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まなびのまなび 第5回

教えない、導かない、信頼する

子どもの新しい可能性をひらくNPO法人アートフル・アクションの場づくり

ここでは、子どものまなびにまつわる実践や場づくりをされている人たちと、彼らのアイデアや方向性に焦点を当てます。子どもたちが生き生きと学び、伝統工芸の面白さや美しさ、重要性が伝わるにはどうしたらよいのか? コンサバター(修復師)である筆者が、自身の分野を伝える際にもつ共通の課題を通して、“聞いてみたい” から得た視点を共有していきます。

伸子で呉汁下地をしているところ ©NPO法人アートフル・アクション

多摩地域を中心に、アートを通して新しい可能性や豊かな生き方に気づいていくきっかけや場づくりを目指すNPO法人アートフル・アクション。4つのプロジェクトからなる「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」の取り組みを、「東京アートポイント計画」の一環として、アーツカウンシル東京との共催で実施しています。

今回取材したのは、その中のひとつである「ざいしらべ」。基盤となっているのは、技術や素材に触れ、リアリティを持って世界を知っていくことの大切さです。現代社会で利便性が増していく中、どんどん減ってきているのは、自然やものに対する知覚や身体感覚のある経験。追い打ちをかけるようにコロナの影響により、リアルな経験の機会は更に減少しました。

宮下美穂 みやした みほ  NPO法人アートフル・アクション理事
美術大学でデザイン、農業大学で造園を学び、環境系シンクタンク、NPOで働く。その後ランドスケープデザイナーとして独立。並行して2009年にNPOアートフル・アクションの立ち上げ、運営に携わる。東京都小金井市、東京都、アーツカウンシル東京などと共催しつつ、市民の皆さんとアート、文化をきっかけにしながらさまざまな活動を展開。山間に拠点を移し、東京と往復。その中で見えてくる人と土地の関係について考え中。

道具を通して素材そのものと向き合う

ざいしらべは、主に多摩地域の小学校の図工の授業を通して、先生と一緒に授業を企画、実施するプロジェクトです。出会いにくくなっている素朴で豊かな技術や素材に触れる。その時に材と自分との接点となるのが“道具”です。

「物としての道具の面白さもあるけれど、それを介して素材とその背景にある自然に出会うことができるといいと思っています。よいノコギリは、樹木とのよい出会い方をさせてくれる。それは、チェーンソーでバッサリ切るのとは違う出会い方。そこで切るために費やされる時間があって、費やされた時間によって、関係性も変わってくる。身体の使い方が悪ければうまくいかなかったり、様々なレスポンスが行為から生まれる。そういう意味で、道具はとても大事だと思っています」   

広葉樹を素材にした造形の様子 ©NPO法人アートフル・アクション
広葉樹を主題とした造形の後、校庭を大きく使って描いてみる©NPO法人アートフル・アクション

そんな宮下さんの本業は、庭師。造園家として山の仕事もしているそうです。身体性を持った自然やものとの関わり方はますます必要になっていますが、一方そのような経験は、けがをするリスクがつきものです。危険性のあるものは直ちに回避されてしまう現在、アートフル・アクションでは、積極的に刃物も使います。けれど、今までにひとりも大怪我はなく、クレームも一度もないそうです。

「怪我をするような事故を起こさないために、入念に準備をしています。それは、監視を強化するわけでも、禁止事項でがんじがらめにするわけでもありません。自然な状態の中で怪我をしないように、なぜ怪我するようなことが起こるのか、なぜ転落をするのかなど理由を考えます。例えばすごく狭かったり、何かの理由でその日落ち着かない子どもがいたり、様々な要因で怪我をするわけですが、そういった要因に対して、ケアをしたり取り除いていくことで怪我を未然に防ぎます。なので、監視する大人を増やすというよりは、怪我をしない状況をつくることの方が大事です」

「面白いと思ったのは、例えば割った竹は結構ささくれているのですが、小刀を渡して『面取りしてください』と言うと、好きな子は授業の90分間ずっと1人で面取りしているんですよ。普段やんちゃな子が、4メートルに割いた竹を1人で地面に座って面取りしていて、時々触って確認しているんですね。私は、それはそれでいいと思っているので、もう放置。でも、その子は多分怪我はしないだろうし、たとえ怪我しても大きな怪我にはならないんです。私たちにはいろいろな子どもが視界に入っていますが、その子の性格や、その子と周りの子の関係性も含めて見ています。それは、初めて出会った子どもでも同じです」 

面取りの様子 ©NPO法人アートフル・アクション

「面白い」や「やってみたい」を大事にする

「竹の面取りに夢中になった子は多分、小刀を媒介にして素材と対話しているんですよね。ならばそうやって時間を過ごしていたらいい。形になることはゴールではないのです。最初は人真似でもいいし、大人の真似でもいいのですが、何かのきっかけで、どうもこれが面白いらしいとか、やってみたいということを見出した子は、それをやればいいと思うのです。その状態を目指しているわけではなく、促すわけでもなくて、止めもしません。その子どもから発現することを大切にします」  

面白さや、やってみたい!を発見した子どもは、自分から素材に向き合っていきます。しかしそこで、自分の好奇心が発動しない子ももちろんいます。「友達が作った竹のドームの中で寝る子も出てくる。でもそれはそれで、また違う世界を見ている」という宮下さんは、達成することに主眼を置きがちな学校での学習目標に対してこう提案します。

「学校の先生が “集団で竹のドームを作る” というような学習目標を立てると、そこから逆算しての評価になっていく。だけど、素材と出会うという学習の目標を立てれば、竹のドームの中の藁の上で寝ていてもいい。そこはすごく大事で。先生たちは、仕事として評価しなければいけないけれども、なにを軸に評価をするのか、その評価のあり方自体をもっと広げられたらいいのではないでしょうか」

「図工の時間でも、手を動かして触れて、素材そのものと向き合っていくことで、自分が素材や道具、それらとの出会いから生かされているし、自分が生かしているというようなことを経験していく。それを通して、その子がその子として生きていけるということがもし起こりうるとしたら、造形の可能性はそういうところだと思っています。大事なのは作品をつくること自体でも、完成させることでもない。今のあなたそのままで生まれてくるものを待つよ、ということでいい」

図工の先生方とのワークショップ ©NPO法人アートフル・アクション

子どもはゼロではない。子どもが選び取るまで待つということ

アートフル・アクションでは、小学校で1週間に90分ある授業を、複数回でひとつのプログラムを企画しています。あるときは小学校3年生の授業のために、腰機(こしばた)のフレームをつくり、織物の授業を行ったこともあるそうです。

「びわと玉ねぎと藍で、毛糸を染めるところからやりました。腰機のフレームも100個作ったんですよ。自分の腰に巻いて机の脚に縛り、縦糸10本で。はじめのうちは3年生には絶対無理と言っていた方もいましたが、そんなことない、やればできると。やってみたら、面白かったですよ」

腰機の様子 ©NPO法人アートフル・アクション

機織りは、単純作業の繰り返し。しかし、宮下さんはそこにクリエイティブな要素を見ています。


「同じことを繰り返すことにある思想性みたいなものはすごく大事。一瞬にしてなにかができるというのではなくて、飽きてしまうような単純なことを繰り返しやるということが、すごくクリエイティブだと思う。淡々と同じことを繰り返すということの中で、発見するもの、気づきがあって、それと呼応して身体がどんどん変化していくにつれて、認識も変わっていく。それを小学3年生が3年生なりの経験の中でやるというのは、とても面白いと思います」 

作業によって身体の使い方が変化していき、それに伴って世界の認識も変わる。それは単に教えられたことではなくて、それぞれに素材と自分の身体性が関わって引き出された学びです。

宮下さんは、子どもは教えないといけないような無の存在ではないといいます。子どもはむしろ全体=Wholeで、大人が大人の価値観で子どもにそれを押し付けることによって、その子どもが持っている全体性が、痩せてしまっていることを危惧しています。

「子どもってできないことは何もないと思うんです。けれど、あれは危ない、これは時間がないからダメ、あるいはやったことがないからと、どんどん可能性を小さくしていってしまって、子どもの持っている全体性のようなものは、痩せてしまう。でも本当は、人間として生まれてきたその時点で全てを持っていると思うので、それを大事にしてあげた方がいい。つまり、ずっと待って、いじらない方がいいと思うんです。だから、子どもには与えるというよりも、子どもが選び取るまで待つ」

広葉樹を主題とした造形の後、描いてみた ©NPO法人アートフル・アクション

ひたすら問いかける

子どもの好奇心が動き出し、自分で選択するまで待つということ。その時に、まわりの大人はなにが出来るのでしょうか。

「プロセスも、教えないこともあるんです。例えば竹を置いて、これどうやったら割れると思う?とか。むしろその方が、大人が思いつかなかったようなアイデアが出てきたりするんですね。正解は1つじゃないから。上手く割れないかもしれないけど、その上手く割れないことは他のことに使えるかもしれない。だから、1対1でひたすら問いかける。いきなり伝統工芸の職人みたいな答えは出てこないけれど、かなり物事の本質に近いことを言う子も出てくる。でもそれは、その子の本来持っているものが、何かのきっかけで発現しているのだろうと思っていて、大人が教えたこととは違うんです」

ざいしらべプロジェクトの根底には、人間はやって見る前にできないと決めつけてしまうことはない。教えられたことではなく、生み出されること、それを探究したい、つまり 「人とは何か」 ということを考えたい、という思いがあります。

「自然素材に触れればそれだけでいいと思っているわけでも、それがミッションというわけでもなく、素材に触れることを通して人間の可能性をできるだけ大切にして、小さなところに閉じ込めてしまわずにいることが大切だと思ったんです」

そう言う宮下さんは、機織りでできた子どもたちの創作物の写真を見せてくれました。生徒はみんな同じ機を使って同様の作業をしていますが、写真に写るそれぞれにでき上がった布の様相は、とても個性的。それは一人ひとりのからだと動きの結果です。

単純作業の繰り返しのなかにもクリエイティビティがある一方、逆に、芸術家を講師として招いたプロジェクトで、あまり上手くいかなかった経験もあるそうです。それは、作家としての個人の世界観が強く出てきてしまったからなのだそう。学びの場には一筋縄ではいかない難しさがあります。

様々な織り ©NPO法人アートフル・アクション

今まで企画されてきた中でも、特に印象に残っているプロジェクトを伺いました。

「面白かったのは、マタギのおじさんに来てもらったこと。生き物を殺すということは、どういうことなのかということを経験してきている人がいたら良いと思って。小学校6年生の教科書に宮沢賢治の『やまなし』が載っていることから、宮沢賢治の書いたものを主題にしてみたいと思いました。そこで『なめとこ山の熊』で授業をしてみたいと思ったんですね。そうしたら、知人を通して秋田からその方が来てくださって。猟をする時のジャケットや、獣をさばいた刃物、そして熊の手や心臓などを持ってきてくれました。最後には、彼に『なめとこ山の熊』を秋田弁で朗読してもらいました。それをテーマにして、写し絵で作品を作りました。
自分が体験し得ないことをどのように想像するのか、どのように自分のこととして考えることができるのかという意味では、そこにマタギのおじさんがいることや、宮沢賢治がいることで、子どもたちにとって生き物を殺めることも身近なものになると思うんです」

思考停止に陥らない

「子どもにどのように生きて欲しいと願うかということは、今私たちがどう生きているのかということと、同じようなことですよね。私たちの社会はどういうものであって、人間はどのように生きていったら良いかということが、社会において全く考えられていないというか。人間に対する理解のなさや浅さのようなものが全部、子どもが育つ場にも、教育にも流れ込んでいる。社会全体がそういった点で、とても脆弱な気がします」


「具体的な素材とか技術の問題、あるいは道具の問題というよりは、探究の入口のところで思考が止まっているということが、教育現場での1番の問題かと思います。

例えば、私は子どもの頃、万力が図工室の机に噛ませてありました。でも、今まで行った学校ではほとんど、万力は取り外してしまっているんですね。どうしてないのかと聞いたら、誰かが友達の指を挟んで回した事があったと。万力は危ないから外してしまう、現場の判断としてはそうなるかもしれません。ただ、それではあまりにも短絡的で勇気がなさすぎると思う。何かかなり手前の段階で思考停止に陥っていますよね。
なぜその子は指を挟んでみたいと思ったのかということを、恐れずに考えた方がいいと思うのです。戦争の話もそうですけど、人間はここまでのことをやる生き物だということはしっかり考えた方がいい。自分は殺さないかもしれない。でも、ひどいことをなしうるのが人間であるというようなことも、考えないといけないと思うんです。ではどうしたらいいのかということも。答えはひとつではないですよね」

植物から抽出した絵の具で子どもが描いた絵 ©NPO法人アートフル・アクション

探究し考える過程で、失敗や思い通りにならないことは多くあります。ざいしらべのサイトには、プロジェクトの紹介ページがあり、それぞれの企画の報告に加えて、失敗もふくめ過程の記録があります。それらは、他の先生方やワークショップをする人が再現する際の参考となります。

「先生たちにとって、再現性があることや、私たちがいなくてもできるということがすごく大事。でも、例えば染めにしても、植物は日によって出る色が全く変わるので、思った通りにならない。思った通りにならないことも楽しめたり、うまくいかなかったからといってビビらないでくださいみたいなことは、大事だと思うんですよ。書いてある通りにならないと、今の人はしょげてしまうので。
思考停止に陥らないことや、そこから次へすすむ柔軟性が必要だと思います。目的に向かいまっすぐ走って、それを達成することがゴールではないですよね」

結果として形になることが着地点ではない――

その過程で可能性がひらいたり、豊かさに気づいたりすることが、子どもや大人、関わる人自身の中で起こることを大事にする。素材や技術との出会いも、そんな個人的に “目を見張ること“ があってこそ、その人が“ざい“と出会ったことになるのだと感じました。

取材協力

NPO法人 アートフルアクション

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