができるか、それが課題であるという気がしますね。

21世紀鷹峯フォーラムに期待することは、どのようなことですか。

「工芸」という言葉を、私たちは知らず知らずのうちにつかっています。工芸という言葉が生まれたのは明治時代、海外の「クラフト」という言葉を訳したものです。しかし、いま私たちが漠然と「工芸」と呼んでいるものは、もっと古くから日本に脈々と流れてきた、ひとつの「技」の姿です。そこには、もっと深いものが存在しています。

その「技」の姿を総称した「工芸」の考え方を、この21世紀鷹峯フォーラムはつねに発信してほしいですね。「工芸」というのは、陶芸や、漆や、染織や、金工といった、幅広い分野にまたがっているので、そう簡単なことではありません。複雑なことを、複雑なまま受け止め、しかし問題点をきちんと整理して提案していくことが大切だと思います。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

2016年9月10日(土)~10月10日(月)、10月12日(水)~11月6日(日)、世田谷美術館にて、志村ふくみ─母衣(ぼろ)への回帰の展覧会が開かれます。
志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰

文:永峰美佳
写真:蔵プロダクション http://zohpro.com/

馬場章(女子美術大学美術館 館長)

女子美術大学は、2016年の21世紀鷹峯フォーラムの開催において、全面的なサポートを行うために東京実行委員会で中核的な役割を担っています。
同時に「創る、伝える、繋がる」女子美術大学デザイン・工芸学科 工芸専攻教員作品展はじめ、多くの展覧会やイベントを開催。「つくり手」と「つかい手」を積極的につなぐ場を提供しています。
女子美術大学美術館の館長であり、第2回の東京実行委員会の会長を務める馬場章さんに、工芸をめぐる課題について、お話を伺いました。

baba_03いまの工芸の課題について、どのようにお考えでしょうか。

古いものを継承して続けていくことは、工芸に携わる人にとって大事な役目だと思います。しかし、それだけではなく、新しい感覚で、変更を加えながら、現代に生き残ることができる工芸をつくり上げていくことがより大切かもしれません。

工芸を教える教育機関として抱える問題はありますか。

卒業してからも、生き生きとものづくりを続けていってほしい。それには、何かモチベーションがなければ、続けていけない。技術はしっかり修得しつつ、過去に習いながら、新しいものをどんどん生み出していける、そういう継続性とタフさをもってほしいですね。

どのように社会との接点を築いていけばいいのでしょうか。

現実的な話をすると、買ってもらえることも大切です。

女子美術大学の工芸は、「デザイン・工芸学科」なんです。デザインと組むことにより、工芸に新しい感覚が注がれる。新しい工芸には、デザインの力が求められていると感じます。自分の感覚にまかせてただつくればいいわけではなく、新しい「つかい手」を想定し、いまの人が使いたくなるようなものにつくり変えることが、非常に重要だと思います。それは、現代の「用の美」といえるかもしれません。

逆に工芸の強みを感じるときはありますか。

学生を見ていると、ファインアート系の思考をもつ学生がたくさんいます。ファインアートは、技術より発想が先立ってしまう。けれども工芸の場合は、最初にじっくり技術を修練しますので、同じ発想といっても技術があるぶん、作品のクオリティに大きな差が出てきます。それが工芸の強みかな、と思いますね。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

2016年11月10日(木)~13日(日)、虎ノ門ヒルズ アトリウムにて、A hundred threadsの展覧会が開かれます。
A hundred threads

2016年11月19日(土)、女子美術大学(杉並キャンパス)にて、伝統工芸 こどもワークショップが開かれます。
伝統工芸 こどもワークショップ

2016年12月7日(水)~12月21日(水)、女子美術大学アートミュージアム(相模原キャンパス)にて、創る、伝える、繫がる 女子美術大学デザイン・工芸学科工芸専攻教員作品展が開かれます。
創る、伝える、繫がる 女子美術大学デザイン・工芸学科工芸専攻教員作品展

2017年1月13日(金)~15日(日)、渋谷ヒカリエ 8/COURTにて、えどがわ伝統工芸 ┼ 女子美術大学―伝統工芸者と女子美生のコラボレーション作品展―が開かれます。
えどがわ伝統工芸 × 女子美術大学 ―伝統工芸者と女子美生のコラボレーション作品展―

2017年1月20日(金)~22日(日)(テキスタイルコース)、1月24日(火)~26日(木)(陶・ガラスコース)、スパイラルガーデンにて、「想像┼創造」─116年の伝統と躍動する工芸女子─女子美術大学デザイン・工芸学科工芸専攻卒業・修了制作展が開かれます。
「想像×創造」—116年の伝統と躍動する工芸女子—女子美術大学デザイン・工芸学科工芸専攻卒業・修了制作展

文:永峰美佳
写真:蔵プロダクション http://zohpro.com/

嶋崎丞(石川県立美術館 館長)

2017年、21世紀鷹峯フォーラムは、金沢にて開催されます。伝統工芸が盛んな金沢では、金沢漆器、九谷焼、加賀友禅、加賀繍、金沢仏壇、金沢箔などの国指定伝統的工芸品が、多くの技術者によって受け継がれてきています。
石川県立美術館の館長であり、第3回の金沢実行委員会の会長を務める嶋崎(しまさき)(すすむ)さんに、お話を伺いました。

shimazaki_02工芸の魅力とは、どのようなものだと思われますか。

毎年秋に公開される正倉院宝物があります。私はこれらが工芸の原点だと思います。今年の正倉院展も実に見事でした。すべてつかうための工芸品です。

たとえば現代の工芸家がつくるもののなかに、欲しくなる、買いたくなる、使いたくなる、そういう気分をおこす魅力ある工芸品が少なすぎます。しかし、正倉院の宝物は、いま見ても古びない、圧倒的な美しさがあります。

いまの工芸の課題について、どのようにお考えでしょうか。

自分の世界だけで考える、近視的な工芸のものづくりがいかに多いかということでしょうね。せっかく「つかい手」がいるのだから、間口を広げて世界観を共有できことが、工芸のよさだと思うのです。

たとえば着物にしても、漠然と訪問着をつくるのではなく、「こういう人に着せたい」というはっきりした印象をもつことが大切です。この意図をもち続けることが、10年後、100年後の工芸に、つながっていくと思うのです。

生活のなかでつかわれ、さらなる美しさを求め、技術が生まれ、発展していく。すべてが表裏一体です。現代の作家には伝統をよく見て、それを咀嚼しながら、今日のものづくりにどう生かせるのか、考えるものづくりをやってほしいと思いますね。

shimazaki_0121世紀鷹峯フォーラムに期待することは、どのようなことですか。

みなさんが集まって、ワイワイ、ガヤガヤ議論しながら、ものづくりをしている。加賀藩の細工所の職人たちもそうでした。みんなが集まって意見を出し合う。そういうところから、いいものは生まれてきます。

正倉院のものづくりだって、おそらくそうだったのではないでしょうか。中国の唐の文化を規範に、いや、ここはそうすべきだ、ああすべきだと議論し、想像を重ね、技術を駆使し、ものづくりを完成させていった。そういうことが、現代にも欠くことできない。ひとりよがりの考えだけでは、工芸は進歩しないと思います。

戦後の現代美術を規範にするのではなく、伝統を意識する。そして伝統に足をひっぱられるのではなく、伝統をいかに更新していけるかが、工芸のものづくりに大切だと思います。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

文:永峰美佳
写真:蔵プロダクション http://zohpro.com/

岡本隆志(染色家、国画会工芸部)

染色家の岡本隆志さんは、美しい型染めの作品で知られる作家です。図案、型彫り、糊付け、彩色、地染めまでを担い、手間のかかる高度な技法に挑んでいます。
岡本さんは静岡の学校を卒業後、染色家で人間国宝の芹沢銈介さんに弟子入りしました。「工芸は『人』である」という、岡本さんの想いを聞きました。

okamoto_01工芸の魅力とは、どのようなものだと思われますか。

芹沢先生もよくおっしゃっていましたが、シンプルにお伝えすると、「誠実」で「健康」な仕事、ということに尽きるのではないでしょうか。

いまの工芸の課題について、どのようにお考えでしょうか。

私は、工芸は「人」であると思っています。いまの工芸の問題点は、その「人」がいないということです。時代を担う人、というところまでいかなくても、工芸を担う「人」たち自体が少ない。選択する人が減っている。これが一番の問題だと思います。

21世紀鷹峯フォーラムに期待することは、どのようなことですか。

100年後にも、手でつくる工芸が存在していれば、嬉しいですね。その価値観を分かってくれる人が増えてゆくことが、私の望みです。逆にいえば、工芸が生き残っていれば、人間はまだまだ大丈夫なのではないか。希望のバロメーターでもあると思います。

2016年10月22日、21世紀鷹峯フォーラム in 東京「日本工芸Opening Conversation」にて。

2016年11月8日(火)~ 15日(火)、東京都美術館 ギャラリーA・Bにて、90回記念国展受賞作家展(版画部、彫刻部、工芸部、写真部)―未来への歩み2016―の展覧会が行われます。
90回記念国展受賞作家展 (版画部、彫刻部、工芸部、写真部)―未来への歩み 2016―

文:永峰美佳
写真:蔵プロダクション http://zohpro.com/