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文化を愛する旅にでる 第3回

「和すべし」の精神性

京都・宮廷文化を旅する  その1

取材・文酒井一途 [コーディネーター]

文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。

工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。

この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。

山科伯爵邸源鳳院 門構え(現在)

今回は京都岡崎にある「山科伯爵邸 源鳳院」を訪れました。

かつての家の主人あるじから手が離れて以降、宿泊施設として運営されてきたこの建物。長らくのあいだ、異なる家系の邸宅だと誤解されて運営されてきたそうなのですが、現在の女将である加藤由紀子さんが資料を解きほぐしていったことで、正しくは1920年に山科言綏ときまさ伯爵が建てたものであったと判明しました。

歴代天皇の側近として代々宮中に仕え、家職として装束の調進・着装を伝承してきた旧公家の山科家。「家が本来の主人を見いだしたことで、家そのものも色づいていったように感じます」と加藤さんは言います。山科家とも連絡が取れ、今では山科家三十代後嗣である山科言親さんが全面的に源鳳院に携わって、講演会の監修などをされています。

千年の長きにわたり京都の町に暮らして、定点観測しつづけてきた山科さんの目から見た文化、まち、人びとの話を伺いながら、文化観光のありかたをともに模索していくような対話となりました。最終的に行き着くところは人。文化が人によって根づき、培われ、受け継がれていくように、文化観光もまた人を介して深まっていく旅なのでしょう。

山科言親 やましな ときちか

衣紋道山科流若宗家。一般社団法人山科有職研究所代表理事、同志社大学宮廷文化研究センター研究員。 代々宮中の衣装である“装束”の調進・着装を伝承している山科家(旧公家)の三十代後嗣。 三勅祭「春日祭」「賀茂祭」「石清水祭」や『令和の御大礼』にて衣紋を務める。NHK「日曜美術館」をはじめ、メディアへの出演や、歴史番組の風俗考証等も行う。旧山科家邸宅である源鳳院にて宮廷文化を題材にした講演会の監修、企業や行政・文化団体への講演やクリエイティブに関するアドバイザー等を務めている。世界経済フォーラム(ダボス会議)のグローバル・シェイパーズに選出される。

1995年京都市生まれ。京都大学大学院在籍。

加藤由紀子 かとうゆきこ

山科伯爵邸 源鳳院 女将。伝統的な建築物を現代へ活かす取り組みを静岡沼津、京都祇園などで行う。2012年山科伯爵邸源鳳院の運営を引き継ぐ。歴史を紐解きながら、2018年から宮廷文化に特化した文化講座を企画し、雛人形展など含めると3,000名を動員する。神仏習合や陰陽五行など、失われた宮廷の研究をライフワークとする。

公家は「家」として文化を継いでいく家元のようなあり方

山科言親

公家的な生き方というのがあるのではないか、と最近考えているんです。公家道という新しい言葉を生み出してはどうだろうかと思いましてね。武士道というのがありますでしょう。その武士道が日本の精神とされていますが、はたしてそうなのでしょうか。

酒井一途

新渡戸稲造が本を出したことで広まっていきましたよね。

山科言親

明治以降の近代日本で武士道が流行ったのは、武士によるマッチョな考え方が当時求められた国家像に沿っていたからなのですよね。そもそも武士たちが革命を起こして明治政府が立ち上がったのですから、親和性があったのでしょう。武士というのは死に赴こうとするロマンティシズムに傾いているのですよね。

対して公家はリアリストだったと思うんです。ありとあらゆる時間軸で、先祖の残してきた記録や先例に照らし合わせて、そのときどきで時代に応じた判断をしながら生きてきた。時代を超えて儀式を伝承していく上で、そうした生き方が必要とされたのです。一般的なイメージでは公家というのは源氏物語の世界のようなロマンティスト気質だと逆に思われがちですが、実際は決してそうではなかったと思うんですね。

加藤由紀子

お公家さんというと毎日遊んでいそうなイメージを持たれてしまいがちですけれどね。家の理念を粛々と守りながら、儀式の所作や文化を継いでいく。公家には個人の考えというより「家」がまずあるのですよね。

山科言親

公の「家」ですから。ノブレス・オブリージュにも近いのかもしれません。しかし日本の公家は、支配・被支配の西洋的な貴族のあり方とは違うものです。家単位で、家来も含めた全体でその「家」の文化を継承していました。子供ができたかどうか、その子が非凡であったかどうかによっては、養子を迎えることで「家」を継続させていくこともしていたわけです。そのような「家」として文化を継いでいく家元のようなあり方は世界でも類をみないものです。茶道や華道の家元制度にも先立って、和歌や蹴鞠、装束など公家による文化の継承が日本にはありました。

山科伯爵邸 大広間にて第27代山科家言と悦子の結婚式。大正10(1921)年1月12日。家言は衣冠、悦子は小袿(こうちぎ)を着用した。
酒井一途

公家的な生き方、公家道とはどのようなものなのでしょう。

山科言親

ひとことでいうと、「和すべし」の精神性でしょう。蹴鞠けまりをするにも相手が蹴りやすい球を蹴りますし、得点を競うわけでもありません。競争ではないのです。

山科家は衣紋道(宮中装束の専門的な着装技術)を担う家として、宮中への織物を納める宮中御用商人たちの監督もしていました。そこでも「和すべし」の精神性は活かされています。たとえば西陣織の原型になる御寮織物司というものがありました。織物を作っているところが六軒ぐらい集まってギルドのようになり、持ち回りで宮中からの御用を受けることで、抜け駆けしないようにお互いの利益配分を調整していたのです。

その仕事の経過を、商人たちは山科家に報告する義務がありました。彼らに守らせていた十か条があります。帝に献上するため清浄を第一として親族にけがれがあったら報告しなさい、勝手に旅行をしてはならず数日間家を空けるときにはみなで協議しなさい、宮中のことをしているからといって傲慢になってはいけない、などです。

商売でも競争して勝ち上がるのではなく、いかによいものを分担してつくり、たがいなく宮中に納めるかという考え方があったのです。今は残念ながらそのような考え方はほぼ失われています。ここに現代のヒントになることがまだまだあると思うんです。

酒井一途

文化を学ぶことを通じて、そうした精神性も学び直せるのかもしれませんね。なにかの技そのものを学ぶというよりも、長年かけて文化的なことに携わる中で、その奥にある精神性を自然と自分の中に取り込んでいくものなのかもしれないと思いました。

山科言親

政治にしても、いろんな利害がある中で権力をもって物事の決断をする、究極的な判断に迫られるわけです。その判断がどこから出てくるかというと、歴史的・文化的な文脈の中での価値規範やある種の宗教性にのですよね。だからこそ政治と宗教とは一体だったのであって、政教分離を形だけ唱えても意味がありません。政治と文化的・宗教的儀礼が一体ではなかったところなどあるのでしょうか。

かつては天皇も文化的・宗教的儀礼の権威として長く象徴的に存在していたわけです。むしろ明治に入ってから、天皇は古代王権的な形にされていきました。西洋の立憲君主的な姿を当てはめて、明治以前とは違う天皇像を作り上げていったのです。三島由紀夫がそう書いています。戦後から現代において、日本ではそうしたことを本質的に見つめ直さないまま来てしまっているのではないかと思います。

酒井一途

近代国家も民族の概念も明治以降に西洋から導入されてきたものですしね。日本が培ってきた歴史的・文化的な文脈をむりやり西洋からきた概念と結びつけたことで、ナショナリズムや帝国主義的な思想もいっしょにインストールされてしまった。

一度芽生えたものを剥ぎ取ることは難しいですから、何をもって日本というものを考えていくのか、「日本の文化」とはなんなのかという危うい議論になりえる問いにはあえて踏み込まないことも必要かもしれません。

文化観光を掲げる上では、土地と結びついた文化をこれからの時代においても継続していけるものにしていくことがなにより大切ではないかと思います。その意味でも宮廷文化や公家道というのは近代以前の京都に存在した一つの重要な文化であり、精神性だと感じます。

山科言親

グローバリズムが生じてから、日本に限らずどこの地域であっても、文化は画一化していっています。もともとは実生活と密接に結びついていた文化も、生きた形で日常の営みとしてあることが難しくなっていますからね。一方で失われゆくものに対する危機感やノスタルジーも生まれてきて、ひと昔前よりは目を向けてもらいやすくなっています。これは追い風ではありますが、悠長なことは言っていられないのも現実です。

酒井一途

土地と結びついた文化のみならず、土地そのものとの関わりもなくなってきています。

山科言親

人間が本源的にはやらなくてもいいことを、駆り立てられてしている時代が近代以降です。先人たちが残してきた、人間こそがしうる豊かな生活に焦点を当てていた時代に比して、本当の意味で進歩はあるのでしょうか。人口を増やす増やさないとか、観光客数がどうというような経済的な指標ではないところで見ていかないといけませんよね。

文化観光という切り口を通じて、体験した文化や伝統を日常の生活の中にとりいれる

加藤由紀子

昔は町や村に長老みたいな存在がいましたよね。疑問に思ったときに訊ける人。

酒井一途

地縁のコミュニティの中でのその土地の歴史やあり方、文化、しきたりも含めた生き方を指南してくれる存在としての長老。大事だったのでしょうね。

加藤由紀子

一方で、昔のままのやり方を貫き通すというのではなくて、今ある文化を大事にしようとするとき、考えていきやすい道を時代に沿って探ることも必要ですよね。文化一般にしても文化を理解して関わっている人たちが、「こうでなくては」と厳しい目で見ていることも多いですから。時代の変遷の中で変化してきて今ある文化になってきたことも考慮して、あまり「こうでなくては」に縛られないようにしないと、いい形では持続していきません。まずは文化に携わる内側の人たちで一体化しないと、と思います。

山科言親

文化的なところに身を置いていると、そのことを意識して生きていかざるをえないがために、融通が利かない形に自分たちを追い込んでしまっている人も多いと感じます。「文化を守るんだ」という矜持と、その矜持を外からも求められている意識があって、柔軟さをなくして窮屈になってしまっている。「こうせなあかん、ああせなあかん」と言って、もとあったありのままの形ではなくなってしまっているのですよね。

加藤由紀子

わかりやすい例では、裸足で畳を踏んでは駄目です、とかね。でもたとえば公家文化から見ると、お公家さんは裸足で生活していた時代が長くあったので、裸足で畳を踏むこともありました。何が礼儀で何が正しいことなのかというのは、知らないだけでさまざまなあり方が存在するのですよね。

山科言親

家単位でもやり方が違うことは当たり前にあったわけです。郷に入れば郷に従えで、それぞれの家を訪れるときに、その家のやり方に細やかに気を遣うことがあったんです。それを紋切り型に定型化していくと窮屈になっていきます。

酒井一途

今ではその心が失われているわけですね。そればかりか、もっと前提の条件として日常の中での環境や習慣も変わってしまっている。

山科言親

そうですね、和服を着ること一つをとっても、全体としての住環境や生活様式が昔と今とではまったく違います。かつては合理的な理由で作られたものが、もともとの意味がわからなくなっています。和室の取手や襖(ふすま)も、和服が引っかからないようにと作られたものですし、正座することも袴や着物を着ていたから座りやすかったのであって、洋服を着ている今ではズボンが張って座りづらいだけです。

現代的な環境であればこそ、和服を着ようとしても折り合いがつかないんですよね。様式美として残っていても単体でみてはだめで、全体でどうするかを考えると非常に難しいことです。もともとの意味を考えた上でトータルコーディネートとしての文化のあり方をどう伝えていくかを考えなければなりません。

酒井一途

現代において生活のスタイルが変わってしまったなかで、ただ知識として、かつてこういうものだったからと説明するだけではなく、文化のあり方と意味を生きたものとしてもう一度新しい生活のスタイルにして形づくっていく。文化観光という切り口を通じて、そんなことができないだろうかと思い描くと、豊かな旅が生まれそうです。

物見遊山の観光ではなく、日常から切り離されたところへ足を運ぶことで、そこで触れた文化を自分の生活に活かすために持って帰ってくるという観光のあり方があります。江戸以前の日本人の観光はそのような旅が普通でした。たとえば伊勢参りをする旅の道中で、他の土地の者と出会って稲作や畑の仕方、生活の技術を受け渡し合い、帰郷してから自分たちの生活をよりアップデートしていたのですよね。

加藤由紀子

流行りのものを見て写真を撮っておしまいというのではなく、文化を愛する人だからこそ、旅先でその土地の文化に触れたときに、その文化を自分の生活に取り入れていく。そういう旅のあり方を模索していけたらおもしろいのではないかと思っています。

源鳳院の主催するイベントで宮中の儀式を体験して、それを日常の生活に持ち帰るというとき、「どのような意味でその儀式をしていたのか」という精神的なものを理解して、その心を現代に持って帰ることであればできるように思います。

今の時期(五月)であれば、端午の節句で兜を飾りますよね。これは宮中行事であったことも知られないままに、かろうじて形だけが残っています。ほんとうは形よりも意味の方が大事で、たとえ家に兜がなくともその意味が何なのかさえわかっていれば、子供のためにできることはあります。

生活スタイルを変えることは環境的に難しいし、畳のお部屋がない家も増えています。でも信仰や精神性であれば、現代においても活かせるものではないかなと思います。

山科言親

何を持ち帰れるかと構えすぎることなく、自然な形で体験するのがもっともよいのです。そうすれば生きる知恵や考え方、時間軸を超えたものの捉え方など、人間が大事にすべき普遍的な価値観が得られたり、そこから行動変容が生まれることもあるでしょう。

加藤由紀子

どの切り口からでもいいのですが、さまざまな物事を見る目を養っていかないといけないですよね。

山科言親

以前女将さんが仰っていて印象的だったのは、山科家の歴史や宮廷文化を知っていくことで自分自身の歴史の見方や軸が形成されていき、「物」が見えるようになったと。

酒井一途

最初に軸を何か探さないといけないですよね。そうしないと見るものも見えない。

山科言親

どんな軸でも構わないのですけれど、軸がないと枝が出てこないですからね。文化観光とは、人それぞれにかならずある自分の中に軸として根ざす何かを探しにいく旅、なのかもしれませんね。


その2に続く