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文化を愛する旅とは、人によって営まれてきたその地の文化の文脈を知り、学び、みずから触れにゆくこと。そのための旅をすること。
工芸や建築、寺社仏閣、芸能をはじめとする有形無形の文化、食のあり方、生活や暮らしに根づいたヴァナキュラーな文化、さらにはその地の人びとの価値観、生き方までさまざまな形を、愛されるべき文化とよびたい。
この連載では、旅先の地にある広義の文化をいかに知り、触れにゆくことができるかを、文化の担い手や観光に携わる方々と共に考えていく。
「その1」に引き続き、北海道白老町での対談記事をお届けします。「その2」では、ゲストハウス&カフェバー haku hostel + cafe bar を営む菊地辰徳さん恵実子さんご夫妻、ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクターの木野哲也さん、白老町議会議員の佐藤雄大さんにお話を伺いました。
取材日:2023年7月12日
菊地夫妻(haku hostel + cafe bar)に聞く
菊地辰徳 きくち たつのり 株式会社haku 代表取締役
千葉県船橋市出身。米国で環境学を修め現地の環境コンサルティング会社にて環境監査・環境トレーニングの業務に従事。その後、国内の経営コンサルティング会社や東北大学大学院環境科学研究科の研究員を経て、環境/CSRコンサルタントとして企業のCSR経営を支援する。2013年に長年馬術を通じて関わってきた馬と暮らすこれからの持続可能なライフスタイルを実現するために、東京から岩手県遠野市へ移住、馬と暮らし始める。その後2017年に北海道白老町に家族(妻子、馬2頭、猫5匹)と移り、廃業した旅館をリノベーションして2019年にhaku hostel + cafe barを開業。現在も施設を経営しつつ、馬を活かしたコミュニティつくりも並行して推進している。
菊地恵実子 きくち えみこ haku hostel +cafe barディレクター
愛媛県出身。大学時代をアメリカで過ごす。東京での生活を経て、岩手県移住と同時に結婚。3年後、さらに北海道白老郡に移住。2019年4月、夫と共にホステルを開業する。8歳の娘と、猫6匹、馬2頭と暮らす。
夫と友人たちと共同でビール工場「THE OLD GREY BREWERY」を、開業。また、同敷地内にギャラリーとショップをオープン。
菊地恵実子
私たちは、6年前に岩手県の遠野から馬を連れて白老町に引っ越してきました。その前は東京、さらに前はアメリカの大学に通っていました。
酒井
この6年で白老のまちの変化をなにか感じますか?
菊地恵実子
いちばん大きいのはウポポイができたことかな。
菊地辰徳
商店街にシャッターが閉じたままの空き店舗が減ったかな。
このhakuも空き旅館を改修したんです。新しいお店もすこし増えたし民泊やアパートもできました。星野リゾートもできましたしね。ウポポイの波及効果だと思います。
地方ではなかなかないですよね。人口はどんどん勢いよく減ってるけど、関係人口は増えているような気がします。
酒井
お二人もhakuのようなうつくしい空間づくりをされるのだから、文化的なものにこれまで多く触れてこられたのだろうと感じます。入り口にあたるこのカフェの空間に入ってきたときに、魅力的な空間が身体に向かって立ち上がってくるのを五感で感じました。思いをもってつくられているからこその、落ち着きを感じます。
菊地恵実子
嬉しいです。
菊地辰徳
文化的なものごとが好きなのだと思います。手仕事のものや、アート、うつくしいものへのこだわりをもちながら、宿をつくるときにもできる限り美意識を大切にしました。白老町には、こうした施設(ホステル&カフェバー)はなかったですから。
若い地元の人でもここで働きたいという人がいます。新しい職の選択肢をつくれたことはやってよかったなと思うことの一つです。
菊地恵実子
新しくビール工場とアートギャラリーも作っています。ギャラリーでは作家もののうつわなども紹介していきます。
菊地辰徳
展示スペースだけで70畳くらい。昔のスーパーの跡地の鉄骨の物件を改修しています。天井高は3メートルくらいですが、8メートルくらいの壁面もあるので大型の作品も展示できます。
酒井
アーティストを皮切りに、これから感度の高い人たちが集まってくる町になりそうです。
菊地辰徳
もちろんアートと聞いて全員がすんなり入ってくるわけではないですが、ウポポイや飛生アートコミュニティなど、文化芸術の文脈で取組みを推進するための物語がちゃんと息づいている町です。
酒井
積み重なっていく場所のあることが大事ですから、新しく作られるギャラリーもこの宿も積層していく空間になっていくといいですよね。
菊地辰徳
木野さんが長く携わっている飛生アートコミュニティーが主催する「飛生芸術祭」にも、わざわざそのために訪れる人たちがいますから、アートには人を呼び寄せる力があると感じます。いい意味でお客さんも選びますしね。
観光地だと誰でも来てしまうけれど、アートを眼目とすると比較的感度の高い来訪者が多い。そのため変に町が消費されないでいられます。
「ROOTS & ARTS SHIRAOI」の開催時期には町の雰囲気がよくなるのを感じます。
酒井
いきなり大勢が押しかけるようなことを目指すのではなく、リピーターになってくれる人を作っていくのがいいですよね。イベントをきっかけにこの町に訪れてすごく好きになったから、イベントじゃないときにもまた来たいとなるような。
菊地辰徳
徐々に町にコンテンツやストーリーが増えてきていて、町の人たちもアルバイトとして手伝うなど、すこしずつ関わってくれるようになってきました。「『ROOTS & ARTS SHIRAOI』を手伝ってるんだってね」、と会話になるだけでも接点ができますから。
木野
前例がなかったような文化芸術の多種多様な取組みが行われることへ、町民の賛同や理解が集まっていくには時間がかかることだと思います。地道な活動や対話を軸の中で、hakuが関わっているなら興味があるな、というように町の方々にとってhakuが関心の入口になっていることは、とても助かっています。これまでにhakuといろんな形の企画やプロジェクトを協働してきた甲斐もあります。
酒井
町がひらけるまでの期間は、孤立無援のように本当に限られたプレイヤーがいるだけなんですよね。でもだんだんそこに人が集まっていく。
最初にいる人たちが、それからの町にとっての突破口になっていくのです。さまざまな地域でそうしたケースをみてきました。
菊地辰徳
町は簡単には変わらなくても、関係者がずっと町にいつづけることで、その関係者とのコミュニケーションを通じて町の印象が少しずつ変化している気がします。
酒井
そうしているうちに町自体の風通しがよくなっていって、町が勝手に変わっていくのではないでしょうか。
菊地辰徳
議会とかの重たいところから変えていくのみならず、フットワークの軽いところからも変えていけたらいいですよね。
木野哲也さん(ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター/飛生アートコミュニティーディレクター)に聞く
木野哲也 きの てつや ROOTS & ARTS SHIRAOI 企画統括ディレクター / 飛生アートコミュニティーディレクター
森・人・作品との共生、学びと集いと創造の場づくりとして2011年より「飛生の森づくり」を有志たちとスタート。年に一度の村(森)開きと位置づけ、森と校舎での展覧会を行い町内外の人々と交流する「飛生芸術祭」。地域の有形無形資源×多様な第三者をテーマに、カルチャー&アートツーリズムを地域に生み出すプロジェクト「白老文化芸術共創 ─ROOTS&ARTS SHIRAOI─」、伝統と創造を敬愛するプロダクト創作チーム「いぶり工藝舎」などの立ち上げ、ディレクションに携わる。近年、札幌都心部隣接の里山エリアで共同農園(Farm Collective)を開始。
木野
1986年3月に飛生小学校が廃校になって、翌4月には当時若手のアーティスト、彫刻家や家具職人、音楽家などが集まり、「飛生アートコミュニティー」が創立されました。彼ら第一世代の多くは70代、僕らはいわば第二世代です。
創設者の一人である彫刻家の國松明日香さんのご子息の国松希根太くんは僕の友人のアーティストで、彼との出会いから二世代目にあたる僕らの代表的なプロジェクト「飛生の森づくりプロジェクト」が始まったのが2011年。その少し前の2009年から毎年「飛生芸術祭」が継続開催されています。
国松くんとの出会いは僕が2003年に札幌で企画したライブイベントに希根太くんが観客として来ていたのです。アーティストの鈴木ヒラクのLIVEドローイングと、ラッパーのSHUREN THE FIREのJAZZ BANDとの即興セッションイベントでした。
希根太くんとはすぐ意気投合して仲良くなって、次の日には札幌芸術の森へコンテンポラリーダンスを一緒に観にいくようなノリでした。彼が白老の飛生にアトリエを構えて作品をつくっていると聞いて、そのフレーズがすごく響いたんです。まもなくそこへ遊びにいってから、今に至るということですね。
酒井
遊びにいってから今に至る、って飛び方がいいですね。10数年の時を超えて、流れのままにそうなっちゃった、という感じがして。
木野
そうそう。本当にそうです。
飛生小学校の校舎裏には、学校林という森があります。ちいさなちいさな学校のちいさなちいさな森です。当時の飛生小学校ではその森に子どもたちを連れ出して、鳥や自然に関する授業をしていたとの資料も出てきました。そういうリサーチも徐々に重ねています。
第一世代の方々は主に校舎中心に活動してこられた経緯もあり、森は廃校以来25年くらい放置されていたのですが、世代を超えて再び人が集い、出会い、交流できる場を作ろうという思いから、2011年に「飛生の森づくりプロジェクト」が始まりました。まず校舎から出て森に一本の道をつくるところからのスタートでした。
森づくりプロジェクトは毎月4月から10月まで月に1〜2回、多い月は3回集まって、主に森の中で創作をしたり周囲の環境や校舎の整備を協働する活動です。
最初は数名の知り合い中心だった作業活動が、徐々に町内やいろいろな地域から人が参加するようになり、今では多いときで子どもたちを含めて50〜60人くらいが集まって作業する日もあります。
人が出会って、協働して、共に学び、汗をかいて、語り合って、温泉に入って、ご飯を食べる。そんなルーティンの森づくりコミュニティの活動が続いています。衣食住をまるっと共にして過ごす。この10数年のあいだにメンバーたちに子どもも生まれて、やがてその子たちが大きくなっていく、その時間経過もぜんぶここにある。
飛生の校舎と森という場所を軸として、定期的に集まっていっしょに過ごしながら、森づくり、作品づくり、人づくりのどれもが同時に進んでいるんです。
「飛生の森づくり(2011〜)」と同時に「飛生芸術祭(2009〜)」の前夜祭として「TOBIU CAMP(2011〜)」も始めました。
アート、音楽、ダンス、影絵、人形劇、演劇やフィルム上映などさまざまな表現分野が交差、横断しあって、舞台ステージの有無にかかわらず、360°丸ごと森と校舎と周囲牧草地が舞台。
ある年のTOBIU CAMPに、一昼夜で2千人近くの来場がありました。多分野にわたるたくさんの出演者、継続・発展させてきた数々の演出、空間づくりにも強い手応えがあったのですが、その時点で自分たちが当初から描き続けてきた目指すカタチ、望み想像してきたものを超えてしまった。描いてきたビジョンを遥かに超えたからこそ、ここでいちどストップさせて、自分たちコミュニティ活動の充実を図ろう、いったん元に戻そうと、メンバーたちで話し合ってきました。
とても前向きな意味でちいさく変化していく進化がいいよねと。
酒井
鹿児島南九州市の廃校であった「リバーバンク森の学校」を舞台にした、「グッドネイバーズ・ジャンボリー」を思い出します。やはり来場者数が増えすぎて、やりたいことの形に沿わなくなってしまうから、ちいさな規模でより豊かなことをしていこう、と。
木野
2019年に「好きなレコード持ってきました」という奈良美智さんとの企画でゲストでお呼びした岡本仁さんが同じことを仰っていました。「グッドネイバーズ・ジャンボリー」をやっている坂口さんがここに来たいと言っているみたいで、俺も鹿児島に行きたくて。
酒井
二、三十代の世代にとっては、ちいさな規模でより豊かなことを、という価値観をもつことも一般的になりつつあると感じます。
佐藤雄大さん(白老町議会議員)に聞く
佐藤雄大さとう ゆうだい 白老町議会議員
1992年白老町生まれ、白老町育ち。
学生時代「俺たちが白老を変える」という白老町専用メディアを運営。(現在はおれしらFM)その後作業療法士として病院勤務の後、2019年26歳で白老町議会議員に当選。現在も議員を続けながら、白老文化芸術共創実行委員会事務局、白老東高校地域コーディネーター、水泳療育アドバイザー等、白老町を中心に活動中。
佐藤
観光呼び込みが成功して何百万人来ましたというよりも、1万5千人の町人が1人ずつ呼んできた1万5千人の方がより深く関係人口になるんですよね。関係人口もランク別に分かれると思っていて、年に2回来る人と年に10回来る人とでは呼びかたが違っていていいはずです。
僕もまずは自分が目的地になれたらという意識を持っています。
酒井
この町のことを好きな人を訪ねてきて、その人に案内してもらったら、もう町への好きな要素しかないじゃないですか。地元のおいしいもの食べさせてもらって、魅力的な人たちにたくさん会わせてもらって、「これはまた来るしかない」ってなりますよ。
佐藤
熱量みたいなものがね。
酒井
はい、熱量って伝播していくから。作品もだし、人もだし、出会っていくことがそのまま熱量を持ち帰ることになる。
町の人たちが外から来た人たちと出会える場所があると、町のよさに気づくきっかけになっていきますよね。
同時に外から来た人たちも、町の人たちとの出会いに感動をおぼえるかもしれない。
最初はお互いにどうコミュニケーションを取ればいいのか戸惑うかもしれないけれど、町の人たちが日常の延長線上で当たり前に会話をしているところに、外の人たちが共にいられる場があったら、まずはそれだけでいい。
会話の糸口がどこかでみつかれば、町の人たちと外から来た人たちが交流する循環が生じる。ある突破点のようなものがあるはずなんですよね。
佐藤
町の魅力を知っている人に「友達を1人呼んできて」と言って実現できたら、どんどん自分ごとになって、町はもっと活気づいていくはずなんですよね。
酒井
今回はたった半日でしたが、町のさまざまなところを見せていただいて、ここから起爆剤になっていく要素がたくさんあるなと感じました。
こうやって、町はひらけていくのだな、町としてのいい深みを持っていくのだろうな、と。
佐藤
ここからです。白老は本当にポテンシャルが高い町なんです。北海道でも山しかない町、海しかない町がたくさんあります。白老みたいにハイブリッドで山も海も温泉もあって、なんでもあるところは意外とめずらしい。そのポテンシャルにまだ気づいていない方が多い印象はあります。まだまだここからです。
酒井さんも今日はざっくり見られたかと思いますが、楽しいことはほかにもめちゃめちゃありますから。またもっと満喫しにきてください。
酒井
ここで一日ぼーっとしているだけでも、満ち足りた気分になりますね。
佐藤
ちょうどアーティストがこのあたりで巨木を立ててトーテムポールのようにしようと計画しています。音がいいよね、と。海の音と、鳥の鳴き声。それだけを聴きながら、巨木と向き合えるのがいい、と言っていました。
編集後記
はじめて訪れた白老は、旅のコーディネートをしてくださった木野哲也さんのおかげもあって、一日で見てまわったとは思えないくらい充実した出会いと学びを満喫した旅でした。各地で文化観光にまつわるインタビューをしている過程で、こうした旅がまさにそのまま文化観光のひとつの形であることに気づかされます。その土地に暮らしている人たちと出会い、その人の暮らしになくてはならない地域の文化圏をともにめぐり、そこからまたべつの人に出会う。するとその地域の人びとのありかた、土地の歴史が自然とみえてくるのです。お仕着せの文化ではなく、今を息づく文化をそこに生きる人とともに歩く。
今回の白老町の記事は、取材した2023年7月から8カ月経っての公開となり、その間にもさまざまな出来事がありました。たとえば2023年9月1日~10月9日には「ルーツ&アーツしらおい」が開催され、アートをメインに多彩な企画が催されました。「haku hostel +cafe bar」は、よりゆったりと滞在者が過ごせるようにカフェバーを宿泊者専用ラウンジにしました。2023年12月には通りの向かいに「haku 生活洋品店」という新しいお店がオープンしました。
動き始める地域というのはほんとうに変化がはやく、まちの内外の状況にあわせて新たな試みに柔軟に取り組んでいきます。白老もそうしたまちのひとつで、つぎに訪れる際にはどんな変貌を遂げているのかとわくわくします。訪れる地域との関わりができて、時を経ていずれ再訪したときにその変化をたのしむのもまた、文化観光のダイナミズムのひとつかもしれません。
関連する文化施設・体験のご案内
ROOTS & ARTS SHIRAOI
北海道白老郡白老町大町2丁目3−10
https://www.shi-ra-oi.jp/
飛生アートコミュニティー
北海道白老郡白老町字竹浦520
https://tobiu.com/
haku hostel + cafe bar
北海道白老郡白老町大町3丁目1−7
https://hakuhostel.com/
スーパーくまがい
北海道白老郡白老町本町1丁目9−41
https://www.instagram.com/superkumagai/
ファミリー居酒屋河庄
北海道白老郡白老町大町3丁目10−7
https://www.instagram.com/kawasho_izakaya/
白老観光協会 ポロトミンタラ
北海道白老郡白老町若草町1丁目1-21番21号
https://shiraoi.net/porotomintar/
仙台藩白老元陣屋資料館
北海道白老郡白老町陣屋町681−4
https://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/docs/page2020062800019.html
THE OLD GREY BREWERY
北海道白老郡白老町大町3丁目4-11
https://www.theoldgrey.com/
またたび文庫
北海道白老郡白老町大町3丁目9−11
https://matatabi-bunko.stores.jp/