watojiオリジナルWatoji Original

伝えたい人のために 伝わる言葉のために 第2回

どんどん量産される、英訳語問題

AIに任せない! 伝わる英訳のために

日本語でも難しい工芸の用語。これを海外の言葉で正確に伝えるのはとても大変です。さらに、英文には正しい表記や特殊語の扱い方にルールがあります。ザ・クリエイション・オブ・ジャパン(CoJ)は、「伝えるため」の言葉のみちづくりとして「工芸英訳ガイドライン」プロジェクトに取り組んできました。ここでは、なぜなぜこの活動が必要なのか、具体的に何をやっているのか、今後の展開は?など、この事業に興味のある方はもちろん、海外での展開を考えている文化関係のかたや、「翻訳」に興味のある方に、楽しく読んでいただければと思います。

AI翻訳の落とし穴

先日、読売新聞オンラインにて、以下のような記事が掲載されていました。

忍者体験で「調子に乗るな」?…AI翻訳が頼りの京都の外国語案内表示、1割強でミス発覚
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240515-OYT1T50136/

訪日外国人観光客がさらに増え続けている京都。京都市観光協会が市内の宿泊施設や飲食店など50施設の外国語による案内表示3,600ヶ所を調べました。その1割強にあたる約500ヶ所で、言葉の間違いが見つかったそうです。
その中では、AI翻訳(自動翻訳)を利用したものが目立ったとのこと。挙げられていた例の一つが、記事の見出しになった「調子に乗るな」です。
これは、VR(仮想現実)を利用した忍者体験のアトラクションでの注意書きで、「暴れないで」と伝えたく「Don’t act up」と記されていました。しかしこれは、「調子に乗るな」に近いニュアンスです。
たしかに「暴れる」を日英辞典で引けば、“act up”は出てきます。でもこれの単純な否定形が「暴れないで」という意味にはならないということは、ネイティブスピーカーあるいは、翻訳の専門家でなければ判断ができないでしょう。

私的に利用するにはとても便利な自動翻訳ですが、このような施設での注意書きは、利用者に「正確に伝えること」が何より重要です。正確に伝わらないと注意書きが守られず、利用者はもちろん、その施設にも何らかの不利益があるかもしれません。
AIで調べて訳した言葉が、伝えたい意図を伝えたい相手に「正確に伝わっているか」の確認を、生身の人にしないまま使ってしまうには、自動翻訳の精度はまだ高くないと考えたほうがよさそうです。

京都市観光協会はこの調査結果を踏まえて、今年4月に「外国語表記ガイドライン」を発表しました。

※監修者のザッカリー・カプランさんは、私たちの活動も強力にサポートしてくださっています。

以下から、その内容や関連する動画を見ることができます。
利用者にわかりやすく、伝わりやすい実用的な英語表示やピクトグラムが提案されています。

「外国語表記ガイドライン」(京都市観光協会HPより)

https://www.kyokanko.or.jp/wp/wp-content/uploads/Kyoto-City-Tourism-Translation-Guideline.pdf

https://www.kyokanko.or.jp/news/20240329_4/

こちらは「観光」という場に焦点が当てられていますが、同じような目的で「工芸」をわかりやすく伝えようと、私たちCoJが取り組んでいるのが「工芸英訳ガイドライン」です。

100人に聞きました。通じるのはどの英訳語?

CoJでは、2019年にロンドンで言葉に関するシンポジウムを開催しました。日本文化に関心のある約100人の参加者に工芸に関する言葉の訳語を提示し、「伝わっている」「伝わっていない」を調査しました。

 
 

たとえば、白い磁器の素地にコバルトを使って絵柄が藍色に仕上がるやきものの技法「染付そめつけ」。その英訳語は、以下のような結果でした。

「工芸英訳ガイドライン 心構え・基礎編」p2より

ここに挙げられた20種の英訳語は、国内外の美術館での展示解説(キャプション)、図録、そして行政機関の公的資料、佐賀県内の施設の表示などからピックアップしたものです。「染付」という一つの言葉に対してこれだけの訳語があることがまず驚きですが、それだけ工芸を英訳するのが難しいということがおわかりいただけるかと思います。
そもそも染付という技術は、17世紀に中国や朝鮮半島から日本に伝わったもので、日本にしか存在しない特殊なものではありません。染付が施された磁器は、16世紀から18世紀にかけて中国や日本からヨーロッパに大量に輸出されていたため、その頃から英語やドイツ語、フランス語で染付を表現する言葉は存在していました。しかし、21世紀になったいまでも次々と訳され直し、新たな訳語がつくられているのが現状です。

上記に挙げた「染付」の英訳語20種について、ロンドンのシンポジウムの参加者にその意味が「伝わっている」か「伝わっていない」か尋ねた結果を、右側の列に数字として示しています。そして「伝わっている」の人数が多かったものには、訳語として意図が伝わり推奨できるという意味で○をつけました。
結果、「伝わっている」とされたものは7つとなりました。「伝わっていない」英訳語の中には、会場内から失笑が起きたものさえありました。そのような言葉を使ってしまうと、内容を正しく伝えられていないことはもちろん、その作品や商品が吹き出すしてしまうようなレベルに価値を貶めてしまうことになりかねません。

一方、工芸品の訳語でよく見かける「音訳でのローマ字化」(「染付」の場合は”sometsuke”)があります。これは手抜きではなく、「名称を大切にしたい」「この言葉を覚えてほしい」という意図をもつこともあります。
しかし”sometsuke”と書いてあっても、英語話者の多くが「ソ・メ・ツ・ケ」という音で発音することができないようです。当然のことですが、「どう訳せばよいかわからなかったら、とりあえずローマ字にしておこう」は、誰にも伝わることはなくほぼ無意味な作業です。

一方でこの結果において、満場一致の意見がほとんどなかったことは興味深い点です。
シンポジウムのファシリテーターを務めた渡辺俊夫氏は、参加者たちのバックグラウンドの違いによるものではないかという見解を出しています。言葉の学者、工芸の専門家、美術の専門家、一般の参加者、加えてそれぞれの日本文化への慣れや習熟度の違い。こういった要因によって判断するポイントが変わるのではないかとのことでした。

この「バックグラウンド」の違いは、同様に訳す側にもあてはまります。「染付」の訳語が20種にもなった理由の一つでしょう。伝わる例の中でも、陶磁器の技術に詳しい人、美術に詳しい人、色を重視する人など、訳者の属性により訳が変わったことも考えられます。それぞれの訳語が「染付」として通じてしまうこともあり、「唯一これだけが正しい」と一つに絞ることができないのも実情です。

目的や対象に合わせて「伝わる」訳語を選ぶ

「工芸英訳ガイドライン」はこうした事情もふまえ、一つの用語に対して一つの正解を決めつけることをやめました。推奨するに値する訳語と、なぜそれがよいのかを複数載せています。推奨する人の立場とその理由が示されることで、自分の立場や目的に合った訳語が選べるようになっています。一つの用語に複数の「推奨訳」があるようなイメージです。

有識者たちの知見や彼らとの議論から多様な考え方を俯瞰しながら、その中から自分の目的に合った表記を選べる、つまり「伝えたい」目的に沿って、対象者に「伝わる」訳語が選べるガイドライン、それが「工芸英訳ガイドライン」です。

対象は工芸ですが、固有の文化を異なる言葉に置き換えていく際の基本的な考え方は、「伝えたい」思いのある方、「伝わる」英訳をしたい方の参考になるはずです。英語表記の細かなルールなども載っていますので、ぜひご一読ください。最新版の「心構え・基礎編」は以下からダウンロードできます。

【工芸英訳ガイドライン】「心構え・基礎編」が完成しました! | The Creation of Japan