watojiオリジナルWatoji Original

土着の工芸の、その先へ 第1回

お抱え職人文化の再興へ

一周まわって最先端。「井波彫刻」

取材・文甲斐 かおり [ライター・執筆業]

写真:Ken Ohki / © Kosuke Mae

地域にとって工芸は、この先、いま以上に価値を発揮する、秘めた宝になるのではないだろうか。
自然、風土から育まれた仕事を、いかに文化、産業として継承し昇華させていくか。
新たな視点と手法で実践する人たちがいる。
この連載ではその現場を見にいくとともに、工芸の新たな価値を、つくり手やつなぎ手と考えてみたい。


木彫刻と聞いて、どんなものを思い浮かべるだろう。床間に飾られたわしの置物だろうか。欄間らんまかもしれない。どことなく渋いイメージのものが多いのではないか。 その木彫刻が、新しいインテリア品や内装技術としての顔をもち始めている。木彫の産地、富山県南砺市井波なんとしいなみでは、ここ数年で新しい宿や店が何軒もオープンしている。この冬、新しい風の吹く井波を訪れた。

井波の街並み。井波別院瑞泉寺に続く「本町通り」
写真:Ken Ohki

「木彫りの里」であり「信仰の里」

カンカンカン…とどこからともなく聞こえてくるのは、木槌の音。木彫刻を彫る音である。目抜き通りの「八日町通り」は「井波別院瑞泉寺」に続く参道で、ガラス戸の奥には、職人が働く様子が見える。軒を連ねる家々は宿ではなく、木彫刻の工房なのである。

富山県南砺市井波は、木彫に携わる職人がいまも100人以上暮らす稀有なまちだ。この規模で残る産地は、日本全国見渡してもほかにない。

写真:Ken Ohki

   

北陸は古くから浄土真宗の信仰が厚い。井波彫刻も、寺社彫刻を起点に始まった。瑞泉寺は浄土真宗本願寺派の門徒による反乱の際、一向宗の一揆の拠点になった寺だ。何度も戦乱で焼き討ちにあい、火事で消失するたびに再建された。1760年代の再建時に京都から御用彫刻師が派遣された際、地元の大工が技法を教わったのが井波彫刻の始まりといわれる。

寺社に伝えられた技術が一般の民家にも応用され、欄間や建具、天神像など工芸品として発展した。梅や松、天に昇る龍などを彫刻刀のみで彫り上げる技術には、目を見張る精緻さがある。

いまも井波には信心深い門徒が多く、各家には大きな仏壇が置かれているのだと、寺の受付の女性が教えてくれた。

まちを歩くと 、随所に木彫りの装飾があしらわれ、木彫文化が行き渡っているのに気づく。それでも木戸や格子の構えの家が並ぶまちは、国指定の「伝統的建造物群保存地区」 というわけではない。あくまで地元住民の意志で自然と古い町並が維持されているのだ。

井波のまちのシンボル「井波別院瑞泉寺」
写真:Ken Ohki

井波木彫の背骨をつくる徒弟制度

産地としての井波には二つの特徴がある。ものづくりの集積地にしては珍しく、分業制が進まなかったこと。もう一つは、今も徒弟制度が残っていることだ。

分業制ではないため、工房ごとに営業から材の調達、作品づくり、納品までを行う。そのため同じ井波木彫師であっても、職人によってつくるものの趣きや作風がまるで異なる。20代から90代までの作家や職人がいるが、うまく棲み分けして、産地全体でさまざまな仕事を引き受けてきた。

そして、徒弟制度がいまに続くこと。親方へ弟子入りして、修行期間の5年間は住み込みで仕事を手伝い、組合が運営する訓練校(*)に通う。かつて日本の職人の技は徒弟制度によってつちかわれたが、いまも残っている地域は少ない。その井波でも、最低賃金などの労働問題や、女性を受け入れる難しさから、弟子入りの制度は崩れつつある。

だが、この徒弟制度と訓練校のおかげで、職人同士の縦横のつながりが強い。互いがライバルというより、協力し合う仲間であって、みなで技術を高め合う意識が醸成されてきた。この二つの特徴が、井波の産地としての背骨を形作っていると言っていい。

前川大地さんの作品。欄間
写真:Ken Ohki

* 井波彫刻協同組合による運営で、学校の「先生」は現役の彫刻師だった。
同級生は、独立後は同世代の職人になる。2023年3月時点で休校中。

一周まわって先端に。職人に会える宿「Bed and Craft」

井波に暮らす建築家の山川智嗣ともつぐさんは、作家や職人の作品を見せる場として宿「Bed and Craft」を7年前にオープンした。その理由をこう話す。

「井波には仏像を彫る仏師や、伝統的な龍などの欄間を彫る職人、現代的な彫刻家など、多彩な職人や作家がいるのに、お客さんと直接出会う接点がないんです。

さらに言うと、木彫刻は旅行ついでにふらっと買うにしては値段が高い。そこでまずは宿で作品を見て知ってもらって、ワークショップで作家さんと話してファンになってもらえたら、人生の節目に作品を依頼してくれる関係性がつくれるんじゃないかと考えました」

「Bed and Craft」の運営者であり、建築家の山川智嗣さん
写真:Ken Ohki

   

一棟の宿が一人の作家のギャラリーで、宿泊料の一部が、作家に還元される。このしくみを「マイギャラリー制度」と呼んでいる。

2016年のオープンから一年で1,000人以上が訪れ、その7割が海外からのお客さんだった。西欧では量産型の品におされ、すでに手仕事が淘汰されていて、こうした仕事場を間近に見られる機会は貴重なのだという。

2016年に「TATEGUYA」、2018年に「taë」、2019年には「KIN-NAKA」「MITU」「TenNE」「RoKu」「TOMOE」と立て続けにオープン。2023年5月現在、レセプション施設や飲食店も合わせると全部で11施設ある。木彫師だけでなく、「taë」は漆作家の田中早苗さんのギャラリー、「RoKu」は作庭家・根岸新(ねぎしあらた)氏とのコラボレーションによりつくられた。

2016年に山川夫妻が自宅の2階を宿としてオープンした「TATEGUYA」 
写真:©Kosuke Mae
2018年オープンの「taë」内観
写真:Ken Ohki

   

宿にするのは豪商の家ではなく、元は一般の民家。それも一作家の作品を見せるために世界観をつくり、設計するという贅沢さ。いかにもお金がかかりそうだが、オーナーシップ制度をとっているのが秘訣だという。オーナーと運営会社が異なる例は大手ホテルではよくあるが、小規模の宿としては珍しい。

Bed and Craftのオーナーは、日本に家を持ちたい海外の個人投資家や、旅行会社。山川さんたちがオーナーから委託を受けて家を改修し、宿として運営している。

「井波のものづくりが産地としてひときわ面白いのは、いまもすべて手製で、一品として同じものができない点です。

直接職人さんと話してゼロからものをつくるなんて滅多にできない。家を建てるパーツも規格品ばかり。新たに金型をつくると一つ100万円なんて話になってしまいます。 でも昔は、身近にお抱え職人がいて、こういうものをつくってほしいと依頼するのはごく当たり前でした。ユーザーと職人がやり取りするなかで技術や表現方法が高められてきた。それを今もできるのが井波なんです。僕らみたいな建築家やクリエイターにとってこれほど面白いまちはない。一周まわって最先端にいるんじゃないかと思います」

茗荷(みょうが)をモチーフに彫ってもらった木彫刻。Bed and Craft Loungeの入口取手
写真:Ken Ohki

井波とは切り離せない木彫刻

初めて筆者が田中孝明さんの作品を見たのは、「Bed and Craft」の「TATEGU-YA」でのことだった。この宿は田中さんの作品ギャラリーを兼ねている。

田中孝明さんは、井波の木彫作家の一人。作品にはお雛様などの節句人形やコンセプチュアルな少女像が多い。 「たね・ひかり・みず」と題された作品を見た時は一瞬時が止まった。透明感のある少女像で、「みず」の子の表情は優しくやわらかく、ふわりと飛んでいきそうに軽やか。「たね」の子は神々しくさえあって「祈り」を想起させた。

写真:© Kosuke Mae

   

田中さんは高岡工芸高校を卒業後、井波の親方の元へ弟子入りした。今から25年前の1997年頃だ。当時は組合員も200名近くいた。 どんな親方につくかは「運」次第。弟子入りする側が何軒か見学して決めるが、初めて見ただけでは親方がどんな職人なのかよくわからない。わからないまま弟子入りするのだと田中さんはいう。

「僕の親方は日展に出品している方だったので、夜は自分の作品をつくるといいと言ってもらいました。人によっては早く正確に彫ることのできる職人としてエキスパートになっていく人もいる。親方に影響される面が大きいので、誰に弟子入りするかでその後の人生が大きく変わります」

井波の木彫作家、田中孝明さん
写真:Ken Ohki

   

同じ訓練校で学んだ職人とは、独立後も職人仲間としての関係が続く。田中さんに犬の彫刻の依頼があった時は「僕よりうまい人がいる」と別の職人を紹介するし、代わりに雛人形の依頼がまわってくる。 組合に文化財修復などの仕事が入ると、複数の職人が集まって一気に仕事をすることもある。

「その時のチーム編成がよく考えられていて。70代80代のベテラン職人さんに加えて30〜40代の中堅どころ。そこに必ず一人前じゃない若手も入れるんです。若手がベテランの仕事を見て覚えるいい機会になる。井波全体で技術を維持する工夫なんだと思います」

田中さんは職人仕事もするが、いまは作家の仕事を主にしている。だが彫刻師としてのアイデンティティは変わらず「井波彫刻」にあるという。

「今の自分には、井波を離れて木彫をやる意味はないと思っています。今も行き詰まると瑞泉寺へ行きます。あれはどう彫っているんだろうって見上げて」

田中さんたち井波彫刻師のそばにはいつも瑞泉寺がどんと構えていて、「井波彫刻の原点ここにあり」といった揺るぎない存在感を放っている。この土地のもつ歴史文化と木彫刻は切り離せない。

田中さんの工房で、Bed and Craftの宿泊客向けにワークショップも行う
写真:Ken Ohki

文化財の修復を請け負える産地は井波くらい

2019年オープンの「KIN-NAKA」は、木彫師の前川大地さんのギャラリーとしてつくられた。

前川さんは「井波木彫工芸館」の二代目。父の前川正治氏は日展の特選に選ばれるなどの受賞歴をもつ方で、伝統的な井波彫刻師で作家でもある。 大地さんは30歳近くまで海外へ留学するなどして井波へ戻ってきた。帰ってきてまず感じたのは危機感だったという。

「ひと昔前は井波に200人職人がいると言われていましたが、いま140人くらい。その多くは高齢者で、20年も経つと半分以下になってしまうのが見えています」

「井波木彫工芸館」の2代目、前川大地さん
写真:Ken Ohki

   

何とかしたいと思うのは、井波の価値を強く感じているからだ。

「木彫刻の産地といえる場所は、日本ではあまり残っていない。木彫刻で有名な地域があるにはありますが、もう職人が数えるほどしかいないと聞いています。文化財の復元など、大きなプロジェクトを引き受けられるのは、職人が多く残る井波くらいではないかと思うんです」

長く外に出ていたせいか、少し引いた目で井波の町を俯瞰ふかんしている。宿「KIN-NAKA」も前川さんの視点から、テーマは「井波を思う」になった。

2019年オープン「KIN-NAKA」
写真:Ken Ohki
「KIN-NAKA」に入る前川大地さんの作品
写真:Ken Ohki
「KIN-NAKA」に入る前川大地さんの作品
写真:Ken Ohki
「KIN-NAKA」に入る前川大地さんの作品
写真:Ken Ohki

   

井波で生まれた過去のヒット商品である欄間の需要は、一般家庭から和室がなくなるのにともなって減りつつある。それでもこの先、井波木彫に将来性を感じるのは何故なのだろう。

「大きくいうと2つの柱があります。一つは、従来の伝統技術を用いた文化財の復元などクラシックな仕事。最近では名古屋城の本丸御殿を復元しました。納期のあるタイトなスケジュールの中で、彫刻師集団としてばっと複数人が出向いて対応できる産地は井波しかない。
一方で生活品としての彫刻。欄間も、もとは社寺仏閣の彫刻を一般住宅にという発想から生まれたもの。現代でもそうした、生活の中で使えるアイテムを生み出せたらと思っています」

写真:Ken Ohki

   

前川さん自身、職人的な仕事もすれば、名前を出して作品をつくる表現者でもある。 KIN-NAKAに設置された雲の形のシャンデリア(冒頭の写真)は、前川さんの代表作だ。職人の高い技術力と、作家としての表現力や創造性。この両方を、一産地のなかで掛け合わせれば新しい商品を生み出せる。

「道具をつくる人や、木材を得る製材所など、井波にはまだ産地の生態系が残っています。去年、懐の深いアール(曲線)が求められる仕事があって。専用の刃物を新調すると何十万円もかかるんですが、宮大工さんのところにいったら『あ、できますよ』って。いつもの機械を、違う使い方をしたらできると言ってくれて。そういうことの積み重ねです。いろんな人の知見を借りることができる」

個人が本質を見るようになる世界

井波の強みは何といっても、職人層の厚さと技術力の高さにある。山川さんは、それが近年、感度の高い人々がモノを選ぶ傾向にマッチし始めているのではと話す。

「以前はモノを贈るとき、包み紙が重要だったと思うんです。このデパートのモノなら安心というステータスが大事だった。 でも誰でも情報を得られるようになると、ブランドや、表層的なものさしが価値を失って、それぞれが本質を見るようになっている。そのつくり手は本物か、産地はどんなところで、どんな作り方をしているのかが大事になっているんだと思います」

Bed and Craftのラウンジにて
写真:Ken Ohki

   

歴史あるまちで職人が手彫りしてくれる確かさ。対面でじっくり話した相手の心が感じられる一点モノ。規格品よりずっと価値を感じられるに違いない。

「同じ形をつくるだけなら3Dプリンターなどで十分。でも、手でつくらなきゃいけないものは確実に残っていくと思います。
土地性やその背景にある文化、文脈が大事なもの。誰が彫っているか、その木はどこから来たのか。なぜこの土地でつくられているのかに意味があるものです。それがこの先も土地の文化であり続ける」

ある土地に、その工芸、ものづくりが発展した理由。歴史と技術の積み重ねを土台にした上にしか、新しい道は拓けない。それが土着の文化をその先へつなぐ、唯一の道ではないかと思う。

写真:Ken Ohki

   

  

  


        

井波彫刻の関連情報

竹中大工道具館(兵庫県神戸市)で、「井波彫刻 物語を彫る」(〜2023年12月3日)が開催されています。
https://www.dougukan.jp/special_exhibition/inamichoukoku