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文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。
工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。
この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。
今回訪れた北海道白老町は、白老文化観光推進実行委員会の木野哲也さんに旅の行程をコーディネートしていただきながら、白老の駅前商店街から森の奥の廃校、文化観光を主軸とした芸術祭の舞台でもある海岸沿いまで魅力あふれるエリアをみてきました。
対話させていただいたのは、白老文化観光推進実行委員会のみなさま、白老町役場産業経済課課長の工藤智寿さん、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんです。今回は旅をしていくように白老に住むさまざまな方の声をお届けします。
取材日:2023年7月12日
「ウポポイしかないまち」ではなく、「ウポポイ『も』あるまち」に
酒井
お集まりのところ貴重なお時間を割いてくださり、お話を伺う機会をいただきありがとうございます。
2020年4月に公布された文化観光推進法(※1) を受けて、国として「文化観光」の取組みが行われるようになりました。主には文化庁や観光庁が各地域の行政や事業者を公募して予算を配分しています。
採択した事業にただ予算をつけてあとは地域に丸投げというのではなく、国としてもっとできることがあるのではないか、国の取組みが地域にもっと寄り添える方法があるのではないか、という動きがそこで生まれました。その一環として「文化観光」を実践するうえでどのような要素が地域に必要なのかを、きちんと言葉にしていく必要があるという発想から、文化庁に委託されて民間のリサーチチームが立ち上がりました。
「文化観光高付加価値化リサーチチーム」では、全国のさまざまな地域をリサーチしつつ、「文化観光」という国の取組みが始まる前からそうした活動をしてきているまちを訪れ、関わってきた人たちの声を直接聞いてきました。そこから大切にしたい5つの視点を導きだしての考察、その視点の元となった37名の方々のインタビューをまとめ、レポートとしてオンラインで掲載されています(※2)。僕もリサーチチームのメンバーの一人としてほぼすべての取材先に同行し、レポートの執筆をしました。このレポートは一般の方々も読むことができるようになっています。
今日はこの「文化観光」を切り口として、白老町でのみなさんの取組みについてお話を伺えたらと思います。
木野
この場に集まっているみなさんは、白老で文化観光を推し進めていこうと立ち上げられた「白老文化観光推進実行委員会」の方々です。今日はちょうど事務所を開いた日で、みなさん集まっておられます。偶然にも酒井さんがいらっしゃるタイミングでしたので、これからの白老での文化観光の思いの共有をできればとお繋ぎしました。白老のまちで文化観光は新しい産業になるかもしれない、そういう大きな期待を抱いています。
熊谷
2020年に白老には国立の施設「ウポポイ」(正式名称は「民族共生象徴空間」といい、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設を有する)ができました。町にとってこれは大きなことですが、白老が「ウポポイしかないまち」だと言われるのではなく、「ウポポイ『も』あるまち」にしていくにはどうすればいいのかを考えましてね。「町を楽しんでもらうにはロングランのイベントをするのがいい、それでは町のなかで長期的に継続していける文化観光の取組みをしていこう」というのが実行委員会の立ち上げのきっかけです。
この町にわれわれはずっと住んでいるので、特に何がある町というわけでもないとつい思ってしまうのですが、他の土地から来る人たちに言わせると本当にいろんなものがあるという。「海もあり山もあり滝もあり温泉もある、こんないい町はないよ」と言われましてね。われわれが気づかない、町に眠っている原石がいっぱいあるんだなと思いました。これを鋭い視点をお持ちの芸術家の方々に見つけて磨いてもらって、原石をダイヤモンドにしていければ、もっとすばらしい町になっていくんじゃないか、それが町の経済の発展にも繋がっていくのではないかと思うのです。
白老町は1985年に2万4千人いた人口が、現在では1万5千人を切っております。地元で商売をやっている者にとっては、人口が減ることはそのまま売上減に繋がってしまう。イベントを開催することで関係人口を増やして商売にも結びつけたい、正直に言えばそういう目論見もあります。
だから芸術という崇高で純粋な思いからだけではなくてね、白老に眠っている宝物をいかに磨いていけるだろうかと、どうすればそれがみんなの目に触れる形になって町の活性化に繋げていけるだろうかと、そんな思いで実行委員会を立ち上げ芸術祭を始めました。
酒井
原石を磨きあげてダイヤモンドにしていく。本当にその通りで、すばらしい言葉だと思いながらお聞きしました。外から来た人たちの視点で、まちのなかに「ここが光ってるよ」というところをみつけていくことができるわけですね。生まれ育った人たちにとっては当たり前の景色かもしれないけれど、「そこが好きなのだったら、こういう場所もあるよ」と広がっていく。そうして地元の人しか知らないようなところにも連れていってもらえるようになる。すると磨き上げられたダイヤモンドが結びあって、星座のようになってまち全体で輝きはじめます。そうなれば中心となる拠点、たとえば「ウポポイしかない」という発想ではなく、まちのなかの他に輝きをもつ場所へも自然と回遊していくようになります。
外から来た人たちははるばる遠くまで訪れてきているのですから、まちのなかでさまざまな場所を巡ることは苦ではないのです。たとえまちの外れであったり、地元民にとっては生活圏ではないようなところであっても、そこに光るものがあれば足を向けます。人が住まなくなった家は風が通らなくてどんどん朽ちていくじゃないですか。同じように、まちもいろんなところに風を通していく必要があるのです。家の木が風を吸って生き返っていくように、まちもまた、生きたものとして人の目に触れられ、足を運んでもらうことが大事です。まちに住む人たちにとっても、自分たちが当たり前に見ている景色を、外から来た人が美しいといってくれることで、まちへの誇りを高めていくのではないかと思います。
自分たちの手でおこなう、自分たちのまちづくり
神戸
白老は古くは漁村だったのですが、大昭和製紙の工場ができてからまったく別のまちづくりをしはじめた。そのときからまちづくりとはこうすれば楽にできるのか、という感覚が生じてしまい、いまだにその感覚に浸っている土地です。自分たちで苦労しなくても、周りがなんとなくどうにかしてくれると思っている。まちづくりは大事だけれど、誰が主導して根づかせるかという問題がある。この町では「誰かがやってくれる」という意識が拭えないんです。
木野
自分の町だけど、どこか他人事みたいなところがあるという感じですね。
熊谷
神戸先生が仰ったように、大昭和製紙ができてさ、旭化成ができてさ、この小さい町に上場一部の大きな会社が二つもできたわけだよ。そうすればわれわれが何も努力しなくたってどんどんどんどん人口は増えるわ、町は大きくなっていくわで、だからこっちは腕組んでみてりゃそれでいいという感覚は確かにありましたよね。今こうして旭化成がなくなり、大昭和製紙も日本製紙になって、このままじゃだめだよなという現実がちょうど意識されはじめたのが、今の白老だと思うんだわ。これから本当の、住民の手で主体的につくっていくまちづくりが始まっていくんだろうと思いました。
吉村
温泉もそうでね。温泉付き住宅というのをたくさん建てて、定年退職者が老後をそこで過ごすというリッチな発想でPRをしてきました。その人たちの子供たちがそのままそこに残っていたらいいんだけども、結局就職先が少ないから子供たちは町外へ出て行ってしまうんです。老夫婦だけが残って、白老町の中でも有数の高齢者地域になっています。片方が亡くなるともう住めないというので空き家になっている家もたくさんあります。
神戸
町長選があって町長が変わった。この10月には町議選があって、また別のメンバーが出てくる。役場の雰囲気は今年中に変わりそうな可能性があります。役場が行政の窓口として住民とどういう話し方をするか、どういう種を吸い上げようとするか、そういう変化があればね、町ってのは変わるんですよ。
酒井
僕は3年前に兵庫県豊岡市に引っ越してから、東京に暮らしていた頃には感じられなかった、議会や行政と自身の生活との密接な結びつきを実感するようになりました。でもそれもやはり外から来たから感じられることでもあって、まちに生まれ育っていたらなかなか意識しないのかもしれません。議会や行政と関係を持ち続けてきた人たちだけが繋がっていて、新しい声が入りづらい。まちのことは誰かに任せておけばいいという昔の発想のままで進んできているところがあるのはそういうことなのかと思うのです。
神戸さんがまさにその部分に変わる可能性を感じていらっしゃるのは、白老のまちにとってすごく大きなことなのではないかと思います。まちに限界を感じる誰かがいることが、まちが変わっていく端緒となっていく地域はたくさんあります。
神戸
ウポポイをきっかけに応援団をつくってね、いろんな業界に呼びかけをして白老を盛り上げようや、ということをやってきています。予算づけもしている。しかし問題は白老で暮らす私たちがこの状況を材料にしてどういう動き方をしていけるか。それはこれからだ。
酒井
ブレイクスルーして人が増える瞬間があって、「このまちで何かが起こっているらしい」と聞きつけて、人が人を呼ぶように情報の早い若い人たちがやってくる段階があります。そのときに若い人たち同士で固まってしまうのではなく、まちのひとたちと繋がることが大事だと思っています。古くからの喫茶店や居酒屋などで出会うことのできる、地元のじっちゃんばっちゃんとちゃんと交流が生まれて、また地元に帰ってきたよ、といえるような関係性が築かれること。それは若い人たちにとって大きな意味を持ちます。なぜなら今の若い世代は核家族の家庭で育っていることが多く、じっちゃんばっちゃんの世代との交流をあまり経験してきていないからです。心の拠り所になるような、世代を超えた関わり。利害関係もなく、ただ「よく来たね」と言ってくれる存在。旅行先や移住先でそんな出会いがあると、「ここが故郷だ」と思えるようになります。
文化は「くらし」そのもの。受け継いでいく「思い」との出会い
木野
ここも地域の高齢化率が高いのですが、せっかくだからそれを面白おかしく捉えてもいいかと思うのです。若い子を受け入れられるじっちゃんばっちゃんがいつでもいっぱいいる。やってきた若い子たちが白老のことを知りたいといったら、いくらでも喋れる人がたくさんいます。そんな接点を作ることができるのがきっと文化の力なんですよね。
熊谷
そうそう。文化っていうのはアートとかだけじゃない。精神的なものも文化なんですよね。白老は太平洋側に約25キロメートルの長い海岸線があって、森林は面積の8割を占めています。北の地域と南の地域では文化もまったく違う。新しい町長になってからタウンミーティングというのを設けて話を聞く場ができました。精神的な文化が表に出てきて、われわれのような委員会がどうやってその文化をアピールしていくか。外から来た人たちにも楽しんでもらって協力してもらう、そんな進め方をしていければと思っているのです。
酒井
文化は精神的なことだというのは本当にそうですね。思いを受け継いでいくものとして、文化はあるのだと思います。アートというと高尚な触れ難いもの、自分とは関わりのないものと思われてしまうことも多いかもしれません。しかし「文化」という言葉を置いたとき、その文化とは「生活の中でしていることそのもの」です。服を着ていること、まちを歩くこと、日々食べているもの、すべてが文化です。その広い「文化」というくくりの中で、なんでもありというのではなく、「思いを受け継いでいくもの」という枠組みをつくったときに価値が生じます。若い人が来たときにそうした思いを受け継いでいかないと、文化が分断されて、住んでいるまちへの誇りも見えづらくなってしまいます。このまちにある文化を話してくれる人たちがいて、それを聴きとる人たちがいるといった、このまちの文化を生かしていくための相互の作用をいかに起こしていけるかです。
「文化観光」を掲げたときにもただ観光コンテンツを体験してもらうのではなく、このまちで大切にしてきた文化を思いとして受け継いでくれる出会いがある、と考えられたら素敵ではないでしょうか。営まれてきた生活に出会い、そのなかで培われた文化が外から来た人たちに手渡される。そんな巡りが起こっていくといいと思っています。
外から来た人と、地域の資源であるヒト・モノ・コトとの相互作用
木野
白老文化観光推進実行委員会では毎年開催する芸術祭の名前を「ROOTS & ARTS SHIRAOI – 白老文化芸術共創」と掲げています。その「ROOTS」に込められている思いは、過去や歴史的資源のみならず、まさに現行の暮らしや生活文化そのものです。おばあちゃんの昔ばなしや思い出、タンスの奥底に眠っている古い写真。それらも大事な白老の資源です。「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」(※3) や「歩いて巡る屋外写真展 虎杖浜・アヨロ/社台」(※4) を開催してきたのは、そういう思いからです。
「ROOTS & ARTS SHIRAOI」に来られるアーティストとは、地域と向き合うスタンスの話を最初からしています。地域に寄り添ったプロジェクトをしていくことにはみんなほぼ賛同してくれます。アーティストが白老にレジデンスするのはせいぜい数週間から一ヶ月くらいですからね。地域のことを知った気になんかなれないし、語れないから。作品をつくるにあたっても、いっしょに風呂入って飯食って、そういう関係を築けるのが大事です。新しい人たちがどかどかとやってきて新しいことをやるのではなく、多様な有形無形の白老の資源を扱っていくことをしたいのです。
だから僕らは「地域資源×多様な第三者」をテーマに掲げています。いろんな人が地域の資源であるヒト・モノ・コトに出会っていくのがおもしろいのです。それらの地域の資源が、なにかの形として表現されたりプロジェクトになって形が与えられたとき、誰もが触れられるようになる。形ある作品でなくても、子どもたちと音楽や舞台を作ったっていい。おもしろい、楽しいと思ったものが自然と継承されていって、学校の総合学習に組み込まれていってもいいし、地元の「スーパーくまがい」の展示ブースのひとつになってもいい。いくらでも可能性があります。
広げていったら、あらゆる人が関われるのが文化です。子どももおじいちゃんおばあちゃんも障がいのある人もです。経済優先となるとお金の計算ばかりで、優劣や競争などいろんな亀裂が人々の心に生じてしまうけれど、文化という母船には誰もが乗り込める可能性と、誰でも受け容れる深い懐があります。時間はかかるけれど、固有で多様なこの町の文化が観光資源に発展していって、最終的に経済も付いて回っていけばもっといい。「この船には、いつでも誰でも乗っかっていいんだよ」というメッセージをどうやって広めていけるかがこれからかなと思います。
熊谷
写真展とか、それこそ眠ってたものがさ、燦々と輝いているんだからすごいよ。
木野
2021年から開催してきた屋外写真展は、町内の昭和30〜40年代の古い写真を集めてきて、白老町の東端にある社台と、西端にある虎杖浜・アヨロの屋外の倉庫やコンテナ、廃屋の壁面を活用し展示しています。海岸沿いの集落で働く人たちの日常の姿。かつては何気ない風景だったものが、今ではもう存在していない。けれど住んでいる地域のなかに大判の写真がずらっと展観されることで、土地の記憶がふたたびよみがえってきます。
当初決めていた展示期間が終わった後も、「写真たちをそのまま残したい」という声がたくさんのまちの人たちから挙がったことにはすごく驚き、とても嬉しい気持ちになりました。残すのなら、その意志も責任もメンテナンス技術もすべて地元に手渡していく必要を感じました。地区のゴミ拾いなんかといっしょにメンテナンスをしてもらえたらいい。写真の上からローラーで年に2回くらい継続的に保護塗料を塗っておけば維持できるもので、子供も高齢者でも誰もが加われる活動として育っていってほしい。
永久に残るものではないけれど、しばらくの年数は残しつづけることができます。作業を手伝ってくれた高校生たちが成人を過ぎてからまちに戻ってきて「これ俺たちがやったんだぜ」と言えたらいい。自分を主語にして伝えてほしい。まちにハレの場を出現させる思考だけじゃなく、そういう地道な積み重ねかなと思います。
熊谷
やってみることは大事でね。これからの課題としてはいかに町民を巻き込んでいくかですよね。
吉村
それはわれわれの仕事でもあるんだよね。知ってる人が知らない人にPRしていくことが大きな役目のひとつだ。
木野
僕ら実行委員会の現実の苦しい部分として、地元から協賛金を集めるような、地道な理解賛同へ向けた活動があります。メッセージを企業や住民に伝え届けるには、白老に長らく住んでおられる方々のお力も借りする必要もあるでしょう。人は性質として、自分の興味のあることにしかアンテナを向けないものですから、僕たちの文化観光活動に対しても勝手にやっているんだろうと思われてしまうことはどうしても生じます。
でも、そういった意見を持つまちの人と面と向かって話をしてみると、結果的に「いいことやってるじゃん」「応援するよ」と思ってくれることも、きっとこれから多々あるはずなのです。
熊谷
だけど社台や虎杖浜で写真展をやってみてさ、理解度はすごい増えたんじゃない?
木野
住民の方々はすごく喜んでくださいましたね。剥がす予定だった写真を残そうという方向が生まれて、地元高校生との協働作業に新聞記者が取材に来てくれたり、全国ニュースで報道されたり。
もう一つの写真展のエリアである社台には、白老住人でも知らない護岸の徒歩コースがあるんです。注目を浴びることでそこへ行ってみようと思うようになる。
まず町の人に知ってもらうことが嬉しいですよね。こんな気持ちのいい場所があったのか、って。でも外から来る観光客にはアクセスが厳しいから、じゃあ交通アクセスの向上をどうしたらいいかを考えはじめるとかね。そうやって企画や構想に繋がっていくと思うのです。
熊谷
それこそ社台と虎杖浜は、これひとつできっかけになって、接点ができたわけだよ。
木野
観光の観点でも、町の東西の端の集落でのプロジェクトが偶然と必然が合わさって実現できました。両サイドを押さえたら、あとは町の中を回遊するしかない。
白老の土地、土地に息づく文化を縦横無尽に巡り楽しめる観光ができる方法がないかと思い続けてきました。ウポポイだけじゃないぞ、この町はって。ウポポイ「も」あるまちですから。
工藤智寿さん(白老町産業経済課課長)に聞く
工藤
北海道という土地柄、アイヌの血を継ぐ方々もおり、各地から入植されてきた方々もおり、ともに暮らしております。とくに白老は、江戸時代にロシアの南下政策に対抗するために仙台藩から送られてきた方々が築いてきた歴史をもっています。
過去の資料を読んでいくと、当時白老に住まれていたアイヌの方々と仙台の方々はうまく共生していたようです。また本格的に開拓が始まって各地から多くの入植があってからも、地域の中でいい関係を築いていたようです。アイヌ、北方警備、仙台陣営それぞれの方々、昭和になってからは大昭和製紙の工場の方々、他の地域からの移住者とそれまで住んできた方々とのあいだで、共存のための工夫がさまざまにありました。
そうした歴史を経てきていますから、今でも来られる方々には手を広げてウェルカムなところが白老町にはあるのではないかと思います。なかなか本題に入れていませんが……
酒井
もうこれ自体が本題に入っていると思います。ぜひ続けてください。
工藤
国立のウポポイという施設も作られ、多文化共生といわれるようにもなりました。もともと白老にはそうした土壌があったのではないでしょうか。
文化ひとつをとってみても、アイヌの方々の生活様式、取り扱うもの、考え方、自然を大切にすることであったり、さまざまにあります。
これからもいろんな方々に外から来てもらって、白老のなかで取組みをしたいとおっしゃるときには、「もしうちのまちで使えるものがあったら、ぜひ使ってください」と伝えます。私個人ではなく、町民のみなさんもそう思っておられるでしょうから。
東京圏ではウポポイのコマーシャルが流れていて、認知もされてきているようです。ただウポポイが観光の誘致に成功していても、それがそのまま白老町という町への観光の誘致とイコールにはなっていないところがあります。
白老町としては、来てくださった方々がまちのなかでどのように広がっていくかが大事なことです。町としてPRがうまくないとよく言われますので、知ってもらえるようにもっと頑張りたいです。どんなちょっとしたことでも「来てよかったな」と思ってもらえたら、僕らの仕事は花マルなのです。
数字ばかりいうのもおかしいですが、2022年度は220万人の方々が町に来てくださって、ありがたいお話です。白老には観光産業で生計を立てている方もおられますし、お役所的に言うと経済波及効果が大事だというのも、仕事ですからやはり考えます。
観光に行こうというアクションを起こす動機って、人それぞれにたくさんあると思います。どうしてもこの海産物が食べたい人もいれば、スポーツ、歴史、文化、アートに興味がある人もいます。
文化だけにとらわれず、人が行動を起こす時の動機として選んでいただけるような町であったらいいなと思います。それこそ通り一辺倒な観光だけでなく、地域の方となにかをしてみたいというのもひとつですよね。繋がりができてリピートしたいとなって来られる方もいるでしょうから。
酒井
来訪したときのことが心に残ってまた次に繋がっていくんですよね。心に残るというのは、外から来た人にとってはほんのちょっとしたことなのかもしれません。喫茶店に入ったら常連さんが話しかけてくれて、そのうち店のママやマスターも加わって三人で話したときの会話だとか、妙になにげないことが心に残る。
ひらかれた場所があって、まちの人たちがふらっと話しかけてくれる。誰にとってもべつに負担になるわけではない。それが観光の入り口としてすごく魅力的なエピソードになります。心に残るちょっとしたことが、町の全体の印象として残っていくんです。「なんかよかったな、また行きたいな」と。
ただ観光施設を訪れるのもいいけれど、そこだけを目的にして来るのでは多くの場合は一度かぎりの来訪で終わってしまうから、継続的ではないのですよね。町の人たちが関わる余白があって、外の人たちが「町の人と出会った」という経験ができるかどうかが大事なことではないかと思います。
工藤
本当ですね。たくさんの会話でなくても、たまたま出会った人と何気ない会話を交わしたことを覚えていたりしますものね。自分が町の外に出て行った時のことを思い返してもそうですね。旅先のタクシーの運転手さんがすごくいい人で、町のいろんなことを話してくれたり。おもしろくて僕もたくさん聞いてしまって。
それが旅の記憶としてよかったなあと印象に残りました。そういうことがもっともっとできるようになるといいですよね。
酒井
さきほどスーパーくまがいに行ってきたのですが、鮮魚コーナーがすごくてびっくりしました。白老町内で漁獲された魚たち、それもめずらしいものから高級魚まで今日水揚げされた新鮮な魚たちが、あんなに安価な値段で売られている。
この魚を目当てに、自分で買って調理して食べるためにまた白老に来たい、と思えるほどのものでした。
工藤
はい。実際にいるんですよ、そういう人。隣町の苫小牧の職員さんもわざわざ買いに来られたりしますし、札幌のとある企業の社長さんも「あそこに行ったら発泡スチロールで何箱も買っていくんだ」といわれるのを聞いたことがあります。
酒井
まさかそんなところに?という思わぬ場所にニーズがあったりするんです。
工藤
おっしゃる通りで、地元にいてわれわれだけでは気づかないこともたくさんあるのですよね。地域おこし協力隊で白老町に来てくれた方々も、われわれでは思いつかなかった発想をして、さまざまな形で地域おこしに取り組んでくれています。
2019年にオープンした「haku hostel & cafe+bar」を経営されている菊地さんは牧場で馬を飼い、クラフトビールづくりもはじめようとされています。
林さんが経営する「しらおいグランマ」という食堂は、地域のおばあちゃんおじいちゃんたちが採ってきた山菜で料理をつくって出してくれるところです。野草茶や蜂蜜を作ったりもしています。すごい人たちがいっぱいいます。
空き家を「またたび文庫」という本屋さんにした羽地さんも、駅周辺の空き物件で拠点づくりをしている安田くんも、みんなおもしろい人たちばかりです。
酒井
今回は「ROOTS & ARTS SHIRAOI」の取材もさせていただいています。こうした取組みは町の人たちに浸透していくのに時間がかかるものだと思うのですが、いかがでしょうか。
それというのも「芸術」や「アート」という言葉は、一般的には高尚なものと思われてしまいがちだからです。しかし日常の生活とも結びついている「文化」にフォーカスを当てるとおもしろくなっていきます。「ROOTS & ARTS SHIRAOI」ではかなり「文化」を大事なものとして扱っているように見受けられます。
工藤
町中に古い写真を展示するプロジェクトでは、われわれ以上に町民のみなさんが喜んでいる声をあちらこちらから聞きました。
とはいえ、おっしゃる通り何ごともすべて一度に受け入れられるわけではなくて、徐々に浸透していくものだという気がします。花火を打ち上げてそれで終わってしまうのではなく、すこしずつ浸透していくのがむしろいいのだろう、と。町民にとっても本当にいいねと思えるようになって、町の財産になっていくのです。
外から人を呼び込むにも「こんなことやっている白老おもしろそう、ちょっと寄ってみようか」というノリでもいいと思うのです。
「ROOTS & ARTS SHIRAOI」に関わる一部の方々は、これまでも「飛生アートコミュニティー」という名前で、白老の山間地域である飛生で活動をしてこられていました。われわれもやれることをお手伝いしていけたらと何度かお話をしてきました。たとえば虎杖浜地区のアヨロ浜灯台をつかった光のアートを実現させるために、こういうところに相談に行ったらいいのではとざっくばらんなトークをしながら進めました。
酒井
役場との忌憚のないトークは民間からするとめちゃくちゃありがたいんですよ。町が管理している施設や、その使用申請は役場の方々の力なくしては進めていくことができないですから。
工藤
うちの役場はそんなに敷居高くないですよ!(笑)「どうすんのさあ」って言われて、「いやあちょっと待って!いまなんとか考えててできる方法あるかもしんないから!」と。
もちろんわれわれだけでは判断がつかないこともありますけれど、お気軽に相談していただければと思っています。せっかくいいことをやろうとしているのだから、われわれにできることはなんでもさせていただきます、という思いです。お互いに手を結べるような関係性を構築していきたいですね。
酒井
いろんな地域でお話を伺ってきても、町の行政の職員にそうした調整をするために人知れず動いてくださる方がいて、その職員と民間とでタッグを組むことがまちを大きく、また継続的に動かしていっていることを感じます。
行政ですから数年ごとに部署異動がありますが、工藤さんクラスの課長職ともなるとわりと長く同じ部署におられることも多いでしょう。そこで「彼らがやっていることであればわるいようにはならないから」と課長のゴーサインがひとつ出ると、それだけでもう多くのことが前に進んでいきますから。
工藤
「ROOTS & ARTS SHIRAOI」のみなさんに向けてだけでなく、うちの役場では過去にもいろんな取組みへのサポートを長くずっとやってきています。異動があって担当が変わっても、どんな方たちが来ても、一生懸命に取り組んでいるつもりです。
できることできないことはありますが、まずは相談に乗って「やれることはなんとか一緒にやりましょう」と言っています。白老にはそうした風土があるのではないかと感じます。
町民のみなさんの動きもとくにここ数年は活発で、その活動も町に浸透していっています。町としてはありがたいの一言に尽きます。みずからの企画でみずからが動いてくださるのですから。こういうことできないでしょうか、と聞かれたらぜひぜひやってくださいと伝えます。応援したいし、できることはお手伝いしたいです。
多くの方々が行き来して交流できるような環境になっていけば、持続するまちづくりになっていくのではないかと思っています。
「その2」では、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんにお話をお伺いします。
註記
※1 正式名称は「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/93806801.html
※2 文化庁文化観光高付加価値化リサーチレポート(PDFリンク 90MB)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/93705701_01.pdf
※3「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」
https://uymam.localinfo.jp/posts/9125543/
※4 「歩いて巡る屋外写真展 虎杖浜・アヨロ/社台」
https://uymam.localinfo.jp/posts/37589849?categoryIds=1239188