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文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。
工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。
この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。
今回は岡山県倉敷市美観地区にある「大原美術館」に大原あかねさんを訪れました。
倉敷紡績創業の家である大原家の10代目にあたり、曾祖父にあたる大原孫三郎さんは大原美術館を築きあげた大人物。家として代々にわたって美術・芸術、国内外のアーティスト、岡山・倉敷への貢献をして来られました。その背負うものの大きさ、時代の変遷による芸術と経済の関わり方の変化を物ともせず、芸術と人間への信念を持って朗らかに笑いながら突き進んでおられるのが大原あかねさんというひとです。
大原美術館は「大原美術館を中核とした倉敷美観地区の文化・観光推進拠点計画」として、文化庁の文化観光事業にも採択されています(※1)。ど真ん中の議論から入りつつも、対話の中盤以降は次第にくだけた空気になっていって、文化観光の可能性を切り拓いていくような話題にふれていくことができました。地域の暮らしや、人間の存在そのものにふれていく。旅と観光のあり方としてそのような話題に入っていくことは、本来ごく自然なことなのかもしれません。
大原あかね[公益財団法人大原美術館 代表理事]
1967年9月生まれ。一橋大学経済学部卒業。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修了。
金融機関系研究所に約3年半勤務。
2000年大原美術館理事、11年同専務理事として館の運営に携わる。16年7月、5代目の理事長に就任。
現在、財団代表として法人の経営にあたる傍ら、(社福)若竹の園理事長、(公財)倉敷考古館理事長、(公財)倉敷民芸館理事、(公財)大原記念倉敷中央医療機構評議員、(一社)岡山経済同友会理事、萩原工業(株)社外取締役、(大)岡山大学監事、倉敷市教育委員、倉敷商工会議所副会頭などを兼務。
倉敷市在住。
文化芸術の継承には、それを支える力が欠かせない
酒井一途
文化観光とはいったいなんなのか。どのような形の文化観光をめざしていけば、文化・観光・まちづくりに携わる人たちが本当に手を取り合いながら、歩んでいけるのか。その理想のあり方を対談形式でいっしょに模索していく、今日はそんな時間にしていければと思っています。
大原あかね
よろしくお願いいたします。そもそも初心にかえると、教科書的な「文化観光」というのはどのように定義されているのですか?
酒井一途
法律上の定義はあるのですが、すこし砕いた言い方で説明しますね。文化観光は、文化資源を観光客がそのものの価値をはっきりと理解して受け取れる状態、または理解を深めることのできる観光。かつその文化資源に対して、有効な形で経済の利潤が回っていく観光です。「経済的な好循環が生まれる観光」という定義をしますので、文化資源を「高付加価値化」するという考え方を重視しています(※2)
たとえば重要文化財の建築を入館料数百円で見せるところがたくさんありますが、館内の説明が不十分なためどんな価値があって残されているのかが理解しづらく、観光客もただ写真を撮って終わりとなってしまうケースがしばしば見られます。また経済的にも入館料収入だけではまったく回らず、施設を維持するために多くの補助金が必要とされます。だから施設の運営側が施設の活用の仕方をもっと工夫して、よりお金を生む観光を作りだしていくことを目指す、というのが基本的な「文化観光」の考え方です。
しかし「文化観光」のあり方として、それだけでは乏しいと個人的には思います。お金を生むものとして文化資源の価値を高める、というのは発想が逆だとも思います。だからこうして連載記事でさまざまな方々との対談を通して、「文化観光」のよりよいあり方を共に模索していければと思っています。これまでのインタビューでも「人と人との関係が生まれてくるのが文化観光」とか「文化をつくってきたのも守ってきたのも人間だから、人間に寄り添った観光のあり方が文化観光」という言葉が出てきました。そこにヒントがあるように思います。まだ言葉になっていなかったり、形になっていないものを探していくことができればと思うのです。
大原あかね
なるほど。文化施設は基本的に自力で稼げるわけがなくて、誰かがパトロンになって守らなければならないものだと私は思っています。コロナ禍を経て思いを強くしたことは、文化施設は自助努力でやる仕事ではないということです。美術館であれば作品の収蔵庫を守り、そのための学芸員を雇用する必要があります。未来への文化芸術の継承が必要だと思う人たちが経済的にも支えていきながら、美術館を存在しつづけさせなければならない。そうでなければ芸術は守れない、というのが私の結論です。
酒井一途
みんなに支えてもらう文化施設のあり方を探っていくのは、あたらしい「文化観光」のあり方を探っていくことにも繋がると感じます。地域への深い関わりを持ちつづける人を増やしていくのが、目指される一つの「文化観光」だからです。その文化施設を、あるいは文化を愛する人たちが、その地域に住んでいるいないではなく、深く関わることで支えになっていく。それが経済的にも、継承の上でも、大事になっていくはずです。
大原あかね
いろんな工夫をしながら関わり方を増やしていくことができればと思います。このたび大原美術館は、あたらしいスローガンとして「みんなのマイミュージアム」を掲げ始めました。すべての人たちに大原美術館のことをマイミュージアムと思っていただきたいのです。そうなっていくためにも、私たちはさまざまな取組みをしながら努めていかなければなりません。近しい人に「一緒にいこう」と誘ってもらえる美術館になるとすごくいいなと思います。顔が見える人たち同士でのコミュニケーションで広がっていく。そんな循環が生まれていくと、わかりづらい、敷居が高いと思われがちな美術館も、親しみをもっていっていただけるのではないかと思います。
外からやってきた「目」が、
地域のものを「見る」行為から価値が生まれる
酒井一途
文化観光には、アーティスト・イン・レジデンスのあり方から学べることが多くあると思っています。大原美術館で行われているアーティスト・イン・レジデンスのプログラムについてお伺いしたいです。
大原あかね
2002年に大原美術館館長に高階秀爾が就任した際に、大原家と美術館の歴史をもう一度見直すことにいたしました。そこで、大原孫三郎が画家の児島虎次郎を支援したことが美術館の始まりとなったことを踏まえて、若手アーティストを支援する思想をふたたび体現しようと考えたのです。
児島虎次郎の使っていたアトリエ「無為村荘」が現存していたので、公募した若手アーティストにそのアトリエを最大3ヶ月間無償で貸し出して、滞在制作してもらうことにしました。若手といっても、私たちは若手を年齢ではなく、「化ける力がある人」と定義づけています。アーティスト・イン・レジデンスの名称はARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)と名づけて、2005年からアーティストの招聘を始めました。
「無為村荘」は100年前に使われていたアトリエですので、電気設備がありません。自然光のなかでアーティストは作家活動をします。朝昼晩の光の具合、晴れ曇り雨の日もまた光の当たり具合が違います。空間も広く、床面積が約70平方メートル、壁高が約3メートルあります。若手アーティストは学校を出た後には、そのような広い空間で制作をすることがなかなか難しくなりますが、ARKOでのレジデンスの機会に大きな絵に挑戦することができます。ある招聘アーティストは「最近は手首と肘でしか絵を描いていなかったのが、大原に来て肩や全身を使って描くことを思い出した」と言ってくれました。
酒井一途
創作の空間によって、つくるものはぜんぜん違ってきますものね。
大原あかね
私は自分では描かないのでそうしたことへの実感はなかったのですが、実際にアーティストさんたちの声を聞くと大事なことなのだと気づきました。
ARKOでは、何を描くかということは自由にしてもらっています。ただし作品購入のお約束はしていません。美術館のコレクションの購入ポリシーに合えば作品を購入しますが、かといってポリシーに合うものをレジデンスで描いてほしいわけでもないのです。その代わり、滞在制作した作品を美術館内で展示する機会をかならず作ります。どの作品を美術館内のどこに展示したいか、というイメージをアーティストさんに持ってもらい、キュレーターと相談しながら展示を作っていきます。
酒井一途
滞在アーティストは、地域をリサーチして作品をつくることが多いのですか?
大原あかね
担当キュレーターが公募して選ばれたアーティストさんがレジデンスに滞在しはじめる前に、ヒアリングを行い滞在中のプランを立てています。あるアーティストさんは瀬戸内の笠岡の島々をご覧になったり、中国山地の山の方を見にいかれる方もいれば、町中のお祭に参加していっしょに踊りはじめるアーティストさんもいます。倉敷市立美術館の書庫にものすごいお宝があるといって、その書庫にこもる方もいました。もちろんプランが途中で変わっていくこともあります。それぞれの形で3ヶ月の滞在の時間を過ごしながら、インプットとアウトプットをするのです。レジデンスでは普段知らない場所に行って、自分のなかのインスピレーションを呼び起こすというのが第一だと思っています。
酒井一途
アーティスト・イン・レジデンスでは、地域の外から来たアーティストが、アーティストの「目」をもってその地域のことを知ったり、新しい切り口をつくって作品に昇華したりしますよね。これは文化観光とも結びつくようなあり方だと感じています。文化庁での文化観光リサーチにおいても、さまざまなアーティストの声や地域の人々の声を聞くなかで、同様の実感がありました。外からやってきた「目」が、新鮮なまなざしでその地域のものを「見る」という行為になんらかの価値が生まれ得ると思うのです。
大原あかね
最近はやってくるアーティストさんたちが倉敷美観地区に「住む」ことの意義について考えています。いま私たちがやっているARKOは「こんにちは」と来る人たちに向けています。しかしアーティストさんの中には、「ただいま」と帰ってくることでインスピレーションを深めていく人もいます。「ただいま」と帰ってくる人がいるのもいいし、「こんにちは」と初めて来る人がいてもいい。両方あっていいと思うのです。「住む」というのも、二日だけ住む人がいてもいいし、1ヶ月住む人がいてもいい。
美観地区のいいところは、町を歩いていると家々の表札があるところです。この町には普通に住んでいる人たちがいて、きちんと町の生活があるのです。日常が営まれているなかにアーティストさんたちがやって来ます。だから「住む」ことができるのです。
酒井一途
日常への接続は大事ですね。誰がどう住むかによって、まちのあり方は変わっていきます。まちの寛容さもまたそれによって変わり、ひいてはまちのクリエイティビティも比例して変化していくように思います。
大原あかね
大原美術館としてはこれまでアーティストさんたちと共に歩んできました。加えてこのたび大原芸術研究所を新設し、前館長の高階秀爾が所長に就任しました。高階は「芸術研究は人間研究である」と掲げており、私たちもそれをコンセプトにしていくつもりです。そうすると芸術分野はもちろん、他分野の研究者もレジデンスをしに来られることになります。イノベーターや起業家も含まれます。美観地区にレジデンスをすることで、ここでしか生みだせないアイデアが出てくる。本当にたくさんのポテンシャルをもつ地域なので、活かし方をおもしろく考えていきたいです。来た人たちにどんどんこの土地で遊んでもらいたいと願っています。大原美術館、美観地区を使って生み出したものが県外や世界に出たときに、ここがオリジンだと言われるようなものになっていけば嬉しいです。
美観地区での暮らしの体験は、
人の心の中にあるものをもう一度呼び起こす人間体験
酒井一途
これまで文化観光の話をさまざまな方から伺ってきたなかでも「日常に触れる」という言葉がよく出てきました。この考え方を掘り下げていくことに興味があります。そして「ただいま」と帰ってこられる場所があること、そのような地域への関わり方をする人が増えていくことが大事です。いわば観光のリピーターといいますか。その人たちがこの土地にやってきたときに、「暮らし」に近い過ごし方をすることが、「旅をする」次のステップになっていきます。一度きり来るお客さんが5人いることも価値ですが、1人が5回足を運んでくれるような関係性の深さは数では測れないものです。そのような深い関係性を外から来る人たちとつくっていけるかどうかが、これからの地域にとって重要になっていくはずです。
というのも日本の地域はどこも人口減少は避けられません。どれだけ観光客数を増やそうとしても、今までのようには行かないのが現状でしょう。放っておいても人の数が増え、進歩の過程を辿っていくようなことはもう幻想です。別の視点からインバウンドに目を向けて、海外からの観光客を呼び込むのも一つのアイデアかもしれません。しかし国内の人口が減少していく中でも、一人ひとりが地域への愛着をもってたびたび足を運ぶような、もう一つの故郷とも呼べるあり方に地域がなっていくというのも、持続していける観光の形として重要なものだと思うんです。
大原あかね
お話を伺いながら、「暮らし」をしにやって来る外からの人と観光のリピーターがイコールであることにはどうも違和感が生じて、何が違うんだろうと考えてみました。
思ったのは、「暮らす」ようにこの土地に住みに帰ってくる人たちは、この土地の価値をつくる人たちなんです。そして観光客というのはけっして悪い意味ではなく、この土地の価値にお金を払ってくれる人たちです。ものに価値があるだけでは仕方がなくて、付加価値として転換されて消費されていくこともまた観光には必要不可欠なことです。それこそ観光のリピーターとして、たびたび消費をしに来てくれる人たちも地域にとっては大事なのです。
両方のタイプの人たちがいると、地域も豊かになり、また消費されるだけの観光ではない観光も作っていけるのかなと思いました。
酒井一途
すごくいい整理をしてくださってありがとうございます。どちらも大事というのは本当にそうですね、おっしゃる通りです。いつも僕は、地域に関係性を深めることであたらしい価値をつくっていく人たちにばかりフォーカスしがちなのですが、消費もしてくれる観光客の側も大事で、それら両輪を回していくことで地域が豊かになっていくということを忘れずにいたいと感じました。
一方で、消費してくれる観光客が地域の日常に触れるとき、そこに葛藤が生じる可能性もあると思います。観光のために日常を切り売りしている地域もあるからです。たとえばお祭りも自分たちの、地域のための祭りだったものを、観光客が何万人と来るような祭りになっていくことがあります。外部の者には踏み込ませないプライベートな部分はいくらか保ちつつも、観光客向けへと軸足を移した見せ方になってしまった祭りは少なくないと感じます。そのバランスはどのようにしていけばいいのでしょう。
大原あかね
的確にお答えできない自信しかないのですけど(笑)
料理屋さんではまず食の素材があって、作られた料理が商品としてメニューになっていきます。アーティストにあてはめると「暮らす」ことがそのまま素材に当たります。土地で丁寧に暮らすことからインスピレーションを受けて、素材の価値を高めていく。つまり料理するわけです。そうして高められた観光客が地域の商品を消費することで、サイクルが生まれていきます。
美観地区はまだオーバーツーリズムの問題はないと思います。観光客が消費しにきてくれることがありがたい地域なのです。暮らしを丁寧にすることで消費されつくさないようにするのは地元の務めです。暮らしをわくわくするものにしてくれるアーティストさんたちと関われたらもっとすばらしい。そうして観光に来るお客さまに消費していただいたとしても困らないものを作っていけたら、と思っています。
酒井一途
文化観光のあり方を考える上で、観光客が地域にやってきて、用意されたコンテンツを消費して帰っていくというだけではない、つまり観光客数と観光消費額を増やすことばかりを追い求めるのではない観光のあり方があるのではないか、とこれまで問いを立ててきました。経済や数値はわかりやすいので偏りがちですが「それだけではいけない」というだけであって、消費も大事な行動の一つですね。
大原あかね
はい。消費する観光はけっして悪いものではなくて。やっぱり、楽しんでいただきたいじゃないですか。それぞれの楽しみ方でいいのです。日常を忘れたい方もいれば、日常を振り返りたい方もいらして。多様なニーズをできるだけ満たせる観光地でもありたいと思います。
ただ、そのようにつくり出された価値を楽しむだけでは限界もあります。言い方がむずかしいのですが、本質的にラグジュアリーな商品というものは、価値を生み出す方々のところに生まれるものではないかという気がします。
酒井一途
ラグジュアリーを具体化していく話、伺いたいです。
大原あかね
まだその答えは出ていないのですが、地域の価値を生み出すにはアーティストや研究者としての創作・創造的な活動があって、かつ町に「暮らす」という行為が同時にあること。これら二つが掛け算となるところにものすごいポテンシャルがあるのではないかと思います。美観地区でもこれからラグジュアリーを追求していくにあたって、そこを深めてみたいです。大きな対価を払ってでも、この土地での日常の生活を存分に楽しむ体験、楽しむと同時に価値が生み出される体験、そんなものができたらとお話をしながらたったいま思い浮かびました。
酒井一途
あかねさんは美観地区に感じる魅力をどんな言葉で思い浮かべられますか。
大原あかね
美観地区の特徴としては、江戸時代からの歴史がいまも町に残っていることが挙げられます。ここは江戸時代の暮らしを感じられる場所です。思えば江戸時代ってよかったよね、といわれるような余裕のある暮らし。経済的にというより時間的に余裕があって、人の心も豊かであった時代。われわれが懐かしく思い返す暮らしの痕跡が残っているのです。今となってはとても稀有な暮らしのあり方です。
早朝に町を歩けば、神社と寺の静謐な空気が流れ、鳥の声が聞こえ、そこに人々が暮らしている。だからわざわざこの土地に「暮らす」ためにやってくることに価値が生じるのです。当たり前のように大原美術館があり、町の歴史がわかる倉敷考古館があり、生活の美しさを共有する倉敷民藝館がある。これらの三つのミュージアムが支えている地域で「暮らす」ことの意味はきっとあるだろうなあ、と思うけどまだうまく言葉にならない(笑)ここに暮らす意味、ありそうじゃないですか、ありますよね(笑)
酒井一途
ありますよ(笑)
大原あかね
どんな国の人にとってもなんらかの親和性があると思うのです。日本オリジナルではなく、人間オリジナルの懐かしさ。ただ懐かしいだけではなくて、憧れを伴っていたり、これからの自分の生活を潤してくれるものもあるはずです。異国情緒を味わいにくるのではないのです。暮らす、住む、生活することとの掛け算がなにか生まれるはずです。
酒井一途
暮らしの体験は、ここにはこんなものがあるから人間の暮らしが思い出せる、という明快なものではなくて、実際に町を訪れて肌身に触れることで、訪れた人たちの心のなかに生まれてくるものです。いま生身で体感することで、人生全体に及ぼす価値観の変化があったり、自分のなかにおける基準のあり方がガラッと変わったりし得るものだなあと思います。それこそラグジュアリーな旅になると思います。
大原あかね
美観地区での暮らしの体験は、人間体験。すべての人が心の中に持っているものをもう一度呼び起こす体験になり得ます。そんな旅のあり方に普遍性が生まれたらかっこいいですよね(笑)霞を食べて生きているような話みたいですけど(笑)
酒井一途
あかねさんのおっしゃる人間フォーカスがすばらしい、あるべき形だなと思います。ここに人の「暮らし」がある、触れることができる、そういう旅をする、ということですよね。あるひとつの芸術作品に触れたそのときに人生が変わってしまうことがあるように、あるひとつの旅をしたときにその旅の時間が人生のなかに生じたことで人生を変えることもあるのだろうと。人間的な、ほかにかけがえのないものになるのだろうと。
大原あかね
「暮らす」って、「生きる」ってなんだっけ、と思い起こさせてもらえます。そうか、「生きる」ってこういう呼吸をすることだったよね、と。美観地区にはそう思わせてくれる時間があります。芸術作品と出会うこと、町の人たちとの出会い、また手前味噌ですが大原家の孫三郎の生き方、總一郎の生き方に出会うこと。町を訪れた人たちが心のなかでそれぞれに大事にしているものと共震する出会いがあるはずだと思います。
酒井一途
そうしたものたちにこの町で出会えることをアピールするにはどうしたらいいのでしょうね。結果主義的にここではこんな価値が得られるから来てください、ではないと思うのです。見せ方をどうするかがむずかしいですよね。
大原あかね
ここに来て、感じて、心を豊かにする。そんなセンサーの感度が高い人に来てもらう、というものだとも思います。その人たちのセンサーに触れるような土地であるように、私たちは努めなければならないのです。丁寧に暮らしていくことがまたそこに繋がるとも思います。
酒井一途
丁寧に暮らすという言葉、染み入ってしまいました。
大原あかね
大丈夫ですか、共感を得られていますか(笑)
酒井一途
はい、とても。染み入るほどに(笑)
地域を核とした有機的なネットワークが、化学反応を起こす
酒井一途
素材としての「暮らし」を経て、アーティストがそこから調理していって作品をつくるという話がありました。調理された料理にも好き嫌いがあるように、この地域の暮らしに惹かれて来る方々は、あかねさんがおっしゃるように自身の求めている好みのセンサーをはたらかせてやって来ます。そうした人たちとは、自然の流れのままに出会っていけばよいのだと思います。放っておいても運命のように地域と出会っていく人たちはいますから。
しかしそうしたラグジュアリーな旅のあり方で出会う人たちは別として、情報過多な社会において、もう一段階広い層に向けてはどのようにアプローチしていくのがよいのでしょう。興味関心に沿ってアンテナを張ってはいるけれど、まだ出会えていない人たちへ向けて、より触れられやすい形になるためには。この問いは、おそらくどう美術館を「ひらくか」ということにも結びついてくるものでもあると思います。
大原あかね
とがる勇気とひらくしなやかさの両方が必要だと、美術館で話しています。私たちはとがりつづけているから、大原美術館としての価値が保てる。その価値を保っているからミュージアムを無邪気にひらけるのです。小さなお子さんからお年寄りの方々、どんな社会的立場の方へもひらいていけます。この二つは相反するものですが共に重要です。
酒井一途
その相反するものを両立させていく感覚は、長年培ってきてちょうどいいバランスを探してこられたのだろうと想像します。とがりすぎては、ひらいたところで伝わらないかもしれないですものね。
大原あかね
諦めなければいいのです。考えるのに飽きたり疲れたりしてしまうと、どちらかに偏ってしまう気がします。つねに考えつづけようとする意志が必要ですね。
いま大原美術館ではユニークベニュー(※3)として、展示場内で飲食をしたり、会議室として使ったり、さまざまな使い方をはじめています。会議室として使うにもたとえば普段ならライバル同士のような方々が集い、美術作品に囲まれて浮世を忘れて話しあえたらすばらしいなと思ったりします。
ただしこのとき美術館というハコについては「使える/使えない」と考えるのですが、アートや芸術そのものは「使える/使えない」の文脈で判断してはいけないのです。そのような文脈にとり込んだ途端、アートは道具になってしまいます。アートは道具ではありませんから。使えようが使えまいが、アートは「ある」ことに意味があるのです。
酒井一途
とがっている部分のなかでも、たとえば展示場内の飲食は特別な機会にのみひらかれるものですよね。ラグジュアリーなものとして、万人にひらかれたものとは別のあり方も模索されています。
大原あかね
だって生きていかなければいけないですもん(笑)
私の基本的な考え方としては、お金を出せる方からはしっかりいただき、お金を出すことはできないけれどアートを必要としている方にはアートを提供したいのです。「こんな経験にならお金を出したい」と思ってもらえる方法があるのならば、美術館の価値を損ねない限り検討したいのです。なぜなら私たちはいま手元にある美術作品を、よりよい形で未来に引き継がなければならないからです。
美術館にある作品を多くの未就学の子どもたちと一緒に見ておしゃべりしたいですし、今度は地元のロータリークラブさんから資金援助を得て貧困家庭の親子が美術館に遊びに来てくれます。事前のアンケートでも「普段は食べるものをどうしようかと考えているくらいだけれど、芸術に触れる機会を得られて嬉しい」とか「夏休み中にどこにも連れて行けなかったが、一つ思い出が作れて嬉しい」という言葉がありました。
私たちの経済的な体力だけではそこまではできない、けれどそこにロータリークラブさんが助けてくださるから実現することができる。私たちが持っている美術作品をしっかりと社会還元するようにしていきたいのです。そのための循環を手助けしてくださる方々がいると、本当に本当に助かります。
酒井一途
そうした循環があっての、器としての文化、なのだろうなと思います。「ある」ものとしての美術作品をどう回していけるかというところに、パトロネージュの考えが必要になってくるのですね。人が作品に触れてこそ、その機会があってこそ、その人の人生が変わるかもしれない体験がもてるのですものね。
大原あかね
はい、私はそう思います。ミュージアムは社会資産、地域資産です。使い倒さなきゃ損じゃないですか。どう使うかは、地域や関わる人々に懸かっているのです。
酒井一途
美術館が地域にあることの意義を、大原美術館はつねに発信していらっしゃる印象があります。それでもまだまだ伝えきれていない、ともおっしゃっている。
大原あかね
正直な話、今回コロナ禍を通じて、私は本当に多くの人に助けられたのですけれども、美術館のもつ歴史が助けてくれた部分も非常に大きかったです。大原美術館の経てきた90年の歴史がなければ、これだけ多くの方たちに助けていただくことはできなかったと私は思います。
しかし、まだ私たちが「顔の見える」という言葉で感じられる丁寧さでもって多くの方々に接しきれていないのが「伝えきれていない」という感触に繋がっているのです。昔の「顔が見える」と、今の時代での「顔が見える」とではまた違った方法を取る必要もあります。
酒井一途
「顔が見える」というのは大事なキーワードでして、旅をするにしても「暮らす」観光にしても、「ただいま」は顔が見えるからこそ言える言葉です。そのためにこちらから会いにいく、触れる接点を増やすにあたって、大原美術館ではさまざまな工夫をしておられるように見えます。まだ足りないとなると、いったいどうしていかれるのがいいのでしょう。
大原あかね
足りないというよりも、何をしたらその人にとっての「顔が見える」なのかを、私たちが掴みきれていないのです。
よく言うのですが、私たちは美術館オタクなんです。美術館のことが好きで好きで仕方ないのです。オタクが自分の好きなものについて語っていても、興味のない人には届きづらいことも多いじゃないですか。もちろん好きなものを一生懸命発信していることに共感してくださる方々もたくさんおられるから、おかげで届いている声もあります。
ただ、特に興味のない方に向けてもきちんと伝えることを、私たちはこれからやっていかなければなりません。ここに来ればわかります、という言葉は使いたくない。もっと来ていただけたらうれしい、来る気持ちになってもらえるために何をしたらいいのか、いつも暗中模索しています。
酒井一途
そのあいだを埋めて切り拓くのが、地域の外からくるアーティストたちや研究者たちなのかもしれません。その人たちは美術館オタクともちがいますし、大原美術館が地域にとっての見慣れた当たり前の存在になってしまっているわけでもありません。
美観地区に「暮らす」ように町を訪れることであたらしい価値をつくっていく人たち。アートが「使える/使えない」ではなく「ある」ことに意味があることと同じように、その人たちは「いる」ことに意味がある。いままで美術館やアートに興味のなかった人たちに向けて、触れられるなにかをつくり出してくれる。「いる」ことによってなんらかの意味を発信してくれるようになる。そんなことが可能なのではないでしょうか。
大原あかね
私の祖父の總一郎が、美観地区に研究者が集まってくれたらいいのにと言っていたと聞いたことがあります。私はめちゃくちゃおじいちゃん子なので、ずっとその夢を叶えたいと思っていました。
2018年に江戸時代後期建築の旧大原家住宅を「語らい座大原本邸」として開いたとき、ここが研究者たちの集う施設になればと思いを込めました。なぜなら大原家の研究、孫三郎、總一郎の研究は一つの分野に留まらず、経営も国際関係も民藝も音楽もある。多分野の研究者が集まっていく場がそこには生まれてきます。
大原美術館においても芸術という括りのなかではありますけれど、総合ミュージアムですからコレクションのバリエーションも多様です。高階の言葉「芸術研究は人間研究である」の「芸術」の意味は、「人々がその営みの中で生み出したもの」です。だから美術館に集う方々もまた多分野でありえます。
それら2つの施設においてそれぞれに、多分野の方々が集まってくる装置が美観地区にはあります。
酒井一途
訪れてきたアーティストや研究者、文化に携わる人たち、あるいはもっと広くこの地域に関わりに来る人たち。つまりは、あたらしい地域の価値をつくっていく人たちが、地域の「暮らし」のなかにいるということ。その人たち同士が繋がりあって、有機的な関係をもって深く関わりあうこと。そのネットワークは文化にとって大切な深いところを担保しつつ、今までアクセスしえなかった層に向けても広まっていきやすいと思うのです。
アーティスト・イン・レジデンスや美術館に、単独でやって来て帰っていく人たちがいます。その人たちも「ただいま」とまたやって来る人にはなりますが、その一つの原子の動きだけでは生まれない形がある気がします。訪れてきた人たち同士、また地域の人たちとの出会いが分子式を成していくような、そんなことができたらすごく素敵ですね。
大原あかね
叶うと思います。美観地区にはこれから研究者、アーティストなどの創作者たちがつくりだす不思議なアカデミアが生まれてくるはずです。大学によらないアカデミアです。それがこの地で生まれるのはめっちゃおもしろくないですか。できる!と思っています。
酒井一途
ここからの100年を切り拓いていきますね。
大原あかね
ここは「暮らす」という人間の基本的な欲求を満たすことができる場所ですから、国籍、人種、年齢に関係なくどんな方でも、なにか心が通じるような感覚を持っていただけます。その価値を、最大限に活かしていきたいなと思っています。
編集後記
文化や芸術がある地域で育まれていくには、かならずその背景に支えとなった人たちがいます。それも数えきれないほどいます。人的なネットワーク、後進の育成のための教育、文化や芸術に対する底知れぬ熱意、地域内での交流を生むコーディネート、また金銭的なサポートなど。支え方にはさまざまな形があり、それはかならずしも目に見える形ではないこともあります。
岡山倉敷においては大原家が長年にわたってその大きな役割を担いつつ、ほかにもまちに関わってきた名を残すことのない多くの人たちの支えのもとに、今の岡山倉敷があります。文化や芸術、ひいては「まち」そのものは過去から現在に至り、将来へと引き継がれていくいくつもの人の思いの集積があって成り立っているものです。そのバトンを今たまたま手にしている自覚をもってこそ、無私の心でほかの人たちからの支えを頼むことができる。
あかねさんは利得ではないところで、受け取ったバトンをいかに後世によりよい形で引き継いでいけるかに文字どおり心血を注いでいます。かつて文化と芸術を岡山倉敷で育んできた大原家の担っていた大きすぎる役割を、時代が変わってこれからは「文化観光」をすることや、その延長として「まちに暮らす」ことで役割分担をしていけるようになれば、「生きた」文化と芸術がまちのなかにありつづけることができるのでは、と思います。
注釈
※1 大原美術館を中核とした倉敷美観地区の文化・観光推進拠点計画
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei…
※2 令和2年に施行された文化観光推進法による文化観光の定義は以下。「『文化観光』とは、有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(文化資源)の観覧、文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて文化についての理解を深めることを目的とする観光をいうものとする」
また、文化観光推進法がめざすところの内容は以下。「文化観光推進法は、文化の振興を、観光の振興と地域の活性化につなげ、これによる経済効果が文化の振興に再投資される好循環を創出することを目的とするものです」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko…
※3 「ユニークベニュー(Unique Venue:特別な場所)」とは、「博物館・美術館」「歴史的建造物」「神社仏閣」「城郭」「屋外空間(庭園・公園、商店街、公道等)」などで、会議・レセプションを開催することで特別感や地域特性を演出できる会場。(観光庁HPより)
関連する文化施設・体験のご案内
◎大原美術館
〒710-8575 岡山県倉敷市中央1-1-15
Tel 086-422-0005
◎ARKO(アルコ)(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)
https://project.ohara.or.jp/ARKO/
※アトリエは一般未公開
◎倉敷考古館
〒710-0046 岡山県倉敷市中央1-3-13
Tel 086-422-1542
http://www.kurashikikoukokan.com
◎倉敷民藝館
〒710−0046 岡山県倉敷市中央1-4-11
Tel 086-422-1637
https://kurashiki-mingeikan.com
◎語らい座 大原本邸
〒710-0046 岡山県倉敷市中央1-2-1
TEL 086‐434‐6277