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伝えたい人のために 伝わる言葉のために 第1回

言葉の「インフラ」づくり

輪島塗の翻訳語、海外ニュースで見てみたら?

日本語でも難しい工芸の用語。これを海外の言葉で正確に伝えるのはとても大変です。さらに、英文には正しい表記や特殊語の扱い方にルールがあります。ザ・クリエイション・オブ・ジャパン(CoJ)は、「伝えるため」の言葉のみちづくりとして「工芸英訳ガイドライン」プロジェクトに取り組んできました。ここでは、なぜなぜこの活動が必要なのか、具体的に何をやっているのか、今後の展開は?など、この事業に興味のある方はもちろん、海外での展開を考えている文化関係のかたや、「翻訳」に興味のある方に、楽しく読んでいただければと思います。

「輪島塗」を英語で表わすと?

先月、日本の岸田首相が訪米した際、今年の能登半島地震からの復興を目指す輪島塗のコーヒーカップとボールペンを、バイデン大統領夫妻に贈呈したというニュースがありました。

このニュースは日本語のみならず英語でも多く報道されましたが、この連載でお伝えする「工芸英訳ガイドライン」に関わる者としては気になります。何が気になるのかというと、「“輪島塗が英語にどう翻訳されていたか」です。

そこで、少し調べて見ました。結果は以下の通りでした。(※「英訳語」を知りたいので、日本を拠点とするメディアの英語版から抽出。太字が英訳語、リンク先が出典)

・Wajima-nuri lacquerware
https://www.asahi.com/ajw/articles/15225828
https://www.japantimes.co.jp/news/2024/04/11/japan/kishida-present-to-biden/
https://japannews.yomiuri.co.jp/politics/politics-government/20240410-179734/

・Wajima lacquerware
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20240410_33/

・”Wajima-nuri” lacquerware
https://sp.m.jiji.com/english/show/32317

・Wajima-Nuri
https://japan.kantei.go.jp/101_kishida/diplomatic/202404/09dinner.html

ざっと調べた範囲では、“Wajima-nuri lacquerware”という英訳が多く見受けられます。「輪島塗」をそのままローマ字で表記した上で、「漆器」という意味の“lacquerware”をつけるという形ですね。

“nuri“という語がなくて“Wajima lacquerware”という訳語を用いている記事もありましたし、ローマ字表記のみの“Wajima-Nuri”(この場合の”Nuri”の”N”は大文字)もありました。

「輪島塗」という同じものを指しているのに、どうして訳語が何種類もあるのでしょう?
いずれも「正解」としてもよいものでしょうか? 
そして何より、これらの訳語は「輪島塗」を正確に伝えられているのでしょうか?

伝統工芸品を英語で伝える難しさ

輪島塗のような伝統的な工芸品は全国各地にあり、訪日観光客にも人気です。工芸にまつわる施設のPRや、商品名やその説明のために英訳が必要な場面も多くなっていますが、それが担当者にとっては大変な作業となります。

担当者の目線で想像してみてください。ある言葉をインターネットで検索すると、英訳語がいくつも出てきます。同じ工芸品なのに、博物館、美術館、また自治体によって異なる訳語が使われていてバラバラです。どれもがそれらしく見えたり、そうでないようにも見えたり。そこには基準も決まりもありません。誰かに何かを訊ねた時に、相手によって違う答えが返ってくるようなものです。それだけでも、工芸の英訳がいかに難しいことかが分かります。

以前、大阪メトロの英語サイトで、堺筋線を“Sakai Muscle Line”(堺筋肉線)と表記されて話題になりました(注1)。それ以来、自動翻訳の結果を確認せずにそのまま使用するということは少なくなっているかと思われます。しかし上記のように何種類もの訳語が生まれることはよくあります。

伝わらなければ意味がない !

では、「輪島塗」はどう表記すればよいのでしょう?
意味が正しく伝わっているならば、どんな表記であっても問題ないと言えるでしょうが、ザ・クリエイション・オブ・ジャパン(以下CoJ)の「工芸英訳ガイドライン」プロジェクトの調査によると、中には「意味を伝えられていない」表記もあるのです。

今回のニュースで見られた4種類の表記に加え、さまざまな図録、書籍、Webサイトを調査すると、ほかにも以下のような英訳事例がありました。

◎Wajima lacquerware
◎Wajima lacquer ware 
※ただし、Merriam-Websterなど”lacquerware”を収録している辞書あり
◎Wajima lacquer

Wajima urushi lacquer ware(①) → ◎ Wajima urushi lacquer ware(③)
Wajima nuri (Wajima lacquerware) → ◎ Wajima nuri (Wajima lacquerware)(①’, ③)
Wajima-nuri lacquerware(①, ⑤)
“Wajima-nuri” lacquerware(①, ⑤, ⑥)
wajimanuri (②, ④)
Wajima-Nuri(②, ⑤)
Wajima-nuri (②, ⑤)

◎がついているものは、英語を母国語とするプロの翻訳家を含む、さまざまな専門家との議論や調査を重ねた結果、CoJが推奨したい表現です。推奨マークがなかったものについては、英語読者に「通じるか」という点で、以下の指摘がありました。

①“urushi lacquer” (音のローマ字表記+英語訳)のような「意味の重複」は避けた方が良い
※urushiをイタリックにしたり、後ろに補足説明として()に英訳を入れる場合は別
→①’のWajima nuri (Wajima lacquerware) はOK

②日本語の音訳としてローマ字表記するだけではまず伝わらない

③音訳を使いたい場合、固有名詞以外は日本語であることを示すイタリック表記にする

④Wajimaのような固有名詞は語頭を小文字にするのは間違い

⑤ハイフンは多用しないほうがよい(世界的にハイフンを使わない動きあり)

⑥クォーテーションマーク(“ ”)も多用しないほうがよい

結論:「〜塗」「~漆器」英訳する場合、“nuri”“shikkiは不要。
~lacquerware~lacquer wareという表記は英語圏で伝わるため、販売・観光に関わる人には推奨。

①解説
urushilacquerを同時に使うと意味の重複になります。一方で例外として、東大寺をTodaiji Temple、 淀川をYodogawa Riverとした表記を目にすることがあります。deratemplegawariverで意味が重複しますが、著名な寺社仏閣や、川や山の名称ですでに定着したものでは、このように表記する場合があります。
しかし工芸品の名称では、意味の重複は避けるのが原則です。

②解説
Wajima-nuriのようなローマ字表記は、調べてもよく分からなかった場合などに、苦肉の策として使ってしまいがちです。けれどもよく考えると、固有名詞であるWajimaはそのままだとしても、nuriが何のことを言っているのかが一般的な英語話者にわかるでしょうか。対象者を戸惑わせる語は、使わないように心がけたいものです。

③解説
イタリック表記というのは、英語話者にとって意外に重要なキーポイントだそうです。英語ではない言語を指しているんだな、とわかるため、深く考えなくてすむのです。つまり、読み手を疲れさせないということになります。

④の指摘は単純な表記間違いですが、こうしたうっかりミスはどうしても多くなってしまうので、気をつける必要があります。

⑤、⑥は編集方針や文脈によるそうです。

それぞれの工芸品に対する訳語のありかたについてや海外の評価がわかります

日本の工芸を発信するために

最近は日本文化の注目度が高まり、海外での認知度も上がっているため、日本語を音訳しただけのローマ字表記で通じる語もあるでしょう。先日も「金継ぎ」(注2)がイギリスのオックスフォード英語辞典にkintsugiとして追加されたというニュースがありました。そうした稀な例外もありますが、ほとんどのものは一旦「これで伝わるかどうか」と考えることが必要だと思います。


冒頭の輪島塗のニュースで、たとえばWajima-Nuriと表記してあるだけでは読み飛ばされてしまう可能性もあります。でもWajima lacquerwareと書いてあれば、少なくとも「漆器である」ということは伝わります。それが何であるかがわかれば「輪島を応援するために、自分も買おう」と思う読者がいるかもしれません。

せっかくよいものであっても、それを伝える言葉がなければ、正しく伝わらなければ、もったいない!
世界には簡単に翻訳できない言葉が、思いのほかたくさんあるのです。

私たちCoJは、「伝わる」言葉をインフラとして整備するべく活動しています。
次回からはその活動内容をより具体的にお伝えしたいと思います。
「工芸英訳ガイドライン」に少しでも興味をお持ちくださった方は、ぜひこちらをご覧ください。

「工芸英訳ガイドライン」ショート動画

ザ・クリエイション・オブ・ジャパン
「工芸英訳ガイドライン」紹介サイト
https://thecreationofjapan.or.jp/project/translation


注1:大阪メトロの英語版公式サイトで、マイクロソフトの自動翻訳機能を利用した結果、路線名の「堺筋線」がSakai Muscle Line、駅名の「天下茶屋」はWorld Tea House、「太子橋」がPrince Bridgeなどと表示された。(2019年)

注2:割れたり欠けたりした陶磁器を漆で接着し、継ぎ目に金や銀、白金などの粉を蒔いて飾る、日本独自の修理法。修理後の継ぎ目を「景色」と称し、破損前と異なる趣を楽しむ。現代では漆の代わりに合成接着剤を使うこともある。(小学館「デジタル大辞泉」より)