はじまりのはなし 第3回

フグはどこから「文化」になるのか

映画『GUN FISH あなたの知らないフグの世界』宇野航監督インタビュー

取材・文相澤洋美 [ライター/編集者]

フグといえば下関。そのイメージは広く浸透しているが、「下関フグ」というブランドは、その土地で獲れた魚だけによって築かれたものではない。全国各地から集まったフグを目利きし、適切に処理し、各地へ送り出す。その背後には、料理人の技だけではない。産地や仲買、流通、制度、そして長い商いのなかで育まれてきた人と人との関係がある。

こうした幾重もの仕事とつながりがあったからこそ、猛毒を持つフグは、日本で独自の食文化として受け継がれてきた。約10年にわたり、その世界を追い続けたドキュメンタリー映画『GUN FISH あなたの知らないフグの世界』を製作した宇野航航監督に、フグ文化を支えてきた土地と技、商いの関係について聞いた。

トラフグ  ©GUN FISH FILM PARTNERS

宇野 航 うの わたる
映画監督

1979年生まれ。岐阜県出身。映画美学校フィクションコース第5期修了。映像編集会社を経て、2004年に株式会社小椋事務所へ入社し、劇場用映画の企画・制作に携わる。2011年にモード・フィルム株式会社へ入社。2014年に株式会社カラーバードへ入社。映画の企画・制作業務に従事し、本作を完成させるため2022年に独立。本作では、私財を投じながら10年にわたり取材・制作を続け、料理人、研究者、漁師、仲買人、生産者など、フグに関わるさまざまな人々を記録。取材の過程で「大阪府ふぐ取扱登録者」の資格も取得した。

石川県美川町にて。ゴマフグの卵巣を塩蔵している様子 ©GUN FISH FILM PARTNERS

きっかけは「竹藪に埋める」という民間療法

──フグを撮ろうと思ったきっかけを教えてください。

宇野 航

友人から「曽祖父がフグにあたったとき、生きたまま竹藪に埋められたらしい」と聞いたのがきっかけです。調べてみると、そうした民間療法が語り継がれていたことを知り、興味を持ちました。

フグについて調べ始めると、次から次へと知らない話が出てきたんです。海外では危険な魚として扱われる一方、日本では高級食材として親しまれている。日本ではフグを食べること自体を、それほど特殊なこととして意識していませんが、海外では、「毒を持つ魚を食べる」ことに驚く人もいる。その感覚の違いも面白いと思いました。

──そのなかでも、とくに惹かれたのが免許制度だったそうですね。

宇野 航

はい。フグを扱うための免許制度があると知ったとき、そこには必ず人のドラマがあると思いました。試験があるなら、挑戦する人がいて、教える人もいる。資格を取った先にも、さらに技術を深めていく世界があるのではないかと想像したのです。

映画では、東京都ふぐ調理師免許試験に挑む行木由香里(なめき・ゆかり)さんと林莉(リン・リ)さんを追っていますが、撮影を続けるうちに、料理人の技術だけではなく、そこに至るまでの過程にいる方々の仕事にも目が向くようになりました。

宇野 航

取材を始める前は、僕も下関でフグがたくさん獲れるから有名なのだろう、と思っていました。でも、下関のフグに関わる方々と話していると、毒のある部位を取り除き、安全な形で流通させてきた技術そのものが、土地の価値や誇りと深く結びついていることを感じたのです。

地域の食ブランドというと、その土地で獲れたり育てられたりしたものを思い浮かべがちですが、下関フグはそれだけでは説明できません。

外から魚が集まり、そこで選別され、処理され、再び送り出される。その仕事の積み重ね自体が、土地の文化になっています。

東京都ふぐ調理師免許試験に挑む行木由香里(左)と京都のふぐ料理店「ともえ」オーナーシェフ亀井一洋(右) ©GUN FISH FILM PARTNERS

──工芸でも、素材の産地と加工技術が育つ土地が別という例があります。フグにも似た構造がありますね。

宇野 航

そうですね。素材だけでなく、それを扱う技術や流通も、その土地の文化をつくっているのだと思います。

──同じフグでも、地域によって流通や商いの形が違うことも初めて知りました。

宇野 航

僕も取材するまで知りませんでした。ひと口に「日本のフグ文化」といっても、実際には地域ごとに歴史も商いの形も違います。
たとえば東京では下関を経由して仕入れられるフグが多い一方、大阪には各産地から独自に仕入れてきた流通の歴史があります。
流通とはつまり、人間関係であり利害関係です。誰と商売を続けてきたのかという関係が、彼らの考え方、つまりは土地の文化にも影響しているのだとわかってきました。

映画に出てくる大分県・豊後水道のフグも、それを象徴しています。そこで獲れたフグが下関を経て東京へ運ばれる。豊後水道のフグは急流に揉まれるので身が締まって品質がいい。つまり、下関や東京の高級フグ料理店にとって大分というのは長らく最重要な土地だったんです。映画では大分県の肝食文化の話が出てきますが、この関係性を知っていると補助線が見えてくるはずです。

──本作では、フグそのものだけでなく、フグに関わる人たちの仕事や思いにも深く迫っています。

宇野 航

最初はフグという魚そのものが面白くて始めたのですが、取材を続けると、魚を獲る人、状態を見極める人、流通を担う人、安全に扱う人など、さまざまな専門家の手を経て、最後に料理人から客へ提供されることが見えてきました。
普段、客が目にするのは完成した一皿だけですが、その一皿の後ろに多くの人がいて、多くの仕事があることを知ってほしいと思いました。

フグのてっさを盛り付ける、上野のふぐ料理店「さんとも」オーナーシェフ真貴田雄一 ©GUN FISH FILM PARTNERS

「暖簾をくぐれば安心して食べられる」という誇り

──料理人を追うなかでは、どんなことを感じましたか。

宇野 航

強く感じたのは、自分たちの知識と技術への自負です。
取材した料理人の方々からは、「自分たちの店に来てもらえれば、安心してフグを楽しんでもらえる」という矜持を感じました。危険を伴う食材だからこそ、自分たちの技術で安全を支えている。その姿勢がとても印象に残りました。

もちろん、資格を取ればそれでおしまい、という世界ではありません。
実際、行木さんも試験に合格したあと、東京、京都、大阪の料理人を訪ね、さらに技術を学んでいきます。
免許を取ることはゴールではなく、むしろそこから経験を重ねて技を深めていく。その部分は、きちんと伝えたいと思っていました。
料理人の技だけを見ていても、一皿の背景にあるフグ文化の全体像は見えてきません。制度が安全を支え、その上に職人の経験や技術が重なる。そして、その料理人が魚を手にするまでの間に何人ものプロがいるということを、映画を通じて感じてもらえたらという想いで撮影しました。

豊洲で仲買業を営む目利きのスペシャリスト串田晃一(左)©GUN FISH FILM PARTNERS

「無毒化」は、フグ文化をどう変えるのか

──映画の後半では、フグの無毒化をめぐる研究も出てきます。文化の形そのものが変わる可能性もありますね。

宇野 航

そうですね。フグの毒は、餌などを通して体内に蓄積します。無毒の餌だけを与えればフグは毒化しない。これによって、肝臓や卵巣など毒部位の提供を禁じている法律にもし変化が出れば、これまで毒のある部位を取り除くことで培われてきた技術や、流通のあり方にも変化が出てくるかもしれません。

取材では、「もし法律が変わることがあれば、フグもタイのようになるかもしれない」という話も聞きました。
タイといえば、ひと昔前は、〝特別な日に食べる高価な魚〟というイメージが強くありました。それがいまでは養殖が普及し、だいぶ身近な魚になっています。
研究が進むことで、フグも食材としての立ち位置が変わる可能性は十分にあると思います。

──新しい技術と、受け継がれてきた技術。その両方をどう残すかという課題もありそうですね。

宇野 航

フグの場合、技術が進んでも天然のフグがいなくなるわけではありません。依然として天然物の価値が高いという状況もあります。そういった意味では長く受け継がれてきた技術が廃れることはないでしょう。生死に関わる問題ですから、気軽に変えられるものでもないと思います。

ただ、新しい技術や変化を頭から拒絶したり、昔と同じ形を守り続けることにしがみついたりするのは違うと感じます。フグが採れる海域はこの10年でも驚くほど変わりました。下関は今、別場所での拠点を模索しているとも聞きます。伝統とは変化に対応していくことなのではないでしょうか。


──フグをめぐる議論を追っていると、それはほかの伝統文化にも通じる問題だと感じます。10年追い続けて、最初とは見えているものが変わりましたか。

宇野 航

最初は、フグについて知られていない面白い情報を集めること自体が楽しかったのですが、長く取材を続けるうちに、残したいと思うものが見えてきた気がします。

フグに関わる人たちは、それぞれ大切にしているものがあって、ときには立場の違いから意見がぶつかることもある。でも、その大切にすべきものを守るために現状を変えていこうとする営みは、10年、20年経っても変わらないものだと思います。

料理人、研究者、仲買人、漁師、生産者。立場は違っても、皆、本気でその世界に向き合っている。10年追い続けて、フグの食文化は、そうした人たちの思いや仕事の積み重ねによって成り立っているのだと感じました。
フグを入口に、その人たちの姿まで見てもらえたらと思っています。

作品情報

『GUN FISH あなたの知らないフグの世界』
映画『GUN FISH/ガンフィッシュ』公式サイト
9月4日全国公開
監督:宇野航/ナレーション:斎藤工/出演:行木由香里、真貴田雄一、亀井一洋、北濱喜一ほか
取材協力:全国ふぐ連盟、アクアカルチャー、下関ふく連盟
特別協賛:ACTUS/協賛:小川水産、ぐぅトラKitchen、MARIAGE、後藤昌貴、アシモ
2026年/日本/日本語/110分/配給・宣伝:KeyHolder Pictures/©GUN FISH FILM PARTNERS/