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文化を愛する旅にでる 第1回

風土に触れながら五感の記憶を辿る

隠岐諸島・海士町を旅する

取材・文酒井一途 [コーディネーター]

文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。

今回は島根県の離島である隠岐諸島及び海士町が旅の舞台。

隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設「Entôエントウ」を海士町に立ち上げられた青山敦士さん、観光関連の会社である隠岐桜風舎に所属しつつ島のさまざまなデザインや文化に携わる千葉梢さんのお二人にお話を伺いました。

Entôには、2021年7月に開業してからまだ3ヶ月という時期に初めて宿泊に伺いました。青山さんがそのときおっしゃっていたことが印象的でした。

「ホテルというと便利さを求めて付け足していきがちです。いかに削ぎ落とすか、隠岐の景色をただ味わうという一点にフォーカスできるか。ここはホテルではなく、Entôというあり方を示したい」

その精神は、文化を愛する人たちが旅に求めるものに通ずるものがあると感じます。情報にまみれたこの世のなかにおいて、旅先で日常を離れてあるがままをいかに見るか。余分が削ぎ落とされ、感性が研ぎ澄まされたときにこそ、触れにゆくことのできる真髄なるものがあるはずです。日本の伝統文化におけるさまざまな「道」の精神もまた同じくして。

青山さんにご紹介いただき、はじめてお話することになる千葉さんの視点も交えながら、隠岐への旅のあり方を模索していきます。いわゆる文化観光の王道とはことなる形でありながら、文化を愛する人たちが「文化を愛する旅」をするときにどのような体験をもてるとよいのか、この連載の中でそうした旅のあり方も示していければと思っています。

青山敦士 あおやま あつし Entô CEO

1983年北海道北広島市生まれ。札幌で野球一筋で育つ。大学進学で上京。途上国支援の活動を共にしていた先輩から海士町のことを聞き、新卒で海士町へ移住。海士町観光協会の職員として「海士の島旅」のブランディングに取り組み、地方の在り方を問う「島会議」の企画・運営を担当。2013年には観光協会の子会社となる(株)島ファクトリーを立ち上げ、旅行業・島のリネンサプライ業を運営。2017年より株式会社海士代表取締役に就任。 2021年7月には泊まれるジオパークの拠点「Entô」をグランドオープン。

千葉梢 ちばこずえ 隠岐桜風舎/千彩堂

1985年東京生まれ。株式会社隠岐桜風舎にて隠岐神社周辺のガイド業をはじめ、詩歌大会、日本食の提供、パンの継承事業など、広い範囲での「島の文化事業」に携わる。2021年、「何もない日にも、千のいろどりを」をコンセプトにした「千彩堂(ちあやどう)」を開業。2023年よりフリーランス活動を本格化させ、一つの組織に縛られず、複数の組織において自身の経験を生かした働きかたを実践中。

旅を通じてクリエイティビティを増していく文化観光を

酒井一途

青山さんは隠岐・海士町という島を拠点に、いわゆる観光とはことなる旅のあり方を提案し、形づくってこられたのではないかと思います。そんな旅のあり方について考えてこられたことからまずは伺わせてください。

青山敦士

Entôを経営している今と、海士町観光協会にいた頃とでは、目指すべきものへのスタンスがいくらか変化しています。海士町観光協会にいた頃は、「島旅をつくる」ことをしていました。そこでは海士の風土、海士らしさにどれだけ観光客がタッチしてもらえるか、その接触の頻度や純度を高めることを意識していました。この土地じゃなくてもありそうな生活様式を引き算することで、その純度を高めるんです。
海士町で広く行われてきた島外の人たちとの交流のあり方があります。民謡を披露したり、方言でからかってみたり、夜な夜なスナックで島民と混じりあって語り尽くしたり。そうした魅力に触れてもらうことが、この島を訪れてくる楽しみとしてあります。
また島内のアテンドをしたり宿への送迎をするなかで、島民である自分がいるからこそ偶発的に生じる出会いや、見ることのできる景色、旬の食材などに引き合わせられることがおもしろくて。デザインしきれない偶発性への期待をもつこと、そうした偶発性を引き寄せることをずっと考えてきました。

酒井一途

旅における偶発性、じつに掘り下げていきたいテーマです。続けてスタンスが変化したという今、Entôを拠点として考えておられることについても伺いたいです。

青山敦士

Entôをつくるにあたっては、さきほどお話した島の魅力とはもうひとつべつの魅力を提案したいと思いました。これまでこの島へまだ訪れたことのない人びとにも出会っていきたかったからです。島に来てこの島の風土や土着の空気を味わいつつ、そのあと静寂のなかに立ち還って、体験をみずからの中に落とし込んだり、自分に向き合う時間をつくる。さらには海士町や隠岐に留まらず、より大いなる自然のなかに生きている意識のもと、くうになる。その環境が隠岐の島々にはある。そのような過ごし方を生活習慣として持っていて、旅の魅力と感じて大事にすることのできる方々を世界からお招きすること。これが新たな化学反応を海士町にもたらすだろうというのが、Entôとしてのミッションです。

酒井一途

文化観光というと、文化庁の指し示す定義やさまざまな自治体、プレイヤーが目指しているあり方がそれぞれにあると思うのですが、いま青山さんがおっしゃったようなこともまた文化観光のひとつの形であると感じます。
その土地でしかありえない風土、その土地らしさを求めて旅にでる。デザインすることのできない、けれどたしかにそこにあるものに、偶然性のもとに出会っていく。その出会いを経て、自分自身に立ち還る。それはエンターテインメントの観光とはまったくべつの、土着の風土、人びと、その土地らしさに出会うための「文化を愛する旅」です。
そうしたオーセンティックな(真正性のある)もの、そこにしかない文脈に触れたとき、あらためて自分自身のなかにある自分にしかないもの、自分のなかの根源的なものに立ち還ることができるのではないかと思います。
そして旅を終えて日常に帰っていったときにも、旅のなかで再発見した自分のなかの根源的なものはありつづける。文化観光のひとつのあり方としてそんなイメージがあります。

青山敦士

話をお聴きしてとてもインスピレーションを受けました。
文化ってクリエイティブなものなんですよね。文化観光には、ゲストが旅を通じてよりクリエイティビティを増していくことのできる可能性があるのかもしれないと思いました。
海士町観光協会で企画してきた海士町の交流のなかでも、ひとつ毛色がちがったものがあるんです。和歌・俳句・短歌を詠む吟行ツアーで、後鳥羽院(編集部註:『新古今和歌集』の編纂を勅命。承久の乱で敗北し隠岐に配流された)に親しんだシニアの歌詠みの方々が来られます。何十年も開催しているものなのですが、訪れる方々の姿をみてきてすばらしいと感じるのは、台風の日に重なったとしてもそれすら歌になるんです。そのクリエイティビティや旅のあり方には、まさに海士町のコンセプトである「ないものはない」に通じるものがある。ここは千葉ちゃんにも聴きたいところだな。

日常から切り離された時に感性をアップデートできる

千葉梢

敦士さんとは海士町観光協会時代に一緒に働いていました。彼はEntôを立ち上げたことで宿にフォーカスしはじめた一方、私はいま観光関連の会社である隠岐桜風舎の仕事に携わっています。
隠岐桜風舎では隠岐神社おきじんじゃ、その御祭神ごさいじんである後鳥羽上皇をテーマとしたコンテンツがあって、ど真ん中に観光事業があるのではなく、歴史や文化を中心にしています。その中で仕事していて思うのは、島外から訪れてくる人たちのなかに、文化的な目が磨かれている人たち、価値を評価できる人たちがいるんですよね。後鳥羽院のファンも思ってる以上にめちゃくちゃいて、歌聖かせいとして超絶リスペクトされてるんですよ。
後鳥羽院は戦いに敗れて隠岐に流されてきたのですが、それから和歌の調子が変わるんです。以前は天皇としての立場を背負った歌を詠まれていた印象があります。しかし島に来られてからは島に流されたことの悲しみに溢れてはいるけれど、何の肩書きもなく「ただ自分がそこにいる」という感覚で詠まれている。たとえば漁師さんが使い終わった網を焼いているとか、農家さんが田植えをしているとか、天皇としてはこれまで出会うことのなかった景色をそのあるがままに詠むというふうに。歌を専門とする先生方の話を伺うと、境遇の変化があったからこそクリエイターとして一段階上にいったといいますか、歌人としては幸せだったのではないかとおっしゃるんです。 敦士さんの言葉ではクリエイティブと言われていましたが、私は表現という言葉がしっくりきます。表現とは、私自身の感性をあらわすこと。文化ってなにかしら伝えたい想い、祈りが込められているものだと思うんです。ただの旅行は気分転換かもしれないけれど、文化観光をするときにはどこかで自分の表現があらわれてくるのではないでしょうか。たとえば第六感が開いて紡ぐ言葉が変わったり、いままで見ていたものの受け取り方が変わったり、あるいは次の日からお料理の味がすこしだけ変わるとか。自分から滲みでるものがアップデートしていくようなものなのかなあと思います。

酒井一途

旅のなかでそうしたことが起こっていったら、すばらしいことです。 後鳥羽院は、島流しにあったことでやむにやまれずその境遇になり、そのなかで出会ったものを詠んでいったわけです。しかし現代を生きる私たちは旅を通して日常から切り離された文脈へと赴くことで、別の文脈に接続して本来の自分に立ち還ることができる。自分のなかで新たに文脈を再構築していくことができる。そんな風にお話を伺いながら感じました。

青山敦士

めちゃくちゃいい表現ですね。Entôで大事にしている価値観としても、ゲストが滞在しながら海士での旅のなかで「unlearn」をしていく、一途さんのおっしゃる「ちがう文脈につけかえる」時間を過ごしていただけるように、ということを心掛けています。

千葉梢

かつて世界一周をしてきたときに、新しいものに出会ったというより自分軸に戻った感じがしました。やっぱり私こうなんだなって。見にいくものや描くものが変わらなかったり、忘れていた小さい頃のことを思い出したり。 でもそれって旅に限定せず、海士町に住みながらも、外から訪れてきた誰かとの対話がそうした感覚を引き起こすこともあります。旅の距離や行く場所がどこかよりも、いかに日常ではない形がつくれるか次第なのかもしれません。

訪れる人の個性に合わせた個別のコミュニケーションを

酒井一途

文化を愛する人たちが、さて海士町へいこう隠岐へいこうと思い立ったときに、どうしたらその人たちのクリエイティビティを刺激させられる旅にできるでしょう。感性の回路がひらきはじめるためには、最初の偶発性への出会いが必要だと思うんです。島の人の風土や、その土地らしさに触れるための最初の機会。海士町では放っておいても出会える可能性は高いと思うのですが笑。たとえば地域に生きているデザイナーや建築家と出会うことができたなら、と思います。その地の魅力をどう外側に発信していけるかの視点を持っている人たちですから。
ただ、そうして自分の仕事を持っておられる地域の人たちが、来られる方々一人ひとりの相手をするわけにもいかないとは思います。地域の案内や人の紹介はしばしば無償で行われることが多い領域です。訪れてくれた方々とコミュニケーションを取る楽しさはありつつ、やはりそこには時間や労力、さまざまなケアや気づかいなどの見えないコストがかかります。とくに地域創生や活性化の事例で注目されていたらなおさら、外との窓口になってくれる人やその地域で会わせたい魅力的な人への声かけが集中します。来られる方々にとってはそれが初めての機会ですが、迎える側にとってどう健康的に継続していけるかは大事な視点だと感じています。

青山敦士

なにかしらキャッシュポイントや、事業者として提供したいコンテンツを持っている人であれば、その人に正面玄関からではなく裏手口から出会わせるということができます。
たとえば隠岐神社の神主さんはすごくホスピタリティも高くておもしろい人で、いわゆる神社の神主さんのイメージとはキャラクターがぜんぜん違って、ギャップをもって隠岐への愛を語ってくれる人です。彼に出会わせたいとき、この人に会うんだったら正式参拝をちゃんとしてね、と言えるんです。手順が逆で、正式参拝をするとこの人に会えますよ、だと押し付けになってしまいます。この違いは大きいと思います。顔の見える関係性のなかでお繋ぎできるけれど、向かう敬意として正面玄関から入るときと同じように手順を踏むということです。
それがEntôであれば、泊まってさえいただければそこがキャッシュポイントになります。Entôではゲストを迎えるときに個別最適化を大事にしていて、一人ひとり来られた方の個性にあわせたコミュニケーションをしようとしています。だからそこに見えないコストをかけることを良しとしています。採用の際にもいわゆるホテルスタッフを求めているわけではなく、島民としてのあり方を大事にしてくれる人たちと一緒に働けたらと思っています。機械的なオペレーションは必要なくて、「この人に出会えなければこんな旅にならなかった」というものを宿のなかでつくりたい。チェックインのときも食事のサーブのときもタッチポイントを作り得るはずなんです。

酒井一途

Entôはそのようなことが目指されている場所だなあと、二泊三日たった一度訪れただけでも感じられました。また旅したい場所であり、帰っていきたい場所です。あの人に会いたいから、あの人を通じて出会う景色にまた巡り合いたいから、まさにそんな風に感じられました。

千葉梢

ちゃんと売るというのも大事だなと思います。訪れる側のメリットになることと、島に住んでいて迎える側のスタンスはちがうわけです。島を訪れてまで話したい人がいる、という人は、世間話をしたいわけではなくて、何かしらの熱量があるはずなんですよ。だからこういった人たちに向けて、きちんと商品を設計しておくのが良いのかもしれません。商品としてちゃんと売ることで、迎える側のギアを入れることができる。島外への発信者としてよりクリエイティブであろうという心意気にもつながります。それこそ訪れる人と島民のウィンウィンのあり方ができるといいですよね。

私も仕事としてガイドをするのですが、訪れてきた人たちの五感を刺激しながら第六感をどう開かせるかをよく考えます。この石碑にはこういう歴史があったということを想像してもらうようにお話したり、この時間は海の色の透明度が特別高いんです、なぜなら太陽が高い位置にあるからとか、こんなに晴れているから今日は新緑が萌葱もえぎ色に映えていますねとか。私は史跡などの専門家ではないので、気づきを生むようなガイドを言葉で伝えることを意識しています。

あるいは人だけではなくてモノでもそんなことができないでしょうか。クリスマスのアドベントカレンダーみたいに、その日に向けて一日一日カレンダーを日めくりしていくような、時間軸をもった仕掛けをつくれたらおもしろくないですか。隠岐に訪れてくる人たちがまるでロールプレイングゲームの主人公になるかのような。 他にも、隠岐に来るためにはみんな船に三時間乗るので、その時間で自己に向きあうための時間設計をしてくれるツールをつくることに興味があります。なにか問いを考える、自分の声を録音してみる、ここで一句読んでみる、そんな普段とはちがう経験をもたらすツールを用意しておく。さらにはそのツールの素材が島根県の文化財である石州和紙で作られているとか、この模様はどこの寺院のものだとか、この地域の風土での手触り感のあるもので作られているといいなと思いつきました。

数々の観光スポットで五感を研ぎ澄ませてみる

酒井一途

文化観光のあり方の多様さを一緒に考えていただくかのように、さまざまなお話を伺ってきました。隠岐諸島および海士町をこれから訪れる方々に向けて、どこか具体的なおすすめのスポットがありましたらお伺いしたいです。

青山敦士

手前味噌ですが、家族でEntôに泊まったことがあるんです。そのとき長男がEntô 1階のジオラウンジにあるソファーに座って、夜中ずっとぼーっとして過ごしているのを見かけて。翌朝も日の出の頃に起き出して、いっしょにおなじソファーで朝日をみながら過ごしたんですよね。その過ごした時間は、息子にとっても僕にとってもすごくいい経験になったんです。ジオラウンジはEntôに泊まらなくても朝6時から空いていて、だれでも来ることができるので、お勧めしたいスポットです。あとはそうですね、隠岐神社の夜もすばらしいですから、ぜひ行ってみてください。

千葉梢

人との出会いもそうですが、とりあえず西ノ島に行けばいいかな。そこで一旦三キロ歩くとかね。具体的な場所でいうと、西ノ島の通天橋(海岸沿いにある奇岩)はやっぱりいいです。とにかくでかい。焼火たくひ神社に登るのもおすすめです。崖にめり込んでる神社が見られます。自然と人工物が一体になっている不思議さがあるんですよ。摩天崖の遊歩道を下から上まであがってみるのもいいですね。海士町では金光寺山。小野篁という人を知っているとより楽しめます。苔が生い茂っている景色は神秘的で、ジブリ作品のような世界観を感じさせます。

酒井一途

そうしたスポットを訪れながら、ただ物見遊山に観光するというのではなく、ゲストが文化観光としての旅のあり方を模索するとしたらどうでしょう。それこそ歌を詠むかのような眼をもって島を見ることができたら素敵です。文化を愛する人たちが、文化的な眼でもってその地の風土をみて、触れにゆく。 でも単に訪れてくるだけでは、そのような眼をもつことはむずかしいですよね。この島でみえないものを見るための眼をもつためには、どのようにしたらよいのでしょう。

千葉梢

歩いた道々での五感の記憶を辿るとおもしろいんじゃないかと思います。たとえば何色が多く見えましたか、どの色がいちばん綺麗にみえましたか。朝と夜でみえてくる色の違い、日によって異なる表情をもつ海の色、雨が降ると変わっていく岩の色。あるいはどんな音が聴こえてきたか。草の上や砂浜で素足になってみて肌の感覚はどうか。思いついた形容詞をたくさん書いてみるのもいいです。綺麗な、とかシンプルな言葉から始めてみて、どんどんより具体的な、自分の感覚にピッタリくる言葉を追いかけてみる。そんなたくさんの問いのリストを事前に用意しておいて、ペンを持ってメモしながら、島のなかをただ歩いていく。そうすると気づけることが多くあります。そのあいだは日常の仕事のことなんかまったく考えないでいられます。
そうして、西ノ島で大自然を五感で味わってから海士町に来ると、港の開けた感じや島民の人懐っこさにまた異なる感覚があると思います。

酒井一途

めちゃくちゃいいですね。千葉さんがいま出してくださったような問いを、隠岐に来て自分で実践してみるのはすばらしい体験になると感じました。誰にガイドされるでもなく、隠岐の自然、色や音、肌の感覚をいちばん感じられる。自分がこの島に来て大地を踏みしめていることを、自分の身体で五感をもって体験する。
ひいてはその体験は、この島で人々が築いてきた文化、風土のありかたをみずから追体験することにも繋がります。自然を体感することと、文化を享受することは本来異なりますが、土地に根ざして築かれてきた文化をみるためには、その地そのものに触れることも大事なことです。文化を愛する人というのはそのような体験を本源的に求めているのではないかと思います。

編集後記

旅をする人が地域で迎える人の側の視点をもつことで、どのようにその地の文化を担う人たちが生きているのかを想像できます。そうすることで通常の観光では案内しえない文化に、より深く触れにゆくことができる可能性が生じるのだと思います。

サービスをただ享受したいだけであれば、用意された観光コンテンツに金銭を支払うことで解決します。しかしそこに相互の関係性を生みにいこうとすることで、文化観光の理想的な循環を生み出せます。一方向的な関係ではありえないのです。

人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくための文化を愛する旅。その先には、旅先の土地のファンになり、その文化を支え、誰かまだ見ぬ人たちに伝え、あるいはみずから受け継いでいく愉しみが待っています。一度かぎりではない、何度でも足を運びたくなる旅先をみつけに、文化を愛する旅へ。

取材協力

Entô(エントウ)

〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1375-1
Tel 08514-2-1000
https://ento-oki.jp

隠岐桜風舎

〒684-0403 島根県隠岐郡海士町海士1784
TEL 08514-2-2311
https://okiofusha.co.jp

千彩堂

https://chiayado.amebaownd.com

隠岐吟行ツアー

お問合せは海士町観光協会へ
https://oki-ama.org